2 森村信人 / 佐倉美月(ペンタグラム〜最寄駅) ※長めです
森村信人は人がまばらになった会社のフロアで、最終世界Dの最新バージョンが焼かれた白いCDーROMを見つめていた。
長々と続いていた上層部の話し合いがようやく終わり、ついに本日付けで最終世界Dのお蔵入りが正式に決定したと発表されたところだった。販売を担うパブリッシャーが発売しないと決めた以上、雇われているだけのデベロッパーにはどうしようもないという判断だったようだ。
今から三年前に、最終世界シリーズの最新作として「何を残して何を新しくするべきなのか」という根本的なアイデア出しから始まった日々は、全部無駄になってしまったようだ。
もちろんゲームは一人で作る物ではない。
とてつもない人数による労力と時間がかかっている。
このROMに詰まったプログラムも、シナリオも、イベントも、マップも、バトルも、テクスチャーも、エフェクトも、SEも、BGMも何もかも、これまでやってきたことがすべてなかったことにされるのは、やっぱりキツい。
モニターには、森村が製作中に一番苦労したダンジョンのテストマップが表示されている。属性に反応してリアルタイムにマップの姿が変化していく通称「生きる森」と呼ばれていたマップだ。
属性を使ったギミックはよくあるが、この「生きる森」ではプレイヤーが装備しているアイテムが勝手にマップのさまざまな物に反応して、自分が移動したり近づいたりすることによりマップに影響を与えているとリアルタイムに実感できるような見せ方をしているところが大きな特徴だった。
例えば、炎属性のアイテムを持って移動すれば、プレイヤーの周辺だけ暗闇が炎で照らされ、太いイバラが燃えはじめ、氷を溶かしていく。
水属性なら、枯れていた川に水が流れ、草木が育ちツタができるといった感じで、それらの反応を利用してギミックを動かし、ダンジョンをクリアする仕掛けになっていた。
属性に対するさまざまな反応は、ギミックが隠されている場所にプレイヤーが近づけば近づくほど、早回しのアニメーションのように属性現象が完成していき、逆に離れれば離れるほど、アニメーションが逆回しするかのように、その現象は無くなっていく仕組みとなっていて、幻想的な雰囲気をプレイヤーに与えるように工夫されていた。
これを滑らかに表現するタイミングと、画面に同時に描写できるポリゴン数やテクスチャーのデータ容量や処理速度の負荷との兼ね合いの落としどころにずいぶん苦労していた。
最近やっと、動かしているだけで心地よいと思えるレベルまで持っていけたところだった。
きちんと完成していれば、プレイヤーがゲームの世界にリアルタイムに影響を与えていると実感できるような、ゲームならではの醍醐味が表現できるマップになるはずだったが、どうやら日の目を見ることなく、この森は死んでしまうようだ。
人は死ぬとお墓に入れられるが、死んでしまったゲームはどこに埋めればいいのだろうか。
「まだ帰らないんですか。もうすぐ終電行っちゃいますよ」
いつのまにか佐倉美月が背後に立っていた。
「今帰ろうとしてたんだよ」
「なんですかその、夏休み最終日に宿題やってない小学生みたいな言い方」
「うるせーな」
森村は一回りも年の違う新人に馴れ馴れしい口を聞かれることにイラッとしつつ、PCとモニターの電源を落とすと、たいして何も入っていないデイパックを持って席を立った。
フロアを出るとなぜか美月もついてくる。
この手の微妙に仲がよろしくない相手と、微妙に遠い最寄り駅まで一緒になるというのは、なかなかな拷問タイムだ。雑談するほど話したい事もないが、黙っているのも気まずい。
エレベーターを無言でやり過ごし、ビルを出たところで沈黙に耐えられなくなったのか、相手から話を振ってきた。
「森村さんは、どこに転職するか決まってるんですか」
「いや、まだ全然」
開発中のゲームのお蔵入りが決定したとはいえ、まだ会社が潰れると決まったわけではないのに、同僚達による「いかに泥船からうまく逃げ出すか」を競い合うチキンレースはもう始まっているようだ。
