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言葉が人を殺した日は、綺麗な夕焼け空だった  作者: 白野こねこ
【裁かれる人々】前編 終わりの始まり
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2 塔島正義 / 桐山茜(桐山家)

「大丈夫ですか、桐山さん」


 警視庁捜査一課の塔島正義が何度話しかけても、桐山茜は返事をしなかった。スマートフォンを耳元で握りしめたまま虚ろな目をしている。


「聞こえてますか、桐山茜さん。バスルームに弟の蒼さんのご遺体がありますので、確認をお願いしたいのですが」


 ソロモン出版で無差別殺人事件を起こした桐山蒼の自宅では、新たな遺体が発見され現場検証が行われていた。

 容疑者の姉である桐山茜は、リビングで血まみれの両親を見つけて通報しようとしたが腰を抜かしてしまったらしい。


 刑事達が到着するまで無言のまま微動だにしなかったようだ。廊下まで血しぶきが飛んでいたせいで、空色のワンピースの裾は血で滲んでいた。

 有名ブランドのロゴがさりげなく刻まれた上品なワンピースは、裾に広がる小さな赤いシミのせいで台無しになっている。


 両親の遺体をじっと見つめたままの桐山茜の姿は、生きているはずなのにまったく生気が感じられない。

 発狂して暴れ出さないだけまだマシかもしれないが、発狂すらできないほどに心が壊れている可能性もあり、危険な状態であることは確かだった。


「遺体確認は無理だな。荒神、ほかに関係者はいないのか」


 塔島が、新米刑事の荒神強に話しかけたが返事がない。周りを見回すが姿も見えない。

「荒神はどこに行った」


 カメラで現場を撮影していた鑑識係員に声をかける。

「さっき、外に出て行きましたよ」


 またか。塔島は舌打ちをした。

 いつもそうだ。血なまぐさい現場だとすぐに逃げ出して姿をくらます。どうせ外で吐いているのだろう。これだからあいつと組むのは嫌なんだ。


 こっちの仕事が増えるだけで、ろくなことがない。心の中で悪態をつきながら、塔島は仕方なく自分で携帯電話を取り出し連絡する。


「女性一人、搬送をお願いします。桐山茜、容疑者の姉です」


 携帯を閉じようとすると変な音がする。折りたたみの接続部がバカになり始めているのかもしれない。


 ふと新米の荒神に「今時ガラケーとか本当に使っている人がいるんですね」と、目の前で最新型のスマートフォンをいじりながら言われたことを塔島は思い出していた。

 その場にいてもいなくても他人をムカつかせる荒神にイライラしながらリビングに入った。


 遺体は二つ。桐山蒼の父親と母親だ。

 家具や床、窓などに血しぶきが広範囲にわたって飛び散っている。遺体の位置と血の痕跡を見るに、桐山蒼はソファーから窓際へと逃げる父親を何度も斬り付け、止めようとした母親も斬り刻んだようだ。


 まだ息があった母親は電話のところへ向かう途中で絶命したらしい。傍らに血まみれの日本刀が転がっている。遺体に手を合わせた後、塔島が鑑識係員に声をかける。


「凶器はこの日本刀だけか?」

「えぇ。ソロモン出版で使ったものをそのまま使ったんじゃないでしょうか。出版社の現場に脱ぎ捨てられていたジャケットにも、桐山の皮膚や汗が付着していたのでほぼ間違いないと思われます」


「九人も殺せるってことは、よっぽど切れ味が良いんだな」

 塔島は日本刀の刃先を確認する。刃こぼれもなくダメージはほとんどないようだ。


「部屋で見つかった鑑定書によれば虎徹らしいですけどね。何人もの血を吸ってるみたいな胡散臭い説明書がついてました」と鑑識係員が苦笑する。


「どうせ贋作なんだろ」

「でしょうね。とはいえ、いくら贋作でも登録証さえ付ければ、人を殺せるものを美術工芸品として売買できるんだから物騒な話ですよ」


 鑑識係員は内緒話をしているような仕草をするが、元々の地声がデカすぎるせいでまったく意味をなしてなかった。


「それをいうなら子供が学校で使うカッターや、どこの家にでもある包丁ですら人を殺せるんだから取り締まりなんて気休めだろ。本当に人を殺すやつは、どんな物でもどんな方法でも人を殺すからな」


