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第2話

「櫻~!」


中学校の最終学年になった櫻は高校の入学試験に向けて目下受験勉強中であった。


そんな櫻に声をかけているのは、櫻と小学校時代からの友人で、親友の美里であった。


「何?また何かやらかしたの?」


「またって何よ。今回はビッグニュースよビッグニュース」


「ビッグニュース?」


「私たちが今度受ける本命の慶明高校なんだけどさ、来年から軽音楽部ができるらしいよ」


櫻は飛び跳ねて驚いていた。


美里が櫻に話しかけたのは教室の中。


昼休み中といえど、教室内は生徒が大勢いる。


そんな櫻に皆の視線が集まった。


「やだ、恥ずかしい。美里がそんなこと言うから、飛び跳ねちゃったじゃない」


「そんな反応する子普通いないって…」


美里は苦笑すると、尚も続けた。


「絶対合格しようね。私は吹奏楽だけどね」


「部活の前に勉強しなきゃだね」


「そうだよ。落ちたら目も当てらんない」


「ま、櫻には軽音楽部以外にも目的がありそうだけどね」


「何よ、それ」


「またしらばっくれちゃって~。蓮先輩よ、蓮先輩」


「蓮君とはそういうのじゃないって」


櫻が否定しようとするも美里は聞く耳持たずである。


櫻にとって蓮は兄の親友という関係でもなければ、ただの幼馴染でもないような存在で、この気持ちが櫻にとって好きだとか恋だとかというと、全く分からなくなっていた。


あの事故が起きる前は櫻も好きという気持ちが芽生え始めているという自覚はあった。


しかし、事故以降蓮君の自分に対する態度が明らかに変わり少々困り果てていた。


昔から遊ぶときは常に一緒にいた蓮であったが、登下校まで蓮は櫻と一緒にいたがるのだ。


蓮が通っている高校は櫻が通っている中学と遠くはないが、半分ほどの距離で別々の道になる。


しかし、蓮は登校時は中学校の校門前まで、下校時は校門前で待っているのである。


なので、櫻は友達と遊びに行くときはその都度蓮にメールをしてわざわざ中学校まで来なくても良いようにしている。


櫻自身、足がまだ百パーセント自由に動くわけではないのだが、激しい運動以外は何不自由なく生活できている。


鬱陶しいとも違うのだが、蓮に対し申し訳ない気持ちが強く、蓮のことが好きとかいう気持ちにならないのだ。


「だけど、蓮先輩もったいないよね。そりゃ、慶明って県内有数の進学校で、皆頭が良いからさ、将来のためには良いのかもしれないけど、野球部がね…」


美里の言うとおり慶明高校は県内でもトップクラスの進学校で、毎年全国各地の有名大学合格者を輩出している有名校である。


しかし、野球部は毎年二、三回戦どまり、くじ運次第で四回戦に行けなくもないが、それ以上はシード校からもれた強豪校が待ち構えており、その壁を越えられないでいた。


「私もそう思うんだよね。せっかくお兄ちゃんと一緒の高校から声がかかっていたのに…」


亮太郎は全国大会、いわゆる甲子園常連校の西条高校へ進学していた。


櫻のいうとおり、亮太郎は西条高校から誘いを受け受験を決意したわけだが、実は蓮も一緒に誘いを受けていた。


蓮と亮太郎は中学校最後の年に全国大会まで勝ち上がり、ピッチャー蓮、キャッチャー亮太郎のバッテリーに声がかかるのは何ら不思議なことではなかった。


「蓮先輩が野球をやらなくなったのって、やっぱり櫻の足のこと?」


「はっきりと聞いたわけじゃないけど、お兄ちゃんもそう言ってるし、間違いないと思う」


そこで櫻は少し考え込むように遠くを見た。


「だけど、それだけじゃない気もするんだよね。最初のきっかけは蓮君がボールを投げ損なった事だけど、あきらかに私が無暗に車道に飛び出たのが原因だからさ。それは蓮君も分かってると思うんだよね」


