5 森村信人 / 佐倉美月(駅ホーム)
駅のホームで電車が来るまでの間、手持ち無沙汰になったのか、佐倉美月がスマートフォンのアプリで遊び出した。
「あっ、ちょうど今ゲリラタイムだった。らっきー」
どうやらパズル系で有名なアプリを遊んでいるようだ。
ゲリラタイムというのは、毎日決められた時間限定で、特別なダンジョンが出現したり、モンスターやお金のドロップ率が上昇するお得なタイムセールのような仕組みだった。
単純ではあるがユーザーを毎日ログインさせるためには不可欠なシステムだ。
ほかの類似アプリも含めてソーシャルゲームには必ずといっていいほど、この手の毎日プレイしないと損だと思わせる仕掛けが満載で、強迫観念を植え付けるタイプのものが多いのも、森村信人がソーシャル系のゲームを苦手としている理由の一つでもあった。
ゲームはやりたいときに遊ぶものだ。
親の目を盗んで遊ぶ小学生のガキじゃあるまいし、誰かに遊ぶ時間を強要されたくなんかない。時間に縛られるのは仕事だけで十分だ、そう森村は思っていたからだ。
「そう言えば、森村さんはやってないんでしたっけ」
「いや、最初に勉強がてら触ったよ。でもすぐに消したから、もうデータは残ってない」
「えー、もったいない。せっかくやったんだったら続ければいいのに」
いくらソーシャルゲームが嫌いでも、やりもせずに文句は言えないので、商売柄一応は人気が出たものや話題性のある作品を、必ずさわりだけでもプレイするようにしていたが、若者のようにずっと毎日続けるようなハマり方はできなかった。
裏で操っている姑息な手段が透けて見えて嫌になるのもあるが、やっぱり年のせいもあるのだろうか。時代に置いて行かれているのかもしれないと、ふと不安になる。
「毎日この時間に遊べって強制されるタイプは苦手なんだよ。それにしても、似たようなアプリばっかりやって、よく飽きないな」
「もちろん飽きますよ。でも飽きたら違うやつをやってるだけですけどね」
美月は、スマートフォンの画面を見ながら言った。
「あれ? この助っ人モンスター、茜さんのと一緒だ」
助っ人モンスターというのは、同じアプリをプレイしている仲間が育てたモンスターの力を、一時的に借りられるという仕組みで、ダンジョンに挑戦する度にランダムで設定されるものだ。一日に何度も接続して遊んでいる人ほど、助っ人一覧に表示されやすい。
森村が画面を覗き込むと、あかねというプレイヤー名の下に、レベルがカンストしているレアモンスターが表示されていた。
課金ガチャでかなりの金額をぶちこまないと出ないと言われているモンスターで、それを最高レベルまで育て上げるにはさらなる課金が要求されるが、それだけの価値があるステータスとチート並みのスキルが魅力的なモンスターだったはずだ。
「茜さんって、今行方不明じゃなかったでしたっけ? 呑気にアプリで遊んでるぐらいなら、大丈夫ってことなんですかね」
美月は首を傾げている。確かに、なんだか変な気もする。
アプリをダウンロードしている人は何千万単位でいて同じプレイヤー名も山ほどあるだろうし、いくら課金しまくりのレアモンスターとはいえほかにも持っている人はいるかもしれない。
だが名前もモンスターも被っているとなると、その確率はかなり低い。
「どうだろう。最悪パスワード流出で乗っ取りをされてる可能性もあるけど」
最近は、パスワードの使い回しで、まったく別のところで流出した個人情報がアプリやオンラインゲームのアカウントハックに使われることも多いのは確かだ。
「うわー、もしそうだったら最悪ですね。どれだけ課金してるのか知りませんけど、茜さんクラスだと相当な被害になりそう」
森村は苦笑する。
みんなが遊んでいるアプリの中で、自分だけが優位に立つために課金を重ねる人たちの心理がいまいちよくわからないと森村は思っていた。
昔から基本プレイ無料と謳われたオンラインゲームなどで、珍しいアバターや強いレア装備を課金アイテムとして販売して、それで儲けを出すようなビジネススタイルがもともとあった。
だが、ソーシャル系アプリはそれをさらに発展させて、ガチャとよばれるギャンブル性の高いシステムで、より金儲けを加速させている。
法律的に真っ黒だったコンプガチャが規制されても、プレイヤーに欲しいと思わせて、それをなかなか当たらないようにして金を巻き上げる商法は相変わらず受け継がれている。
