狙われた裸の王様
ようやく家についたころまでに読み終えた原稿はまだ途中だったが、僕は激しく動揺していた。
作中に出てきたブロガーの宮野光雪という名前は、僕の本名と同じだったからだ。
デビュー当時からペンネームしか公表していないし、付き合いの長い編集者しか本名は知らないはずだった。
自分がデビューした当時はまだインターネットはそんなに普及していなかったおかげで、ウェブ上に自分の古い情報はまったく残っていないし、もちろんウィキペディアにも載っていないのに、どうして彼女が知っているんだ。
ふと婦人警官の姿が脳裏に浮かんだ。
そうだ。以前にマンションの住人による迷惑行為を調べているという婦人警官が部屋に来た時に、住所と名前、連絡先を記入した記憶がある。
あの婦人警官がどこかに漏らしたというのだろうか。彼女と知り合いだったというのだろうか。さっぱりわからない。
しかも、それどころか僕は実際に『オールゲーム研究室』というゲームを批判するブログを書いているのだ。
これは誰にも内緒で、編集者にも知らせていない。
ジャンルが違うとは言え、ほかの創作物を叩き潰すようなブログは、さすがにペンネームや本名でやるのはリスキーすぎるからだ。
もちろんそれは建前で、人の物には好き放題に難癖をつけたいくせに、自分が批判にさらされるのは怖いから匿名でやっているだけだった。
自分は見えない安全な場所から、やりたい放題に攻撃する行為が、どれだけ卑怯なのはわかっている。
だが、小説を書く以外は、酒も飲めない、女もいない、ゲームをするぐらいしか趣味のない中年の独身男が、唯一憂さを晴らす手段はそのブログぐらいしかなかったのだ。
もともとはちょっとした出来心だった。
ベストセラー作家とは名ばかりで、本当のところはデビュー作が奇跡的に売れただけで、それ以外の作品は鳴かず飛ばずの状態だった。
一発屋と言われ、同期でデビューした奴や後続の作家にも売り上げ本数を負けまくる日々が続き、そのうちに編集者にも相手にされなくなった。
連載準備用としてこちらから新作の原稿を送っても半年も放置されたり、酷い時は一年以上も返事すらもらえない状態が続き、むしゃくしゃしていたときに遊んだゲームがたまたま最終世界だった。
現実社会でのムカつきを叩き付けるように、匿名掲示板でボロクソに批判をしたところ思った以上の反響があり、なんだか気分が良くなった。
その快感が忘れられなくなってしまった僕はまったく別人の振りをしてブログを立ち上げて、ムカつくことがあるたびにさまざまなゲームを批判するようになった。
だが最近は、ほかにもレビュー王国のような本格的にゲームを批評するブログやサイトが増えてきたせいで、前ほど反響が少なくなりストレス発散が思ったほどできなくなってしまった。
だから今度は同業者の自分より売れている作家の小説をターゲットにして、匿名掲示板や通販サイトのレビューで貶めることで気晴らしをするようになっていたところだった。
そんな惨めなことをしないと精神を保てないほどみっともなく売れない作家が、密かな楽しみを守るために架空の名前でやっていることなのに、どうして彼女が書いた小説の中では本名とひも付けされているのか。
わけがわからない。これを偶然で片付けるのは無理がありすぎる。
さらに、部屋には昨日食べ散らかしたピザの箱が五つ積み上げられている。
無意識に視線を感じて部屋の中を見回す。
カメラなんてどこにもない。
だが、確かに昨日食べたピザは五枚だった。彼女が書いた小説の中の自分が食べていたピザも五枚だった。
そんなことまで偶然の一致ということがあるだろうか。いい知れぬ恐怖を感じる。なにかがおかしい。
必死に気のせいだと思い込もうとした。だが無理だった。
嫌な予感しかしない。
きっと、自分と同じ名前の登場人物が幸せな結末を迎えることはなさそうだ。
けれど、この先がどうなるのか、僕は読み進めないわけにはいかなかった。