「まあ確かに。現に櫻は今も元気なわけだし。そもそも櫻は蓮君に野球をやってほしいって言ってるんでしょ?」


「あんなに野球が好きだったのになんでだろう?やっぱり私に原因があるのかな?」


「あまり考えすぎると良くないよ。櫻はいつも通り元気にしていれば良いんじゃない?櫻が暗くなると、余計に蓮先輩が気に病むよ」


櫻は頷くも心のモヤモヤは残っていた。


このモヤモヤは蓮が亮太郎と同じ高校に行かないと言い始めたときから続いているものであった。




これは蓮と亮太郎が中学校時代の全ての大会を終え野球部を引退し、進学に控え勉強モードになりかかった夏の終わりのことであった。


「蓮!亮太郎!」


放課後の掃除をしていた蓮と亮太郎は教科担任教師の斎藤に職員室に呼ばれた。


斎藤は野球部の監督でもあった。


斎藤と話をしているのは斎藤と同世代と思われる人物であった。


しかし、斎藤よりも肩幅が広く、太っているというより、筋肉で大きいといった印象を持った。


斎藤もそれなりに体格も良かったのだが、その斎藤が小さく見えてしまうほどの体格であった。


蓮と亮太郎は斎藤のもとへ行くとその人物を紹介された。


「こちらは西条高校の野球部の監督さんだ。これだけの名門校だ。西条高校の事は二人も知っているだろう」


亮太郎は期待に胸が膨らんでいた。


――西条高校から声がかかった!


しかしこの場に来るまで、蓮の表情が妙にすぐれないのが気になっていた。


西条の監督が二人に自らを紹介した。


名前は安藤というようで、五年前から野球部の監督に就任していたようだ。


亮太郎はその五年前まで西条を率いていた大河内監督は知っていた。


大河内は、現在は定年も過ぎ五年前に指導者から退いたが、高校野球を知っている人ならば誰でも知っているような名監督で、西条を率いる前も数校で全校制覇を成し遂げ、西条でも一度全国制覇に導いている。


その他にも決勝・準決勝に計二十回以上導くなどその手腕に多くの人が驚いていた。


その大河内が五年前、定年で教師を退くのを機に野球部の監督も退いた際、この安藤を指名した。


安藤は大河内が西条を率いて甲子園で優勝した時の主将であった。


「この前の試合を観させてもらったよ。君たちは以前から注目していたが、この前の試合のプレーで確信した。君たちは将来甲子園に出場して活躍できるだけの素質がある。もし君たちが私たちの高校に興味があるのなら、是非検討してもらいたい。少々勉強は頑張ってもらわないといけないがね」


亮太郎はすぐに「是非お世話になりたいです」と顔を輝かせた。


しかし蓮は…


「ありがたいことですが、僕は高校に行ったら野球はやりませんので、すいません」


西条の監督である安藤をはじめ斎藤、亮太郎も驚きのあまり開いた口がふさがらなかった。


思わず安藤が蓮に問うた。


「気を悪くしたなら申し訳ない。一昔前と違って私が声をかけたからといって受験が有利になるということではないんだ。君たちのプレーを観て、君たちと一緒に甲子園を目指したいと思ったから、声をかけただけなんだ。西条以外の高校で野球をやったって恨んだりしないよ。あくまで挨拶だよ」


「西条高校が嫌とかではないんです。こうやって声をかけてくれるだけでありがたいです。でも、俺はそもそも高校では野球をしないことを決めていたんで」


斎藤が動揺しながらも問うた。


「蓮、どういうことだ。俺は何も聞いてないぞ。高校に行って野球をやるもやらないも蓮の自由だから、強制するわけではないけど、てっきり野球は続けるつもりだと思っていたよ」


「すいません。もう決めていたことなんで。本来ならもっと早く監督に言っておくべきでした。こうやってわざわざ高校の野球部の監督さんが時間を割いてくれたのに」


安藤は「そんなことはいいんだよ」と蓮にやさしく話した。


亮太郎は何がどうなっているのか分からず、何も言葉を発せなかった。


――高校で野球をやらない。


蓮とはここまで何でも言いたいことは言い合ってきたし、他人には言えないことでも相談し合ってきた。


けど、こんな大事なことを一人で勝手に決めてしまうなんて。


しかも、直接自分に言うのではなく、こういう形で。


安藤がまた話をしに来させてくださいと言い残して帰路についた。


斎藤も次の予定が入っていたので席を立った。


「明日もう一度話を聞かせてくれ」


そう言い残して行った。


お互い無言で校舎を後にした。


するとそこへ櫻が満面の笑みで車いすで近づいてきた。


「蓮君やったね。今そこですれ違ったんだけど、あの人って西条高校の監督さんでしょ。それって西条高校へ来ないかってことでしょ?私も早く足直しとかないと、甲子園で思いっきり応援できなくなっちゃうな」


