第13話 騎士の証
……ああ、なんだか、腹が冷たいな。でも、なんだろう……気持ちいい。
うすぼんやり。俺の意識が、ゆっくりと、ゆっくりと覚めていく。腹の痛みは、もうなかった。ただ、眠っているのをゆっくり起こされるような。そんな、心地の良い気分が体を包んでいた。
と、はっきりしてきた視界が、少し長い銀髪を捉えた。――ああ、ミーナか。
「なんで、あなたは……」
ミーナは、俺の腹に何やら術を当てていた。ああ、そうか。ルナが言ってたな、回復人法。水系統の人法、だったんだな。俺は、ミーナの続きをじっと聞いた。
「なんであなたは、私の攻撃を防がなかったのですか……。なんでこんな、死ぬかもしれないことを……」
「言っただろ? 俺は、お前の全てを知りたかったんだ。お前の抱えた感情をさ。――だから、受け取めた。全部な」
俺は、少し笑った。ミーナが申し訳なさそうに、目を伏せる。
「バカじゃないですか? だからと言って、命懸けるなんて……」
「バカだからな。こんな方法しか、思いつかなかったんだ」
俺はミーナの顔を、まっすぐ見つめて。
「“ルナが憎い”――お前の心、見えたよ。でも、不思議だった。お前はあいつにそんな感情を抱いているのに、同じくらい、あいつのことが好きだった。矛盾した感情、その矛先はさ――全部、背中の傷跡に向かっていた」
ミーナが、俺から顔を背けた。だから俺は、自分でも自覚できるくらい、優しく笑って見せて。
「話して、くれないか? お前が抱えたっていう罪を」
やがて、ミーナは。俺の顔を、ゆっくりと見て。体を震わせながら、声を紡いだ。
「――私とルナは、8歳のころ出会いました。私は町の貧困層の生まれで、盗みをして生活していました。……そんな時、ルナと会ったのです。信じられないでしょうけど、彼女はいたずらに店から商品を盗んで遊ぶ、荒れた生活をしていました」
「あはは、面白い話だな。ああ、信じられない。でも、事実なんだな」
俺がそう、相づちを打つと。ミーナは、さらに話を続けた。
「私はルナを利用する形で仲間に引き込んで、一緒によく物を盗みました。彼女は頭が良いから、従えば必ず成功する、そんな状況で物を盗んで、盗んで」
「言っちゃ悪いが、結構悪いことやってたんだなお前ら。でも、当時から仲が良かったんだな」
と、ミーナが。黙り込んだ後、「違います」と。
「私は当時、ルナが嫌いでした。ただ価値があるから利用しているだけで、闇属性の彼女は私にとって不快なだけでしかありませんでした。私も、当時は理解していなかったのです。彼女のことを」
俺は思わぬ事実に黙り込んだ。そして、ミーナはさらに語る。
「それで。ある日、私がへまをして盗みが失敗した時。ルナは私を逃がして、1人捕まりました。その時でしたね、ルナがお姫様だと知ったのは。
そして、その後。私は、ルナの元へ忍び込んで。彼女に、会ってきました。そこで、私は言ったんですよ。なんで、あんな馬鹿な事を。私なんて放っておいて逃げればよかったじゃないかと。そしたら彼女、なんて答えたと思います?
――『友達だから』だって。笑え、ますよね」
ミーナの声の震えが、大きくなっていた。
「それで。私がルナを利用していて、本当は嫌いだったことも、ルナは知っていたんですよ。それなのに、『友達』って。私は、どうにかなってしまいそうでした。彼女への罪悪感が、私を包んで。――友達って、ああいうのなんだなって。それで、私は……必死に、必死に頑張って。ルナの傍に、ずっといようと。そして、翌年にはここで働いていました」
「9歳で働く、か。俺には想像できないな」
「9歳の召使いは、あの時最年少でしたから。――ここで働き始めた時、ルナが買ってくれました。あの洋裁店近くにある食べ物屋の、アップルパイを。今でも最高だって、断言できます」
そういえば、ルナもあそこのアップルパイは最高だって言っていた。俺は、2人の絆が深い事を知って笑っていた。
「本当に、2人ともすごい友情だよな。友達、か。うん。大事に、したいよな」
「……でも」
途端。ミーナの声が、小さく、小さく、そして何よりも大きく震えだした。
「私がルナと仲良くしているのを見て。王妃様や姉妹は、不服そうで。それで、私が何かミスをするたび、鞭で打たれるようになったのです。――それが、罰なのだと」
俺はそれを聞いて心底嫌になった。どう考えても、奴らの戯れ。遊び半分な行動だ。と、俺の顔に突然。何か、水が降ってきた。
ミーナが、泣いていた。悲しい、なんて涙じゃない。そうか、これは怖いという感情。だからこそ、泣いているんだ。
