六 クリスマスに備えて。
今日も、マイの元へ行った。
「流石に毎日来る人は初めてね。あなた学校に友達はいるの?」
「友達か……わからない」
「まぁ、転校してすぐに友達は厳しいよね。冬休みもそろそろかしら?」
「うん」
「そんなほいほい遊びに行くような友達も厳しいよね。そう言う意味では、君の弱っているところを見た私の方が、一緒に過ごしやすいわけね。なるほどなるほど」
マイはクスクスと笑う。別に嫌な気分にはならない。過ごしやすいのは事実だ。
「乃安さんもたまにいらしてくれるので、私は嬉しいです」
「へぇ。来るんだ」
「はい」
わりと意外だなと思った。乃安さんは忙しい人だと思っていたから。俺の勉強をしつこく見に来なくなり、たまに現れる程度になったから。
別にその事を不満に思ってはいないけど。その方が過ごしやすい。
「マイは、俺が来るのは鬱陶しいとか、そういう事、思ってる?」
「全然です。むしろ嬉しいです」
その言葉に嘘の気配は無い。
だから、戸惑う。真っすぐな言葉を向けられることに。
「まだやってるの? 夜に」
「うん」
夜の廊下で一人足を引きずるように、手すりにつかまりながら危なっかしく進んでいく彼女の映像が頭に流れた。マイはこの時、どんな顔をしていたのだろう。知る由は無い。決まって穏やかに静かに笑っているマイの他の表情なんて、想像することはできなかった。
「注意されないの?」
「見つかる時もあるし、もうやるなとも言われてるけど、嫌かな。私は自分の足で歩きたい」
「でも、それで怪我したら」
「それならそれで、諦めがつくから」
「ふぅん」
あんなに必死にかんばっているのに、そういうものなのかな。それはそれで、悲しい気がする。
「マイは、もう長くないの? ……死ぬの?」
「わかっている癖に。死ぬよ、もちろん、私はもう、長くない」
「じゃあ、何で君はそんなに必死になって」
「海、見たいもん。砂浜を、この足で歩きたい。傍にあるのに行けないなんて、悲しいじゃん」
えへへ、と笑う。でも、言葉に込められた気持ちは誤魔化せてなくて、目を逸らした。
「君だっていつ死ぬかわからないんだから。今話している間に唐突にぽっくりと逝くかもしれないし。ここからの帰り道でここにお帰りするかもしれないし」
俺は何も答えられない。
「どうしたの?」
「……いや……ちょっとトイレ」
病室を出て、そのまま人がいない階段のところまで来て、そして、壁を殴った。
「ふざけるな」
こぼれた言葉はそれだった。
「なんで、死ぬんだよ」
旅館に帰ると、節乃さんが雪を片付けていた。
「代わりますよ」
「あら、ありがとうね。じゃあ、頼もうかしら」
荷物は持っていなかったから、そのまま始める事にする。
雪は融けかかっているからか、少し重い。駐車場の隅にどんどん積んでいく。
「そこはね、日がよく当たるから晴れた日に融けるのよ」
節乃さんはそう言う。空を見上げる。曇り空だ。
「晴れますかね。天気予報ではしばらく日が出で来ること無さそうですけど」
「そうね。でもいずれ晴れるのだから、待つの」
「はぁ」
その言葉を能天気と捉えるほど、俺はひねくれていない。晴れなかったらどうするのですかと返すほど、意地悪でもない。
いや、意地悪にはなりえないか。この人を意地悪してからかえるほど人生経験はない。
「あっ、清明君頑張ってる~」
「乃安さん。どうしたのですか?」
「んー、ちょっと買い出し。じゃね」
従業員用の裏口から鞄を背負って乃安さんが出てくる。そしてそのまま車に乗って雪道を力強く走って行った。
「うん。こんなもので良いから、中に入って温まっていなさい」
「はい」
雪かきは意外と疲れる。少し眠かった。