噂では、すでに面接までこぎ着けているやつもいるらしい。
「次もコンシューマー畑なんですか」
コンシューマーというのは、通常なら消費者を意味するが、ゲーム業界ではいわゆる昔からあるような家庭用ゲーム専用機向けに作られるゲームを指す。
数年前からことあるごとに終わったと揶揄されがちな分野でもある。もちろん実際に何千億という規模のある産業がそんなに簡単に終わったりはしないが、最近ではスマートフォン向けのアプリに売り上げも勢いも完全に押されている状態なのは確かだった。
「まぁ、今までコンシューマー向けしか作ってこなかったからな。いまさらスマホのソーシャル系アプリとかは、できればあんまりやりたくないんだよな」
「昔からうちにいる人って、みんなそう言いますよね。でもそれ以外ってなると、結構選択肢が狭まりそうですけど」
「だからこの先の人生が詰んでいる予感しかしないっていうね」
森村は苦笑いしながら、ふと考えた。
自分と同期や、それ以前に入社した開発者のうち、いったい何人が残っているだろうか。
デスマーチに心が折れて休職したまま辞めた奴、ゲーム業界特有の局地的なバブル需要で引き抜かれて他社へ行った者もいれば、独立すると辞めたものの音沙汰を聞かない奴や、プロデューサーやディレクターとそりが合わずブチ切れて退職していった者もいた。
残っているのは半分、いやもっと少ないかもしれない。中にはスマートフォンアプリの開発会社に行った者もいたはずだ。
「やっぱ課金詐欺はできれば関わりたくないんだよな。パッケージソフトだと最初にお金を出したら、それで全部遊べただろ」
「そうですね」
「なのにソーシャル系アプリは最初は無料と謳っておいて、いざやってみたら課金課金課金って、金をかけないやつは負け試合をさせられて、すべてを楽しめないような仕組みを、さも当然のようにばらまいてさ。最終的に射幸心をあおりまくって金を巻き上げるっていう、姑息なやり口が気に食わない」
「でもそれってゲームだけじゃなくて、流行りのフリーミアムっていうビジネスモデルだから、どうしょうもないんじゃないですか」
美月は、なかなか痛いところをついてくる。
「そういう流れなのは頭ではわかってる。でも、どうしても俺たちみたいな世代からすると、胡散臭いって気持ちが拭えないんだよ。理屈ではどうしようもない」
「森村さんってプログラマーだから、そういう新しい仕組みにも結構ドライに対応するのかと思ってましたけど、案外変化を嫌う昔気質な職人さんみたいなタイプなんですね」
美月がクスっと笑う。
そんなつもりはないだろうがバカにされたような気がして森村は少しイラッとした。
「別にプログラマーをやってようが、何からなにまで論理的に考えるわけでもない。それに新しいビジネスモデルだからって何をやってもいいわけじゃないと思うしな。表向きは客のためみたいな綺麗ごと言いながら、最終的に客から金を巻き上げて、結局裏で手を引いてる奴が一番儲かるっていうやり方が気持ち悪いだけだ」
ゲームの世界だけじゃない。音楽や漫画、映画やアニメといったありとあらゆるコンテンツがデスゲームに放り込まれている。
誰にも止められない。気がついたときには、すべてがそうなっていただけだ。
「いずれ限界がきて、また別の嫌な商売の仕方が出てくるのかもしれないけど。少なくとも本来お金を払うべきものを一度タダでいいと客に思わせたせいで、昔だったら普通にお金を使っていたはずの人が金を払うことを躊躇するっていう、当たり前の弊害が出てるわけだしな」
美月は首をかしげる。
「でもソーシャル系アプリじゃなくても、コンシューマーでも、最近はダウンロードコンテンツでお金稼ぎしてるところが多いと思いますし、似たような流れになってるような」
「あれも本当はよろしくはないとは思うよ。ゲームソフト自体が売れないからって、おまけだの期間限定特典だの、後だしジャンケンみたいなのは。少しでも多く金を回収したいのはわかるけど、遊ぶ側からしてみれば全部最初から入れとけよって内容ばっかりだし。しかもすぐに廉価版だHD版だ完全版だって焼き増しをして、しょっぱい小遣い稼ぎまでしてさ。そんなことしたら、そりゃみんな発売日になんか買わねーよ。どうせ後でもっと安くていいのが出るんだろってなるし」