常識で考えれば普通ではない状態なのはわかりきっているのに、重課金者たちはどのゲームにも必ずといっていいほど存在するのが、森村にはとても不思議だった。
もしかすると、昔のバブル時代でいうところのブランドバッグや時計、高級車を買いあさって、まわりに見せびらかしていたタイプの人間と同じ心理なのかもしれない。自分には縁のない思考パターンだと森村は思っていた。
電車がやけに遅いなと思いつつ電子掲示板を見上げると、人身事故でダイヤが乱れていると表示されていた。
森村は小さなため息をつく。
東京の電車はあまりに人を食らい過ぎだ。毎日のようにどこかで誰かが飛び込んでいる。
自分も紙一重でそちら側に行っていたかもしれないだけに、なんとも言えない気持ちになる。
「あのさ、ちょっと頼みがあるんだけどさ」
森村は言いにくそうに、ぼそりと言う。
「これから実家の母親のところに行こうと思うんだけど、一緒に来てもらってもいいか」
美月はスマートフォンから顔をあげると、びっくりしたように森村をじっと見つめた後、急に真っ赤になってうろたえている。
「い、いきなり、そんな、心の準備が」
「は?」
一瞬何を言ってるのかわからず、森村の脳は思考停止した。
「でも、その、お母さんに紹介してもらうなら、できれば先に、ちゃんと、ぷ、プロポーズをしてほしいかなーとか」
森村は、やっと理解して吹き出した。
いつも斜め上すぎる反応がまったく予測出来ない。ここまで相手の意表をつくのはある意味立派な才能かもしれない。
「ちょっと、なに笑ってるんですか」
「いや、すまん、そういうつもりじゃ」
「じゃあ、どういうつもりですか」
今にも頭突きをしそうな勢いで、美月が睨んでいる。
「誤解させたんだったら、ほんとすまん。実はさ、妹が死んだことをまだ直接母親に伝えてなくてさ」
「え? どうして」
「まぁ、その、田舎の老人ホームでずっと寝たきり状態なんだ。アルツハイマー病で俺のことすらちゃんと認識してないような状態で。伝えづらくてそのまま先延ばしにしてるうちに、ダークサイドに落ちちゃっててそのままだったから。いまさら一人で行くのもキツいから、できれば一緒に行ってもらえたらなと思ったんだ」
「なんだ、それならそうって先に言ってください。紛らわしいなーもう。もちろん私なんかでいいなら、いくらでもついていきますよ」
照れくさいのか美月は、スマートフォンのアプリに夢中のフリをした。動揺しているのか操作をミスっているようだ。
「親に紹介するとかプロポーズするとか、いちいち順番を気にするなんて、佐倉ってわりと古風なんだな」
森村が小さく笑うと、キッと美月に睨まれた。これ以上からかうと殺されそうだ。
「わかったよ。いずれちゃんとプロポーズすればいいんだろ。とりあえず、再就職先決めてからな気がするけど」
「えー、なんですかその死亡フラグみたいなのやめてください」
「じゃあ、棒読みで言ってやろう。俺、就職決まったらプロポーズするんだ」
「やめてー。絶対すぐに死んじゃうサブキャラの台詞じゃないですか」
悪ふざけをしているうちにようやく電車が到着した。だが、乗り込もうとしたとき、背後から見知らぬ男が近づいて来て、声をかけられた。
「あんたは誰だ」
森村は、声をかけてきた男を訝しげに見た。
無精髭をはやした男が着ているストライプ柄のワイシャツは何日も洗ってないのかよれよれだ。見るからに怪しい。男はむしろ森村より、美月を見ているようだ。
「お前こそ誰だよ。人に声をかけるときは、自分から名乗るのが礼儀だろ」
森村は牽制するように体を割り込ませ、不審な男から美月を遠ざけると、電車に乗るように促した。
「シリアル番号は0222だ。グルなのか。あの女が持ってたんだ」
「なに言ってんだ。あんた頭がおかしいのか」
発車ベルが鳴る。
電車に乗ろうとする森村の胸ぐらを掴んで、男が睨みつけてくる。
「逃げる気か。エコバッグだよ。早く答えろ。お前は仲間なんだろ。どこにやったんだ」
「離せよ」
「森村さん! 電車が出ちゃう」
「わかってる。お前はそこから出るな!」
もみ合いを始めた二人を、美月が不安げに見ている。
発車ベルが止まり、扉が閉まる。騒ぎに気付き駆けつけた駅員が、森村と男を取り押さえた瞬間、美月の乗った電車がホームから離れて行った。