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護衛騎士エンリケの災難?

 エンリケ・スタッドレストはエリザベス・マリア・マリアージュの護衛騎士を務めており、騎士団で唯一ドレスを纏った隊員で、ドレスは彼女の主人でお針子でもあるエリザベスお手製の一着だった。羽衣の様に軽く動きやすいドレスはエンリケの立派な戦闘衣で彼女に憧れる若い女性騎士は数多く存在した。



 1日のほとんどはエリザベスの職場である仕事部屋で過ごし、危険にさらされる事は無くただ平和な毎日を過ごしていた。



 エリザベスは護衛騎士であるエンリケに何度も裁縫をしないかとすすめたが、彼女は断った。自分は騎士であり、主人の側で安全を見守り、危機が訪れたら剣を握り戦うのが仕事だと思っていたからだった。が、毎日当たり前の様に部屋を埋め尽くす美しい布や糸、レースに次第に魅了され裁縫に興味を持つこととなる。



 しかしエンリケは真面目の塊で仕事中に布に触れる事は無かった。彼女が裁縫をするのは休みの日と休憩時間だけで、休日はエリザベスの仕事部屋まで赴き1日中裁縫を楽しむ。そしてエリザベスの護衛騎士になってから4年、エンリケの裁縫技術は職人並みになっていた。



「エンリケ、完成しましたの?」


 エンリケが満足げに眺めるのは一年かけて作った小さなベルトの様な物だった。ベルトの周りは金の糸で縁取られ、白い布地に紫の糸でアイリスの花がくるりと一周刺繍されていた。アイリスはエンリケの一番好きな花で、すっと伸びた花穂に何度も励まされた。まっすぐに生えた葉の形は剣によく似ており、「剣の百合」とも呼ばれている所も好きな理由の一つだった。


「どなたに差し上げるのかしら?」


 ベルトは長さやデザインから見て男性物だと推測した。エンリケは25歳で浮いた話があってもおかしくない年齢だったが、姿こそ可憐なエリザベスの騎士が異性に懸想する姿など想像する事が出来なかった。




「アブソルにあげるんです」


 エンリケは頬を染め恥ずかしそうにするがエリザベスは一気に無表情になった。彼女の言うアブソルとは国王陛下の影武者の犬の事で彼女も割と残念な娘だった。



「本当は首輪を作りたかったんですけど時間がなくて…」


 国王陛下が住む王宮の庭にアブソルは飼われていた。国王陛下付きのお針子でもあるエリザベスの仕事部屋も王宮にあり、エンリケは頻繁にアブソルと触れ合っていた。彼女は無類の犬好きだった。



 仕事も終わり、足取りも軽くアブソルのいる庭へ向かう。アブソルのいる場所はいつも決まっていて庭の噴水の前の石畳にぽつりと座っている事が多く、エンリケは廊下からアブソルの姿が見えると一目散に駆け出した。

「アブソル、ひさしぶりですね」


 噴水の前に座るアブソルの正面にしゃがみ、黒い毛並みの中にある翡翠の瞳を覗きこむ。


「今日も素晴らしく美しいですね、触っても?」


 好きにしろとばかりに尻尾を軽く振った。エンリケは首回りからもふもふと滑らかな毛並みを楽しんだ。首回り、顎の下、背中を執拗に撫でる間もアブソルは大人しくしているいい獣だった。アブソルのお世話は親衛隊、隊員のアレン・ワーヒュの仕事で、彼の躾が行き届いているのだろう、吠えたり唸ったりする事は無かった。食べ物をあげる事はアレンから禁止をされていてエンリケはアブソルと遊ぶ時はいつも手ぶらだったが今日は違う、一生懸命作ったベルトがある。勿論嫌がれば即外すし、着けるのはこうしてエンリケと二人で会っている時だけと決めていた。曲がりにもアブソルは国王陛下の影武者で、素人の作った物など着けていい筈は無い。それに国王陛下の影武者は何も身につけなくても艶やかな漆黒の毛や精悍な顔付きは美しく、むしろ身につけた所でそれらが損なわれる可能性があった。だからベルトを贈るのはエンリケの自己満足だ。




