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十二 ボトルの中の海。

「また随分と変なお願いだね。私が作るじゃ駄目なの?」

「俺が、やりたいんです」

「料理ねぇ。どこまでできる?」

「一応、一人暮らししていた時に、いくらか」

「ふぅん」


 乃安さんは手元でくるっと包丁を回して、持ち手を差し出す。


「やってみてよ」

「……わかりました」


 ジャガイモの皮むき。手元でジャガイモを回して剥いていく。


「うん。基本から教えなきゃいけないってわけでもなさそうだ。わかった。ビシバシ教えて行くよ。下積みで数年米炊きとか皮むきとか悠長な事やってられないから、今日からね」

「よろしくお願いします」

「でも、その前に、聞かせて。なんで料理なのか」


 乃安さんの試すような目。体が強張るのがわかる。


「俺は、マイがもうすぐ死ぬのが、辛いです。でも、マイが悔いを残す事なく生きようとする姿に、憧れました」

「うん」

「だから、俺は、それを手伝いたい。マイが海を眺めている時の目、ご飯食べてるときの幸せそうな顔が、忘れられないんです」

「うん。ふふっ、医者じゃないんだね」

「人は、みんな死にます。俺は、死ぬことを遠ざけるのではなく、死ぬまでの時間を幸せにする手伝いをしたいんです」

「良い事言うね」


 乃安さんの手が頭に乗せられた。あれ、違う。後ろからだ。


「……陽菜さん」


 そう言った瞬間、手に力が込められて、そのまま無理矢理お辞儀させられる。


「うちの弟をどうかよろしくお願いします」

「あっ、はい。先輩の弟君はしっかり育てて、胸を張って料理人と言えるようにしますので。お任せください」

「いたただだだだっ、陽菜さん、力、強い」

「お姉ちゃんと、呼びなさい」


 それともう一つ、やろうと思った事がある。

 それは病室に海を持ってくることだ。

 馬鹿なことを言っているように思うだろうが、わりと真剣だ。

 SEAボトルキャンドルというものがある。瓶の中に砂や貝殻を詰めて、海を作るのだ。飾って綺麗、火を灯して綺麗、というものらしい。

 俺はマイに料理とSEAボトルキャンドル、この二つを贈ろうと思う。



 時計はもうてっぺんを回っていた。明日は早いが、それでも一度ノッてしまったこのテンションを、集中力を、切らしたくなかった。

 砂浜に行って砂や貝殻を集めて、これをどう配置するかを考えていた。

 なるべく、マイと見たあの海を表現したかった。

 夕暮れの海、月の夜の海。

 思い描く。

 そんなに器用じゃないけど。

 でも、作り上げたい。海を。



 「どう? 私、まだ生きてるよ」

「うん」


 マイは、起き上がる時間が減っていた。俺が行っても、寝ている時間が増えた。

 俺がいる時は外していたという点滴もずっとついていた。

 ぽた、ぽた、ぽた、ゆっくりと落ちて行く。

 容赦なく迫ってくる影を感じていた。


「乃安さん、俺は遅かったのですか」

「正直、そう思う。ちょこっとどころじゃなくて」


 マイは、もうご飯を食べられないのか。そんな体力は、もう無いのか。

 キャンドルはもうできていた。才能があったらしく、デザインが決まれば、あとはすぐに完成した。

 自分でも火を灯してみる。オイルの気泡に反射してキラキラと、とても綺麗だった。

 予定とは違うが、俺はそれを持って行った。


「これ、プレゼント」

「ふふっ、こんな弱った女の子に、へぇ、綺麗」


 正月なんてとっくに終わって、陽菜さんも相馬さんも帰った。気がついたら色々と終わっていた。

 窓際に、ツリーと並べて置いた。


「こんなに色々な物もらって、いっぱいお金と薬を無駄にして、私、何ができたのかな」

「そんな事言うなよ」

「君がクリスマスにくれたこのツリー、君が持って帰ってね」

「そんな先の話、知らないよ」


 頭ではもうすっかり理解しているのに。


「先じゃないよ」

「……わかっている。任せろ」

「うん、ありがと」


 そっと、唇を押し付けた。

 三日後、俺は毎日マイの所に行っていたはずなのに、俺がいない時に息を引き取った。気を聞かせてくれ看護師さんが旅館に電話をくれて、乃安さんに車に乗せてもらって慌てて病院に行った時には、もう遅かった。

 いや、マイにとっては丁度良い時間だったのだと思う。

 キャンドルのオイルは減っていなかった。マイのお母さんが持ち帰った。ツリーは、マイの言っていた通りに引き取った。

 



