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変態の定義  作者: 椿楓
6/6

午後 六時五分

 事件の真相を解明した僕らは、教室に戻るために廊下を歩いていた。

 ふいに、ユリカが口を開いた。

「あの先生は、かなり実験好きで有名なんだよね」

「……それがどうしたんだ」

 ユリカは得意げに笑う。

「マッドサイエンティスト、っていうのかな。そういう人間って、だいたい行き着くところは同じなんだよ。あなた、分かる?」

「……分からないな。もったいぶらないで、教えてくれよ」

「……私、分かるかも」

 恵ちゃんが手を上げた。

「自分の身体を実験道具にしちゃうんじゃないかな」

「正解」

 ユリカは指をさし、片目を閉じた。

 自分の身体まで実験道具か。それは、とても恐ろしいことだと思う。

「でも、半分正解、ってとこだね。マッドサイエンティストは、自らの精神さえも、実験道具なんだよ」

 その一言で、気づいてしまった。

「まさか、弓浦との関係も、先生にとってはただの実験でしかない、ってことかよ」

「分からないけどね。これは可能性の提示でしかないから」

「それって、何だか怖いね」

 恵ちゃんは引きつった笑みを浮かべていた。

 けれど、僕は分からなくもない、と感じていた。

 正直、自分の趣味嗜好と合わないことだって、これまで何度もあった。それでも、僕はその行為でどう感じるのか、一度トライしないと気が済まないタイプだった。それで興奮しなければもうやらないし、興奮できるなら、何度もくり返す。

 もしかすると、先生は〝変態〟なのかもしれない。

 その姿を僕らに見せることなく、裏では、自分さえも欲求を知るための道具にして、実験していたのだから。

「もしかすると、誤って毒物を入れた、なんて言ったけど、本当のところ、自分でわざと入れた可能性だってあるんだよ」

「いやいや、でも死んじまうだろ」

「そういうことを考えない人たちなの、あの人種は。もしそんなことを考えられるなら、人の気持ちを踏みにじるようなことだってできないでしょ」

 確かにそうかもしれないが、納得はできなかった。僕の知っている央太郎先生というのは、真面目で優しく、だいたいの人には好かれる教師だったから。

 そんな先生だからこそ、彩葉も好きになったはずだ。ショックを受けて、もう一人で帰ってしまったけれど。

 仮に先生が〝変態〟なのだとしたら、いずれ僕もそうなってしまうのだろうか。自分の欲望を満たすためになら、人の気持ちを平気で踏みにじり、迷惑をかけてしまっても気にしない人間に。

 いや、それは僕の想像している〝変態〟とは違う。

 表向きはまともな人間、裏では欲望をむき出しにした獣。これが僕の理想とする〝変態〟だ。

 だがしかし、今回の事件によって、先生の変態性は明るみになってしまった。ごく一部の人間だけだとしても、誰かに知られてしまったら、そこで終わりなのだ。

 思えば、僕だって、リコーダーをなめようとしたところを、ユリカに見られている。すでに、〝変態〟へ道は固く閉ざされていたということだ。

「ま、これにて事件は終わりだね」

 ユリカは一年三組の前で立ち止まる。彼女のクラスは三組だったのか。

「あなたはしっかり真実にたどり着けた。合格だね」

「あれでよかったのか? ホモは見抜けなかったけど」

「それくらい別にいいよ。素人にしてはよくやったほうだからね」

 言って、ユリカは微笑んだ。突然ほめるなよ。ほめられ慣れてないから、結構照れる。

「じゃ、バイバーイ」

 ユリカは手を振って、教室に入っていこうとした。その後ろ姿を呼び止めた。

「……正直、最悪な事件だったけど――推理すんのは楽しかった。色々と、考えさせられたしな。だから……ありがとな」

「あなたって、やっぱり変。でも、面白いね」

 ユリカは苦笑を浮かべ、今度こそ教室に入っていった。この学校にいるかぎり、また会うことになるだろう。

 四組の教室に入り、席に着くやいなや、どっと疲れが押し寄せた。

 僕は部活もやってないし、運動もしてないから、運動不足で体力不足だ。明日は筋肉痛だろう。

 もう少し体力をつけたほうがいい、と思っていても、走ろうとかならないのだから、僕にはやる気も不足している。偏食もしてるから栄養不足で、授業は寝てるから勉強不足、夜はこっそりエロ動画を見てるから睡眠不足でもあった。常識も不足してるかもしれない。