「それすっごいわかります。自分が買った直後に完全版とかが出ると、マジ超絶萎えますよね」
美月は無邪気に笑った。
「嘘をついて金をせしめたり売り逃げで小銭をかせいだりしてるほうが局地的に金は儲けられるけど、やってることは焼き畑農業だからな。自分で自分の首をしめていることには気付いているはずなのに、もう誰も止められないみたいな異常な状態だよ。昔みたいに普通に発売するだけでそこそこ売れた時代とは違うから、仕方ない面もあるけど、さすがにやり過ぎだろ。真摯で真っ当な商売をするところほど馬鹿を見る状態はどうかしてる」
「昔はコンシューマーでも何百万本売れたっていっぱいあったのに、最近はよっぽどビッグタイトルかシリーズもの以外では滅多に聞かないですよね。ソーシャルのトップは、しょっちゅう何百万、何千万ダウンロード達成とかゲームサイトのニュースで出るのに。そのたびに桁が違いすぎて、うわーってなります」
確かに、コンシューマーに比べるとかなり小規模で開発されていそうなアプリですら、何百万という数字を軽々と達成する様は、ファミコン時代やCDーROM系の次世代機が出始めた時代を彷彿とさせる。
「中には実際に遊んでいる人数よりリセットマラソンでダウンロード数が何倍もかさ増しされてるやつもあって、数字を鵜呑みにはできないんだけどな。それでもソーシャル系のほうがコンシューマー関連に比べれば業績が右肩上がりなのは間違いない」
森村自身、ずっとコンシューマー業界で仕事をしてきて、明らかに勢いを失いつつある現場を目の前で見続けているのは悔しくもあり情けなくもあった。なにをやってもうまくいきそうな隣の芝生が眩しいと思う気持ちもなくはない。
だが、そんなイケイケな状態が永遠に続くわけでもなさそうだ。ここ数年でスマートフォン自体のスペックが高性能になって、ゲームのグラフィックスは飛躍的に豪華になり開発費も高騰し、作れば売れた時代は終わってしまった。
流行作品とのコラボや有名クリエイターを起用するなどウリがなければユーザーに振り向いてすらもらえないほどに、アプリ界隈もすでにレッドオーシャン化しているようだ。ある意味コンシューマー業界が歩んで来た道を、時間差でたどっているだけなのかもしれない。
「普通の人はみんな騙される。金がかかるより無料のほうがいいし、数が多いほうが人気があると思うわけで。イメージ戦略はソーシャル系のほうが何枚も上手だったってことだ」
「たった数年のうちに、いつの間にか形成が逆転してましたもんね」
美月の逆転という表現を聞いて、森村は自虐的に笑うしかなかった。
「もしソーシャル系の開発会社に就職しとけば、今頃ウハウハだったのかなーとかちょっと思っちゃいます」
「今まさに沈もうとしている泥船に比べたらウハウハだろうな」
あまりに不毛な会話に、森村は乾いた笑いを返すしかなかった。
「俺たちみたいなコンシューマーゲームの開発者がバンバン売れるものを作れなくなったのが一番悪いんだとは思うけど、とりあえず作るだけ作って市場の反応を見て直しながら運営していくソーシャルゲームに比べたら、完成させるまでに時間がかかるコンシューマはフットワークも悪いし、年々予算も出なくなってるしなぁ」
「広報の茜さんも、広告費を削られてゲームショウとかの展示物の規模や質を落とさないといけないみたいに嘆いてましたね」
森村は、独り言のようにぼそりと言う。
「最近は何を作っても、すぐにネットやSNSで叩かれるからキツいし、モチベーションもダダ下がりで、よけいに開発に時間がかかってる気もする。こっちが何年もかけて必死に作ったものでも、たった一つでも気にいらない要素があったらクソだカスだとこき下ろすユーザーがこれだけ多いと、いったい俺らは誰のために作ってるんだろうなとは思うよ」
森村はため息をついた。真面目なやつほど心が折れて、業界を去って行く。
