氷解Ⅱ
「ギルドに所属する〈熊の爪〉の傭兵を護衛につけるだと?」
昨日の酒場での出来事を報告した後陛下にある提案を持ちかけた。ギルド〈熊の爪〉の傭兵を雇い、陛下の護衛につけるという案だった。
そもそも国王陛下の親衛隊が何人も亡くなる要因のひとつとして、騎士の扱う両手剣は陛下が狙われる事の多い室内での戦闘において不利であるという事が考えられた。160cm~200cm程の剣を複数の人間が近い距離で振り回すという行為は、騎士達の動きに制限を与え、一方暗殺者達は小回りの利く暗器を使う為隊列の乱れた騎士の懐に入り込み、隊員達が致命傷を受けてしまう事が何度もあった。もちろん室内戦闘の訓練はしていたが、両手剣を使って室内で戦うのには限度がある、短剣や片手剣などの小振りな剣を使用した訓練を何度も提案してみたが会議で案が通る事は無かった。
ツーティア国において騎士は両手剣を使う事が定められていた。槍や弓矢などの武器を使う事は許されていない。もしもツーティア国が他国に侵攻された時は我が騎士団は早急に敗れるだろう。幸いな事にツーティアの国土は連なった一つの山に囲まれていて、安易に乗り込む事が出来ない地形になっており、一年のほとんどは国中雪で覆われている為、苦労をしてまでツーティアの土地を略奪しようと考える国は無く、一度も侵略された事の無い国として歴史書に刻まれていた。
一方昨日酒場で遭遇した女性、モモ・ハルヴァートの戦闘は鮮やかな物だった。ナイフという多人数相手には心許ない武器で複数の男に対し最小限の力で立ち回り、自分にダメージを受ける事無く戦闘を終わらせたのだ。
「ナイフ一本で複数の敵を撃破か、小型武器使用会議が通っていたら犠牲者は少なくて済んだのにな」
陛下は騎士がナイフや片手剣などを使い戦う事に対して賛成だったが、宰相を筆頭とした古株の大臣達が一斉に難色を示し提案は多数決で却下された。
「明日の会議で出しておこう。しかし騎士として城にあげるのは難しいかもしれないな」
「ええ、使用人として通した方がよろしいかと」
「そうだな、その傭兵が実績を示せば騎士団にも小型武器を扱う許可が下りやすくなるかもしれない、それに〈熊の爪〉の傭兵なら問題ないだろう」
半月後、会議にて傭兵を護衛として就ける案が通り〈熊の爪〉へ依頼をしに行く事となる。
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「誰?」
半月振りのモモ・ハルヴァートは寝起きなのか開ききって無い眠たげな瞳を擦り、薄いシャツ一枚とショートパンツという人前に出てはいけない格好で現れた。どうやら半月前の記憶は無いらしい。《ギルドの英雄》を知らないのかと団長から叱咤を受けていた。
《ギルドの英雄》、自らに纏わりつく呪いだった。
国王陛下に仕えるストラルドブラグ家の騎士が不正を働く貴族に気付き独自に調査を行い、ギルドの仲介権を剥奪し、その貴族を倒した…民の間ではそんな英雄譚が語られていた。実際に貴族の不正に気がついたのは当時宰相をしていた父で、調査の中心は兄がしていた。結果二人共暗殺され、自分がした事といえばナリミヤ邸の家宅調査の隊長を押し付けられた事位で、何が《ギルドの英雄》だと笑い飛ばしたくなる。あの時の自分はただの復讐心に囚われただけの騎士だった。民や若い騎士から憧憬の視線を受ける度に、当時の復讐心が蘇りどうにかなりそうだった。
英雄が必要なのだと宰相は言う。辛い出来事を乗り越えるには心の寄りどころが必要だと。ナリミヤ家の事件はツーティア国貴族の信頼を裏切る行為でその疑念は晴れていない。だからこそ侯爵家の貴族である自分が英雄になる事に意味があるのだと…
しかしそんな黒く濁った感情も忙しい日々を過ごすうちに摩耗し、今は何も感じない。
「すみませんストラルドブラグ様、お恥ずかしながらこの通り、頭の足りない娘でして…」
〈熊の爪〉の団長の声で我に帰る。意識が散漫するとは相当に疲れが溜まっているのだろう。休日は1ヶ月振りだった。
「…いえ、彼女と会ったのは半月前で夜でしたし」
モモ・ハルヴァートは期間が空けば忘れると言っていたのを思い出す。しかし彼女は自分を思い出した様で「チンピラの騎士」と呼び、またしても団長から叱咤を受けていた。英雄よりもチンピラの方がマシだと思うあたりまだ胸のわだかまりは無くなって無いのかもしれない。
