善意のアドバイス
「どうでしたか」
授業が終わるまで待ちきれないかのように、ずっと授業中も彼女がそわそわしているのに僕は気付いていた。
すべてのカリキュラムが終了した途端に僕に駆け寄り、とても期待した目でこちらを見ていたが、しばらくするうちにその気持ちがみるみるしぼんでいくように表情が悲しげなものに変化していくのが手に取るようにわかった。
「ダメ……でしたか」
僕が言いにくそうにしているのがバレてしまったようだ。
「この無差別殺人事件は、実際にあったものを参考にしているってことかな」
「そうです。マズかったでしょうか」
小説の中で事件を起こした人物と本当の犯人の名前は違うようだが、最終世界というゲームの開発者が起こした無差別殺人事件は実際に存在した。
このような現実に起こったことを題材にするのは、素人が扱うテーマとしては難度が高い。
どうしても新聞記事や週刊誌など、すでに出回っている情報を元にすると、小説というエンターテインメントではなく、ありきたりのドキュメンタリー記事風に後追いでまとめることだけで精一杯という内容になってしまいがちだからだ。
みんなが知っていることをそのまま書いただけでは面白くないし、だったら週刊誌を読んだようがマシだということになってしまう。
だが、この原稿では傍観者というより、むしろその場に立ち会っていたかのような無駄に現場の臭いが漂ってくるのが気になる。
センセーショナルな事件として当時話題になったので、僕自身も題材として多少は調べたことがあるだけに、どこの情報でも見た覚えのない内容を発見するたびになんとも言えない気持ちになる。
特に無差別殺人が発生した出版社での様子などは、現場にいた人が誰一人として生き残っていない以上、犯人か被害者でしかわかりえないようなことも書かれている。
想像で書いたのだとしたらそれは才能として褒めるべき部分だが、もし当事者だからこそ書けたのだとしたら、などと変な想像をしてしまう。本能的なレベルで、何か危険な予感がしてしまうのだ。
もちろん犯人も被害者も死んでいるのだから、それはありえない。だから、ただの深読みのし過ぎでしかない。
一応彼女の名前をネットで検索してみたが、特にこれといって事件と関連したものはヒットしなかったし、犯人は男性だったはずだから、ただの杞憂かもしれない。
「いや、全部がダメというほどではないけれど、いろいろ自殺がからむ事件は扱いが難しいからね」
「そうなんですか」
彼女がため息をついた。
「それとまず、とにかく冒頭から視点の変更が多すぎて、感情移入するまえに場面が変わってしまうような部分が多いのはつらいかな」
「視点が多いとダメでしょうか」
「海外の小説なんかは、いろんな登場人物の物語が同時進行するなんてのもわりと普通だけど、日本の小説、特に新人賞では視点が多い作品はあまり歓迎されない気がするかな」
「知りませんでした」
いつのまにか、彼女はスマートフォンを取り出してメモを取っていたようだ。熱心な生徒には教えがいがある。
そう言えば、今日はきちんと化粧をしているのか、初めて会ったときと比べてかなり印象が違う。
白いワイシャツのボタンが下着のギリギリな場所まで開いていて、少しだけ黒いブラジャーが透けて見えているのも、いろんな意味で危険な気がする。
僕は無意識のうちに、彼女の胸元の谷間を凝視していることに気付いて、慌てて目をそらす。
「それと、初心者が陥りがちなんだけど、自分がよく知ってそうな部分は饒舌に語ってるけど、知らない人が読むとわかりにくいというか、置いてけぼり感がある箇所もあるかな。このデバッグがどうのってところとか。プログラムを組んだことがない人にはピンとこないよ」
「確かに、気をつけます。あの、本当は続きを書いて来たので見てもらおうと思ってましたが、やっぱりもういろいろダメすぎるみたいなのでまた一から書き直そうかなと」
彼女は、鞄から出した原稿をゴミ箱に捨てようとする。僕はあわててそれを止める。
「まだ練習なんだから、細かいことを気にするより先に完成させるほうが大事かもしれない。続きを書いてるなら読みますよ。さっき言ったことは気にせず、とりあえず続けてみてほしいかな。一度完成させてからのほうが次に書く時に糧になるというか、成長のあとが自分でもわかるはずだから」
「わかりました。じゃあ続けてみます。では、これお願いします」
彼女は僕に原稿を手渡した後、深くお辞儀をしてから教室を出て行った。
深く屈んだせいで黒いブラジャーから溢れそうな、ぎゅっと肉が押し付けられている胸の谷間が見えた。
それだけでもドキリとしたが、去って行く彼女の後ろ姿から溢れでる色香に思わずくらりとした。
グレーのタイトスカートから想像できるヒップの張り具合は、つい手を出して撫でたくなるような豊満な丸みでそそられる。
細い足首を強調する黒いピンヒールの姑息なエロさも実にいい。うっかり口を半開きにして見入ってしまいそうなぐらいに艶っぽくて好みだった。
まるで昨日僕が見たエロビデオに登場していたAV女優にそっくりだ。しかも繰り返し見るほどに一番お気に入りだった女教師に似ている気がする。
単なる偶然とは思うが、女性というのは服装や化粧でこうも違うものなのだろうかと感心しながら僕は教室を後にした。
時々彼女のエロい胸元と後ろ姿を思い出してニヤニヤしながら、もらった原稿をタクシーの中で読み始めた。