2通目
セイブルス=バルトルト・ワイゼン様
アイリス=フィゾルデ・コークスと申します。
初めてお便りを差し上げます。
突然ですが、ペリル=トルエンテ・フォースライトをご存知でしょうか。
わたくしは孫に当たります。
この度、わたくしの結婚式の日取りが決定致しましたので、お世話になった方々にお礼状と招待状をお送り致しております。
40年ほど前、騎士様が祖母を助けて頂かなければ、母もわたくしも生まれてはおりませんでした。
常々祖母から話を伺い、いつの日かお会いしたい、直接お礼を申し上げたいと思っておりましたが、日々の忙しさに感け、中々探す事も叶いませんでした。
ですが、2年ほど前から祖母が体調を崩し、寝室に篭る日も多くなりました。
折しも、わたくしの結婚が決まった事で雑事も目途が立ちました故、こうしてお礼状を差し上げる事が出来ました。
もしご予定が叶いましたら、アキバの水楓の館か、マイハマの灰姫城へお越し下さい。
家族一同、心よりお待ち申し上げております。
「こっ…これ、は…」
カスミから封筒を受け取った老人は、封蝋を見てわなわなと震えだした。
手紙と一緒に入っていたのは、冒険者の技術で創りだした、写真と言う絵の様な物だった。
家族写真と言うらしい。一同が硬い笑顔で並んで写っていた。
前列中央に祖母らしき婦人が座り、両隣に今回の主役である、孫娘と婚約者が座り、周囲に両家の家族が陣取っている。
「ペリル様…そうか…ご無事であられたか…良かった」
手紙よりも先に写真に釘付けになった老人は、老婦人の顔を撫でながら呟いた。
「詳細は手紙に書いて有ると伺っています。先ずはそちらをお読み下さい」
「あい分かった…すまぬ…」
「必要なら、アキバまでお送りします。私は2~3日この町に滞在致しますので、ゆっくり考えて下さい」
柔らかい笑顔を浮かべた彼女は、泣きながら手紙と写真を交互に見遣る老人の部屋を辞した。
扉の向こうから、くぐもった泣き声が聞こえて来る。
カスミは、ふう、と息を吐いた。今日の配達はこれで最後だ。
それにしても、手強い老人だった。
探すのも一苦労だったし、見つかっても人嫌いで有名な老人だった。
何より、名前を偽っていたので、ステータスの読めない大地人に聞いても梨の礫だったのが大きい。
結局、グランデールの仲間や水楓の館の力を借り、探し当てるまでに2週間ほど掛かった。
会えたのが昨日だったが、普通に会おうとすると、ドアも開けずに怒鳴り散らされ、こちらの話をまともに聞いてくれなかった。
今日会えたのは、閉まった扉の前で家名を名乗ったからだ。
依頼人に教わった貴族様式の口上と名乗り…だが、コークス家とフォースライト家の名を出した途端、扉が勢いよく開いた。
元の世界の自分なら、確実にぶつかって地面に伏していただろう。
開口一番、『お、お主、フォースライト家、と、言ったか!?』と血相を変えて掴みかかって来た。
やんわりと勢いを殺し、宥めて落ち着かせた。
ぜえぜえと肩で息をしていたので、取り敢えず部屋の椅子に座らせ、持っていた水筒から、水を1杯飲ませた。
生憎と、自分は<暗殺者>なので、回復魔法は掛けられない。
そして手紙を渡したのだ。
昔の事情は依頼人からある程度聞いていたが、あそこまで取り乱すとは思わなかった。
あの老人にとっては、それ程の事だったのだろう。
翌日、カスミが広場で手紙の収集をしていると、あの老騎士が訪ねて来た。
「カスミ殿、先日はすまなかったの」
「いえ、構いませんよ」
「人を送る事もしてくれるのか?」
「近距離なら…ここからアキバぐらいなら出来ますよ」
タンデムシートは持っている。
空の旅なので、暴れずに大人しくしがみ付いていてくれるなら、送迎も可能だ。
「空…ワイバーンか…見た事は有るが、乗った事は無いのぉ」
それに、空を飛んだ経験も無い。
「どれくらい掛かるもんなんじゃ?」
「本気を出せば、大体2時間ほどでアキバに着きますよ」