その後団長は退室し、モモ・ハルヴァートと二人きりになる。翠の双瞳は相変わらず開ききっておらず、自分をみる瞳に光は宿っていなかった。
彼女にも依頼について説明をした。試用期間は3ヵ月でその後正式な騎士として国が直接雇い入れる、騎士になった暁にはギルドに報酬が渡され、本人は国に仕える騎士として一年間陛下の護衛を任務とする旨を伝えた。
「うーん…団長から〈この依頼からは一切報酬は受け取るな〉って言われてるんだよねえ」
〈熊の爪〉の団長は《ギルドの英雄》から報酬は受け取れ無いらしい。しかしそんな曖昧な契約で、戦いにおいて命を張る事が出来るのかと問い詰めたが、彼女は団長には恩があるから言われた事は守り、命も張ると言った。
試用期間を乗り切った後の契約が一年ある事に対して無収入だという事に彼女は不安を感じていた様なので、衣食住はストラルドブラグ家が保証すると約束した。〈熊の爪〉本部から城へ行くには徒歩では一時間以上かかる、毎日通うのは大変だろう。
「…他に要求があれば出来る限りの事はしますが」
「本当?じゃモモをお兄さんの愛人にしてください!」
彼女の言う要求に何かとんでもない単語が含まれていたが、聞き違いだろうか?…聞き返してもやはり「愛人にしてくれ」とモモ・ハルヴァートは言い放つ。
「勿論本当の愛人じゃなくて〈お兄さんの愛人です!〉って名乗りたいだけって言うか」
意味が理解出来なかった。ストラルドブラグ家の愛人と名乗るだけの行為によってどんな益が生じるのか。
「モモだけが楽しい、愉快、以上。」
そこから先は話にならなかった、自分の周囲の人間に愛人だと言い回り、名誉を傷つけるのが目的だろうか?…真意を掴む前に物事の憶測するのは良くない事だと分かっていたが、溢れ出る疑問は止まらない。しかし自分の背負う名誉など生まれた時から授かる事が決まっていたストラルドブラグ家の貴族位と宰相に押し付けられた英雄位だ。今更その二つを失った所で何も思わない自分が居た。寧ろこの提案は話の筋を通すには有効だと考えられる。まずストラルドブラグ家に彼女を出入りさせる地点で〈愛人なのでは?〉という噂は何もしなくても流れるだろう。だったら最初から愛人として連れて行く方が噂の広がりは多少防げる。それにいきなり陛下の護衛として連れていけば変に悪目立ちをするかもしれない。それによって強力な暗殺者を送り込まれては元も子もない為、愛人として陛下のもとへ連れて行く方が自然だと思った。
ストラルドブラグ家で過ごすに当たってモモ・ハルヴァートは妻や家族の心配をしていたが不要だった。唯一の家族であるクーベルカの事を話せば、曇っていた瞳が輝き、仲良くなれるかと喜々とした様子だったが、クーベルカはルティーナ大国に留学していて屋敷には居ない。留学先のルティーナは今ダルエスサラームとの間で小さな争いが頻発している様で、じきに戦争になるのではと噂されていた。ツーティア国に呼び戻す日も近いだろう。
モモ・ハルヴァートが子供好き、という事も意外だった。見た目も性格も派手で、傭兵という戦いの中に身を置く者が子供好きとは、貴族の使用人として働く方が傭兵になるよりも子供に触れる機会は多い様に思えたが、彼女にも武器を握り戦わなければならない事情があるのだろう。クーベルカの件で落胆した様子を見せながらも、これからよろしくと言い退室していった。
その後〈熊の爪〉の事務員が現れ、受け取らない報酬について細かな説明があり、ギルドと自分の間で契約は結ばれた。
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「うわ…」
翌日、迎えに来た馬車をみてモモ・ハルヴァートは顔をひきつらせていた。無理も無い。乗って来た馬車は先々代の当主が購入した贅を尽くした物だったからだ。両親と兄夫婦が亡くなってから馬車は新調していない。馬車を見ると忌々しい記憶が蘇って来るからだった。いつもは馬に乗って移動していたが、親しくない女性を馬に相乗りさせる訳にはいかず、屋敷の物置で埃を被っていた豪奢な馬車を引っ張り出し、前日から点検を命じ何とかやって来た。
