3 塔島正義 / 荒神強(桐山家2F) ※長めです
「ここは綺麗なままですね」
青白い顔をした荒神強がほっとしたように言う。
生成りのカーテンやベージュのシーツなど、全体的にアースカラーで統一された桐山茜の部屋は、シンプルだが高級そうな家具が置かれていた。大人の女性らしい落ち着いた雰囲気が漂っている。
本棚には、ゲーム関連の雑誌や攻略本、ビジネス書やコスプレイヤー向けの月刊誌などが並んでいる。ゴミ箱をあさるとドラッグストアと大型スーパーのレシートが何枚も残されていた。
「トイレ用洗剤と入浴剤をいくつかの店で、一つずつ買ったみたいですが」
荒神が拾い上げたレシートの店舗名をスマートフォンで検索している。
「この周辺のドラッグストアと大型スーパーをまわって、わざわざトイレ洗剤と入浴剤は別の店舗で購入してるようです」
日付は桐山茜が病院から逃亡した翌日のものだ。嫌な予感がした。
「鑑識に、森村有希の自殺現場で使われたトイレ洗剤と入浴剤の製品名を確認してくれ」
荒神はレシートをスマートフォンで撮影しメールで送り、鑑識に電話で確認する。
「どちらも製品名は一致してます」
塔島正義は舌打ちをした。どういうことだ。なぜここで森村有希と繋がるんだ。
たまたまなのか。普段使っている馴染みのメーカーのものを買っただけかもしれない。そうだとしても同じ製品を複数個買う必要なんて普通はないはずだ。
そのとき、携帯が鳴った。見覚えのない番号からだった。
「はい、塔島です」
相手の男は森村信人と名乗った。森村有希の兄だ。
「遺書が偽装かもしれない……ということですか」
編集者だった森村有希が、読点の表記ルールを守っていないから、誰かが遺書を偽装した可能性があるという話だった。
「情報ありがとうございます。また何かありましたらご連絡ください」
ひょっとしたらひょっとするかもしれない。
自殺に見せかけて桐山茜が手を下したというのか。どうやって。わからない。そんなことが可能なのか。あの部屋に事件性はなかったはずだ。
「そういえば、このコスプレ用の衣装が入ってるクローゼットですが、なぜか婦人警官の制服だけがなくなってますね」
クローゼットを漁っていた荒神がこちらを見た。
「は? お前なにを」
「この人、ゲーム開発会社ペンタグラムの美人広報として有名だったんですよ。ほら、これ」
荒神がスマートフォンで検索して、ペンタグラムの公式サイトを見せた。開発ブログの中に、桐山茜が毎月いろいろな衣装を着てゲーム内容を紹介するコーナーがあった。
「まさか、これ全部確認したのか」
「確認というか最終世界シリーズのファンなので、毎月見ていて覚えていたといいますか。ほかの今まで着ていたものは全部ここにあるんですけど。いやー、まさか生で見られるとは思いませんでした。もし塔島さんがいなかったら、写真を撮りまくりたいぐらいです」
塔島は渋みとしょっぱさを同時に味わった瞬間のような、なんとも言えない顔で荒神を見る。
血生臭い現場があれほど嫌いなくせに、必死にここまで乗り切ってきたのはそのためか。
「たまたまクリーニングに出してるだけじゃないのか」
「ないですね。帽子、腕章、警縄、警棒といった小物ごとなくなってます。通常クリーニングに出すだけなら小物は残されているはずです」
無駄に偉そうでムカつくが、荒神にしてはまともなのがくやしい。
だが、桐山茜が婦人警官のコスプレをしていたとなると、森村有希が事情聴取と勘違いして、相手を疑わずに部屋にあげてしまう可能性があるかもしれない。
塔島は嫌な汗をかいていた。
最近、ブログで最終世界シリーズに関する中傷記事を書いていた人物による自殺が何件か続いているが、そういえば被害者宅周辺で婦人警官の目撃証言があったはずだ。まさか、それも桐山茜なのか。
