5 森村信人 / 佐倉美月(最寄駅までの道)
森村信人が外に出たときには、夜通し降っていた雨はもう上がっていた。
最寄り駅までゆっくりと歩きながら、雨上がりの澄み切った空気を堪能する。青々とした樹木から滴り落ちる水の粒が朝日に照らされてきらめいていた。
さりげなく手をつないで来た佐倉美月が、体を密着させるようにしながら聞いてくる。
「そういえば、イベントディレクターの薮中さんの連絡先って知ってます?」
「会社ならエクセルでまとめてるやつがあるけど、家にはないな。もしかしたら、E3に出張で行ったときのスケジュールリストに、緊急連絡先みたいなのが書いてあった気がする。それなら家にあるかもしれん。一緒に探してみるよ」
「ほんとですか。よかった」
「薮中になんか用?」
「実はだいぶん前にDVDを貸してたんですけど、まだ返してもらってなくて。急に休みになるなんて思ってなかったし、本当は友達に借りたやつだから、さすがにこのままうやむやになっちゃうとアレかなと思って」
美月はいたずらっぽく苦笑する。
「確かにそれはアレすぎるな。でも相手が悪い。薮中はバミューダトライアングルだからな」
「なんですかそれ」
「なぜかあいつに貸したものは戻ってこない。気がつくと貸してなかったことにされたり、催促するほうがうざいみたいな状況に追い込まれてうやむやにされることが多発する謎の領域なんだよ」
借りたものを返さないだけではなく薮中真理子は、会議などで人のアイデアを巧みにパクる能力にも長けていた。
経験の浅かった薮中がイベントディレクターに抜擢されたときは、やっかみ半分にディレクターの桐山蒼やプロデューサーあたりに枕営業で取り入ったからではないかと揶揄されたこともあったが、実際はそれよりも人のアイデアや手柄を上手に自分の成果であるかのように、プロデューサーをはじめとする上層部に吹聴していたからという線の方が濃厚だった。
ゲーム開発者にありがちなコミュ障の男どもは、見た目が良い上に口もうまい薮中にイチコロだった。いわゆるオタサーの姫みたいなものだ。しかも笑顔で近づいてきて相手を虚言癖で陥れるようなメンヘラ系の素質まで持ち合わせているのだからタチが悪い。
彼女の言うことはなんでも正しいという暗黙の了解がまかり通り、むしろアイデアを盗まれたと被害を訴えた被害者のほうが、性格が悪いだの人の悪口を言う最低の人間だのという噂を広められ、窮地に立たされて辞めて行った者すらいた。
森村自身もプランナーとしての気持ちを捨てられなかった初期の頃は、会議でいつもアイデアを出していたものだが、のちのち必ずといっていいほど自分の出した案がいつのまにか薮中が提案したことになっていることが続き、それ以来、彼女が同席する会議ではアイデアを出すのを自粛するようになったぐらいだ。
そういえばいつも笑顔で感情豊かなイメージの薮中だが、恋人を失ったというのに会社では涙一つすら流していなかったなと今頃になって気付く。
それぐらい神経の図太い女でなければのし上がれないということだろうか。
「そもそもお前さ、人に借りたものを又貸しすんなよ」
「だってすんごい面白かったんですよ。それを薮中さんに話したら、どうしても見たいって言うから、つい貸しちゃったんですよ。不可抗力です」
人を思い通りに操ることに長けているあの薮中に向かって、美月が勢いとノリだけで面白さを布教している姿を想像すると、なかなか微笑ましいものがある。
「まぁ自分の好きなものをいろんな人に純粋な気持ちで広められるのも、それはそれで一つの才能かもしれないな。もしかしたら佐倉は、編集みたいな仕事のほうが向いてるかもしれない。妹もそういうのが得意だったから」
「そうなんですか」
美月の顔がパッと明るくなる。
「実はさ、妹の夢はゲーム開発者になることだったんだ。でも応募したところを全部落ちた後、自分には向いてないって悟ったらしい。自分はゼロを1にする創造者のタイプじゃなくて、誰かが作り上げた物をいろんな人に広く伝えることが得意なタイプなんだって気付いてからは、ゲームサイトの編集者を目指すことにしたんだそうだ」
美月が繋いでいる手をぎゅっと握ってきた。自分が夢を諦めたときのことを思い出したのだろうか。
「一度、ダメになっても別の道を模索したから、あいつは天職にたどり着いたんだと思う。お前もプランナーが向いてないって思うなら、いくらでもやりなおせばいいんだよ。若くない俺だって、この機会にチャレンジしてみるつもりだけどな」
「じゃあ、再就職はどっちが先か競争ですね。負けませんよ」
「そんな台詞は十年早いんだよ」
森村が笑いながら空を見上げると、いつの間にか虹が出ていた。




