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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

異世界を救った聖女の末路

作者: 朝美 夕

「-----!!!」


 言葉とも悲鳴ともつかぬ断末魔を上げて、世界を一歩一歩滅亡へと導いた最後の魔物は死に絶えた。


「ついに……終わった……」

「やった! 最後の魔物を倒したぞ!」

「ついに……我々の願いが果たされた」


 魔物を倒した人物達は皆、身体中に止まらぬ血を流しながら歓喜に震えている。


 魔物を倒した人物達は、皆一様に戦闘のスペシャリストだったが、そんな彼らですら、全身傷だらけの満身創痍の状態だった。


 その傍らでは、一人の女性が必死に彼らに止血と傷の治療の法術を施している。だが、女性は彼らとは対極の表情だ。

 彼らとは違い、身体に傷の一つもないが、その顔には疲労の色が濃く現れている。

 それは、無理もない事だった。

 彼女は、魔物を倒した面々とは違い、戦いには慣れていないのだから。


 いや、戦闘という行為自体が初めての経験だった。


 何故なら、彼女は魔物の脅威に晒されていたこの世界とは違い、平和な世界で暮らしていたからだ。


 彼女の名は佐伯莉子(さえきりこ)。彼女はこの世界、エルリーネを魔物の脅威から救う為に聖女として召喚された日本人なのである。




 エルリーネは、精霊と聖獣に加護された平和な世界だった。

 本来魔物は獰猛な生き物だ。だが、人のいる場所には現れる事無く、互いに干渉する事などなかった。


 それはひとえに、精霊と聖獣が人々を護っていたからだ。


 魔物は人間の力ではどうする事もできない畏怖の象徴だ。

 魔物を倒せるだけの剣の腕があったり、魔力と呼ばれる力を使って高い殺傷能力のある魔法を操れる者であれば、あるいは対抗できただろうが。


 だが、エルリーネで暮らす人々のほとんどが、そのような力を持っている訳もなく。

 精霊と聖獣の加護によって平和を享受していた。


 この世界に生きる人々は、精霊と聖獣に感謝し日々を生きていく。それは変わる事のない毎日であると、誰もが信じて疑わなかった。


 魔物達によって、人々が蹂躙されていく前までは。


 ある日、何の前触れもなく、精霊と聖獣の加護が失われたのである。


 それにより、大人しかった魔物達は本来の獰猛さを取り戻し、人々の暮らす場所へと姿を現したのである。

 怯え逃げ行く人々を、己が持つ牙や爪で引き裂き、血を啜り肉に喰らいつく。満足できなければ新たな血と肉を求めて次の獲物を求める。

 そうして、あっという間に一つの町が消えた。魔物達は新たな獲物を求めて次の町へ次の町へと突き進んでいく。


 エルリーネには、国は一つしかない。

 世界の名前であり、国の名前でもあるエルリーネが滅びれば、この世界は魔物達によって全てを喰らい尽くされ、やがて生物の存在しない死の世界と化してしまうだろう。


『精霊と聖獣に護られし神秘の世界エルリーネ』


 そう呼ばれたこの美しい世界が消滅してしまう。

 国の重鎮達は腕に覚えのある者、魔法を使える者、それらの人物達を魔物討伐に送り出した。

 だが、その半数は魔物の餌食となってしまった。


 人々が絶望に打ちひしがれる中、ある一人の魔法使いが重鎮に提案する。「異世界より聖女様を召喚しましょう」と。


 その魔法使いの家には古代の文献が残っており、魔物の脅威に対抗する術について調べていた時に『聖女召喚』の事を見つけたのだという。


 文献によると、何千年という歴史の中で、過去にも数回現在のように精霊と聖獣の加護が失われた時があったのだという。その時、先人達は自分達に対抗できない力に対して、それに対抗できる手段として、異世界の人間を召喚する事にしたのだ。