「ノートPCは死んじゃってますね」
机の上に置かれていたノートPCの電源を荒神が入れようとしたが反応がなかった。拭き取られた形跡はあるが、赤紫の液体が乾いたような跡と、瓶が割れたようなガラスの破片がキーボードの隙間に入り込んでいる。
「ジュースか赤ワインか、なにか瓶ごと落としてぶちまけたみたいな感じだな」
部屋全体が綺麗に整理整頓されている様子に比べると、この杜撰な扱いに違和感がある。しかも本棚をよく見てみると、並べられている雑誌の発行月の順番や、シリーズ物の巻数が微妙に入れ替わっていてきちんと揃っていないのも部屋全体のイメージにそぐわない。
まるで一度不注意で落としてしまった本を誰かが慌てて並べ直したような、そんな不自然さがあるように思えるが考え過ぎだろうか。
「でも外付けハードディスクは無事っぽいですよ」
「外付けハードディスク?」
荒神がものすごくバカにしたような目で塔島を見ている。
「この黒いやつがあるじゃないですか。これが外付けハードディスクです」
机の隅に置かれた弁当箱ぐらいの黒い箱を指差す。
「桐山茜が使っていたノートPCのデータが、ここにバックアップされている可能性が高いです。ちょっと待ってくださいね」
荒神は、肩掛け鞄から手際良く自分のノートPCを出して、USBケーブルでつなぎ、バックアップデータをチェックしだした。
「失踪する前にここに来て、PCを立ち上げた時に作られたバックアップデータが最新みたいです。メールのやり取りは、新規にはやってないようですね。一応ブラウザの履歴を見てみます」
履歴一覧には、いくつかのブログのほか、最終世界シリーズに関する検索をしていた形跡が見られる。中には、森村有希が書いた最終世界のレビュー記事も含まれていた。
「最終世界関係のサイトばっかりだな」
荒神が困ったような顔をしてこちらを見る。
「これって、もしかして」
履歴にあったブログを調べてみると、すでに自殺を図って死亡していたブロガーのものも入っていた。
「ここで検索されているブログのうち、まだ生きてるところはどこだ」
「このオールゲーム研究室ってところと、荒ぶ……そ、それだけです。ほかは更新が止まってます。プロバイダにも連絡したほうがよろしいかと」
「わかってる」
なんでゆとりに指示されてんだよと思いつつ、塔島は本部に連絡を入れ、折り返しの返事を待ちながら、ほかの履歴をチェックする。
「おい。この荒ぶるゲーム神の部屋ってブログも、まだ更新されてるんじゃないか」
塔島が指摘すると、荒神の動きが止まった。
「あ、あぁ、ほんとだ、み、見逃してました。僕のほうでプロバイダに連絡しておきます」
こいつはいつもおかしい気もするが、このどもりっぷりと、急激に額に汗をかいている荒神の反応はちょっと異常だ。
「この荒ぶるゲーム神の部屋って、荒……神……って、まさか」
「ち、違いますよ。僕じゃないです、たぶん」
「たぶんってなんだよ。いいか、よく聞け。もし嘘を教えたら罰として、今夜この家のリビングで寝泊まりしてもらうことになるが、それでも否認するのか」
荒神がさらに尋常ではない汗をかき始める。荒神の頭の中で、何かと何かが戦って何かが勝利したようだ。
「す、すみません。嘘をついておりました」
塔島は、頭をぶん殴りたいのを必死にこらえながら、呆れたようにため息をついた。
「あのな、捜査に影響があることで嘘つくとかふざけた真似すんじゃねーよ。ほんとマジで勘弁してくれ。今の状況わかってないのか。お前も狙われる可能性があるってことなんだぞ」
「……はい」