よっぽど自分に絶対の自信があるやつか、人の意見なんて耳を貸さない傲慢なやつぐらいしか、残っていないのではないだろうか。
普通の神経をしていたら、とてもじゃないけどやっていけない。創作に向いている繊細な人間ほどダメージを受けて離れて行くのだ。
あの開発内部の声をまともに聞かない自己中ディレクターの桐山蒼ですら、追い込まれてあのザマだ。
むしろ口頭でやり取りする言葉よりも、ウェブを介して見えない場所から無差別に放たれる言葉のほうが、心に対する破壊力が大きかったということなのだろうか。
見えない敵というのは戦いようがないし、延々と倒せない敵に狙われることからくるストレスは、目の前にいる敵より厄介なのかもしれない。
「ユーザーは新しいものを出せという割に、シリーズものしかみんな買わないし、新作で珍しくユーザーの評判が良くても実際はあんまり売れてないとかザラだしな。売ってるほうも詐欺師なら、買ってるほうも嘘つきなんだ。誰が得をするんだこんな業界って状態がどんどん酷くなっていく一方だろ」
「ほんと不思議ですよね」
横断歩道の前で足を止める。信号が青になるまでの間、またしばらく沈黙が訪れた。ようやく歩き出したとき美月が言った。
「だいたいなんであんなにみんな、鬼の首を取ったように批判ばっかりするんですかね」
「売れてる物や有名な物を否定する俺かっけーって中二病にかかってるか、実生活で溜まってる鬱憤をはらすためにガス抜きに利用してるってだけなんじゃないか」
気持ちはわかるが昔なら飲み屋の愚痴ですんでいるレベルのことが全世界に配信されてしまうことが異常なのだ。
「本人はただの暇つぶしのつもりで書き込んだ文句だったとしても、一瞬で世界に向かって拡散される時代だしな。中にはきちんとゲームのことを考えてまともに批判しているやつもいるんだろうけど、だいたいがクソだの駄作だのバカの一つ覚えみたいに、ただ自分が気に入らないからムカついたから叩くっていう便所の落書きレベルのもののほうが数も多いし、声もデカいから目立つんだよな」
どんなものでも叩かずにはいられない人達は気がついていないのかもしれない。文句を言えば言うほど、本当は世の中に出るはずだった作品や、それを作るはずだった作り手の未来をその手で握りつぶしている可能性があることを。
「ユーザーだけじゃなく、ゲームメディアや、アフィリブロガーだ、まとめサイトだって、ウェブの世界ではあることないこと派手に書いて、見出しと中身が違うような適当な記事ですら、PVさえ稼げれば美味しい思いをするわけだし。何十人、何百人が協力して、何年もかけて作った作品が、たった数文字で全否定とかされたら、そりゃ、やってらんねーってなるさ」
叩くために待ち構えている相手に向かって、物作りをするというしんどさは、実際に物を作った人間にしかわからないのかもしれない。
だからこそ最近の風潮とも言える「金さえ払えばいくらでも叩くのは当然の権利」と思っているらしい正論を振りかざす人たちと、物を作って発信するいわゆる叩かれる側の人たちの、それぞれの思いや気持ちが相容れることは永遠にないのだろう。
もちろん物を作る側は批判されても仕方がない立場なのはみんな理解している。創作物とはそういうものだからだ。
だが物には限度というものがある。今の世の中で流行っているような、言葉で誰かを袋叩きにするような行為は、評価や批判という上品なものではない。限度を超えた怨念のような別の何かだ。
「だからうちのディレクターみたいなブチ切れた人に、あんな仕返しされちゃったんですかね」
「かもな」
仕返し、か。森村は苦々しい顔をした。
確かに大人のやることではないが、無責任に叩くような酷い記事やネットの書き込みに、森村自身も腹立たしい思いをしたことがあるので、その気持ち自体はわからないでもない。
だからと言って、まともな人間は無差別に人を斬ったりはしない。
「殺された人は可哀想だと思いますけど、調子に乗って好き放題書いてた人たちも、少しは自粛してくれたら良いのに」