 違う世界の人間ならば、自分達には無い能力を持っているかもしれないから――と。

 何の確証もないままに行われた召喚。だが、奇しくもそれは正解であった。


 エルリーネに召喚された人間はこの世界の誰もが持ち得なかった力を有していたのである。

 それが、聖なる力。今では『法術』と呼ばれる力の事だ。


 この法術は、異世界の人間しか発現する事ができない。その効力は、「治癒能力」と「魔物の力を弱める能力」。この二点であった。


 エルリーネの魔法使いにも小さな傷程度ならば、治す魔法を使える者も居るには居る。だが、あまりにも大きな傷には効果がない。せいぜい止血までが限界だ。

 だが、異世界の人間はどんなに大きな傷であろうとそれを塞ぎ完治させてしまう。


 そして、これが一番重要なのだが、異世界人の祈りの法術は、魔物の凶暴性を削ぐ力があるのだ。これにより、魔物を弱体化させ、殲滅させる。


 こうして、過去数度の危機を乗り越えてきたのだという。


 この話を聞いた重鎮は、一刻を争うからと、魔法使いに異世界人の召喚を任せたのである。




 そうして、召喚された聖女が佐伯莉子だった。

 召喚された当時、彼女は必死に抵抗した。


「自分にはそんな力はない」

「日本に帰して」

「助けて」


 様々な言葉で抵抗した。だが、この国の人物達には通じなかった。言葉自体が通じなかった。

 訳の分からない言葉を叫ぶ彼女を適当な部屋に監禁し、彼女の精神を追い詰めた。そうして、日を追う毎に大人しくなっていくのを確認すると、召喚した魔法使いによって、言語が通じる魔法を掛けさせた。


