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第1話

「野球ヤローぜ!」


家の外から呼ばれた蓮は渋々自室である二階の窓から顔を出して「二人で出来るかよ」と断るも、その人物は臆することなく反論した。


「九人でやるだけが野球じゃないだろ」


と言い蓮を連れ出した。


蓮の家から自転車で十分ほどの所にある河川敷の野球場へ二人は向かった。


しかし、さっきの声の人物も大した案があるわけでもなくキャッチボールを始めた。


「蓮はさ、今の高校に入学したの後悔してるか?」


「何言ってんだよ。俺が入りたくて入ったんだから、後悔するわけないだろ」


「でもよ、あれだけ野球一筋だった蓮に野球が無くなっちまったわけだからよ。なんか心配でな」


「誰だよ。さっき九人でやるだけが野球じゃないって言った奴は」


「それはそれだ」


その声の人物は亮太郎。


蓮とは生まれた時からの幼馴染である。


蓮は亮太郎にボールを投げ返し、何とも言えないような表情をしながら言った。


「俺がやらなくても、亮が甲子園球場に連れてってくれるから野球には未練はないよ」


「何ドラマみたいなこと言ってんだ。しかも甲子園に連れて行くのは、相場は決まって可愛らしい彼女とか幼馴染の女子なんだよ。男のお前なんか連れてくかっての」


亮太郎は力を強めてボールを投げ返した。


すると、蓮のグラブを弾いたボールは歩道のほうまで転がっていった。


止まりかけのボールを拾ったのは一人の女子だった。


「蓮君やっぱりここだった」


微笑むとその女子は蓮にボールを差し出した。


「櫻、外に出てて大丈夫なのか?」


「大丈夫大丈夫。部屋の中にずっといた方が悪化しそうだよ」


「あれはお兄ちゃんだよね」


蓮は頷くと、櫻は亮太郎に手を振った。


亮太郎は手を上げるとこちらに走ってきた。


櫻は亮太郎の妹で蓮と亮太郎同様、物心ついた時から蓮とも仲が良く、学年は二つ下なのにも関わらず、昼休みは屋上で三人で弁当を食べたりするほどの間柄であった。


「蓮君は、やっぱり野球やってる時が一番かっこいいんだけどな」


「ほっとけよ」


するとあっという間に近くまで来ていた亮太郎が蓮の肩に腕を回し「櫻もそう思うだろ?」と問いかけた。


櫻も頷き返した。


蓮はため息をつくと、無言のまま何処かへ歩いて行ってしまった。


その時の表情を見た、亮太郎は何の言葉もかけることができなかった。


櫻はすこし涙を浮かべると「やっぱり無理なのかな?」と亮太郎に問うた。


亮太郎も思案顔になるがすぐに笑顔になり「あいつなら大丈夫さ」と言い続けた。


「あいつには結局野球しかねえんだよ。今の表情見ただろ。あとは兄ちゃんに任せろ。櫻がそんな顔してると、蓮がもっと落ち込んじゃうぞ」


亮太郎はそういうと櫻の頭をクシャクシャとした。


櫻は頷きながら亮太郎と一緒に帰路についた。




蓮は長く続く河川敷のランニングコースを一人で歩いていた。


何をするわけでもなく、ただ淡々と。


今、蓮の頭の中にあるのはさっきの櫻の笑顔だった。


――これで良いんだ。ああやって櫻が笑顔でいてくれれば。


蓮と櫻に何があったのか。


それは三年前に遡る。




当時中学二年の蓮と亮太郎は、今と変わらず、暇さえあれば二人でふざけあったりしており、登下校も一緒だった。


そして小学六年の櫻はそんな二人をうらやましく思いながら、蓮と亮太郎と登校ができる中学校入学をまだかまだかと待ちわびていた。


その櫻は小学生ながら料理や裁縫を得意としており、容姿もやや童顔よりで、亮太郎曰く、クラスで一人はいるような美女ではなく、櫻のように童顔で可愛いタイプで、性格もそこまでチャラけてなく、どちらかというと、大人しめの女子が一番モテると言っており、亮太郎にとっても自慢の妹のようであった。