「相手が本当に自殺を偽装してるんだとしたら、今後も硫化水素を使ってくる可能性が高い。どれだけ危険な状態なのか、そんなこともお前はわからないのか。たった一つの情報でも、命に関わるような情報を見落としたら、お前だけじゃなくて、ほかの捜査員だって危険な目に遭う可能性だってあるんだからな。わかってんのか。お前の鈍臭い嘘のせいで、俺はまだ死にたくねーからな」
「すみません。ごめんなさい。申し訳ありません」
「つーか、お前さっき最終世界のファンだって言ってなかったか? どうして批判するようなブログをやってんだよ」
荒神の目が泳いでいる。
「好きすぎて憎さ百倍と申しますか、実は就活で最終世界シリーズを開発しているペンタグラム社に応募しようとしたことがありまして。応募用の企画書を当時つき合っていた彼女に見せましたところ、なんか鼻で笑われて心が折れて応募するのを諦めたのですが、なんとその彼女がですね、僕の企画書をちょっと直したものを応募したら合格したらしくてですね」
興奮した様子で荒神がまくしたてるように話している。
「それからもう、気がついたらこう、ぶつけようのない怒りを叩き付けるようにブログに綴っていたら、そこそこPVを稼ぐようになっちゃいまして、やめるにやめれなくなったといいますか。まぁその、お昼は市民の安全を守る警察官として、夜は最終世界シリーズを叩くブロガーとして、善と悪のバランスを取っていたといいますか」
怒りの沸点を超えた塔島は、もう気兼ねなく荒神の頭部をおもいっきり叩いた。
「あほか。善と悪のバランスを、じゃねーよ。昼も夜もお前は警察官だボケが」
「すみません」
「今すぐブログを閉鎖しろ。今日からしばらく自宅へ帰るな。わかったな」
「わかりました。って、どこで寝れば。ここのリビングは死んでも嫌です」
「知るかボケ。署内で寝てるやつなんていくらでもいるだろ」
「うぅ、わかりました」
荒神がブログを削除しながら、ぼそりと言う。
「僕、ちっちゃい頃に誘拐されたことがあるんです。無事に戻って来ましたけど、そのときの記憶はほとんどなくて。それ以来、いろんなものが異常に怖くなってしまって」
険しい表情をしている荒神を見る。確かに、成人してもこれだけ美形なら、幼少期はそうとう可愛かったに違いない。性根の歪んだ大人が誘拐し、何かされたのならトラウマになったとしても無理はない。
「でもですね、ゲームを初めてやったときに、現実世界では怖いものがゲームの中だとなぜか全然大丈夫で、モンスターでもゾンビでもガンガン倒せちゃったり、ドラゴンにも戦闘機にも自由に乗れて空も飛べちゃいますし、自分には怖い物はないって、自分かっけーってなるのが嬉しかったんです」
荒神は子供のように目を輝かせている。
「ゲームやってるときだけは、この極度の恐がりが大人しくなってくれるんです。ゲームの中では、何にでもなれるし、何でもできるんですよ。死んだって、生き返る。怖いものなんて何もないんです。だから、ゲームやってるときだけが現実逃避できるって感じで」
「現実逃避、ね」
ただのビビリのガチオタ野郎だと思っていたが、それなりにワケありのゆとりだったようだ。
「それで、その恩返しというか、自分もゲームを作る人になって現実世界で辛い思いをしている人に、楽しさとか希望とか与えられたらいいなって思ってゲーム開発者を希望してたんですけど、残念ながら自分ではなく元カノがゲーム開発者になって、まぁダメだったから仕方なく第二志望の刑事になっちゃいましたけど」
塔島が呆れたように荒神を見る。
「刑事ってのは、仕方なくでもサクッとなれるもんだったとは驚きだな」
荒神は真面目な顔で答えた。
「一応、僕を誘拐した犯人がまだ掴まってないので、それを見つけたいって気持ちもありましたし。それにまぁ、頭だけは良かったんで」