 塔島はうんざりしたようにため息をついてからバスルールに向かった。桐山蒼の遺体が横たわっているのが目に入る。


 二卵性とはいえ桐山茜と双子というだけあって輪郭や鼻筋、口元などが良く似ている。生きている状態で会っていればもっと似ていたのかもしれない。


 遺体の傍らには、役目を終えたらしき空容器だけが置かれている。塔島の目線に気付いた鑑識係員が説明する。


「酸性トイレ洗剤とイオウ系入浴剤が使われたようです。硫化水素の除染は一通り終わってますが、一応注意はしてください」

「わかった」


 九人も殺した人間のクズでも、仏さんであることには変わりない。塔島は手を合わせてから遺体を確認する。

 緑色に変色している桐山蒼の腕や腹には、ためらい傷のような複数の切り傷が出来ていた。傷はまだ新しく、自殺を図る時に作られた痕のようだ。


 あれほどの人数を日本刀で容赦なく斬り付けておいて自分を斬る勇気はなく、結局は硫化水素を利用して自殺したというのは、なんとも身勝手な行動だった。

 きっと生前も、人に厳しく自分に甘い人間だったのかもしれない。


「一時期ほどじゃないですが代替え品による事案は発生しますね」

「化学反応は絶対発生するんだし、別々に使う分には問題ないんだから、すべてを規制するのは無理な話なんだよ」


 硫化水素による自殺が爆発的に広がった当時は、該当製品の製造中止や販売自粛があったはずだが、それぞれ単体で使う分には需要がある以上、別々に購入されたり代替え品を使われると未然に防ぎようがないのは事実だった。


 だからこそ未だにこの手の自殺が絶えず、発見する者を危険にさらしていた。今回の遺体発見時にも捜査員が一名、硫化水素を吸い込み病院に搬送されている。


「ぶっ倒れたやつは大丈夫だったのか」

「なんとか意識は取り戻したみたいです」

「そうか」


 数ある自殺方法の中で、よりによって一番最悪な二次災害を引き起こす死に方を選んで、死んでからも他人に迷惑をかけたという意味でも、桐山蒼の罪は果てしなく重い。


 何がそこまで桐山蒼を狂気に駆り立てたのかは知らないが、この手の無差別殺人をした後に自殺をして幕引きをするような事件が起こるたびに、塔島はなんともやりきれない気持ちになる。


 いわゆる無敵の人とも言われる、すべてに絶望した人間がほかの誰かを巻きぞえにして死ぬたびに、自殺なんてしないでくれと思うのと同時に、どうせ自殺をするならせめて自分一人で死んでくれと願ってしまうのは傲慢だろうか。


 突然の理不尽な死は残された人々を疲弊させるだけでなく、新たな憎しみを生み、ろくでもない結果しかもたらさない。不幸の連鎖はもうたくさんだ。


「ちょっと上を見てくる」


 塔島が二階に上がり桐山蒼の部屋に入ると、別の鑑識係員がノートPCの中身をチェックしているところだった。


「ソロモン出版の森村有希という編集者からのメールが最後に届いていたようですが未読の状態でした。事件当日に実際にインタビューするはずだったのは、この女性だったのかもしれません」


「森村有希……か。死亡した七名の中にその名前はなかったな」


 だとすると、桐山蒼が本当に殺したかった相手は、この森村有希という女性だったのだろうか。


「日記の類いは?」


「削除されてます。それらしきフォルダなどはあるんですが、肝心のデータ自体は、特殊なソフトウェアで消去したのか痕跡がたどれませんでした。遺書も見つかってません」


「動機の裏付けは取れてないってことか」


 会社の同僚ならなにか知っているだろうか。それでも無理な場合は、唯一残された家族である桐山茜の回復を待つしかないのかもしれない。


 塔島がリビングに戻ると頼んでいた迎えが来たのか、桐山茜が係員に抱きかかえられるようにして玄関に向かう姿が見えた。


「桐山さん、ゆっくりでいいですよ」


 相変わらず桐山茜は係員の問いかけにも反応せず、この世ではなくどこか別の次元でも見ているかのような目をしている。


 たった一人で残された彼女の今後の人生を思うと心が痛む。一晩で家族を亡くし、多くの人々を殺したのは実の弟なのだ。たとえ自分が悪くなくても、犯罪者の家族という一生剥がせないレッテルが刻まれてしまう。

 似たような経験をしたことがある塔島は、できれば桐山茜には幸せになってほしいと願わずにはいられなかった。






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