「魔物を全て退治すれば貴女様の世界にお帰しします」

「貴女には世界を救って頂きたいのです。聖女様」

「どうぞ、我々をお救い下さい。聖女様」


 丁寧な物言いだが、その実恐ろしい事を毎日紡いでいく。

 その言葉に、彼女が頷かざるを得なかったのは言うまでもあるまい。


 そんな、聖女として祭り上げられた莉子には、エルリーネの全ての魔物を屠るまで元の世界へ帰還する事は叶わない。


 戦いに不慣れな莉子には、魔物討伐の旅に、国一番と称される戦士達が数人宛がわれた。


 その一人には、莉子を召喚した魔法使いもいた。

 魔法使いには、聖女が道中逃げ出さないか見張る役目がある。それともう一つ、彼女の精神安定剤としての立場だ。


 莉子は魔法使いにだけ、徐々にだが心を開いていたから。

 莉子は自分を召喚した魔法使いを誰よりも激しく責め立てた。時には怒りに任せて暴力も振るった。

 それでも、魔法使いはただただ莉子の傍に居た。莉子の言葉にも、暴力にも何を言うでもなく、ただひたすらに傍にいたのである。


 そんな魔法使いに莉子は、少しずつだが自分の事を話すようになっていた。


 自分は二十歳で、付き合って五年になる彼氏がいる事。彼氏とは同じ大学で、卒業したら婚約する事。

 就職したら同棲したいと互いに語り合っていた事。

 とにかく、どんな些細な事でも話して聞かせた。


 寂しかったのだろう。


 知らない世界に連れて来られて、これまでに見た事もない恐ろしい魔物を倒せと言われて。

 自分を取り囲む環境に、莉子は魔法使いを罵倒する事で何とか耐えてこれたのである。


 だからこそ、魔法使いは莉子に必要な人物だったのだ。


「貴女様を巻き込んだのは、僕の責任です。必ず聖女様をお守り致します」


 何を言われても表情を変える事のなかった魔法使いが、この時だけは、瞳に強い力を宿してそう告げたのを、莉子は忘れられなかった。魔法使いが初めて見せた男の顔だった。




 そうして、二年という短くない時間を掛けて莉子は全ての魔物を討伐したのだった。


「やっと……終わったのね」


 共に旅した仲間達、いや莉子にとっては仲間でも何でもない。自分を浚った奴らの一員としか見られない――そんな笑顔の彼らとは対極に、莉子は沈んだ顔をしていた。


「二年……」


 この期間で莉子は二十二歳になっていた。


 地球の方はどれだけの時間が流れているのだろうか。

 自分は行方不明者となっていないか。

 家族はどうしているだろうか。

 彼氏は自分を想ってくれているだろうか。

 もし、地球の時間はあれから変わっていなくても、この世界で年を取ってしまった自分は地球に戻ったらどうなってしまうのだろうか。


 不安と早く帰りたい一心で、莉子の心は壊れそうだ。

 魔法使いに聞いても「分かりません」の一点張りで埒があかない。


 だが、それでも莉子はただただ帰りたかった。愛しい人のいる元の世界に。




 重鎮達の元に帰還した莉子と旅に同行した戦士達は、人々から手厚い歓待を受けた。

 世界を救ったのだから当然だろう。宴も開かれた。褒美もたくさん貰った。


 だが、そんな事よりも莉子は早く帰りたくて仕方がなかった。

 魔法使いにその旨を伝えると、彼は初めて莉子を強く抱きしめてくる。旅の間、どれだけ莉子が辛くても泣いていても、優しく背中を撫でて慰めるだけだったのに。


「聖女様……いいえ莉子様。どうか僕の傍に居ては下さいませんか? この二年貴女を見つめていました。どれだけ辛くとも前を向いて進む貴女に僕は惹かれました」


 強く抱きしめながら、魔法使いは愛を告げる。


「愛しています。貴女に辛い思いをさせてしまった僕が言うのはいけない事だと理解しています。ですが、叶うのでしたら、どうか――」

「嫌よ」


 全てを言い切る前に莉子はそう言い捨てる。


 驚いて抱きしめたまま莉子を見つめると、彼女は恐ろしい程に冷たい瞳で魔法使いを見ていた。


「愛している? どうして? 私は貴方に酷い事ばかり言ってきたのよ? 暴力だって……」

「莉子様がお怒りになるのは当然だったからです。僕が貴女の怒りを受けるのは当然の義務だったから」

「なら私の怒りを受け続けた貴方は、私を嫌うのではないの?」

「この世界をお救い下さった聖女様をどうして嫌うだなどと……。それに、莉子様は旅に出てから僕に暴も罵声も飛ばさなかったではありませんか。むしろ、とても優しいお言葉を掛けて下さった」

「気持ち悪い」


 自分を蔑むように見つめる莉子に、魔法使いは困惑する。


「ねぇ、旅に出てから私が罵声も暴力も振るわなかったのは何故だと思う? 優しく労ったのは何故だと思う?」

「そ、それは僕を頼ってくださったから」


 困惑の表情を隠さないままに魔法使いが答えると、莉子は笑顔になる。

 だが、その目は蔑んだままに魔法使いを見ている。


「そうね。貴方を頼った。旅の間、貴方だけが頼りだった」


 その言葉に魔法使いの顔から笑顔が甦る。


「だって、私の盾になってもらわないといけなかったもの」


 力の弱くなっていた両腕の拘束から逃れると、莉子は眩しい笑顔で言葉を続ける。


「私、こんなどうでもいい世界なんかで死にたくなかったの。だって、帰りたかったから。家族、友人、愛する恋人……彼らの居る世界に帰りたかったから。だったら、私を守ると言った盾にはその役目を果たしてもらわないとならないじゃない? 私が態度を変えただけで、コロッと騙されてくれて助かったわ。健気な聖女様を守る事ができて良かったわね?」


 莉子の言葉に魔法使いは旅を思い出す。優しい言葉で自分を労ってくれた。怪我をしたら、真っ先に治癒の法術を施してくれた。あれらは、全て自分(まほうつかい)の為にではなく、盾を失わない為?


「他の奴らもそうよ? ちょっと健気な聖女様を演じただけで勝手に勘違いして皆、必死で私を守ってくる。本当に滑稽で仕方がなかったわ。私、貴方もあいつらもこの世界も大っ嫌いなの」


 莉子の告白に魔法使いは、金縛りにでもあったように動けなかった。

 確かに、旅に出てからの莉子は人が変わったようだった。聖女の役目を十二分に発揮し、傷ついた者達をその力で救っていった。あれらは、自分を守らせる為の偽りの姿だったというのか。


