午後 四時二十分
夕陽が射し込む準備室。
僕の目の前には、彩葉が退屈そうに腰を下ろしている。彩葉を見据えて、目を細めて言った。
「……彩葉。もう、吐いちまえよ。そのほうが、楽になれるってもんだ」
「ホモ」
「僕はホモじゃないって言ってるだろ!」
机を叩いて立ち上がる。どうして僕がホモなんて言われなくちゃならないんだ。他の誰よりも女の子が好きだというのに。
「いいか、僕はホモじゃない。それは、お前が一番分かってるはずだろ」
僕が恵ちゃんに好意を抱いていることは、彩葉も知っていた。
「けど、あの写真が物語ってるやん。世の中には、異性とも同性とも付き合える人がおるそうやから、あんたもそうなんやろ」
「ちょっと待てって。僕にそんな倒錯した性癖はないんだって。何て言ったら信じてもらえるんだ」
椅子に座り、溜息をつく。何がどうなったら、こうなってしまうんだ。
「ま、コータンがホモなのはええけど」
「よくねえよ」
「うちがここに呼ばれたワケを教えてくれへん? センセが無事かどうかも分からへんし」
「……訊かなくちゃならないことがあるんだ」
「ホモはお断りしています」
「ホモは忘れろ! ってか、急に標準語で返されたら傷つくだろ!」
別に好きな人がいるかどうかなんて訊くつもりはない。
「今日の三時四十分、お前、何してた」
彩葉は真剣な表情を浮かべ、思考をめぐらせた。先生が毒入りクッキーを食べた時間なのだから、それも当然だ。
「購買にいたで」
「それを証明できるやつは?」
「友だち……って、何アリバイ捜査みたいなことしてんねん。気持ち悪いわ」
「僕の社会生命がかかってるんだ。必死になるのも当然だろ」
メモ帳を取り出し、それに書き込んでいく。
「いっぱしの探偵気取りやな」
「そんなこと言ってる場合じゃないんだ。別に僕は好きでやってるわけでもないし。ってか、お前も容疑者の一人なんだからな」
「うちがそんなんするわけないやんか」
「それは後々、この名探偵孝太さまが解き明かせば分かることさ」
「変態探偵の間違いやろ」
彩葉はバカにしたように笑ったが、僕は心が浮き立つような気持ちを抱いていた。
確かに僕は、変態探偵だ。変態探偵、変態探偵、変態探偵。なるほど、いい響きである。メモ帳に書いてみたが、しっくり来る。今日から僕は、変態探偵だ。
「そうだな、あと……この準備室に入ったことは?」
この質問は、少し探偵っぽい。だが、変態探偵ならば、この準備室で央太郎先生と何してた、くらい訊くべきだった。
「呼び出し食らったことは何回かあるわ」
「そりゃあ、校則違反のオンパレードだからな。怒られて当然といえば当然だよな」
「でも、そんなに怒られへんかったで」
「ずいぶんと甘やかされてるんだな」
「むかつく言い方やな」
彩葉はむっとした表情でにらんできた。やはり怖くない。
「先生が誰かに恨まれていたとか、何か知っているか?」
「知らんわ。つか、センセは基本好かれてたやんか。準備室では怪しい実験してたとか噂もあったけど、信頼あったみたいやし」
「だよなあ」
考えてみたけれど、先生を恨む人なんてやはり思い浮かばなかった。
いや、もしかしたら――。
「……犯人は分かった」
「誰や」
「彩葉、お前が犯人だ」
「理由によってはしばくで」
しばかれるのも悪くない。だが、真実を知る快感も味わってみたかった。
「お前、実は先生にこっぴどく怒られて、それを根に持ち、殺そうとしたんだな」
「しょうもな! しばく気にもなれへんわ。さっきも言うたけど、怒られることはしょっちゅうや。せやけど、そんなんで殺そうと思ったことなんてないわ。そない厳しく怒られたことはないて言うたやんか」
「いいや彩葉、お前が犯人で間違いない。黙って認めるんだ。自白しなければ、僕は本気で拷問するぞ」
「それは紅林違いやろ」
まあ、僕がやるとしたら、エロい拷問しかないだろう。さて、どんな拷問をしてやろうか。器具を使うのもいいが、くすぐりというシンプルな手法もそそられる。
時間はたっぷりあるのだ。何だって試せる。
「よし、僕が朝までくすぐり抜いてやる。笑い死なないよう我慢することだな」
「させるかアホ!」
言って彩葉は、僕に殴りかかってきた。ツッコミと同じように、拳のスピードも早い。
って、よけられそうもな――。
背中に痛みを感じ、僕は目を開いた。何も見えない。目をしばたたかせると、徐々に視界が鮮明になってくる。
目の前に、大きな岩があった。否、それは顔だった。いったい誰だ。
「って、何やってんだよ!?」
僕に顔を近づけていた弓浦を押しのけ、壁際にまで後じさった。眠っている僕に、やつは何をしようとしてたんだ。まさか、言葉にするのもおぞましいようなことをしでかすつもりだったのではないだろうか。
いや、もう何かされてしまったのか――!