「結局、自慢かよ」
「これが自慢に聞こえるということは、塔島さんは頭が悪かったんですか」
「うるせーよ」
人が真面目に話を聞いてやったら、これだ。調子に乗りやがって。塔島は荒神を睨みつけるが、当の本人はいたって真剣な顔をしている。
「もし、ちゃんと応募して落ちたなら、まだ踏ん切りも付いたと思うんですけど、戦わずして葬ってしまった夢というのは、本当にタチが悪いんですよ。ことあるごとに思っちゃうんです。自分が開発していたら、もっと面白く作れるのにみたいな、そういう歪んだ愛情が発酵してどんどん腐っていっちゃうんです」
一昔前なら、荒神の目指していたゲーム業界は水物の世界と言われていて、大学の新卒者を採用するような真っ当な就職先ではなかったはずだ。
それが今では、荒神のような最高学府の卒業生ですら、わざわざ新卒カードを使ってまで就職を希望するような企業に成長しているのだから、時代は変わったということだろう。
「何者かになれる人は、なれなかった人の恨みを買うんです。昔は、何者かになれる人なんて限られているって、誰もがちゃんとわかってましたし、実際に身分がどうとか暗黙の了解とか、チャレンジすることすらできなかったことも多かったはずです」
荒神を見ると、ミサイル発射ボタンを押すぐらいの葛藤をしながら、ブログの記事を削除している。
「けれど、今は、誰もが何をすることも自由で、好きなだけ道は開かれているという状態になってしまった。もちろん表向きはですが。でも実際は、なりたいものになれる人なんて、やっぱり少ないんですよね。なのに、なれる可能性があるのになれてないやつは、努力が足りないだの、本気じゃないだの、そうやってダメな奴って烙印を押されるんです」
若さゆえの気恥ずかしさとまっすぐさが伝わってくる荒神の言葉に、塔島はケツがむず痒くなり居たたまれない気分になりながら答えた。
「まぁ確かに、俺らが子供だった頃は、将来の夢なんて作文に書かされた時に意識するぐらいで、あとは受験戦争全盛期で誰でもかれでも良い学校に入って良い会社に入れってさんざんケツ叩かれてた時代だったからな。夢を叶えるなんて言ってるやつは、むしろ現実を見ろって諭されてたし、青臭いやつだって揶揄されて、レールから外れた少数派だったのにな」
昔はレールに乗るのが王道でそれが当たり前だった。父親と同じ仕事を選んだ塔島も、王道の方に入るのだろうか。
荒神はじっとモニターを眺めている。
「昔だったら、最初から無理だってわかりきってるレベルですら、今は夢を持てとそそのかされて、諦めたら終了ですよって言葉の鎖に足止めされて、いつまでたっても諦める事ができずに、ずるずると叶えられない夢に縛られる羽目になるんです」
インターネットが普及した今では、誰もが全世界に向けて、自分の作った物を公開出来るシステムが浸透している。
それだけではなく、本来なら知ることもなかった情報が誰でも簡単に手に入れることができるせいで、昔なら「知らなかった」「チャンスがなかった」と言い訳できたことも、通用しなくなっている。
「だから、長い夢が終わって、現実に戻った時に、その代償は大きいんです。その怒りをぶつける先は、自分でなく、自分がなれなかった何かになれた人に向いたりしちゃうんです。悲しいかな、それが人間ってやつですよ。夢に挑戦する人が増えるほど、夢に破れる人が増え、叶えられなかった夢に対する怒りをぶつける人が増えるんです。こんなにやたらと誰かを叩くような風潮が助長されてるのもそのせいじゃないかと思ったりしますし」
誰でもできるなら自分もできるはずと勘違いさせることで、競争は激化する。
