12 塔島正義 / 荒神強(病院)
これは夢だ。
もしかしたら死ぬ時に見る走馬灯というやつなのかもしれない。
塔島正義はそんなことを考えながらも、脳が垂れ流す記憶と妄想の連続に身を委ねていた。思い出したくないような嫌な場面ばかりが、何度も繰り返し現れては消えて行く。
時系列も無茶苦茶だ。
最初に鮮明なイメージとして頭の中で再現されたのは、実家のリビングだった。
そうだ。あの日の記憶だ。
塔島が刑事の仕事にも慣れてきた頃、久しぶりに実家に帰ったときに見つけたのは、首を吊っている母の姿だった。テーブルの上には、「ごめんなさい」とだけ書かれた遺書が置かれている。
現場保存の鉄則すら忘れて、塔島は膝から崩れ落ちそうになりながら、なんとか母の遺体に駆け寄り、つり下げている紐を切り、生きているはずもない母に呼びかける。腐り始めている母が返事をするはずもない。
獣のような嗚咽を上げた瞬間、気がつくと塔島は森の中にいた。
手足と胴体がバラバラの状態で森の奥に捨てられた妹がこちらを見ている。下半身が丸出しで、瞳孔は開いたままだ。目を背けながら自分の上着を妹にかけると、後ろで銃声が聞こえた。
振り返ると、少年を銃で打ち抜いた父が立っていた。
こちらを見た父は泣いていた。手が震えている。
法で裁けない相手を、警察官である父は自らの手で裁いたのだ。そのまま銃を自分の口に入れ、二発目の引き金を引いた。
銃声とともに、父を貫いたはずの弾丸が、塔島を打ち抜いた。血が流れている。
そうか、死ぬのか。
やっぱり警察官なんてなるべきじゃなかったんだと、塔島は自分を責めた。母親が心配していたように、正義に囚われた父親のようにろくでもないことになるって、最初からわかっていたのに。
家族をすべて失った自分は、結局、新しい家族すら作ることができないまま、一人で死ぬのか。無様だな。
だが、よかったのかもしれない。こんな呪われた家系は、ここで終わりにしたほうがいいんだきっと。
でも、どうせ死ぬなら最後にロールケーキを丸ごと一本食っておけば良かったな。
「塔島さん……」
うるさいな。眠らせてくれ。
もう疲れたんだ。これ以上死体を見たくないんだ。
「塔島さん!」
ゆっくりと目を開けると、白い天井が見える。
ベッドの傍らには、頭に包帯を巻いた荒神が立っていた。いつものように泣きまくって目が真っ赤だ。
「うるせーよ……このくそボケが」
「塔島さぁぁぁん……!」
男に泣きつかれても、まったく嬉しくもなんともない。
生き返る瞬間ぐらい、せめて絶世の美女とか用意できなかったのか。相変わらず使えねーやつだと思いながら塔島は小さく笑った。
「少しは命の恩人に感謝してるんだったら、お前は退院したらすぐさま教習所に行け。まともに運転できるようになるまで帰ってくるな。わかったか」
泣いていたはずの荒神は、困ったような顔をして首を傾げている。
「それは無理です」
「じゃーもうお前とは、二度と一緒に捜査は行かねーからな。絶対に、だ」
「それは……困ります。あ、そうだ、後輩が車を自動で運転できるプログラムを研究しているので、それが実用化するまであとしばらく待っていただければと」
「んなもん待てるか」
塔島は心置きなく荒神の頭を叩いた。その衝撃で傷口が疼いて、あまりの痛さに顔が歪む。
「ちょ、ちょっと病人の頭叩くとかやめてくださいっ」
「なにが病人だ。俺よりピンピンしてんじゃねーか」
体を犠牲にしてまでツッコミをしないといけない状況って一体なんなのだろうかと、塔島は呆れながらため息をつく。
「あのさぁ、俺はそんなに難しい要求をしてるのか。頭が良いって自慢するぐらいなら、せめて運転ぐらい普通にできるようになってくれよ、頼むから」
