10 塔島正義 / 荒神強 / 薮中真理子(薮中真理子の自宅)
「桐山茜さんが行きそうな場所とか、ご存知ありませんでしょうか」
塔島正義と荒神強は、薮中真理子の部屋の玄関で質問を続けていた。
正気ではなさそうな菊池守の証言だけでは、玄関先の立ち話ぐらいが限度だが一通り聞いてみるしかない。豪華な作りのマンションのおかげで、玄関が広いことだけが救いだった。
「ちょっとわかりません」
真理子は見とれてしまうほどの笑顔で答えるが、どことなく目だけ笑っていないように見えるのは気のせいだろうか。何を聞いても人当たりの良い対応をしてはくれるが、ほとんど一言二言ですまされ、取りつく島もない状態だった。
「つかぬことをお伺いしますが、お使いになってるエコバッグとかありましたら、確認させていただきたいのですが」
「エコバッグ……ですか」
ちょっと困惑したような顔をしたが、真理子は奥の部屋からエコバッグを持って来た。
薄いオレンジ色のバッグの隅には猫のキャラクターが描かれている。タグに書かれた数字は0222だった。菊池の言っていた番号と同じだ。
「失礼ですが、これはどちらで手に入れたものですか」
「よく覚えてないんですが、誰かに借りたものだった気がします」
「借りた? どなたに」
「あ、そうだ、茜さんです、たぶん」
「桐山茜さんに借りたんですか」
首を傾げてから頷く。声の調子、目の動き、仕草を見る限りは、真理子が嘘を言っているようには見えない。
「私、いつも物を借りた後、返すのをよく忘れてしまうんです。さっきも後輩から借りたDVDを返してないせいで催促されてましたし、そういうことがよくあって。昔からよく人のものと自分のものの区別がつかなくなるんです。治そうと思ってるんですけど治らなくて」
いわゆる借りパクの常習犯ということなのだろうか。特に悪びれた様子もなく、罪悪感も感じてなさそうな口調だ。
「すみません。こちらのエコバッグなんですが、桐山茜さんのお知り合いが、ずっと探してらしたので、こちらで預かってその方にお返ししてもよろしいでしょうか」
「えぇ、どうぞ」
エコバッグを真理子から受け取ると、塔島はさりげなく中を確認する。小さな内ポケットにUSBメモリが入っている。
まさかな。
そう思った瞬間、奥の部屋から大きな物音がした。何かが暴れて壁に激突したような音だ。
「ちょっと、失礼します」
塔島は強引に中に入った。
音がした部屋を開けると、そこにいたのは大型犬だった。塔島に驚いたのか警戒するように何度も吠え立てる。慌てて後を追って来た真理子が、部屋の前で小さな声で言った。
「最近、よく暴れるから部屋に入れてるんです」
部屋の中はやたらと、強烈なアロマ臭が蔓延していた。
こんなに臭い部屋に入れられていたら、鼻の効く犬なら暴れたくもなるだろう。
そう思いながら塔島は、部屋の隅に目をやると、赤い大ぶりのスーツケースを見つけた。
ふと桐山茜の家で見た黒い摩擦痕を思い出す。
「すみません、こちらは」
塔島が質問しようと振り返ったら、もう真理子の姿はなかった。代わりに扉の前に荒神が立っていた。
「荒神、あの女はどこに行った」
「ついさっきトイレに行くとか」
「捕捉しろ、早く。目を離すなよ」
「はい」
塔島がスーツケースを開けると、強烈な腐臭が漂い、思わず咳き込んだ。
ケースの中には遺体が入っていた。
腐敗し蛆がわき始めていて、顔はほとんど判別できないが、空色のワンピースに見覚えがあった。
桐山茜と初めて出会ったときに着ていたものと同じで、広い範囲に液体をこぼしたような赤紫のシミができている。
頭部は陥没し、髪の毛には乾燥した血液がへばりついていた。桐山茜の部屋にあったノートPCに残されていた液体とガラスの破片の痕跡は、桐山茜が殺された時にできたものらしい。
この様子ではどうやら菊池の願いを叶えることは絶望的に無理なようだ。