待っているのは泥試合だとしても、挑戦することを要求される。終わりの見えない不毛な戦いが、関わる人間すべてを不幸にしているのは間違いなかった。
荒神は机を叩いた。
「結局、誰でも夢は叶うなんていう戯れ言はもう嘘っぱちなんだって、誰かが、はっきり言わないと、この悪いスパイラルは延々と続きますよね。でも、そういう夢を追う人を食い物にする商売が金になるし、夢を追う人を安い労働力として買い叩けるほうが都合がいいから、誰も言わないんです。ほんと大人ってやつは腐ってますよ」
塔島はため息をついた。
「そう言うお前も、その腐った大人ってやつに分類されると思うのは気のせいか」
「悪いのは僕じゃない大人です」
「でも、なれなかったクリエイターを妬んで叩くブログを書いてたんなら、十分ダメな大人だろ」
「だ、だから今、全部消してるじゃないですかっ」
荒神が涙目になりながら、最後の記事を削除した。
「そんなことをしてるから、何者にもなれないんだろ。本当にできるやつは、昨日の自分と戦ってるんだ。だから人のことなんて眼中にないし、前に進めるんだろ」
荒神が驚いたような顔をして塔島を見た。
「って昔、親父が言ってたな。未来ある少年を殺した犯罪者だけどな。息子に正義って名前をつけるほど、立派な警察官だったんだよ。人を殺して自殺するまではな」
塔島が苦笑する。
「いくら後で反省して全部消したからって、一度ネットに流れた言葉は拡散されて消えることなんかないのは、お前達みたいな若い世代のほうがわかってるはずじゃないのか。どうして、書き込む前にもっと考えないんだ。少し考えれば、それがやっていいことじゃないってことぐらい、いくらでもわかるだろうに。だいたいなんでもかんでもすぐ泣くなよ。ガキじゃねーんだからよぉ」
「すみません……」
塔島が大きなため息をつくと、荒神がじっとこちらを見ている。
「なんだよ。気持ち悪いな」
「塔島さんも、ときどき苦しんでますよね。過去の記憶がトラウマになっているのなら、僕が見てもらってる精神科医を紹介しましょうか」
空気が読めないくせに勘だけはいいようだ。
「余計なお世話だ。だいたいお前の症状を改善できないようなヤブ医者に誰が見てもらうかよ、あほか」
「すんごい美人ですよ。胸も大きいです。元カノのお姉さんなんですけど」
塔島は苦笑した。やっぱりこいつとの会話は噛み合ない。理由はもちろん、どちらも頭が壊れているからだ。
「美人で胸がデカかったら許されるような残念な医者に金を払うぐらいなら、デリヘルでも頼んだほうがマシだ。それにお前と女の趣味が合うとは死んでも思えないしな」
「塔島さんはデリヘリを頼まないといけないぐらい女性に不自由してるんですか」
「してねーよ。物のたとえだボケ。いちいち冗談を真に受けるな。ほんと面倒くせーなお前は」
塔島はいまいち納得してなさそうな顔をしている荒神を睨みつけた。
今はこんな無様な中年のおっさんになってしまった塔島だが、これでも若い時はそれなりにモテて結婚寸前までいった女もいたのだ。
いざ結婚というときになって、正直に真実を告白したら終わりになった。
妹が殺され、その仕返しに父親が犯人を殺してから自殺をしたという家族の暗い過去があることを告げると、彼女自身は気にしないと言ってくれたが家族の猛反対を受けて、やがて彼女は離れて行った。
それ以来もう誰かと幸せな結婚をし、新たな家族を作る未来は残されていないのだろうなと悟った塔島は、女と本気でつき合うことはなくなった。
街中で同世代の男が家族と幸せそうに歩いているのを見ると時々胸が苦しくなる。もうすでにこの世にはいない家族と、その家族を崩壊させるきっかけをつくった犯人を思い出して、ドス黒い気持ちに支配されそうになる。