「何てことしてくれたんだ。もう僕はお嫁に行けないじゃないか!」
「一人で勝手に勘違いするな!」
弓浦が顔を紅くして怒鳴った。
「俺は、人工呼吸をしてやろうと思っただけだ。どうにも目が覚めてないようだったからな」
「いいことを教えておいてやる。僕を人工呼吸していいのは、かわいい女の子だけだ。だから君が今やろうとしたことは、余計なお世話で、ありがた迷惑だということだ」
「そんなこと言ってたら、そのうち死んじまうぞ」
「かわいい女の子に救命してもらえないのだとしたら、僕はそれでも構わないさ」
僕の考えは、どうやら弓浦に理解してもらえなかったようだ。人の考え方はそれぞれだから、それも仕方ないことである。
「それより、俺に何の用だ、人殺し」
「何度も何度も重ね重ね言うようだけれど、僕は殺してないし、殺そうともしていない。そのくだりはもういいだろ!」
そんなに僕をホモの殺人犯にしたいのか。
「あんな証拠まで残しておいて、言い逃れはできんだろう」
「バカ言うな。あれは証拠じゃないんだ。魔法による捏造でだな」
「アニメなどの見すぎじゃねえのか。オタクが悪いとは言わねえが、そういう非科学的で非現実的なことを熱心に語るのは、子どものうちだけにしておいたほうがいいぜ」
「はあ? 何言ってんだよ。別に魔法くらいオタクや子どもじゃなくても言うだろ。少し極端すぎるだろ。ってか、魔法は今どうだってよくてだな」
「先に孝太が言ったんだろう」
確かにそうだけど、そこにいちいち突っかかってこられると、一向に話が進まない。だが、それを指摘したら、また話がこじれそうだから、我慢することにした。
「ちょっとばかし、訊きたいことがあるんだ」
「悪いが……オレは、お前とは付き合えない」
「そんなこと分かりきってるわ! 僕はホモじゃないと何度も言ってるだろ!」
「とりあえず、先生の容態が心配だ。もう出て行ってもいいか」
「自由すぎるだろ! 勝手なことばかり言いやがって。もういい、単刀直入に訊くから答えろ。お前、三時四十分、どこで何をしてた」
「柔道場で練習だ。それがどうかしたのか」
「……だよな。じゃあ、部活を脱け出したのはいつだよ」
「三時五十分ごろだったか」
「証明してくれる人は」
「いないな」
メモに書き込む。アリバイを証明する人はなし、と。
「ほかの部員とか顧問はいなかったのか」
「部員って言ったって、俺一人だけだからな」
「マジかよ。それじゃあ練習にならないだろ」
「顧問がいるから大丈夫だ」
それでも、人手不足に代わりはないだろう。柔道は今、あまり人気がないのだろうか。
「弓浦一人で創設したのか」
「いや、二人は適当に連れてきた。すぐに辞めちまったけどな。今年結果を出さないと、自動的に廃部になる」
「……なるほど、分かった」
この事件、案外簡単だった。変態探偵にかかれば、どんな事件だって簡単に解き明かせてしまうのだ。
「犯人はお前だ、弓浦」
「は?」
弓浦はぽかんと口を開け放っていた。間抜けな面だ。口の中にマスタードでも入れてみたくなる。
「お前は、廃部を迫る央太郎先生に殺意を覚え、無理やり毒入りクッキーを食わせたんだ。ホワイトデーなら、クッキーを持ってきてても怪しくないからな」
「こじつけだろう。ふざけてるなら帰るぞ。それに、顧問が部活を潰そうと迫るって、どういうことだ」
「え? 央太郎先生が、柔道部の顧問なのか」
「ああ見えて、結構強いんだぜ」
何故か、弓浦が胸を張って答えた。
でも、確かに意外だった。
身長は高いが、白衣の下はひょろっとしていて、いかにも博士、といった風体なのだとばかり思っていた。もしかすると、結構筋肉質なのかもしれない。
「知らなかった。先生が柔道……結びつかないな」
「だろうな」
悔しいが、今の僕の推理は外れだったらしい。推理は振り出しに戻ってしまった。
「どちらにせよ、犯人はお前か彩葉なんだ。いずれ僕が明らかにしてみせるさ」
「……何で俺と舞ヶ原が疑われているのか知らないが……お前の推理は外れているだろうな。それに、もう一人いただろう」
「……もう一人、ってのは、まさか恵ちゃんのことを言ってるんじゃないだろうな。言っておくが、恵ちゃんは殺人を犯すような子じゃない。『殺』という言葉すら知らないはずだ」
「それはバカにしすぎだろ」
自分で言ったことがだが、バカにしすぎたと自覚している。
弓浦はゆっくりと立ち上がり、薄く笑った。
「知ってるか。一番罪を犯しそうもないやつが殺人犯、というのが推理小説の定石なんだぜ」
「何が言いたいんだ」
「意外かもしれないが、俺は読書が好きでな。とくに推理小説をよく読んでてな。お前、探偵を気取ってるみたいだが、ホームズやポアロに比べたら、三流もいいとこだぜ」