「くそっ」
変わり果てた桐山茜の姿を見ながら、どちらが幸せなんだろうと塔島は思った。
犯罪者の遺族として生きるはずだった未来と、殺されたとはいえすべてから解放された現実と。少なくともどちらにも救いはない。
塔島は携帯をかけながら部屋を出て、荒神と女を探す。
「桐山茜の遺体が発見された。鑑識をよこしてくれ。ホシは薮中真理子だ」
リビングに向かうと、奥にあるバスルーム手前で、荒神が倒れているのが見えた。
頭部に打撲痕があるようだ。傍らにはトイレ用洗剤の容器が落ちている。中身を凍らせているのか外気に触れて、表面に水滴がついているのがわかる。
宮野光雪の家で見た、謎の水滴はこれか。溶けるまでの時間を利用して密室を作り、自殺を偽装していたのか。
「荒神! おい」
意識が朦朧としているのか、目の焦点が定まっていない。
バスルームには電気が付いているが鍵がかかっていて扉は開かない。わずかだが硫化水素のような臭いもする。
塔島は、荒神を抱えて部屋の外に避難させながら電話をする。
頭部に負傷している状態で動かさないほうがいいのはわかっていたが、ここに置いておくと二次災害で死んでしまう。荒神の打撲が軽症であることを願いながら、塔島は玄関に向かった。
「至急、救急隊員を手配してくれ。硫化水素が発生している恐れがあるから消防にも連絡を。荒神も頭部を殴打されたようだ。搬送の準備も頼む」
玄関の外に荒神を寝かせると、塔島は部屋の中へ戻って行く。
キッチンで手当たり次第に棚を開け、ゴミ袋を見つけると頭から被った。今は空気呼吸器を用意する時間もない。こんなものが役に立つとは思えないが、何もないよりマシだ。
バスルーム前に戻ると、あいかわらず扉は閉じられたままだ。換気用の隙間から硫化水素特有の臭いが微かに漏れてくる。
やはりゴミ袋では防ぎようがないようだ。一刻も早くこの場を離れたい一心で、激しく足で蹴り付けるが扉は開かない。
「何人も殺しておいて、勝手に死ぬなんて許されると思ってんのか」
塔島は勢いをつけて力任せに体当たりする。
「人を殺したやつは人に裁かれる。それが掟だなんだよ。そうじゃなきゃ死んだ人間が浮かばれないんだよ」
扉を壊して入ったバスルームの中には、真理子のほかに、もう一人別の女が横たわっていた。
若い女の体は緑色に変色している。硫化水素を吸い込んだあとに見られる症状だった。脈を取るがもちろん反応がない。
二人を運び出す時間はなさそうだ。仕方なく意識を失っているがまだ脈の有る真理子を引きずり出し、担ぎ上げたまま玄関に向かう。
なるべく息をしないようにしながら人を担いで移動するというのは思った以上に体を疲弊させる。
意識が朦朧としてきたせいか、ただでさえ無駄に長い廊下が永遠に続きそうな錯覚にとらわれる。ふらつく足をなんとか前に出し、歯を噛み締めながら一歩ずつ玄関へと向かう。
ようやく玄関を抜け外に出ると、担いできた女を荒神の隣に降ろし、塔島もすぐそばに倒れ込む。
頭に被ったゴミ袋を取り、新鮮な空気を何度も吸い込む。疲れ果てた脳に酸素が染み渡る。
息を止めていた間に流れるはずだった分を取り返すかのように、尋常ではない汗が顔や背中から溢れ出てくる。
しばらくすると、遠くからサイレンの音が聞こえてきた。
安堵のあまり塔島が意識を失いそうになりかけていたとき、目の前に菊池が立っていることに気付いた。
「茜を腐らせたのは、お前か」
菊池の手には、拳銃が握られていた。
傍らに寝ている荒神を見る。ホルスターに収まっているはずの拳銃がなかった。
「やめろ」
銃口は真理子の頭を狙っている。
「菊池、やめるんだ!」
銃声が鳴り響いた瞬間、とっさに真理子をかばった塔島は、衝撃と激痛に襲われた。
駆けつけた捜査員の怒鳴り声と、菊池を取り押さえる音を聞きながら、塔島は意識を失った。