だからなのか。自分の部屋に入って、すぐに俺は眠気に誘われるがまま眠った。
そして、頬を突かれる感覚で目が覚めた。
「やぁ、清明君」
「乃安さん……」
「寝るならせめて炬燵の中に入りなさいな。折角あるのだから」
「そうですね。次からはそうします」
「あっ、でもなるべく布団で寝てね。炬燵より安全だから」
「そうですね」
火傷しそうだからなぁ。炬燵で一晩過ごすと。
「今日も晩御飯持ってきてあげるから待っててね」
「すいません。でも、もう風邪も治りましたし、大丈夫ですよ」
「良いから。ゆっくりしててよ」
にこにこ笑いながらそう言う。
「ここに来て、仕事の手伝いもしていないじゃないですか、俺」
「まぁ、足りてるからねぇ。大変な時にお願いするよ」
のらりくらりと、俺の言葉をかわした。
「それじゃあ、私は戻るね。また後で」
感じている違和感は上手く言葉にできないけど、でも、俺は乃安さんが何かを隠していると直感している。それが何なのか、俺は考えようとは思わない。
深入りしない、深入りさせない。それが丁度良い距離感だと思っている。
冬休みは、朝起きて、予定していた学校の課題をこなして、外の雪をある程度片づけて、昼食をいただいてそれから病院に向かう。
その日もマイの所で過ごした。
「本当凄いよねぇ、私の所で退屈しないの?」
「マイと居るのは居心地が良いよ」
「随分正直に言うようになったね」
ふと、マイは外の景色を眺めた。
「そっか、もうすぐクリスマスか」
「? うん。そうだね」
カレンダーを見る。本当にもうすぐ、イブは明後日だ。
「まぁ、私には関係ないけどさ」
マイは退屈そうにそう呟いた。
「マイも大分正直になったね」
「えっ?」
「退屈そうだった、今」
そう言うと、マイは不思議そうに自分の顔を揉んだ。
「ふぅん。私退屈なんだ」
「そんなに不思議?」
「うん」
マイの目を見る。違う。マイが正直になったんじゃない。俺が、ちゃんとマイの事が見れるようになったんだ。
マイのやりたいことを聞いて、一人で零した感情。自分の感情をはっきりと感じてから、俺はマイの事をちゃんと見ることができるようになった。
「マイのやりたいこと、なるべく手伝いたいな」
「えー、できるの?」
「うん。ここで軽くクリスマスパーティーくらいなら」
「……マジで?」
「うん」
マイは病室を見回す。
「飾りつけは?」
「やるよ」
「ケーキは?」
「買ってくるし、乃安さんに頼んで作ってもらうのもありだね」
「プレゼントは?」
「何が欲しい?」
「靴かな」
「おっけ」
「ツリーは?」
「流石に本格的なのは厳しいから、小さめの物で」
「それでお願い」
「探しておくよ」
質問に答える度、マイの目がキラキラと輝いてくる。
「そんなに嬉しがらなくても……」
「嬉しいよ。今まで家族とはケーキを食べて本とかそういうの買ってもらうだけだったからさ」
「ふぅん」
「私の入院費、結構高いらしいから……」
「大丈夫。今年は、絶対に楽しくするから」
マイが目を伏せる前に、言葉をぶつけた。心からの言葉を、全力で投げつけた。
「そんな訳なので、あの、南さん。クリスマスイブの昼間、空いていたり、する?」
「その日が空いてる人って、家族が忙しくて友達も彼女もいない人くらいじゃない?」
「ですよね。はい」
帰りにあの喫茶店に寄って行く。南さんは今日も働いていた。
「随分あの子に入れ込んでいるのね。あなた。好み? 一目惚れ? 病弱女子好き?」
「それじゃあ俺が人でなしみたいじゃないか」
「まぁ、そうだね。僕も彼女に何もできていないし。良いよ、それくらい」
「本当?」
「うん。別に、僕も彼女嫌いじゃないし。むしろ好きだし」
「南さんって、何で自分の事、僕って言うの?」
「駄目?」