 僕には不足しているものがあまりにも多すぎる。

 まあ、それは今後、埋めていけばいいのだろう。

 それよりも、だ。

 社会的に死なないで済んだんだ。疲労感のあとに、ようやく喜びと解放感に包まれた。本当によかった!

「……橘さんが言ってたけど、私は、先生のことを信じたい」

「恵ちゃんはそれでいいと思う。僕だって、別に先生のことを恨んだりはしないし。ホモは受け入れがたいけれど」

「それはそれ、これはこれ、だもんね」

 僕はホモも百合も認めない。男は女、女は男と恋愛すべきなのである。

 年齢だって、自分と年相応の子を好きになるのが普通だ。

 年齢の離れた人と結婚しているやつらは、異常な犯罪者と大差ないことに気づいてないのである。〝変態〟は、一周回って同い年の子を狙うものだ。

 いけない。また、〝変態〟の観点から物事を測ってしまった。もう僕は〝変態〟にはなれないのだから、そう考えたって意味がないのだ。

 恵ちゃんと相談して、僕らは先生の変態性を公表しないことに決めた。彩葉やユリカが他人に言ってしまうかもしれないが、少なくとも、僕らはあえて誰かに言わない。

 裏向きの姿がどうあれ、今日まで先生は、それを隠し通していたんだ。それが露見することは、先生だって望まないだろう。

 突然、携帯電話が震えた。彩葉からだった。

「何だよ」

『センセ、今度こそ目覚ました』

 彩葉は保健室にいたのか。

「それで?」

『何もせえへんよ。何かすんのもアホくさいし、起きたからもう帰るわ』

「……そうか。達者でな」

『今度ケーキおごってな』

 一方的に電話が切られた。まあ、ケーキ一つくらいなら、許してやる。今回の一件のこともあるし、大食いの女の子は、アリかナシで言ったら、アリだ。

「先生、目を覚ましたって」

「本当!? よかったぁ……」

 恵ちゃんは安堵したらしかった。たぶん、そのことが一番の重荷だったのだと思う。たとえ、本人が実験で毒を盛ったにせよ、それで死んでいたら、恵ちゃんは自分を責めていたに違いない。

 だから、目を覚ましてくれてよかった。死ななくて、本当によかった。

「今回は……ごめんなさい」

「別に構わないよ。それに、僕に謝る必要だってないだろ?」

「でも、私は、先生が死んじゃったって諦めちゃったから」

「それについては、もう解決したんだ。先生が自分で毒を盛ったのだとしたら、君に責任はないさ」

「でも……目を覚ましそうになった先生を気絶させちゃったし……」

「……まあ、そういうこともあるさ」

 二度目の気絶は、恵ちゃんがやったことだったのか。てっきり弓浦だと思っていたけれど、違ったんだ。真相が明るみに出ないよう気絶させたわけだ。

 ……意外と怖いな、恵ちゃん。

 恵ちゃんは申し訳なさそうな顔で、俯いていた。

 今しか、言うタイミングはないかもしれない。

 いやいや、でも違うかもしれない。一応、天使と悪魔に訊いてみよう。

 ――あなたは本当に無能ですねインポ野郎。

 ――誰がインポだ! しっかり()つし、たまに勝手に歩き出しちゃうくらいだ。今見せてやろうか。僕はいつでも勃たせることができるんだからな!