「三流で結構。僕は変態探偵だからな」
弓浦が挙げた探偵が、どれほどの人物で、どんな事件を解決したのかについてはまったく知らない。けれど、変態勝負なら、絶対に負けないという自信があった。
「一つ、言っておく」
弓浦はドアノブをつかみながら言った。
「青酸系の毒物を手に入れることのできる人物、そして、クッキーを作ることのできる人物。それを考えたほうがいいと思うぜ。俺なら、力ずくで毒物を得ることはできるかもしれねえが、クッキーは作れん」
そういう考え方もあったか。まったく考えてなかった。
「でも、お前が嘘をついてるかもしれないじゃないか。本当にクッキー、作れないのか」
「さて、な。それを見極めるのも、探偵の仕事だろ」
言って弓浦は楽しそうに笑い、外に出て行った。
目の前に恵ちゃんが座っている。僕は、先ほど弓浦に言われたことが気になって、考えをめぐらせていた。
「紅林くん?」
「ごめん、恵ちゃん。訊きたいことがあって呼んだのに、ぼーっとしちゃって」
「疲れてるんだよね、大丈夫?」
恵ちゃんの優しさが、僕の疲弊した心身を包み込んでくれるようだった。向こう一年は頑張れる。
「……最初に断っておくけれど、僕はホモでも人殺しでもない。それを信じてもらいたい」
「うん、分かってるよ。信じてるから」
「恵ちゃん……」
まごうことなき天使が、そこにいた。涙で目が見えない。ここで一緒に住むことは許されないのだろうか。
「ただの変態さんだよね」
「恵ちゃん!?」
「冗談だよ、紅林くん」
恵ちゃんは頬をゆるめ、笑顔をこちらに向けた。冗談も言えるなんて、やはり恵ちゃんは才能の塊だ。唐突だったから驚いたが、ただの冗談でほっとした。
「恵ちゃんには訊かなくてもいいかな、って思ったんだけど、まあ体裁のためにも訊くことにするよ。三時四十分、何してたか教えてほしいんだ」
「私は……図書室で勉強してたよ」
「それを証明してくれる人は、いっぱいいそうだな」
「ううん。一人で勉強してたから、証人はいないかな」
「そっか」
だとしても、恵ちゃんが犯人だというのはありえない。
ノートを見せてもらえば分かることだし、そんな嘘をついたところで、何の意味も成さないと恵ちゃんなら理解しているはずだ。
これ以上、訊くことはないだろう。
「もらったクッキーは、誰だって普通食べるよね……」
恵ちゃんはうつむきながら言った。
「心当たりあるの?」
「ううん。でも、クッキーに毒物を仕込むなんて、ひどいことするよね。私……怖い」
ぶるぶる、と恵ちゃんは震えた。彼女を恐怖させる犯人は、本当にひどいやつである。早く自供し、罪をつぐなうべきだ。
「人を殺そうとするのは、最低の行為だ。許されないよ」
社会的に人を殺そうとするのも最低最悪の行為である。
「犯人は、クッキーをもって準備室に現れた。それから、レンジで温め、それから青酸系の粉末をかけて先生に食べさせる。それが、この事件の概要なんだよね」
「そうだと思う」
粉末をかけたのだから、やはり事件現場には四十分にいなければならない。まだ裏は取れてないが、一応三人にアリバイはあった。いったい、誰がそのアリバイの穴を利用し、先生を殺そうとしたんだ――?
「そういえば、先生が準備室に入ってくのを、誰かが見たって言ってたな」
恵ちゃんは頷く。
「誰だったの?」
「えっと……確か、東先生が、廊下で見かけたって」
「ふうん」
東先生か。名前は知っているが、誰だったか分からない。三年のクラスの担任だった気がするが、やはり思い出すことはできなかった。
「あ、図書室で勉強してたんだよな」
「うん。一人で、だけどね」
「もしかしたら、美化委員が見てたかもしれないな」
「そうかもしれない! ここに向かう時、ドアの隙間から見たから」
「もし見ていてくれたら、恵ちゃんのアリバイは完璧になるね。よかった、ひとまず安心だ」
僕が笑って言うと、恵ちゃんは目を伏せた。
「……安心じゃないよ。先生、死んだわけじゃないけど、まだ意識を取り戻したわけじゃないから……」
その通りだ。ユリカが魔法で解毒してくれたから、意識を保っているけれど、依然として目を覚ましてなかった。死なないとしても、このまま起きなかったら、と思うとぞっとする。
「すまん、軽々しく言っちゃって」
「ううん。紅林くんは悪くないよ」
恵ちゃんは笑って立ち上がり、イスを戻す。
「じゃあ、私行くね」
「待った!」
準備室を出て行こうとする恵ちゃんの後ろ姿を呼び止めた。訊くべきことが、もう一つだけ残っていた。
「最後に、スリーサイ――」