いつもの調子で櫻が話しかけるも二人の間には沈んだ雰囲気がこびりついていた。


「何?また喧嘩?おめでたいのに」


それでも蓮も亮太郎も何の言葉も発しない。


普段とは違う二人の様子に不信感を抱いた櫻は真剣な表情で「何があったの?」と問うた。


全く口を開こうとしない二人に業を煮やして亮太郎の袖をつかむと「ねえ」と何度も揺らした。


ようやく口を開いたのは亮太郎だった。


「こいつ高校では野球をやらないんだと。あれだけ一緒に甲子園行こうって話してたのに。何の相談もなくな!」


途中から蓮への言葉に切り替わっていた。


「おい、蓮。何か言ったらどうなんだ!?こんなのあんまりだ。さっき監督が言ったように野球は強制するものじゃないから、やらないならやらないでいい。だけど、俺に一言の相談も無いなんてあんまりじゃないか!」


あまりの剣幕に櫻は一瞬ひるむも、亮太郎を何とか宥めようとしながら蓮に言った。


「何か事情があるんだよね?野球やりたくない事情が。お兄ちゃんに言えないこともたまにはあるよね」


「お前は蓮の味方すんのかよ!」


「誰の味方でもないよ。二人の味方だよ。だから二人がこうやってギスギスするの嫌だもん。こんな二人初めて見たよ!」


櫻は最後の方は泣き声になっていた。


櫻の様子に気づいた蓮は一言「ごめん」と言って、先に走って行ってしまった。


慌てて櫻が亮太郎の袖を揺らし蓮の後を共に追った。


蓮がゆっくりな速度で歩いていたので櫻の車いすを押している亮太郎は蓮に追つくが、やはり誰が話すでもなく無言でしばらく歩いた。


帰路の半分ほどに差し掛かったころ口を開いたのは櫻であった。


「ねえ、覚えてる?体育館裏でお兄ちゃんが女の子と二人きりで神妙な顔つきで話してるのを私と蓮君が見ちゃって、慌てて物陰に隠れてさ。よく見たらその女の子当時の私のクラスメイトでさ。もうビックリ。そこまで仲が良い子じゃなかったから余計にお兄ちゃんと付き合うってなったら気まずいなって思ったんだよね」


二人からの反応は無いも櫻は構わず続けた。


「何話してるかまでは聞こえなかったんだけど、あの雰囲気はどちらかがそういう話を持ちかけたんだろうって蓮君と話してて、そしたらその数日後に私にその子が言うんだよね。蓮先輩ってどういう人?って。笑っちゃったよ。そっち?って」


「お兄ちゃんも何も言わないからさ。お兄ちゃんを問い詰めたら、蓮に言ったらあいつ緊張しいだからその子と話せなくなるって言ってさ。思わず言っちゃったもん。お兄ちゃんと蓮君って恋人なの?って」


亮太郎がクスッと笑うと、安心したのか櫻も笑みを浮かべた。


「そんなことあったな。ってかまだ去年の話だろ。結局ダメになっちゃったけどな」


「そりゃあ蓮君があんなこと言うんだもん」


「あれはな。男としてどうかと思ったぞ」


すると蓮も、苦笑して「不器用なんだよ」と言った。


すると櫻がすかさず言い返した。


「それにしてもね。屋上で三人でお弁当食べてたらさ、その子が来て蓮君に言ったよね。蓮先輩って好きな子いるんですかって。すごい勇気だと思うよ。でも蓮君って、俺には付き合っている人がいるって。そこまでは言いけどさ。その子が誰って聞いたら、こいつだってお兄ちゃんと肩組むんだもん。その子が真剣に聞いたのに。あの後、トイレで泣いてたんだよ」


「聞いたって、櫻から何度も何度も」


「櫻の言うことは分かるけど、蓮はちょっとふざけただけだろ?なんでそこまで傷つくんだ?」


櫻は「信じられない」と言い顔をしかめるも、にやついて亮太郎に言った。


「こりゃあ、結婚するの私が先になるかもね」


「何でだよ」


亮太郎と櫻の掛け合いに蓮も笑みがこぼれた。


「亮太郎、さっきのことはいつか詳しく話すから、それまで我慢してくれるか」


「分かったよ。でも一つ約束させてくれ。お前がどんな高校に行くのか分からないけど、いつでも相談に乗るし、別々の高校に通ってたって、一番の親友だからな」


蓮は恥ずかしそうに顔をうつむかせると「青くせえな」と亮太郎の胸を小突いた。


そんな二人を見た櫻はほっと胸をなでおろした。


しかし、この時から、櫻の胸にはあるモヤモヤが居座ったのである。


果たして蓮が野球をやらないのは何故なのか。


まだ満足に立つこともできないこの足のことなのか。


この時の、いや、これから数年の間、櫻には知る由もなかった。

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