 おかしな話だと思う。

 クラスメイトの反応は様々だ。

 ほとんど会ってもいないクラスメイトのために涙を流せる女子は一体何を思っているのだろう。

 マイの言った通り、泣かない。俺は、泣かない。


「君が矢田目君かい?」

「はい」

「マイの父です」

「……どうも」


 頭の良さそうな人だ。

 クラスメイトとして参列した葬式。遺影の中のマイは俺が知るマイの笑顔とは違う。何というか、俺が生きている世界のマイの笑顔だ。俺が出会ったマイとは違った。


「話は聞いていたよ。君がマイの最後の時まで一緒にいてくれたと」

「マイの最後には、居合わせられませんでした。きっと、見られたくなかったと思います」

「昔から、弱い所は見られたくない子だった。私は、一緒にいられなかった。だから、ありがとう」

「あなたにお礼を言われる筋合いはありません」

「わかっているさ。でも、ありがとう」


 思わず、棘のある言い方をしてしまったと少し後悔した。でも、どこかムカついてしまった。

 それに対して嫌な顔一つしないマイのお父さんは、大人だと思った。



 マイから預かった。俺がそう思っているだけだけど、ツリーを眺める。


「あれ?」


 ツリーの幹に、何かが巻き付いていることに気づいた。

 折りたたまれた紙だ。A5の紙には手書きで、とても丁寧な字で、俺にはマイの文字とかわからないけど、でも、マイのものだとわかった。

 思わず背筋が伸びて、わけもなく立ち上がって、慌てて読み始める。




 矢田目清明さんへ。

 このような手紙を残すのは私の趣味ではありませんし、私はあなたに出会うまでは誰かに何かメッセージを残すことなど、一切考えてはいませんでした。ただ、あなたには残そう、そう思って体が動くうちに書き残そうと思ったのです。あなたと見た海はとても綺麗でした。あなたと見た夕日はとても染みました。あなたと見た月は涙が出そうになりました。あなたと飲んだ紅茶はとても温かいものでした。あなたと食べたご飯はとても美味しかった。

 ありきたりのことしか言えてませんね、でも、あなたに残す言葉と言われて思い浮かんだのは、まずは感想だったのですよ、許してください。不思議ですね、普段ならするすると言葉が浮かんでくるのですが、今は一言一言悩んでしまいます。入院している身なので、みんなよりは時間はあるのですけど。流石に私の友達も、この手紙を書く程度の時間は待ってくれると思いますし。

 清明さん。あなたは私と一緒に逝くことを望んだこともありましたね。私はそれを許しませんでした。今も許していません。あなたはあなたの友達を大切にしてください。


「うん」


 ここまで読んで、一度紙を畳んだ。2枚あることに気づいた。

 まだ夕方だった、外に出た。冷えた空気に迎えられて、歩いて行った先は喫茶店、冬休みも終盤だからか、席はガラガラだった。


「こんにちは、矢田目君」

「こんにちは」

「全然辛くなさそうね」

「マイには泣くなって言われてたから」

「そう。ちょっと待ってね」


 南さんがコーヒーを淹れる準備を始める。手元には卒業アルバムらしきものが置いてあった。


「マイと、同じ中学だったの?」

「そう。だから私がプリントとか届けてたの。特に仲良いとか無かったけど」


 俺が知り合うまでのマイに興味があるかと言われたら、あるのが正直なところだけど、でも、俺にとってのマイは、あの病室にいたマイ。

 マグカップが置かれて、南さんは卒業アルバムを広げる。俺は俺で、さっきの続きを読み始めた。



 死ぬのが怖くないかと言われたら、怖いのが正直なところなのです。それはきっと本能的な部分だから、しょうがないかなと思います。清明さんに好きと言われて私は正直戸惑いました、こんな私、もうすぐ死ぬ私を好きになるって、私が言うのもなんですけど、とても変だと思いますよ。


「余計なお世話だ……」

 南さんがちらりとこちらを見たけど、すぐに目を落とす。


 でもね、嬉しかった。

 清明さんが私を好きになってくれたのが、とても嬉しかった。こんなんだから、友達って言える人もいなくて、ずっと楽しそうな人を見ているだけだったから。なんで生れてきたのかなって悩んだこともあったんだよね。


「ごちそうさま」

「お粗末様。奢りで良いよ。私の」

「……ありがとう」

 



 砂浜に降りて、海を眺める。

 マイと見た時とはまた違う、そんな風に思った。

 砂浜に足跡を残していく。マイとここにいた痕跡なんて、当たり前だけど残っていなかった。

 いや、俺の中に残っている。

 いつか忘れてしまうのか、俺は。物語の世界の主人公なら、一生忘れないと簡単に言えるのに。

 どれくらい先まで、俺はマイを覚えていられるのか。マイの目を、笑顔を、温もりを、いつまで、いつまで覚えていられるのだろう。

 泣くな。そう言い聞かせる。

 忘れたくはない。忘れたら、マイは。



 人が本当に死ぬのは、誰からも忘れ去られた時だと思います。

 まぁ、私は別に良いのですけど、でもまぁ、少しは寂しいかなと思います。

 清明さん、私はあなたを縛りたくはありません。でも、たまにはちらりと、ふとした時にでも思い出して欲しいなぁとも思いますし、別に良いかなぁとも思います。恋人感がありませんね。操を立てるというのは、女性が使う言葉でしたっけ? まあ、私をそこまで大事にせず、けれど蔑ろにせずって感じでお願いしますね。

 さて、長々と書きましたが、私が清明さんに求めるのは、こんな感じです。

 私がどうなるのかは知りませんが、清明さんは清明さんのやりたいように生きて欲しいです。死ぬまでやりたいことをやり続ける、そんな人生を送ってください。冬は好きです、雪がとても好きだから。白い雪が。夏に死ぬか冬に死ぬか迷ったけど、管理が楽そうだから、冬の方が迷惑かけないだろうし、良かったかな、なんて。

 ありがとう。清明君。大好きでした。

                        木下海



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