「私は――私はそんなことをされても、ルナへの友情と忠誠を、失くすものかと。必死に、必死に耐えていたんです。でも……心のどこかで。何年も打たれて、考えてしまいました。ルナと出会わなかったら、ルナに尽くさなかったら、ルナがそもそもいなかったら。そうして、そうして……胸の片隅で、彼女に対しての憎しみが、育って……」
フルフルと震えて。ミーナの涙が、大粒になっていった。ぽろぽろと、落ちて落ちて。
「私は自分が嫌いです。たとえ片隅だとしても、そんな風に考えてしまう自分が。ルナへの友情を捨ててしまいそうな、自分が――大嫌いなんです。こんな私が、騎士なんて、笑えますよ。ルナも――私を知ったら、きっと。こんなこと、言わないって。でも、知られるのは怖いんです。ルナが私を嫌うなんてことがあったらって考えると――ずっと、押さえつけるしか、なかったんです」
ミーナが、顔中をしわくしゃにして嗚咽し始めた。ぐずぐずと鳴っていて、俺は。
「――辛かったんだな」
そんな風に、答えていた。
「9歳のころから、今の今までずっとか。そりゃ、そういう気持ちにもなる。とんでもない痛みをずっと、背負っていたんだな」
「――私は、その気持ちが憎い。自分が、憎いんです。あまつさえ、あなたにまでそれをぶつけてしまうどうしようもない自分が。この背中の傷跡は、私にとって――ルナへの裏切りの証なんです。それを実感するたび、胸が裂けそうで。それに、あなたという存在が、さらに狂わせました。ルナに簡単に歩み寄って、さらに私の心を読んでしまって。――怖かったんです。ルナに知られることが。だから、だから……」
「――2つ。違うことが、あるな」
俺はミーナの目を真剣に見つめた。
「1つ目だ。お前が怖かったのは、“ルナに知られること”だけじゃない。きっとその恐怖の中には、“誰かにその気持ちを責められること”があったんだ。ルナを裏切るようなその後ろめたい気持ちを、誰かが突いてくる。それを、お前は恐れたんだ」
と、俺は彼女の綺麗な銀髪に、指先で触れて。
「安心しろ。俺は、お前を責めないよ。どんな奴でも、そんな風に考えちまう。それが普通なんだ。だから俺は、お前を責められない。だって、俺もそうだから。――それに何よりよ。これは、2つ目と被るんだけどよ」
ミーナが俺の目を、ジッと見てきた。俺は、ずっと笑って。
「その背中の傷跡はよ。“裏切りの証”なんかじゃねーよ」
そう、はっきりと伝えた。
「お前が9歳のころから付けられてきた、とてつもない痛み。体にも心にも刻まれた傷を、ずっと抱えてよ。大好きなルナに対して憎しみさえ抱くほどの苦痛を受けて。それでもお前は、ルナの傍にいる道を選び続けたんだ。あいつが大事だからって、ずっとバカみたいに一緒にいたんだ。
その傷跡は“裏切りの証”なんかじゃない。それは、ルナへの友情を何よりも表した、“騎士の証”だよ」
言い切ると。ミーナはまた、顔を歪ませて。「うう……」と声を押さえて、泣き始めた。
俺は、ずっとその白く柔らかい頬に触れて。ただこいつが泣き止むのを、ジッと待っていた。
◇ ◇ ◇ ◇
「すみません……取り乱してしまいまして」
完全に傷を治した後。ミーナは俺に頭を深々と下げた。
「気にすんな。俺だってよ、お前に深入りしすぎた。お相子って奴だよ」
「いえ。あなたに、致命傷を与えた。その事実が消えることは、ありませんから」
「バーロー。俺の傷は完治だ、その事実は消えてなくなったんだよ。後は俺たちが笑い話にすりゃ、全部解決だ」
俺は鼻を親指でこすり、堂々と威張ってみせた。と、ミーナは俺を驚いたように見つめて。
「ふふふ……」
そう、口元を押さえて笑った。思わず、ドキリとした。今まで彼女の笑顔を、見たことはなかった。冷めてて、愛想が悪くて、どこかキツイ。そんな彼女のその顔は、どこまでもかわいらしくて――思わず、体を熱くしてしまった。
「まあ、とにかくよ。これから先はよ、俺とお前。2人で、ルナを支えるんだ。一緒にあいつを最高に笑わせてよ、死んでも笑顔が消えないようにしようぜ」
「――はい、わかりました。タカヤさま」
自己紹介依頼初めて、名前を呼ばれた。俺は彼女に一歩近寄れた気がして、嬉しかった。
「そんじゃ、今日はもう寝よう。お前も今日は疲れただろ。俺もそろそろ眠いしよ」
「そうですね。では、また明日、ルナの部屋で」
ミーナがそう言ったのを聞いて、俺は笑った。歩いて、ルナの部屋へ行こうとすると。
「――タカヤさま」
ミーナが、俺の背中に語り掛けてきた。俺が彼女を振り向くと、ミーナは満面の笑みを浮かべて。
「ありがとうございました!」
綺麗な笑みは、満月の光に反射して余計に幻想的だった。俺は微笑みながら、後ろ向きに。彼女に手を振って、とことこと歩いていった。