「ねぇ? こんな私はもう嫌でしょう? だから、さっさと元の世界に帰してほしいの」


 莉子の甘ったるい声音に意識が戻る。


「そう……ですね。帰しましょう」


 そう答える魔法使いの声は、本人ですら驚く程に冷たい声だった。


 魔法使いの聞いた事もない冷たい声に、一瞬だけ体を竦ませたが、一瞬で莉子は元に戻る。


「では早速、送還魔法を行いましょう。どうぞ僕の手をお取り下さい」


 そうして差し出された手を莉子は怪訝そうに見る。


「僕自身が莉子様をお連れしないといけないのです。そう文献には記されていました」


 そう言われては莉子もその手を取るしかない。そっと掌を重ねると魔法使いは不思議な呪文を唱え始める。

 呪文を言い終えると、二人の周辺には淡く白い光が溢れてくる。それが、二人を囲んでいく。


「莉子様、最後にお願いがあります」

「なに?」

「僕の事を嫌っているのは分かりました。それでもいい、最後に僕を名前で呼んでは下さいませんか? 佐伯莉子様」


 懇願するように切なくそう言うと、仕方なしといった風情で莉子は一度たりとも呼んだ事のなかった魔法使いの名前を呟く。


 その直後、二人は光の中に消えていった。




「な……によ……。ここ」

「莉子様の帰りたがっていた地球ですよ。確か……日本でしたか?」


 二人が立つ場所は、草木も生えていない焼け野原だった。

 どこを見渡しても、そこは何もない焼けたような平面しか広がっていない。


「な、嘘よ! ここは日本なんかじゃない! でたらめを言わないで!」


 叫ぶ莉子の声は、風に消えていく。


「いいえ、紛れもなく莉子様がお暮らしであった世界ですよ」


 悪びれもせずに言う魔法使いに、莉子の背に悪寒が走る。


 そのまま、恐怖にかられたように走る。ここが何処かは分からない。だが、魔法使いの傍に居ては駄目だと脳内が警報するのだ。『危険だ』と。


 どこまで走ったのだろう、少しずつだが、草が生えた場所にまで来れた。

 息を切らせながら、莉子は周囲に人が居ないかを探す。


 すると、うっすらと建物が見えてきた。

 そこに向かってまた走った。ひたすらに走った先で見た光景は、朽ち果てたビルのような建物と、焼け落ちた家々の残骸だった。


「こ、こんな……な、んで」


 息も絶え絶えに小さく呟く。汗を拭いながら朽ち果てた建物を見ていると、人だろうか。誰かがこちらに近づいてくるのが見えた。


 近くまで来た人物は警戒しながら、莉子を伺っている。

 やっと会えた人物に安堵しながら莉子は声を掛ける。


「あ、あの、ここは日本ですか?」


 聞きたい事はたくさんあったが、何よりもここが何処なのかが知りたくて、莉子はゆっくりと相手を刺激しないように歩いていく。


「そうだが、あんた何処から来たんだ。女一人で物騒な」


 ここが日本!? 信じられない物を見たように莉子の瞳が大きく見開かれる。

 だが、相手は馴染みのある日本語を使っている。だとすれば、ここはやはり日本なのか?