 アブソルの前脚にベルトを巻く。自画自賛かもしれないが黒い毛並みに白いベルトは良く似合っているとエンリケは思った。満足げに一人頷く。アブソルも嬉しいのか尻尾をふるふると動かしていた。耳の下をマッサージするかの様にぐいぐいと揉み耳元で囁く。


「アブソル、私の物になって下さい。」


 言うだけだったらタダなので本気で言った訳では無かったがアブソルは珍しくエンリケの手の甲を舐めた。その行動をエンリケは了承の返事と認識し、黒く大きな体を抱き締めた。




「何をしているんですか?」


 柔らかく低い声が聞こえる。声の主はアブソルのお世話役の親衛隊のアレン・ワーヒュだった。エンリケは幸せな気分に浸っていた為にアレンの近づく気配に気がつかなかった。外は肌寒くこのまま暖かいアブソルから離れるのは名残惜しく感じ抱きついたままアレンを迎える形になってしまう。


「ワーヒュ卿、私は今勤務時間外です。何をしようが…」

「そちらに居られるのは国王陛下です。」



「…………、え?」


「ですから、あなたが抱きついているのはアブソルではなく陛」


 エンリケは光の速さでアブソル、ではなくクラトスから離れ、回れ右をして無言で逃げ出してしまった。




 エンリケは自室に戻ると服を脱ぎ、その辺に投げ捨てシャワー室へ急ぐ。火傷する位熱いお湯で体を洗い、髪も乾かぬ前にベッドに潜り、夢だ、これは夢なんだと何度も言い聞かせながら眠りについた。




「エンリケ、お兄様の採寸に行きますわよ」

「…………え?」


 翌日、タイミングが悪い事に彼女の主人は国王陛下の服の採寸に行くと言う。何故か渋るエンリケを置いてエリザベスは仕事道具を持ちスタスタと部屋から出て行ってしまった。エンリケは頭を抱えながらエリザベスの後を追いかけた。




「お兄様、お久しぶりですわね、新しい冬服を作る為に採寸をしに来ましたの、お時間が無い様なのでこちらでよろしくて?」


 エリザベスはクラトスの執務室で衣装の採寸をする。物珍しいそうに桃色の髪をした侍女が彼女の周りをうろつくが無視してメジャーをクラトスの体にあて、サイズのメモをする作業を何度も繰り返した。


「今度は袖口がきっちり締まった衣装にしようと思っていますの」


 そう語りながらエリザベスはクラトスの服の袖口を捲り腕周りを図ろうとしたが、見たことのあるベルトを見つけ一瞬動きが止まった。


「お兄様、これは…?」

「俺を慕う女性から貰ったんだ」


 エリザベスは思わずエンリケを見た。クラトスが身に着けていた腕のベルトは昨日見せて貰った物と同じだったからだ。護衛騎士は扉の前で口元を抑え顔色は蒼白だった。昨晩慌てて逃げ出した為に前脚に着けたベルトを外すを忘れていた。




 しかしそんな不安そうな表情を見せたのは片時でエンリケは手にしていた剣を床に置き、自らも平伏の形を取った。


「昨晩は陛下とは知らず大変失礼をいたしました!今回の事はスタッドレスト家は関係無く全て私が勝手に行った事です。処分はどうか私だけに…」

「エンリケ、お兄様に何をなさったの?」


 体がすうっと冷えいるのに何故か背中には汗が伝っていた。言える筈も無い、体をしつこく撫で繰り回した挙げ句自分の物になれなどと言ってしまっただなんて…。




「別に処分を下すつもりは無い、エリザベス彼女を部屋へ連れて帰れ」


 エンリケは床に伏しながら震えていた。正常な状態では無い事は一目で分かった。


「エンリケ、陛下の御命令ですわ、従いなさい」


 エリザベスははなんとか騎士を立ち上がらせ執務室を後にした。





「まあ、そんな事でしたの」

 