「いや、別にそういうわけじゃないけど」
「単純にこれが自然なだけなんだけどな。男っぽくて変とか思う?」
「そういうわけじゃないけど、不思議なだけ」
「一人称なんて、まぁ、重要だけどさ、変と言えば君の方だよ」
「何が?」
「随分言い辛そうに自分のこと指しているからね」
「そうかな? まぁ、そう思うならそうかもしれないけど」
「うん。そう思うよ」
「……とにかく、来てくれるってことで良いんだよね」
「うん。良いよ」
そそくさと喫茶店をあとにした。今日も寒い。
こんな事で喜んでくれるのかはわからない。
手元のスマホを見る。
連絡先を交換したら招待されていたメッセージアプリのクラスのグループ。
来てくれそうな人を頭の中に浮かばないかと考えるけど、誘うために連絡するのは躊躇われた。
「はぁ」
乃安さんなら来てくれそうだし、それでお茶を濁すのも悪くない。
なるべくクラスメイト。そう思っていただけだ。俺のエゴだ。
そもそも、転校したばかりで碌に交流何てしていない。無理だ。
自分でも顔をしかめているのがわかる。乃安さんでも誘うか。
思い立ってコンビニに足を向ける。ここに来てから体に良いものしか食べていない。ポテチとか唐揚げ棒とかフランクフルトとか、そういうのが食べたくなった。食べ続ければ飽きるけど、食べないと寂しいのが、それだ。
「やぁ、清明君」
「白井君」
「苗字に君付けはちょーっと他人行儀かな。気軽に白井とでも呼んでくれたまえ」
「そこで名前呼びを要求しないんだな」
「だって君の場合、『さん』付けにしそうじゃないか」
確かに。それはそうだ。
「買い物かい?」
「まぁ、そんなところ」
「いや、そこで僕が何しにここに来てるのか聞かないのかよ!」
「変?」
「変じゃないけど寂しい」
興味は無かったし、コンビニに特別目的意識をもって来る人なんて、コンビニ支払いを何かで指定した人ぐらいだと思う。
「それでそれで、クリスマスのご予定は?」
「特に。マイの所で少しパーティーを」
「マイって……ずっと来ていない木下さんのこと?」
木下、で一瞬ピンと来なかったけど、すぐに思い出した。
マイって名前が、あまりにも彼女にピッタリ過ぎたからだろう。
「そっかそっか、入院している間にそっちと仲良くなっていたのか」
カゴを見る限り、彼の用事は終わっているように見えるが、話題を切り上げる気が無いのか俺に付いてきた。
会計を済ませて、仕方ないので彼を外で待つ。
その様子を見て、ニヤリと笑う白井を軽く睨んでおく。
「君は、人が良いわりに随分と人を嫌っているように見せるな」
「そういうつもりじゃないけど。君も悪い人ではないし」
「ちなみにパーティーは何時くらいを予定しているんだ?」
「三時くらいかな」
「わかった。じゃあ、二時半に病院の前な」
「は?」
「行くぞ、僕も」
気障にウィンクして、白井は拒否権を認めず走り去っていった。
「さむっ」
思わず鼻の奥が鳴る。風邪をひく前に帰ってしまおう。うん。
これだけいれば賑やかになるのではないだろうか。と思う。
「乃安さんにも、一応相談しておいた方がよさそう、だよね」
「なるほど、なるほどなるほど。うんうん。よし、ケーキ持たせてあげる」
「本当ですか?」
「うん」
乃安さんはニコリと笑う。
「後はそうだね~。手伝っても良いけど、君の考えた通りにやって欲しいな、私は」
乃安さんはさらりとそう言った。
「えっ、でも……」
「だって清明君、君がやりたいと思って誘ったんでしょ、だったら、君のやりたいとおりにやりなさい。その上でマイちゃんを喜ばせてよ」
畳みかけるようにそう言う。
「私も行くから。楽しみにしてるね」
そう言って厨房に戻って行った。