今回の往路は3時間弱だったと話した。
「な、なんじゃと!?そ、そんな時間で着くのか!?」
老騎士は目を丸くした。
実は、若い頃、放浪の旅のついでで、アキバに行った事は有る。
だが、この町からだと、馬を飛ばしても、目測で1日ほどは掛かるだろう。
それも夜通し走らせて、だ。
「ワイゼンさんを乗せる場合、安全のためにスピードを落としたり、途中で休憩を挟んだりするので、多分5~6時間ぐらいかと…」
目の前の女冒険者はそうのたまった。
それでも、昼に出発しても日没頃には着く。
言われてみれば、空には地形の邪魔が無い上に障害物も無いから、直線で行ける。
合理的では有るが、大地人である彼には衝撃過ぎて付いて行けない。
出発は明後日の昼食後、追加料金は既に依頼人から貰っているので構わないそうだ。
「す、既に…?」
「はい…その時のためにと、先方のお婆さんから言づけを頂きました」
叶わなかった場合も、返却の必要は無いと言われているらしい。
「こ、こんな、老いぼれの、ため、に…」
老騎士は咽び泣いた。
「明後日の昼過ぎに、ここで待ってますね」
「…分かった、必ず来る」
老騎士は、落ち着いた後、強い眼差しで頷いた。
2日後、老騎士は、ワイバーンの背に乗っていた。
いや、乗せられていると言う方が正しいか。
「こ、これが…空の旅…」
恐怖と好奇心が綯い交ぜになり、おっかなびっくりと言う様子だが、シートに掴まりながらも、キョロキョロと周囲を見回す。
「慣れると気持ち良いですよ」
「むう…確かに、風も心地よいのう」
一応、老人に配慮してスピードを落としているが、それでも思ったよりも速い。
老人のレベルが63だから、そこまで遅くしなくても良い様だ。
これなら、休憩を挟んでも4時間ほどで済むだろう。
「何?4時間だと!?」
老騎士は驚いた。
事前に聞いた話では長くて5時間だと言う事だったが、思ったより速く着きそうだと言う。
「レベルが低いと、向かい風に飛ばされる事が有るんです。なので、そう言う場合は速度を落とすんですけど…」
カスミの説明では、老騎士はレベルが高めなので、それ程心配しなくても良いらしい。
「むぅ…確かに、放浪中は腕が鈍る事の無いように、常に鍛練を怠らなかったが…」
時々強い魔物と戦い、死にそうにもなったが、それでも何とか切り抜けて来た自負は有る。
それが、この様な形で役に立つとは思わなかった。
数時間後、アキバに着いた2人は、水楓の館に居た。
日没前に街に着いたので、その足で出向いたのだ。
カスミが事前に連絡していたので、すんなりと応接室に通された。
メイド頭のエリッサとは、顔なじみらしい。
「ワシ、失礼な事をせんじゃろうか…」
老騎士は、急に不安になった。
何せこれから会う相手は、かの有名な<イースタルの冬薔薇>、レイネシア姫である。
言わずもがな、公爵たるコーウェン家の一族に名を連ねる御方だ。
怒らせたらどうなるか分からない。
カスミは、そんな老騎士の様子を見てクスリと笑んだ。
「多分大丈夫ですよ」
「そ、そうか?」
「ええ、意外とフレンドリーですから」
聞けば、アキバに来て数ヶ月、冒険者の文化を学び、垢抜けて来たらしい。
最近は、暇を見つけては街に繰り出し、食べ歩きをしているそうな。
「な、なんと!?そのような事を!?」
「はい、大使の仕事はきっちりこなしてらっしゃる様ですから、誰からも文句や苦情は無いそうです」
姫曰く、『大使になったのだから、冒険者の文化を知る必要が有ります』との事だった。
老騎士は慄くと共に敬服した。
上に立つ者の誇りと責務を、例え姫とは言え、立派にやり遂げている。
流石は公爵家の姫君だ。
老騎士が一人納得する中、カスミは笑いを堪えた。
数分後、老騎士は三人の女性の前で片膝を突き、頭を垂れていた。
レイネシアは勿論だが、その横に、車椅子に座った老婆と、それを押す孫娘が並んでいる。