「無理だろうな。どうせみんな自分は関係ないって思ってる。自分以外の人間が世の中にはいっぱいいるんだっていう当たり前のことすらわかってないやつばっかりだ。そんなやつらが簡単に言葉を発信できる時代だから、トラブルだって増え続けるだけだしな。自分が発した言葉がどこかの誰かを傷つける可能性があるってことを、わかってるやつばっかりだったら、こんな世の中にはなってない」
森村が見上げた夜空には、どこまでもついてくる満月が浮かんでいる。
原始時代のような大昔の人間なら、月がずっとついてくるという当たり前のことですら驚いたり、寝転んで星を見るだけで地球が動いていることを実感し感動したりしたのだろうか。
今の人々は刺激に飽きすぎている。
いつまでも満たされない刺激を求めて、いつも苛立っているのだ。
小さな刺激で満足し、どんな些細なことにでも驚き感動できた人たちは、どこに行ってしまったのだろうと、森村は考えるがうまく答えが見つからなかった。
森村の若い頃はゲームを発売日に買って、家に帰るまで待ちきれずに目をキラキラさせながらパッケージを開けて、説明書を読んでしまうようなガキだった。
自分が動かすキャラが、テレビの中で自分の思い通りに動くだけでも楽しくて仕方がなかった。
その頃の自分のような、純粋にゲームが大好きで大好きで仕方がないような、そんな客はまだどこかにいるのだろうか。それともみんなどこかに消えてしまったのだろうか。
むしろそんな風に、客をワクワクさせられるゲームを作れるやつが、もうどこにもいなくなってしまったということなのだろうか。
正直なところ、今の自分には、もうそんなゲームは作る力はないのではないかと森村は思えて仕方がなかった。
このままゲームは緩やかな惰性と繋がりだけを楽しむものや、金儲けの道具としてしか必要とされなくなってしまうのだろうか。時代の流れにはあらがえないのだろうか。
けれど、ゲームが嘘や詐欺の道具にされるのは、もううんざりだった。
遊んでいてワクワクして終わってしまうのがもったいないような、そんな面白いゲームを作りたくてこの業界に入ったはずだった。諦めたくはない。
だが森村自身に作れるはずだと言いきれるほどの自信もなかった。
「なあ、そもそも佐倉はなんでゲーム会社に入ろうと思ったの」
森村は、少し遅れ気味に歩いていた美月に問いかけた。
「実は、ずっと秘密にしてたんですけど、女子アナとマスコミと全部落ちちゃって、就職浪人しようとしたら、両親に留年するなら仕送りなしって言われたから仕方なくなんです。まだ募集してるところを探してたら、たまたま元彼がうちの会社受けるって言ってて、企画書を見せてもらったら、こんなんでいいなら楽勝じゃーんって思って、ちょっとだけ中身変更して似たような企画書で応募したら、なぜか受かっちゃって」
顔にてへぺろと書かれているような、いかにも私って可愛いでしょという笑顔がムカつく。
どうやらゲーム開発者になるつもりは、これっぽっちもなかったようだ。どうりで、あれだけミスを繰り返しても反省も学習もしないわけだ。
「マジな話だとしたら、お前はほんとにどうしようもないクズだな」
「えーひどーい。森村さんだけに本当のことを正直に言ったのに。ってゆーか、パクり企画書なのに見抜けずに採用しちゃったほうが悪いんじゃないですか」
「んなもん、素人同士でパクり合った企画書を見抜けなんて言われても、そんな裏事情がわかるわけがねーだろ。あほか」
「そりゃそうですけど……でも面接とかするわけですし」
「面接ねぇ。そんな二、三回会っただけの人間のセンスや才能を完璧に見抜けるような奴がいたら、ぜひお目にかかりたいもんだけどな。むしろ聞きたいよ。お前は二十数年生きてきて、たった二、三回会話しただけで見抜かれる程度の人生しか歩んでねーのかってな」
「それは……その……」
美月は口をつぐんだ。
「こういう特殊な能力が必要な仕事を、見た目や学歴、面接の受け答えや本人が作ったかどうかも怪しい提出物だけで選考する方がそもそも間違ってるのに、それが偉い人にはわからねーんだよな。会社がそこそこ有名になると、お前みたいな本来希望もしてなかったくせに就職したいがためにとりあえず応募してくるような奴が増えるわけでさ」