「あのですね、頭の良さとは関係ないです。免許を取ったときは、もちろんペーパーテストは満点でした。路上の卒業検定のときも、突然驚くような突発的な出来事が奇跡的に起こらずに乗り切れたから大丈夫だっただけなんです。前にお話した、初めてドライブに出かけたときに父のポルシェを大破したっていうのは、目の前を猫が横切った瞬間に驚いて、パニクったあげくにとっさにハンドルを切ったら激突したという話でして。だからいくらでも運転はできますが、まわりの状況次第なので、なにが起こるかわからない状態での運転は無理っていうだけなんです」
荒神は早口で言い訳を並べ立てている。
「それにもし僕が運転したせいで事故を起こして、塔島さんが死ぬのは嫌なんですよね。僕の相棒をまともにできそうなのが塔島さんぐらいしかいないので、塔島さんに死なれると困るんです。だから運転はしたくないわけです」
荒神は泣きはらして真っ赤な目で、塔島のことをまっすぐに見つめている。
一応これは後輩に慕われているということなのか。本当に、そんなに素直に考えていいのか。
いや、なにかおかしい。やっぱり、おかしいぞ。
「素朴な疑問なんだけど、お前が事故を起こしたときに俺だけが死ぬ設定になってるのは、どういうことなの」
「え? 一般的に助手席のほうが死亡率が高いですよね。だから僕が運転すると、結構な確率で塔島さんだけ死にますよ、たぶん。しかも塔島さんってそういうときに、よけいなこととかしそうじゃないですか。ほらこの前みたいに、犯人を庇って自分が撃たれるみたいなヒーローっぽいことしちゃう人だから、きっと僕のこと助けようとして自分だけ死んだりしちゃうでしょ」
本人になんの悪気もないのはわかっているが、なんでこいつはいつも、人をイラッとさせる言葉を天才的なまでに繰り出してくるのだろうかと、塔島は大きなため息をついた。
本当ならもう一度、頭を叩きたいところだが、痛い思いをしてまでツッコむ気力はもうなかった。
「もういい。俺は疲れた。寝る」
「わー塔島さん、そのまま死んだりしないでくださいよ」
「死んでねーよ。寝るだけだっつってんだろっ」
「僕は心配してるだけです。そんなにカッカしないでください。怒ったら傷に響きますよ」
「傷をえぐってるのは、てめーのほうだろうがよっ」
巡回に来た医師と看護婦が二人のやり取りを見て、くすくすと笑っている。
「お元気そうでなによりです」
そう言われて塔島はうんざりした様子で答える。
「部下が馬鹿すぎて、これじゃー死ぬに死ねませんよ」
「僕は馬鹿じゃありません。塔島さんよりはるかに偏差値は上です」
「うっせーよハゲ」
「ハゲは今関係ないでしょう。もちろん僕の家系は全員フサフサですけど。でも塔島さんって、わりとハゲそうな髪質してますよね。だからいちいちハゲって話題を出すんですか?」
「うっせーボケ。どうせ俺はハゲ遺伝子の継承者だよ、悪かったな」
塔島はわざとみんなに聞こえるように何回も高速で舌打ちをしてから、頭まで布団をすっぽり被る。
「また舌打ちしてる。やらないほうがいいですよって言ってるのに」
退院したら絶対に超絶お高い激ウマなロールケーキを丸ごと一本食ってやると塔島は心に誓った。健康診断でコレステロール値が限界を突破しようが知ったこっちゃねぇ。
それに、とりあえず今眠れば、荒神とのバカなやり取りの余韻のおかげで、しばらくは悪夢を見ないですむかもしれない。
どうか華麗なる荒神のDNAに、突然変異でハゲ遺伝子が組み込まれますように。
そんなことを心の中で祈りながら塔島は目を閉じた。