 エリザベスはエンリケの一世一代の告白を「そんな事」で片付けた。彼女の作ったベルトはクラトスから返して貰い今はエンリケの手の中にある。


「わ、私は護衛騎士として恥ずべき行動をしてしまいました。これからお暇を頂き修道院に」

「問題ありませんわ、お兄様他人に触られるのを極度に嫌がりますの、そんなに触って拒否しなかったという事は嫌では無かったととれますわ」

「しかし…」


 エリザベスの騎士は猪突猛進で生真面、融通が効かない、所があり、主人がいくら大丈夫だと言っても表情が晴れる事は無かった。




 まだ夕方だというのに外は暗く、月がのぼっていた。王族に〈月の加護〉が現れる時間だった。


「もう今日はお帰りになってよろしいわよ。明日からまた元気なわたくしのエンリケに戻ってからいらしてね。命令ですわ」

「エリザベス様…」


 エンリケはエリザベスの命令に従い、帰宅する事にした。またいつもの様に服を脱ぎ散らかしながらシャワー室へ行き暖かいお湯を浴びて気分を一新させた。明日はエリザベス様に元気な姿を見せよう。そう思いながら。




 そんな決意も虚しく、エリザベスは何者かに誘拐されてしまった。




 罪人達が収容された塔の最上階に居たホーク・ミロード元子爵が殺害され、夜のうちにエリザベスも誘拐されたらしい。エリザベスの部屋を警護していた騎士達も喉元を斬り裂かれ殺されているのを明朝に発見される。同じく騎士である父親に話を聞いたエンリケは視界がぐらりと歪んだが、寸前で堪えた。彼女はただの貴族の娘ではない、騎士だ。主人が誘拐されたショックで倒れる訳にはいかない。助けに行きたい気持ちは溢れるばかりだったが、何も情報が無い状態で闇雲に探しても意味がない。それにエンリケにはエリザベスの私室での待機を命じられていた。彼女には待つことしか出来なかった。




 突然扉の開く音がしてエンリケはビクりと体を震わせた。周りを見渡せば暗く、思考を張り巡らしているうちに夜になっていた。エリザベスの部屋の内扉から現れたのは黒い狼だった。エンリケは突然の訪問に驚いたが即座に膝を地につけた。


『そう畏まるな』

「……」


 謝らなければいけない。もし昨日早く帰ってなかったらエリザベスは、…いやエンリケも死んでいただろう。部屋の警護をしていたのは長年騎士経験がある手練れだった。そこまで考え思考を止める。


『明日、エリザベスを助けに行く』

「え?」

『多分命を懸けた戦いになるだろう』

「……」

『俺は無事に帰って来る為の御守りが欲しい』

「はい…」

『だからあの花が刺繍されたベルトを寄越せ。』

「…?」

『聞こえなかったか』


 クラトスは膝を折った体勢のままのエンリケに近づき耳元で『あのベルトをもう一度寄越せ』と脅すかの様に囁いた。


『どこにある?』

「え、エリザベス様の仕事部屋に」

『持って来い。10分待ってやる。』


 エンリケは走ってエリザベスの仕事部屋に行き、ベルトを手に取りまたクラトスのいる場所まで走って帰る事となった。



 帰って来ればこの前みたいに巻け、と命令するので、恐る恐る前脚にベルトを装着した。

『この刺繍された花は何て名前なんだ?』

「アイリスです」

『何か意味はあるのか?』

「〈私はあなたに賭ける〉…」


 今の状況に照らし合わせたかの様な花言葉だが偶然でアイリスはただ好きだから縫っただけだった。


『立派な御守りだ、お前はそこで待っていろ、エリザベスは必ず俺が助け出す』

「……」

 