 ゆっくりと近づいていくと、相手は年配であろう男だった。


「あの、今は平成何年ですか? いえ、西暦は……」


 ゆっくりと言葉を発すると、相手はますます警戒したような顔でこちらを見てきた。


「平成? 一体何百年前の話をしているんだ。今は西暦二千八百年だが?」


 莉子の体が凍りつく。西暦二千八百年? 自分の生まれた時は、こんな西暦ではなかった筈だ。


「大きな戦争があってたくさんの人達が死んでいった。それも知らないのか?」


 上手く回らない頭で、辛うじて頷くと男は「こりゃ戦争で狂っちまったのかね。それとも、犯されて狂ったのかね。やれやれ」と呟いている。


 関わり合いになりたくないとでもいう風に、男は建物の中へと消えていった。


 それを唖然として見ていた彼女の後ろから「ね? 日本だったでしょう?」と悪びれもない声がする。

 振り向くと、そこには魔法使いが立っていた。


「な、何が……何が日本よ!」

「僕は嘘を吐いていませんよ? 貴女が望んだ世界に貴女を帰した」

「ここは私の世界じゃない! 帰して! 私の世界に帰して!」


 魔法使いの胸倉を掴んで莉子が叫ぶ。だが、魔法使いは涼しい顔でその手を掴んだ。


「貴女がエルリーネで過ごす間に、こちらの世界では何百年と経っていあたのです。時間を巻き戻す事は何人にも叶いません」

「な……によ、それ」


 魔法使いによって掴まれた両手が痛い。振りほどこうにも、それも叶わない。


「ねぇ、莉子様。貴女の家族も友人も恋人も、この世界にはもう居ない。それでも貴女はここにいますか?」


 魔法使いは莉子を己の胸に引き寄せると、耳元で優しく囁く。

 その言葉聞き終えると同時に、莉子は意識を失った。


「帰りましょう莉子。僕達の世界エルリーネに」


 そう言うと同時に、二人は白い光に消えていくのだった。




「ねぇ修一さん。私、まだ退院できないのかしら?」

「あぁ、莉子。もう少し入院が必要みたいだ」

「もう、せっかく修一さんと結婚したのに病気で入院だなんて……」

「仕方がないよ。ゆっくり治していこう? 僕達にはたくさん時間があるんだから」

「それもそうね」


 明るい日差しの差し込む暖かな部屋の一室で、ベッドに寝ながら莉子は微笑む。


 目を覚ました時、莉子はベッドに寝ていた。体を起こすといつから居たのだろう、愛しい恋人である修一が莉子を見つめていた。

 あれは、何百年と未来の日本は夢だったのだ。安堵と共に夢の話をすると、頭を撫でられたのだった。


「疲れているんだろう。もう少し寝ていたほうがいい」


 そう言われて眠りにつく。そして、次に目が覚めた時には自分と修一は結婚していた。そうして初夜を済ませた次の日、目を覚ますと、知らない部屋に居て、修一から自分は「入院することになった」のだと告げられたのだ。


「それにしても、修一さん僕って言ってた? 前は俺って言ってなかった?」

「変かな?」

「変じゃないわ。俺よりも、僕のほうが今の修一さんは合ってるもの」

「ありがとう」


 莉子の質問に、柔らかく微笑んで修一は答える。


「今の……? 今の修一さん、昔の修一さんと比べると、何だか別人みたいね」

「そうかな?」

「そうよ。だって、お箸の持ち方だってすごく下手になってるし、昔は眼鏡を掛けていたのに今は掛けていないし、本当に別人みたい。べつ……じん?」


 そう言うなり、莉子の体が震えだす。両腕で、体を抱きしめながら「違う……修一さん……ちがう……。ここは……」聞き取れるか取れないかの声でぶつぶつと呟き始める。


「莉子、落ち着いて。病気が悪くなる。僕はここに居るから今は眠るんだ」


 ゆっくりと莉子の瞼に自身の掌をかぶせると、静かな寝息が聞こえてくる。

 掌を離すと「、規則正しい呼吸で眠る莉子の姿があった。


「ふぅ、まだ以前の意識が残っていますね」


 そこに居たのは、莉子を聖女として召喚した魔法使いだった。




 莉子が気を失うと、魔法使いはエルリーネに戻り、莉子を自身の住む家に連れ去った。

 そうして、莉子に愛を乞うつもりだった。「貴女には僕しかいない」のだと。


 だが、目を覚ました莉子の心は壊れていた。

 幸せだった時の記憶意だけを持ったまま、壊れた心。

 そんな莉子を魔法使いは愛した。それでも、魔法使いは幸せだった。傍には愛した人がいるのだから。


 だが、莉子は時折昔の記憶を思い出す時があり、そんな時は決まって魔法使いの名前を叫び、狂ったように訳の分からない事を言い続ける。


 その度に眠りの魔法を使って意識を失わせるのだが、魔法使いはそれはそれは幸せそうに微笑むのだ。


「貴女が僕の本当の名前を言ってくれるのが、堪らなく嬉しいんです。例えそれが、憎悪だったとしても――」


 魔法使いは愛しい人の唇に己の唇を重ねると、そっと部屋を出て行く。扉を閉めると、ぞっとするような笑みを浮かべて呟く。


「貴女が僕の名前を言った時点で、貴女は僕の傍にいるしかなかったんですよ」









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― 新着の感想 ―
[一言] もしかして、莉子が魔法使いの名前を呼ばなかったら元の時代の地球に戻れたのでしょうか? だとしたら、コイツ最悪ですね。 こんな世界、滅びればいいと思います。
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