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言葉が人を殺した日は、綺麗な夕焼け空だった  作者: 白野こねこ
【裁かれる人々】中編A 記憶の中の優しい人々
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5 陰山彩花の両親(陰山家)

「わざわざ来ていただいても、今は家内がちょっと……まだ調子が悪い状態でして」

 陰山彩花の父親は、玄関先で何度も頭を下げる森村有希のことを困ったような顔で見つめていた。


 確かに葬式と通夜に来られなかった人が、直接家に訪問したいと言っていたと数日前に人づてに頼まれて承諾したような気もするが、娘の死後いろんなことがたたみ掛けるように起こり、疲弊していた状態で記憶が混乱していた。

 今日が何日だったかすらもうわからなくなっているのだから無理もない。


 玄関に立っている有希の額には大粒の汗が浮かんでいた。

 最寄駅から坂の上にあるこの家まで、真夏に黒いスーツを来たまま歩いて来たせいだろう。


 いつもならすぐに居間に案内して冷たい麦茶でも出すところだが、いつもその役割を果たしている妻が心労で寝込んでいて、とてもそんなことができる状態ではなかった。


「ご自宅にまで押し掛けて申し訳ありません。せめてお焼香だけでも……」

 有希が深く頭を下げたとき、玄関の奥から何かが飛んで来た。


「あんたのせいで彩花は死んだのに。どの面さげて来てるのよ!」

 陰山彩花の母親が、これ以上ないというほどの憎しみに満ちた顔で睨んでいた。


 二階の寝室で寝ていたはずの母親が、いつの間にか起き出して寝間着姿のまま髪の毛を振り乱し、廊下の脇に積まれていた新聞や雑誌を次々と有希に向かって投げつけたのだ。


「やめなさい」

 父親が錯乱している母親を止めようと抱きかかえる。


「なんであんたが生きてるのよ。責任とってあんたが死になさいよっ!」

 投げつけられた雑誌が有希の顔をかすめ切り傷を作った。うっすらと血がにじんでいる。


「こんな状態では……すみませんが今日は帰ってもらえませんか」

 母親を押さえきれない父親が懇願する。


「すみません……本当にすみません」

 何度も有希は頭を下げる。


「……お願いだから……もう帰ってください!」

 父親の目は真っ赤だった。


「本当に申し訳ありませんでした」

 有希は菓子折りと花束が入った袋を玄関の棚に置いて、深々と礼をした後その場を立ち去った。


 開いた扉の風圧が新しい空気を呼び込み、漂っていた線香の臭いをかき乱す。

 だが、娘の彩花が死んでからずっと、この家にこびりつくぐらいに充満していたその臭いは、微かな風だけでは消えてくれそうになかった。


 扉が閉まると、母親はその場にしゃがみ込み泣き出した。


「どうして彩花が……なんであの子の身代わりにならなきゃいけないの。彩花が何をしたというの。何もしてないのに、どうして死ななきゃいけないの」


 父親はただただ何も言わずに母親を抱きしめる。


「だから反対したのに。転職なんてしなければ、こんなことにならなかった」


 彩花がソロモン出版に転職したのは、森村有希というレビュアーが書く記事が好きだったからと以前言っていたことを父親は思い出していた。


 元々新卒で大手出版社に入社したものの編集者としての仕事ではなく、ただのアルバイトのような雑務ばかりしかやらせてもらえない日々に不満をもらしていた彩花は、新人でもすぐに記事を書かせてもらえるという編集者募集の求人情報を見つけて、ソロモン出版に転職すると言い出したのだ。


 それを聞いた母親は反対していた。せっかく大手出版社に就職したのだから続けなさいと諭した。

 だが、父親は自分が昔ライターになる夢を親に猛反対されて諦め、堅実な銀行員になったことを密かに後悔していたこともあり、「本当にやってみたいなら挑戦してみなさい」と助け舟を出してしまった。


 もしあの時、子供の夢を握りつぶす悪い父親として、母親と一緒に彩花の転職を反対していたら、こんなことにはならなかったのだろうか。


 今も一緒にご飯でも食べながら、テレビから流れてくるニュースを見て「酷い事件だね」と顔をしかめるだけですんでいたのだろうか。

 そう考えた瞬間、二度と戻ってこない娘の笑顔が心に突き刺さり、父親の目から涙がこぼれ落ちた。


 娘と最後に交わした会話が頭をよぎる。休日だというのに急に出かけることになった理由を聞いたら彼女はこう答えた。


「有希さんの頼みだから仕方ないよ。ずっとお世話になりっぱなしだから、たまには恩返ししないと」


 そう言って笑った彩花は、そのまま帰ってこなかった。

 森村有希に憧れて転職し、彼女の頼みを聞いたがために娘の彩花は殺された。


 もちろん彩花を殺したのは桐山蒼という男だ。彼女を恨むのはお門違いだ。

 だが、彼女がいなければ、彩花が死ぬこともなかったのではないかと考えてしまう。

 本当に恨みたい相手が死んでしまった今、娘の代わりに生きながらえた彼女を恨むなというほうが無理な話だった。


 ならば、本当に森村有希が死ねば満足するのだろうか。

 そんなことをしても彩花が戻ってくることはない。結局は堂々巡りをするだけだ。


 だからこそきっと、この痛みは永遠に癒されることなどないのかもしれない。






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