 エンリケも助けに行きたい気持ちはあったが多分共に戦っても足手まといになることは予想出来た。


『帰ってきたらまた触られせてやる。だから変な事は考えないでここに居ろ』


 そう言い残しクラトスは部屋から去ってしまった。誰もいない部屋でエンリケは「はい」と返事をした。



 約束通りにクラトスはエリザベスを救出して来た。エンリケは涙を流しながらエリザベスを包容した。





 あの誘拐事件から4ヶ月後、エンリケはクラトスに呼び出されていた。場所はいつもアブソルが居た噴水の前で、エンリケが噴水の前にたどり着いた時には黒い狼はどっかりと待機していた。


「陛下、遅くなりまして申し訳ありませんでした」

『気にするな』


 エンリケはエリザベスを助けてくれた事に対して礼を述べた。そんな彼女にクラトスは『堅苦しい奴め』と呟く。


『今日お前を呼び出したのは〈良いこと〉を教えてやろうかと思ったからだ』

「はあ…」


 先ほどからクラトスの翡翠の瞳がギラギラと輝いていた事が気になっていたがそれよりもずんずんと近づいて来るクラトスを避ける為にジリジリと後退しなければいけなかった為、気にしている場合では無かった。


「うわ!」


 エンリケは石畳が欠けている部分に足を取られ、転倒してしまう。その上に覆い被さる様にクラトスが接近してきた。


「へ、陛下!」


 抗議の声をあげたが聞く耳は無いらしい。エンリケの耳元でクラトスは衝撃的な事実を述べた。


『4年もの間お前がアブソルだと思って撫で回していたのは全部俺だ』

「…………え」


 エンリケは頭の整理をはじめた。冷静に、冷静にならなければ。頭の中で何回も繰り返す。しかしそんな彼女に第二の試練が巻き起こった。


「クラトスお兄様!何をなさっているのッ」


 エリザベスだった。先ほど私室まで送り届けた筈の彼女が何故ここに…?頭がうまく回らないエンリケはただただ茫然とするばかりだった。


「よ、嫁入り前の娘を野外で押し倒すなんてなんて不埒な真似を、お兄様といえど許しませんわよ!責任取って頂けるかしら!?」

『そうだな。責任取るか』


 クラトスに首筋をペロリと舐められエンリケは正気を取り戻す。


「何を仰っているのでしょう!?無理です、駄目です!」


 クラトスの体をぐいぐいと押しどかそうとするがビクともしない。


『お前言ったよな?俺はお前の物だと』

「まあ!そうでしたの?わたくし野暮な事を、でもお兄様そういう事はお部屋でやって下さいまし、地面は固いからエンリケが可哀想ですわ。それでは失礼!」


 エリザベスはさっさとこの場から居なくなってしまった。


「え、エリザベス様違うんです!あの」

『さてと、どうしようか?』



 なんだかんだで彼女の意見は聞き入れられなかった。なんせ相手は王様、王様の言う事は絶対。それは全世界のルールだった。



「あ~それ絶対図られてたよ、エリザベスちゃんと王さまに」

「やっぱり…」


 エンリケはがくりとうなだれる。


「エンリケちゃんそんなに下向いたら髪型乱れるよ」


 白いドレスを身に纏うエンリケに本日特別に護衛を任命された黒髪の女性騎士は言う。


「あの、本当に大丈夫なんだか…」

「大丈夫、大丈夫ー!むしろエンリケちゃんには感謝したいって親衛隊のお兄さん達言ってたよ!王さまが結婚しないせいで自分たちも出来なくてやっと婚約者と結婚出来るって」

「そう、ですか。ヨカッタ…」




 現実をイマイチ受け入れないままエンリケとクラトスの結婚式はしめやかに執り行われた。異常に盛り上がりを見せる親衛隊の隊員達と珍しく笑顔をみせるクラトスの幼なじみ、自分の作ったドレスを着た花嫁を見て涙する少女、たくさんの人に囲まれ彼は幸せそうだった。




 その後王妃エンリケは7人の子供を産み、沢山の〈ルー・ガルー〉産んだ国母として歴史に名を刻まれる事となる。

 クラトス・ツーティア・マルティマルクは生涯一人の妻だけを愛し、安定した治世を治めた事から賢王として名を残したという。



END

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