01:リドヴェルトの四日目
目を覚ましたら、見知らぬおっさんが覗き込んでいて心臓が止まるかと思った。
しかもちょっと怖い顔。どうせなら可愛い女の子が良いのに。
「気がつきましたか。……飲めますか?」
おっさんは思いのほか、優しい声だった。少し俺の身体を起こして、すいのみを口元に持ってきてくれた。生ぬるい水が喉に落ちて、ほっと一息つく。気付かなかったけど、凄く喉が渇いていたみたいだ。
すいのみが口からはなれ、丁寧にハンカチが当てられる。もしかしたら、医者なのか?
「もう大丈夫そうですね。でも、まだゆっくりと寝ておきなさい。……旦那様と奥様には、明日の朝お会いすればいいでしょう」
少ししゃがれた低い声は、子守唄のようだ。滑らかな響きに、薄れゆく意識の中で俺はようやく気付いた。
聞き取っていたのは日本語じゃない。第一公用語だ。
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リドヴェルト・フォトリア・ヴァーミトラ。
これが今の俺の名前。
フォトリアは第三貴族を表す言葉で、まあ貴族の中で中の下くらいの地位って感じか。そこそこの貴族の家に生まれた三男坊で、家を継げないことはほぼ決定。
まあ、勇者を追っかけなきゃいけないからちょうど良い。俺に領地経営とか出来そうにないしな。
前世知識チート? 俺の政治経済の成績は2です(五段階評価)。
言葉にすらまだ慣れてないって言うのに。最初は名前言うだけで舌噛みそうになった。
第一公用語は意識しなくてもしゃべれるんだけど、日本語を意識すると急にしゃべれなくなる不思議。多分、俺の母国語が1:第一公用語、2:日本語って感じになってるんだろうな。意図せずしてバイリンガルになりました。
そして、
「あー、流石に四日もたつと暇だな」
超暇をもてあましていた。
目覚めてから四日。トイレ以外は部屋から出してもらっていないのだ。軟禁――ってわけはなく、いきなりぶっ倒れた俺を心配して、両親がメイドさんたちに言いつけてしまったらしい。
うん、メイドさんいた。……ロングスカートでシンプルなデザインのメイド服着た、30代以上のおば様方でした。
一応、大事な三男坊。お世話をするのは経験豊富なベテランさんばかりというわけだ。若くて未熟なメイドは、もっと下働きしかやってないらしい。
いつか下働き現場に行ってやると心に決めた10歳の夏。
そのメイドさんたちは今は部屋にいない。最初はなんやかやと世話を焼かれてたけど、いい加減辛かったので部屋の外で待機してもらってる。いや、皆さん良い人なんですけどね。今の俺は「リドヴェルト」だから、貴族の10歳児のフリしなきゃいけないのが疲れるんだよ。
「一人称が僕の時点で、むずがゆくなっちまうしなー」
幸いと言うかなんと言うか、俺の身体には「リドヴェルト」の記憶が宿ってる。言ってみれば、その場に合った選択肢を身体が教えてくれるんだ。家族にも怪しまれずにすんだのは良かった。
まあ、まだちょっと戸惑って変な間が空いちゃったりするけど。その辺りは「原因不明の謎の熱病」のせいってことで片付けた。いや、思ったより便利だわ、この言い訳。
目が覚めてすぐは混乱したけど、神様からの前説明もあったし、やっと異世界かーと楽しむ気持ちも強かった。死んですぐ転生かと思ったら10年待たされてたからな。どんだけ焦らされてたか。
憧れの異世界ライフ。
目が覚めて一日目、俺の心は躍った。
やっぱり中世ヨーロッパ的な感じで文化レベル低くて、そこに前世知識で俺が革命を!
魔法が使えることは保障されてるし、天才子供魔法使いとして名を上げたり!
魔法に科学的な視点を取り入れて、新しい術を開発とか!
そして四日目、結論。
全部、無理!!
ぱっと見は実に中世ヨーロッパだけど、中身はかなり近代化されていた。科学の代わりに魔法って感じで、立派に三種の神器(洗濯機・冷蔵庫・白黒テレビ)にあたるものまである。
貴族の家は上下水道完備でトイレは水洗だしな!
高いけど、携帯電話みたいなのもあったしな!
平民はそこまで行かなくとも、そこそこ近代化してる。一家に一台普及はしてないけど、洗濯屋とか冷蔵屋というのがいて、近所の人たちはそこで洗ったり保存したりしているらしい。トイレはボットン式に近いみたいだけど、衛生面がしっかりしてるし。
紙の本だって普及してて、薄いヤツなら平民でも買えるくらいだもんなぁ。全体的に思ってたよりも水準高い。
魔法、すごすぎるだろ。
そして夢を壊すなよ。
その魔法だけど、10歳じゃまだ幼すぎて触らせてもらえない。魔力を込めただけで動く器械――魔道具のオモチャとかはもらえるんだけど、きちんとした魔法って言うのはプロに師事して教えてもらうものだとか。
くそ……っ、俺の素敵ファンタジーライフが……。
だが俺は諦めなかった。父親にねだって、部屋で大人しくしている間に読むからと魔法の入門書を借りたのだ。いわゆる学校の教科書レベル、この世界じゃ中学生の内容らしいが。
超、難しい。
いきなり「魔法とは世界を構成する魔の力を使役するために編み出された術であり……」と観念的なことからスタート。対象年齢13歳以上どころか、雰囲気としては高校生レベルっぽい。こりゃ10歳児には無理だ。
転生してるから理解力はあるけどな。まぁ、その辺りは軽く読み飛ばして。
要約すると、魔法って言うのはこの世界を作っている材料をどうにかこねくりまわして、自分の好きなように形を変える方法。材料が「魔」って呼ばれるエネルギーで、この世界の全てのものは「魔」でできている。人間も動物も植物も、ミミズだってオケラだってアメンボだって「魔」でできている。
ミミズやオケラやアメンボがいるかは知らないけども。
いそうだよね。
で、魔法を使う際にはだいたい自分の「魔」を切り崩して使う。限界以上に使おうとすると、存在ごと死んで死体も残らないらしい。なにそれ怖い。
「魔」を増やす方法はあるらしいが、本には載っていなかった。入門書だからか。
そして、チャレンジ。万が一にも失敗するわけにはいかないので、一番簡単な水の術を試してみた。魔力が少なくてすむので、一番最初の練習用魔法だ。
魔法はすぐには使えないらしいが、俺は呪術・解呪術とはいえ魔法の才能があるはずだし。
才能があるはずだし!
うん。
水一滴出ませんでした。
詠唱長えよ。「ウォーター!」とか「アクア!」とか、そんな感じの呪文名を言うだけじゃダメなのかよ。なんで一番簡単な術で2行にわたる詠唱なんだよ。その間ずっと集中切らすなってもう厳しすぎるだろ。
そして詠唱の内容が……簡単に言うと、中学二年生が大喜びしそうな感じだったとだけ言っておこう。恥ずかしさを必死に堪えて唱えてみた二日目の昼……俺は個人的黒歴史だけを残したのだった……。
そして現在。
「あー……暇だ」
やることも見失って、ひたすら窓に頬杖をついている。
窓ガラスに映った俺、リドヴェルトは紛うことなく美少年。紫がかった青の目には世界を憂うかのような……うん、暇すぎて飽きただけです。でも見た目が良いから絵になるわー。
異世界生活4日目にして、飽きてきていた。元々、飽きっぽいタチだしな。遊ぼうにもゲームないし、人も居ないし。
……。
窓ガラスに落書きでもするかー。