実を言うと、三人が部屋に入って来た時、老騎士の視線は、レイネシアでは無く、横の二人に奪われていた。
『セイブルス、久しぶりね』としわくちゃの笑顔と声で言われた途端、何も見えなくなり、床に染みが出来た。
思わず片膝を突き、『ご無事で…何よりで、ござい、ますっ』と震えながら声を絞り出したのが、つい今し方の事だった。
「ワイゼン様、此処はドアの前で御座いますよ」
メイド頭に優しく言われ、ハッと我に返った。
「もっ、申し訳、ございませぬっ」
老騎士は、気まずそうに横に退いた。
あぁ、早速だ。失態を犯した。
寄りにも寄って、レイネシア姫様のおん前で、騎士たる者が何たる事だ。
きっと何か処罰を、或いは、ペリル様と揃って幻滅されたかも知れん。
老騎士はしょぼくれた様に俯いた。
「セイブルス、顔を見せてちょうだい」
老騎士の体が一瞬ビクッと反応したが、老婆の声音に違和感を覚えた。
とても優しく、労う様な、そんな雰囲気だった。
恐る恐る顔を上げると、老婆が笑っていた。
嘗ての面影が、歳相応ながら残っている。
傍らに寄り添う孫娘も、良く見ると似ている所が有り、昔に戻った様な錯覚を覚えさせた。
20日後、老騎士はマイハマの騎士訓練場に居た。
「何じゃそのへっぴり腰はぁ!」
嗄れた怒声が場内に響く。
訓練場の一角で、コークス家の騎士団が特訓を受けている。
会談後に下賜された剣を振り回し、老騎士が檄を飛ばす。
「…あの、あれ、良いんですかね…?」
「まぁ良いんじゃねえの?」
カスミが老騎士を指さすが、黒剣の団長はどこ吹く風で欠伸をした。
一見して年寄りの冷や水だが、若い連中と比べてレベルは高いしまだまだ元気だから、と言うのが理由らしい。
しかし典型的な大地人騎士達を相手に、『わしを超えろ』だの、『カスミ殿や<黒剣騎士団>に負けるな追いつけ』と言う言葉は如何なものか。
そも冒険者と比較されても、スペックが違い過ぎるから参考にはならないと思うのだが。
<黒剣騎士団>が直接面倒を見ている<マイハマ騎士団>でさえ、先日の報告で、やっと平均レベル40に届きそうと聞いたばかりだ。
更に言えば、老騎士もレベルが63である。
大地人でこのレベルは達人の域に近い筈だ。
老騎士は彼らの前で技を実演しているが、平均レベル30ちょっとの若手の連中に同じ様にやらせようとしても、無理なものは無理である。
更に張り切る老騎士に、カスミの顔が引き攣った。
寧ろ、若手の面々の方がバテそうである。
「ええい、もういい、休憩じゃ!全く最近の若いもんは…」
老騎士は手近な岩場に腰掛けた。
若い騎士達が動けなくなった様子を見て業を煮やしたらしい。
「ワイゼンさん」
「おお、カスミ殿」
「お元気そうですね」
頃合を見て、カスミが声を掛けた。
「いやいや、まだまだ若いもんには負けませんわい」
そう言って豪快に笑う。
「それに、この様な手紙を頂いてはのう」
懐に忍ばせた封筒を、大事そうに服の上から撫でる。
奮起するしかあるまいて。
老騎士はまた笑った。
セイブルス=バルトルト・ワイゼン様
アイリス=フィゾルデ・コークスです。
先日はお会い頂き、感謝の念に堪えません。お婆様も大変喜んでおりました。
実は折り入ってお願いが御座います。
あの会談後、数日してマイハマの公爵家からお許しを頂き、我が夫の代よりフォースライト家を名乗る事になりました。
40年前の魔物の襲撃で、お婆様と専属護衛だったセイブルス様だけが生き残り、名が途絶えたままでしたが、レイネシア様からマイハマへのお取り成しを賜り、再興する運びとなりました。
つきましては、新しいフォースライト家の騎士達の訓練指南役をお頼みしたいと存じます。
ご無理であれば、お断り頂いて構いません。
お婆様も、自分より年上だから無理をせぬ様に、と申しております。
もしお引き受け下さるなら、マイハマへ今一度お越し下さい。
どうぞよろしくお願い致します。