そんな気持ちを押し殺して、なにも感じない振りをしてなんとか生きながらえてきたが、最近また症状が悪化していると塔島は感じていた。きっとろくでもない自殺がらみの事件が続いているせいだ。とっとと事件を片付けて、まともな精神状態を取り戻そうと塔島は思いながら、残りの履歴チェックを続ける。
どうやら一番最後に閲覧されたらしき履歴は、最終世界シリーズの匿名掲示板のスレッドのようだ。ネットで桐山茜に対する殺人予告が出るきっかけになった、桐山蒼を擁護するかのような書き込みがあったスレッドだった。
「IDを見る限りは、最初の書き込みはここからしているみたいですね。その後何度もコピペとして繰り返し書き込まれているものは、まったく別の誰かがやったものである可能性が高いですが」
荒神が指差した位置に表示されている、桐山茜が書いたかもしれない書き込みを改めて読んでみる。
「あなたたちは桐山蒼をこきおろしてバカにし、早く死ねと言い続けてきました。あなた方の望み通り、弟は死にましたが満足ですか。よってたかって、一人の人間を叩いて楽しいですか。そんな自己満足なだけの見せかけの正論は、誰を幸せにしますか。誰かをバカにできるほど、あなたは素晴らしい人生を送っている人なのですか。それは会ったことのない人間を罵っても許されるほど、素晴らしい人生なのですか。そんなことが許される人間はどこにもいないと思います」
本人の心から流れる涙や血のようなものが練り込まれていそうな、生々しい言葉に塔島はため息をつく。
たった一日で家族をなくし、犯罪者の遺族となってしまった人間特有の、孤独で追いつめられた心理が読む側の心に突き刺さりなんとも痛々しい。
だが、もし本当に残されたものだからこそ一番やってはいけないことを彼女がやってしまったのだとしたら、こちらは阻止をするまでだ。
「もしかして桐山茜は、弟の敵を討とうとしてたんですかね……」
いろんな意味で虚ろな目をしている荒神がぼそりとつぶやいた。
「かもな。大昔の時代劇じゃあるまいし、今の日本で敵討なんか許されてないんだよ」
だとしても、そんなことは可能なのか。現場検証では明らかに自殺と断定されたものばかりだ。どうやって何人も自殺に追い込むことができたんだ。
塔島は立ち会った現場や、調書で見た情報を必死に思い出していた。
玄関も窓もすべての鍵は施錠されていた。争った形跡もない。合鍵などが持ち出された痕跡もなかった。
完全なる密室だったはずだ。婦人警官の姿で相手を騙し部屋の中に入れたとしても、硫化水素を発生させつつ、自分だけ無事に脱出して鍵もかける方法なんてあるのか。
しかも遺書を偽装したのだとしたら、パソコンをなんらかの方法で犯人が操作する必要もあるのだ。そんなことはどうやったら可能なんだ。いくら考えてもわからない。
それに、もし桐山茜が自殺を偽装していたのだとしたら、これから人を殺しに行こうとする人間が、こんなにあからさまにレシートやウェブの履歴を残しておくだろうか。何かが変な気もする。
その時、携帯の呼び出し音が鳴り、塔島が対応する。
「わかった。一応、救急隊員の手配をしといてくれ。空気呼吸器の用意も頼む。あと消防に連絡と、所轄に周辺地区の避難勧告も頼んでくれ」
電話を切った塔島が振り返ると、荒神がクローゼットのコスプレ衣装をこっそり撮影しているところだった。
塔島が荒神のスマートフォンを取りあげて画面を見ると、ナース服とレースクイーンのコスプレ衣装が写真に収められていた。
塔島は無表情で、該当する写真のすべてを容赦なく消してから返却する。
ぎゃーと荒神が悲鳴をあげた。
「ブログ主の居場所がわかった。荒神、行くぞ」
涙目状態で名残惜しそうにしている荒神をクローゼットから引きはがし、桐山家を出た二人は車に乗り込んだ。