 ――そんな汚らわしいものを見せようとしないでください、気持ち悪い。

 ――汚らわしくなんかない!

 ――それはともかく、あなたはいつだって、すぐに私たちに意見を求めている。それはダメだと思っているから、助言にならないアドバイスをしているのに、それにすら気づかない。もうそろそろ、私たちに訊く前に、自分で考え、行動したらどうでしょう。さもないと、あなたを本当にインポにしますよ。

 ――それはやめてくれ! ある意味死んだようなもんじゃないか!

 ツッコみながら、僕は動揺していた。天使に指摘されたことが、まさしくその通りだったからである。

 僕はことあるごとに天使と悪魔に頼っていた。変なアドバイスしかできない、とか言っておきながら、無意識に耳を傾けたこともある。

 ――オレも天使と同じ気持ちだ。訊くんじゃねえ。イケ、イっちまえ!

 ――それは違う意味だろうが!

 でも、確かにそうだ。これは訊くことじゃなかった。僕が、一歩踏み出すべき時なんだ。

 カバンに手を伸ばす。ゆっくりと、包みをつかんだ。

「その、さ……きょ、今日は――ホワイトデー、だったよな」

「そうだけど……どうしたの?」

 声を上擦らせながら言ったため、恵ちゃんは眉をひそめて僕を見ていた。やばい、緊張で死にそうだ。

 僕は袋をつかみ、勢いよく取り出した。カバンの中身が吹っ飛んだが、そんなことを気にしている余裕なんてなかった。

 渡す勇気がなくて、もうその機会はないと思っていた。けれど、今なら、渡せるような気がした。いや、渡さなくちゃいけないんだ。

「これ……クッキー! か、買ってきたやつだけど、その……お返しっていうか」

 恵ちゃんは、落ちていた荷物の中から、何かを拾い上げた。それを見て、僕は目を疑った。

「これって、私のリコーダー……だよね」

 あれ? どうしてそれが、僕のカバンに?

 待った。女教師に呼び出され、教室を出るとき、僕は誰のカバンにリコーダーを突っ込んだ? その時、恵ちゃんはカバンを持っていっていたのだから、教室には僕のカバンしかなかったんだ。

 本来なら、机に戻さなければならなかったんだ。

「や、それは、その……」

 言いつくろうことすらできない。どうしよう。恵ちゃんは殺気をほとばしってるよマジで怖い。

「どうして、私のリコーダーが、紅林くんのカバンに入っていたの?」

「それには、事情があって、ね?」

 恵ちゃんは拳を握った。

 瞬間、僕は思い出した。

 準備室で取り調べで、最後にスリーサイズを訊いた時、僕は、恵ちゃんに殴られたんだ。

 それも、見えないスピードの拳で。

「待って待って! うわわ、天使と悪魔、どうすりゃいいんだ。ってか、助けてくれ――ッ!!」

 ――死になさい。

 ――こっちこいよ、小僧。

「嫌だあぁぁぁっ! まだ死にたくないんだあぁぁぁっ!」

「さよなら、紅林くん」

 その一言のあとに、顔面に衝撃が走った。神速の拳を食らった僕は、ドアを突き破って廊下にまで吹っ飛んだ。顔面の感覚がない。首の骨、折れたんじゃないだろうか。

 目をうっすらと開けると、そこにウサギさんがいた。見覚えのあるウサギさんだ。

 ユリカに顔面を踏まれる。でも、不思議と痛みはない。

「あたしが手を下さなくても、あなた、社会的に死んだね」

 ああマジか。僕は、社会的に死んだのか。恵ちゃんに嫌われた以上、もうこの先、楽しいことなんてないんじゃないか。

「絶望だあぁぁ」

 僕の嘆き声が、夜の校舎に響き渡る。ただの変態の虚しい叫び声は、いつまでも、どこまでも、響き続けていた。

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