そしてある日、いつものように蓮と亮太郎は何でもないようなことを話しながら歩いていると、ある空き地を見つけた。


「とうとう、解体工事の鉄骨とか廃棄したんだな。良いキャッチボールの場所見つけちゃったな」


亮太郎が言うと蓮も満面の笑みで「そうだな」といい、バッグからグローブを出した。


蓮のバッグの中には、今まで野球部の練習で来ていた練習着が入っており、少し砂でざらついていた。


いつも母親から「ちゃんと砂をはらってからしまいなさい」と言われているが、どうも落としきれない。


蓮からすると、袋に入れてからバッグに入れるから大丈夫だろうと思うのだが、家に帰ってバッグを開けるといつもざらついてしまっているのである。


キャッチボールを始めた蓮と亮太郎は楽しそうにのびのびしていた。


どちらも満面の笑みで、時に好きな女子生徒の話なんかも混ぜながら笑い合っていた。


「お兄ちゃん!蓮君も!」


空き地と歩道の境目で櫻が笑顔で手を振っていた。


櫻は持っていたバッグを置くと身体より大きいギターケースを担ぎながら蓮と亮太郎に走り寄った。


「私も混ぜて!」


「いいけど、取り合えずギターは置いた方が良いんじゃないか」


「置くと汚れちゃうじゃない」


バッグは汚れても構わないということなのだろうか。


蓮はそんな櫻に微笑みながらボールを渡すと「亮太郎座れよ」と言い、亮太郎も了解の合図で手を上げながらキャッチャーの捕球姿勢をとった。


「私も、いつか蓮君みたいに速い球投げれるかな」


「どうかな?一つ言えることはギター背負ってたら無理だな」


櫻は頬を膨らますと、ぎこちない投球フォームで亮太郎めがけてボールを放った。


ボールはゆっくりながらも、亮太郎の構えたグローブに吸い込まれた。


櫻は飛び跳ねながら喜び「今の見た?すごいでしょ」と蓮に微笑んだ。


「相変わらずコントロール良いんだよな。しかもギター背負いながら」


「当たり前じゃん。いつもギター弾いてるから、身体の一部みたいなものだよ」


亮太郎からボールを受け取った蓮は櫻が見ている横で次は俺の番だといわんばかりに投球モーションに入ると、前球より少し力を入れて亮太郎に投げた。


しかし、指に引っかかりすぎてしまったボールは亮太郎のすぐ手前でバウンドすると、亮太郎のグローブを弾いて横に転がっていった。


櫻が見ている横で少しカッコつけようとして力んでしまった。


そのボールはコロコロと、櫻のバッグの方へと転がっていった。


櫻は「私の方が上手いじゃん」と笑いながらボールを追いかけた。


そのボールは櫻のバッグの横を通り過ぎると歩道を越えて車道へと到達していた。


車道の真ん中あたりで勢いをなくしたボールは車道がわずかに空き地の方へ下っているため、空き地の方へゆっくりと戻って来ていた。


交通量がほとんどない車道だけに車がボールを蹴るといったこともなくゆっくりと空き地へと向かっていた。


櫻は歩道を越えるとそのボールへと走り寄っていった。


「櫻、気を付けろよ」


亮太郎が言った時には、櫻は車道に差し掛かっていた。


声に振り返った櫻はボールをつかむと蓮と亮太郎に微笑んだ。


すると、その時、蓮と亮太郎から壁になって見えない角度から不意に猛スピードの車が現れた。


二人が声をあげる間もなく甲高いブレーキ音とともに櫻は鈍い音に混ざり弾き飛ばされた。


一瞬何が起きたか分からなかった蓮は猛然と駆け寄る亮太郎を見て慌てて駆け寄った。


亮太郎は泣きながら櫻の名前を連呼し、この音に気付いた住人達が出てきて、「救急車だ」「早くしろ」と言い合い、物々しい雰囲気になった。


そんな中蓮は放心状態で頭の中で何かがはじけ飛んでしまったかのように身動きが取れなくなってしまっていた。


亮太郎の背中で櫻の全身を見ることはできないが、唯一見えていた櫻の足は、夥しい血の中、あらぬ方向を向いていた。




気が付いた時には蓮は病院の待合室にいた。


両隣りには蓮の父親と母親がいて、父親は蓮の肩に手をまわして、何度も「大丈夫だ」と言い、蓮を少しでも落ち着かせようとしていた。


蓮は今まで自分がどういう状態になっていたか全く記憶になかった。


廊下の先からは、亮太郎と思われる声で「櫻」と何度も言っている声が聞こえており、その都度、宥める亮太郎の父親の声が聞こえていた。


そして、亮太郎の母親であろうすすり泣く声も混ざっており、櫻の様態の悪さを物語っているようであった。


それから、何時間たったであろうか、数十分かもしれないし、六時間や七時間以上だったかもしれない。


何か機械的な音がしたと思ったら、「櫻は!櫻は!」と亮太郎の母親の声が病院中に響き渡るのではないかというくらいの大きさで響いた。


蓮の両隣りに座っていた蓮の両親も瞬時に立ちあがり、そちらに向かおうとするも、動けないでいる蓮を見て蓮を優しく立たせながら亮太郎たちの方へ向かった。


亮太郎たちの姿が見えると、もう櫻がどうなったか、説明を受けたようで亮太郎の母親は地べたに座り込んで、父親は亮太郎と抱き合っていた。


ここで蓮は気づいたのである。


櫻が手術を受けていたことに。


――何で櫻は手術なんて受けているんだ?


蓮の両親は亮太郎の父親から櫻の安否を聞き、亮太郎の父親と手を握り合っている所を見ると、恐らく助かったのであろう。


蓮は他人事のように見ていた。


その時、亮太郎がいきなり抱きついてきた。


「良かったよ!良かったよ!」


亮太郎は人目をはばからず涙でぐっしょりになっていた。


「亮、お前何で泣いてんだ?」


亮太郎は涙でぐっしょりな顔を上げ、蓮の目をまじまじと見ると「お前何言ってんだ?」と言うと、更に「しっかりしろよ!」と怒鳴った。


そんな亮太郎の声に蓮と亮太郎の両親はこちらに気づき、蓮の異変に皆が気が付いた。


蓮の父親は怪訝な顔で蓮に問うた。


「お前、何にも覚えてないのか?」


蓮は何の事だか分からず、首をかしげるだけであった。


蓮はこの時のことを理解するまでに、三カ月を要した。

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