しかしその判断は正解だった様だ。彼女の足元には大きなトランクケースが置かれていた。
「女の子には必要な物がたくさんあるんだよ!」
不躾な視線に気がついたのか彼女は言う。
「モモの名前はモモ・ハルヴァートだよ!モモって呼んでねお兄さん」
「…お兄さんは止めて下さい」
もう30前の自分はお兄さんでは無いだろう。
「あーストラ、ラブラブ…えっと、?」
「…シュナイトで結構です」
「よろしくね、シュナイト!」
「はい、こちらこそよろしくお願いします。ハルヴァート」
「…………酷い。モモって呼んでって、言ったのに」
彼女、ハルヴァートは何故か顔を赤らめ落胆した後に呟いた。
馬車の御者がハルヴァートの荷物を積むために運んでいたがかなりの重量なのかふらついていた。一体何を持ち込んだのかと疑問に思ったがそれはすぐに解消される。御者がトランクケースを入り口に入れそびれ馬車の階段から落下させてしまった。衝撃によりトランクの中身は飛び出して一面に飛散する。トランクの中身は全ておびただしい量のナイフだった。ハルヴァートは手早くナイフを拾い上げトランクにしまい、自分でトランクケースを持ち馬車へ乗った。
馬車の中は静寂に包まれ、蹄鉄が石畳を叩く音だけが響いていた。ハルヴァートはどうやら自分から喋りかけるタイプでは無いらしい。10分程窓から街並みを眺めていたが飽きたのか、胸の前で腕を組み瞳を閉じてしまう。
「女性が無防備にその様な体勢をとるのはどうかと思いますが」
ハルヴァートの翠の瞳がゆっくりと開かれる。女性が男性と二人きりの状態で眠るのは無防備が過ぎるのではと思い注意をしてしまった。彼女は不思議そうな顔をしている。
「モモ、シュナイトの愛人だし。何かしたかったらしてもいいよ」
そう言い残し再び眠りについてしまった。なんて娘なんだろうと呆れてしまう。ふと彼女の睫毛が黒い事に気がついた。派手なその髪色は染めた物なのかと疑問に思う。黒髪といえばツーティア国では王族の象徴とされていた。会議が通る前に彼女について調べたが〈ハルヴァート〉という家名はツーティアには存在しなかった。しかしハルヴァートは13歳の時から〈熊の爪〉の傭兵としての実績が上がっている。もしかするとハルヴァートはこの国の者では無いのかもしれない。〈ハルヴァート〉に聞き覚えがあった様に感じたが、いつどこで誰から聞いた物だったかは思い出せなかった。そうしている家に屋敷に着いてしまう。
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御者が馬車の扉を開けるとハルヴァートはトランクを持ち上げ降りてしまった。外で御者が荷物を受け取ろうとしていたがハルヴァートは断っていた。
「荷物はここに置いて下さい。後で使用人が部屋に運びます」
「はーい」
屋敷に到着すれば面白い位動揺した使用人達が彼女を迎え、執事に後の事は任せた。
部屋で1ヶ月の間ためていた書類を整理していると執事、アイザックが部屋に来た。
「シュナイト様、ハルヴァート様をお部屋にお通ししました」
アイザックにハルヴァートの待遇の指示を出す。アイザックは時折首を傾げながらも、何も聞かずに返事だけを繰り返した。
夜、食事の席にハルヴァートの姿は無かった。
「ハルヴァート様はご自分のお部屋でお食事をされるそうです」
「そうですか」
ハルヴァートは朝も食事の席にはいなかった。
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「もう少しお待ち頂ければシュナイト様が」
玄関から使用人の焦った声が聞こえ階段を降りてみれば、今にも扉から飛び出して行きそうな彼女を若いメイドが引き止めていた。
「何を…?」
「シ、シュナイト様ッ、ハルヴァート様がお城まで歩いて行かれるとおっしゃるのです!」
「…………」
「シュナイトおはよう!そんな訳だから」
「待って下さい。どうやって城の中へ入るつもりなんですか?」「あ」
「…………」
何故馬車を待たず一人で歩いて行こうとしたのか、食事の件といい自分には理解出来ない理由があるのだろう。聞くだけ無駄に思えた。
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