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言葉が人を殺した日は、綺麗な夕焼け空だった  作者: 白野こねこ
【裁かれる人々】中編A 記憶の中の優しい人々
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1 森村有希(老人ホーム)

 森村有希は、田舎には不釣り合いなくらいやけに立派な老人ホームを訪れていた。

 何度もフロアを間違えながらも、ようやく目的の部屋にたどり着くと、母はベッドで眠っていた。


「娘さんがいらしてますよ」

 ヘルパーが声をかけると、母がうっすらと目を開けて有希を見る。なんだか機嫌が悪そうだ。


「先週来れなくてごめんね。しばらく盲腸で入院してたんだ」

 有希が差し出したお土産の箱を、ヘルパーが受け取る前に母が強引に奪い取った。


 紙の包装紙をビリビリと破り捨て、箱を乱暴に開ける。中のきんつばを食べようとするが、透明のセロファンが付いたままで食べられずに癇癪を起こしている。


 ヘルパーが慌ててセロファンを取って母に渡すと、無表情で食べ始めた。

 まるで子供のように、ぼろぼろとこぼす。食べかけのものがあるにも関わらず違うきんつばを食べようとするので、有希が止めた。


「そんなに急いで食べなくても、誰も取らないから」


 母は娘を睨みつけ、手を払う。

「いちいちうるさいね。あんた誰ね」


 食べかけのきんつばが床に転がり落ちる。有希は、それを拾いながら、下を向くと涙がこぼれ落ちそうになるのを必死にこらえていた。


 母はアルツハイマー病だった。


 父が癌で亡くなってから、母は田舎で一人暮らしをしていたが、電話での受け答えがちょっとおかしいなとは感じつつ、仕事の忙しさにかまけて見て見ぬ振りをした結果がこれだった。


 徘徊中に階段から転落し、骨折で入院したときにアルツハイマー病だと診断されたが、すでに手遅れだった。

 ほぼ寝たきりの状態になってから、進行は思いのほか早く、しばらく前から娘の顔もわからなくなっているようだ。


「今日は、ちょっとご機嫌ななめみたいですね」


 ヘルパーが気を使って明るい調子で母に話しかけてくれるが、それがまた地味にこたえる。

 実の親に手を払われ見知らぬ人のように扱われる瞬間の、心に突き刺さるような痛みはいつまで経っても慣れそうにない。


「また来ます。母をよろしくお願いします」


 有希は部屋を出た。

 靴底がへばりつくたびに変な音を立てるリノリウムの廊下を歩きながら、スケジュール帳を出してこれからの予定をチェックする。


 病院を出た後は東京に戻り、自分の代わりに被害者となった同僚の家へお焼香をしに行く予定になっていた。

 通夜も葬式も入院中で参列出来なかったため、せめてお焼香だけでもと思ってようやく約束を取り付け訪問することにしたが、親御さんに何と言えばいいのだろう。それを考えると気が重い。


 自分のせいで娘さんは死にましたなんて、どうやって伝えればいいのだろう。

 ネットでは犯人の桐山蒼が殺したいほど憎んでいたのは森村有希だと言う記事まで出ている。

 自分が書いたゲームのレビュー記事がその犯人を刺激したのだという内容だった。


 つまりピンチヒッターを頼んだ後輩は、たまたまあの場に居合わせたから死んだわけではなく、自分を殺そうとしていたかもしれない犯人に身代わりとして殺されてしまったということなる。


 本当かどうかわからない。けれどその可能性は否定できない。


 もちろん自分が最終世界というゲームのレビュー記事に書いたことは、本当に心から思ったことを書いたもので、間違ったことは書いてないと自信を持って掲載したはずだった。


 だが、その言葉のせいで誰かが深く傷つき、自暴自棄になり、誰かを殺める原動力になったかもしれないと言われると自信がなくなる。


 本当にあの記事は正しかったのかと。

 あの記事を書くべきだったのだろうかと。

 自分の中では正義であり正論だった言葉は、誰かを裁いて優越感に浸るためだけの、ただの自己満足ではなかったのかと。


 本当にすべての責任が自分にあったとしたら、どうすればいいのだろう。どう伝えたところで、きっと許してはもらえないだろう。


 ふと気がつくと、玄関ホールに向かって歩いていたはずが、どうやらまったく違う別館への通用口に向かっていたことがわかり、有希はため息をついた。


 昔から方向音痴だったが未だに治らない。小さい頃は、幼稚園や小学校の登下校で探検と称して寄り道をする友達に連れ回され、方向音痴の自分だけが道に迷い、何度か行方不明になったこともあった。


 母が必死に探してくれた日のことを思い出す。泣きじゃくる娘の頭を優しく撫でてくれたあの優しい母は、もう記憶の中にしか存在しないのかもしれない。





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