頭が考えるのを拒否している。苦手な事、慣れない事はするものではない、そんな事が浮かんだ。
今更中止にするのは、いや、乃安さんにもう言ってしまったし、マイにも提案してしまった、ここで中止にしたら、俺はもう、マイに会いに行けない。
考える。考えて首を振る。
無理だ、わからない。マイは、何をしたら喜んでくれるのか、わからない。
数日前の考えなしの俺を呪った。
旅館の部屋でパソコンを開き、何が相応しいかを調べるけど、それでもわからなくて、ひたすら頭を抱えた。無い知恵を振り絞るけど無いものは無い。
それでも時は残酷に迫る。もうすぐ、クリスマスイブだ。
その日も、懲りずにマイの所にいた。
「機嫌良いね」
「うん」
マイは本を読んでいた。
「そういう君は、何か暗いね」
「まぁ、うん」
ベッドに半身だけ起こしている彼女は手招きする。そして俺の頭を抱え込むように抱きしめた。
「……なんで?」
間抜けにも黙ってしまった俺がようやく絞り出した言葉がそれだった。
「母さんがよくやるんだ」
「へ、へぇ」
温かい。そして良い匂いがした。柔らかい匂い。温かい匂い。病院の薬臭さの中に、こんな匂いがある事に驚いた。
「もしかしてだけどさ、クリスマスパーティー、難しい?」
「……うん。何すれば良いか、わからなくて」
「そんな張り切らなくても良いのに。君が提案してくれただけで、結構嬉しいんだよ」
俺の頭を離す気は無いみたいで、優しく撫でられる。
「マイは、何したい?」
「ケーキ食べたい」
「乃安さんが作ってくれるって」
「やった」
「他には?」
「なんかパーティーゲームしたい」
「そうだな……なんか探してくるよ」
「うん。お願い」
「俺が馬鹿だったよ」
マイが頭の上で「くすっ」と小さく笑うのが聞こえた。
「何がよ?」
「マイに最初から何やりたいか聞けばよかった。というか、それが普通じゃん」
「あは、確かに」
「だから、馬鹿だなぁって、一人で悩んで」
「馬鹿じゃないよ、でも。私のために何かしようとしてくれる人、馬鹿だって思いたくないよ、だって私、何もできないもの」
「違うよ」
俺は即答する。
「マイは、俺に……」
「君に?」
「何でもない」
ものすごく恥ずかしい事を言おうとした気がした。
頭を離され見上げて見えた顔はとても不満そうだった。
「清明君、何か顔赤いね」
「そうですか?」
部屋にやって来た乃安さんはそう言った。
「マイちゃんの事考えてた?」
「は、い、いえ。違います」
「わかりやすいね、君」
乃安さんは目の前に座ると、俺の手元を見る。
「ふーん。まぁ、人生ゲームが無難だと思うよ」
「乃安さん?」
「提案はしないけど、アドバイスはするよ」
「あ、ありがとうございます」
「いえいえ、どういたしまして」
人生ゲーム。トランプ。ビンゴ。確かに、長く遊べるのは人生ゲームか。
「乃安さん、本当にケーキ、お願いしても良いのですか?」
「任せてよ。私、得意だから」
胸を張ってそう言う様子は確かに逞しく見える。
「だからほら、心配しなくても良いから、考えるよ」
「はい」
「どんなケーキが良いかな?」
「それなら……」
マイに一応確認はしてきた。リクエストを出すことを躊躇っていたけど、どうにか聞き出した。
「リンゴを使って欲しいって」
「リンゴか……楽しい食感になりそう」
乃安さんは頷きながらメモを取る。
「アップルパイが食べたいわけじゃないんだよね」
「うん。生クリームも好きらしい」
「へぇ」
楽しそうにメモする様子を見ながら、助けられていることを実感する。
「乃安さん」
「ん?」
「ありがとうございます」
だからそう言った。頭を下げた。
「素直でよろしい」
ウィンクする乃安さんを見て思う。この人に勝てる気がしないと。