仮面
午後の、少し落ち着いた時間帯。
僕は、一人、挽きたてのコーヒーの香りを、楽しむ。
コーヒーミルで挽いた、少し良い豆をペーパーフィルターの中に入れ、そっとお湯を注ぐ。
ふわっと丸く膨らんだコーヒー豆が、心地よい香りを僕の元へと、届けてくれる。
ああ、とても、とても良い香りだ。
この香りは、あのころの、甘い、たまらなく甘い日々を、思い出す。
共に好んで飲んだ、コーヒーの、香り。
君は今、どうしているだろうか。
共に過ごした時間は、今でも心に強く残る、かけがえのない、甘い時間だった。
共に前を向き、共に支えあい、共に笑い、共に泣き。
僕の横には、いつも君がいた。
時には寒さに震え、互いの熱を分け合って、乗り越えることもあった。
・・・君の熱が、恋しい。
今、君を想い、胸に熱いものが、込み上げて来る。
あの時、僕の手に絡んだ、君の髪。
痛いと、涙をこぼした、君の髪に、そっとキスを落とした。
理由をつけては、君の唇を奪った僕を、君はまだ、許してはくれないだろうか。
いつも真っ赤になって、僕の胸をたたいた、君の怒る顔が、僕のまぶたの裏に、今も残る。
目を閉じれば、あのときの光景が、はっきりと思い出される。
淹れたばかりのコーヒーから、湯気が立ち上り、私を包むのは、君と共に楽しんだ、あの、香り。
ああ、ここにいない、君を想って、少しだけ、戯れをしてみようか。
今、僕にできる、唯一のコミュニケーションの、方法。
君は今、幸せですか。
「はい」なら、湯気が、右に。
「いいえ」なら、湯気は左に。
香りを纏った、白い湯気に、ふうっと、想いをのせて、吐息をかける。
湯気は、真ん中に一瞬まとまり、ふわりと、右に揺らいだ。
ああ、君は今、幸せなんだね。
君を、今後も、思い出してかまわないかい?
香りを纏った、白い湯気に、ふうっと、想いをのせて、吐息をかける。
湯気は、真ん中に一瞬まとまり、ふわりと、右に揺らいだ。
ありがとう。
僕は、これからもきっと、君を思い出して、こうして記憶を辿り、生きて行くよ。
答えをくれた、馨しいコーヒーを、一口飲んで、目を閉じる。
ああ、幸せだ。
君に、今、想いを寄せることができた。
あの日の僕たちを、思い出すことが、できた。
僕に幸せをくれて、本当に、ありがとう。
しばし、思いを馳せて、目を閉じ、香りを、享受する。
「おかあさん。これ、どこにおいたら良い?」
「僕」は、「私」の仮面をそっと被って、返事をする。
「あ、それは私のだから、二階の戸棚においてね。」
ねえ、君は、僕が、今幸せだと、思う?
想いをのせて、湯気に吐息をかけようと思ったが・・・。
コーヒーは冷めていて、湯気はもう、どこにも存在しなかった。
私はやらかし仮面被ってます。