6 塔島正義 / 荒神強(宮野光雪の自宅)
目的のマンションに到着したときには、一足も二足も遅かったようだ。
塔島正義と荒神強が救急隊員たちと一緒に部屋に入った時点で、宮野光雪はすでに心肺停止状態だった。救急車で搬送されていったが、たぶん助からないだろう。
塔島と荒神で手分けして、すべての窓を確認したが、例のごとくきちんと鍵がかかっていた。もちろん玄関も大家から借りた鍵を使って開けるまでは閉まっていた。被害者の荷物も確認し、通常使っているであろう鍵も発見された。
普通に考えれば自殺だが、これが偽装されているとしたら、どうやったのか。
ユニットバスの便器の後ろあたりに、トイレ洗剤と入浴剤は置かれていた。容器の表面がやたらと濡れている。まるで冷たい麦茶を入れたコップに水滴がついているかのようにしっとりと湿っている。
「なんでこんなに濡れてるんだ」
塔島が後から来た鑑識に質問する。
「なんでしょうね。使う寸前まで冷蔵庫みたいな室温より冷えた場所に収納していたとか」
「何のために?」
鑑識員は首を傾げている。
背後で嘔吐いていた荒神が青白い顔をしながら言った。
「うっかり買い物の荷物を、全部一緒に冷蔵庫にいれたとかじゃないですか」
「そんなことすんのはお前だけだろ。参考になるかボケ」
さすがにうっかりはないとしても、意図的に冷やす必要があったのだろうか。よくわからない。わからないことだらけだ。
机の上にあるノートPCを立ち上げ、荒神に中身を確認させる。
今までの自殺者と同じような遺書めいた文章が見つかった。だがこの遺書は偽造の可能性が高いと森村有希の兄が指摘していたこともあって、もう自殺の根拠にはできない。
「他人のパソコンに遺書を偽造する方法なんてあるのか」
塔島はずっと疑問に思っていたことを荒神に聞いてみる。
「そうですね。オンラインでシステムに侵入して遠隔操作をするか、あとはなにかしらの理由をつけて犯人が被害者のパソコンをさわるチャンスが一瞬でもあれば可能ですよ。例えばUSBメモリとかにマルウェアをあらかじめ仕込んでおけば、あとはそれをパソコンに接続することさえできれば、自分で操作をしなくても、自動でファイルを一つコピーするぐらいなら簡単にできますね」
「マルウェア?」
「悪さをするプログラムみたいなやつです。多少の知識があれば誰でも作れますよ」
荒神はノートPCを操作しながら説明を続けている。システム関連の設定やログを確認した後、ウィルスソフトでスキャンを開始した。
「とりあえず誰かが外部からオンライン経由でシステムを乗っ取ったような形跡はないですね。マルウェアに関しては、このパソコンに入っているウィルスソフトではヒットしませんでした。残念ながらウィルスソフトによって検出できる能力に差があるんです。ここに入ってるのは割と時代遅れで最新のマルウェアに対応してないタイプのやつだから駆除されなかったのかもしれません」
荒神は古いウィルスソフトをアンインストールしてから、別のウィルスソフトをインストールして、さらにスキャンを重ねる。
「やっぱり感染してますね。今までブログ主が自殺した件も、同じようにマルウェアを仕込まれて遺書が偽造されてたのかもしれません」
「それは立証できるのか」
塔島の問いかけに荒神は首をかしげる。
「難しいですね。外から侵入されたという場合は、IPアドレスからたどって裏を取るとか何かしらの方法がありますが、USB経由で感染となるとそのUSBメモリが見つからないことには特定のしようがありません。それに誰かが殺意を持って意図的に使ったのか、本人が知らずにたまたまマルウェアを仕込まれたUSBを使ってしまったのかについても、犯人と被害者以外には証明のしようがありませんし、USBメモリ自体に犯人の指紋でも見つからない限りは難しいでしょうね」
塔島はため息をついた。何かほかに手がかりはないのか。このままではこの現場も自殺で片付けられてしまうかもしれない。
塔島は苛立ちながらブラウザの履歴をチェックしていると、オールゲーム研究室という宮野光雪が書いていたブログの中で、管理人だけが見られるコメント欄に、不自然な書き込みを発見した。
「最終世界シリーズを叩いていたブログ主がどんどん死んでるみたいです。次はあなたのところかもしれません。気をつけたほうがいいですよ」
それを見つけたときに、荒神が挙動不審になった。またか。
「これを書いたのはお前なのか」
荒神はぶんぶんと首を縦に振っている。どうやら学習したのか、今度は脅さなくても本当のことを言うようになったようだ。
「宮野光雪と交流はあったのか」
「いえ、まったく。ただ、ほかのサイトも含めて、同じようなブログを書いている人たちのことを、勝手に仲間と思っていたというか、戦友みたいに感じていて、記事はいつもチェックしていたので。更新されなくなった直後に自殺で発見されるというのがいくつか続いたので、なんかおかしいなと」
「だったらなんでもっと早く、その情報を上にあげなかったんだ。もし早めに保護していたら、宮野は助かってたかもしれないんだぞ」
「確かに……すみません。ほんとすみません」
荒神はくしゃくしゃの顔をして泣き出した。
「後からあやまって泣くだけで人の命が救えるんなら、警察なんかいらねーよ。人は死んだら終わりなんだからな」
「……はい」
そうだ。人は死んだら終わりなんだ。
塔島の脳裏に、強姦された上にバラバラに捨てられた妹の体や、犯人を銃殺した後に自分の頭を打ち抜いた父親の顔、首をつって死んだ母親の姿がめまぐるしくフラッシュバックする。
見たものだけでなく、見ていないものですら記憶の亡霊が勝手に脳の中に映像を作り出す。どの死体も何か言いたげに、じっとこちらを見ている。永遠に終わらない記憶の暴走は地獄だった。
「塔島さん、大丈夫ですか」
荒神の声で現実に引き戻される。心臓の鼓動が早い。脂汗をかいていた。
「お前に心配されるようになったら、俺もおしまいだな」
塔島は自虐的な笑みを浮かべる。
どれだけ死んだ人間を積み上げれば亡霊は消えるのか。むしろ遺体を見れば見るほど、亡霊はより強く刻まれるのではないのか。こんな現場はもううんざりだ。
電話の呼び出し音が鳴る。
塔島は自分と同じように壊れかけている携帯電話を手に取った。
「森村信人が俺の名前を? わかりました。すぐ向かいます」
どうやらまた面倒臭いことになってるようだ。塔島はため息をついた。