森村が就職したときには考えられないぐらいの高学歴な学生が応募してくることも増えた。ほかの業界に比べて実力主義な部分はあるとはいえ、まだ何者にもなっていない学生の能力を測ることは難しい。結局は外から見えやすい指針が幅をきかせるようになってきていた。
「本当にゲームを作りたいって学生より、人事に受けがいいエントリーシートが書けるようないかにもリア充っぽい奴を採用しやがるから笑えない。実は口が達者なだけで中身が空っぽなやつを、コミュニケーション能力が高いって評価して大喜びで採用しやがる。おかげでゲームに対する愛情も信念もないような、自分で考えることも創意工夫すらできないようなやつばっかりがどんどん増えて、現場が無茶苦茶になってるってのにな。ほんとマジで勘弁してほしい」
「なんですかそれ。まるで私のせいで無茶苦茶みたいな言い方」
森村は、鼻で笑った。
「お前みたいなタイプは、現場を荒らしてる自覚すらないんだな。空気を読むことだけは得意だけど、向上心もなく、努力もせず、何度も同じようなバグを出して、そのたびに人に頼って尻拭いをしてもらって迷惑をかけまくってんのに」
美月がこれまでに何度となく生み出したバグのことを思い出して、森村は無性にイライラしていた。
「ゲームを楽しくするようなアイデアや改善案なんか一つも出したこともないくせに、人の出した案で作業量が増えたら、文句ばっかり言ってるような奴が、現場に貢献してるとでも思ってたのか。ほんと終わってるな。お前みたいな見かけ倒しのクズばっか採用するから、ゲーム業界終わってるって言われるんだよ。うちの会社自体が今まさに終わってるんだから、もうどうでもいいけどな」
こんなやつ相手に、真面目にゲーム業界の未来なんて語った自分が馬鹿だった。やっぱり気の会わない人間と雑談なんてするもんじゃない。
「でも、目下の人間を平気でクズっていう人も、結構終わってると思いますよ」
そう言った美月の目は笑ってなかった。唇が震えている。もしかしたら涙をこらえていたのかもしれない。
「かもな。口の聞き方もなってないクズな人間ですまないな」
森村は、自分が十歳以上も年下の相手に、八つ当たりをしていることに気付いていた。ガキ相手にみっともないのはわかっていたが、苛立ちを抑えることはできなかった。
「ずっと森村さんのこと尊敬してたのに、ガッカリです」
森村は、苦笑した。
こういう相手に対する好意的な気持ちと否定的な気持ちをセットにして、本人を前にして平気で言える人間は、たいがい傲慢だ。
自分が尊敬してやってるのに、失望させるなという上から目線の思考が丸見えだからだ。そう伝えれば相手を操作できると信じている。
評価はしているけれど満足してないから、今後はこちらの望むように行動しろと暗に要求する手口は、詐欺師やブラック企業のやり口と一緒だ。それをナチュラルに実行できる人間にろくな奴はいない。
「悪かったな。俺は別に尊敬されるような人間じゃないから、いくらでもガッカリしてくれ」
駅に入ろうとしたとき、電話がかかってきた。
「じゃあ、お疲れ」
森村は、まだ何か言いたげな美月に別れを告げて、スマートフォンをデイパックから取り出した。
明日から、今後の会社全体の方針がきちんと決定するまで自宅待機をすることになっている。しばらく会う事もないだろう。やっと地獄の雑談タイムが終わったと森村は心の中で感謝しながら電話に出る。
「森村さんでしょうか。警察の者ですが。森村有希さんの件でお話があります」
「妹が……なにか」
「ご自宅で遺体が発見されましたので、ご親族の方に確認をお願いしたいのですが、お時間よろしいでしょうか」
まったくよろしくなかったが、はいと答えながら来た道とは逆の大通りに向かって歩き出す。
タクシーを探しつつ、さきほど聞いた住所を頭の中で忘れないように念仏のように唱える。そうでもしていないと意味不明な言葉を今にも口走ってしまいそうだった。