03:木戸光輝の回想 2
お茶も羊羹も旨かった。
かこー……ん、とししおどしの音を背景に、神様は湯飲みを置いて口を開いた。
「じゃあ、本題に入ろうか」
「おう」
ちなみに俺の精神状態は、混乱と安堵がぐるぐると回りまわってバター状態だ。ようするに、もう収拾不可能、どうにでもなれ。
「それで、俺はどうなって、どうなるんだ?」
「えっとね、キミには異世界に転生をしてもらいたいんだ」
「転生って……え、俺はまだ死んでないんだよな?」
神様は座布団の横に現れたリモコンを取り、横に現れたテレビに向けた。ぱっと映った画面には、
「仮死状態だね。魂を引っこ抜いてきたから肉体だけになって、今ちょうど病院で精密検査中」
「うわああ……」
よく分からない機械に取り囲まれた俺が映っていた。なんか点滴とかされてる。顔色悪くて死人みたいだ。こんな俺、見たくなかった。我ながらドン引き。
「転生を頼むに当たって、条件に当てはまる適当な魂を連れてきたの。それがキミ。頼みごとがハッピーエンドで終われば、キミは元通りに生きていくことができるよ」
「ほ、本当か!」
元通り、の言葉に食いついて身を乗り出す。神様は自慢げに頬を緩めて、羊羹を指していた楊枝を指揮棒のように振った。
「当然。ボクの能力は『時間遡行』だからね。キミをここへ連れてきた時間ちょうどに巻き戻して、肉体に戻せば元通りだよ」
「おお、なんか神様っぽい……!」
「馬鹿にしてる?」
思わず本音が出てしまった。
いやでも、転生するのに元の生活に戻れるって凄くないか? 年を取るわけでもないし。異世界でちょっと冒険して、現実世界に帰る。まるでゲームみたいだ。一粒で二度おいしい、普通の人生だけでなく異世界での人生も体験できるなんて!
「ちょっと、素敵な妄想してるところ悪いけど、話を聞いてね」
神様の冷めた声で連れ戻された。俺はしぶしぶ話しを聞く姿勢に戻る……が、頬は緩みっぱなしだ。男の夢を叶えるチャンスじゃないか。やっぱり、剣と魔法と美少女がもりだくさんのファンタジーが良いな!
「……話聞いてね。キミが元通りに暮らせるのは、ハッピーエンドで終わったら、だよ」
「……はい?」
「ボクの依頼をきちんと達成できたら元通り。でもできずに死んだら、そのまま……仮死状態から立派な死体にジョブチェンジだよ」
「はいい!?」
シビアだった。
つまり、その依頼の出来に俺の命がかかってるわけだ。何たる暴力、人(の魂)を浚っておいて脅迫とは。
「もちろん、異世界では不自由なく暮らせるように配慮するし、支援もする。できないことをやらせるつもりは無いよ、ボクは神であって鬼じゃない……関係ない命を殺したくはないよ」
ため息をついてアンニュイな表情を浮かべる神様に、ひとまず怒りが収まる。無くなったわけじゃないが、神様だって楽しみ半分でこんなことをしているわけないもんな。
「それで、その……やってもらいたいことって」
ごくり、と喉を鳴らして聞いた俺に、神様はまっすぐと目を向けた。きらきらと変化する目に見つめられて、期待と不安で胸が高鳴る。ここまでお膳立てが成されてるんだ、一体全体、どんな頼みごとだと言うのか。
「世界を救うために、キミには勇者を――」
勇者! 少年心をくすぐられる言葉だ。やっぱり異世界ファンタジーといったらこれだろ。それでそれで、仲間の女の子と良い仲になっちゃったりして。あ、転生ってことはそのまま結婚とか……!
「――作ってもらいたい」
はい?
かこー……ん、とししおどしの音が沈黙に響いた。神様は急須からお茶を注いで、すすっている。俺はそれを眺め、空いたままになっていた口をようやく動かした。
「勇者を……作る?」
「うん」
「勇者をやってもらいたい、とかではなく?」
俺の言葉に、神様は元から大きな目を更に大きく見開いた。口元を手で押さえて、首をかしげる。
「やだ。キミってば自分が勇者の器だとでも思っていたの?」
「ぐ……っ」
視線が痛い。いや、状況的にそう思っても仕方が無くないか。神様、転生、頼みごととかさあ。俺だって男の子だもの! 憧れたって良いじゃない!
「……そ、それで、具体的には何をするんだ? まさか子供を育てて勇者にするとか?」
「そうじゃないよ。作るって言うのは語弊があったかな。勇者になる人物は、すでに用意してあるんだ」
「え、じゃあ俺は何を?」
勇者は用意してある。なのに、勇者を作る? 俺の出番が見当たらないぞ。まあ依頼のハードルが低いなら、ありがたいと言えばありがたいかも、だけど。
神様はそこで、非常に苦々しい表情を浮かべた。今まで柔和に笑ってばかりだったので、ちょっと意外だ。
「元々ね、ボクの管理する世界は二つの種族が微妙なバランスを保っていた。『時間遡行』の力を使って、よりよい未来の選択肢を選んできたんだ。だから今回もそうするつもりだった。適当な人間に、世界のバランスを変えるほどの「運命」を与えてね」
つん、と立てた指に、やじろべえが現れた。危なっかしくふらふらと動いて、二つの重りがバランスを取っている。神様はそれを冷めた目で眺め、言葉を続けた。
「ボクは干渉する力をほとんど持っていなくてね。その子が勇者になるだろう選択肢を与えて、あとは見守っていた……ん、だけど」
ふいに、やじろべえの片方の重りが消えた。当然、バランスを取れずにやじろべえは指から落ちて畳に転がる。え、何これ。凄い嫌な予感。
神様は覚めた目のまま、口元だけ笑って言った。
「人間を、滅ぼしやがったんだよね」
「ええええ……」
叫びだしたいほどの衝撃もあるが、それより神様の笑顔が怖い。当然か、飼い犬に手を噛まれたようなものだよな。
神様は全く笑っていない笑顔のまま、やじろべえをつまみ上げて再び指に乗せた。いつの間にか、重りは二つそろっていた。でも、ふらふらとしているのは変わらない。
「危うく世界が消滅するところだったんだけど、時間を巻き戻してなんとか危機を回避。でも依然として、世界のバランスが危ういのは事実でね。だから」
手を伸ばして、やじろべえが俺に近づく。その向こうに見える神様は、今度は可愛らしく笑顔を浮かべて俺に言った。
「キミには、勇者が人間を滅ぼさないように見張って欲しいんだ」
「いやいやいや」
もはやそれって、勇者って言うか危険人物じゃん。勇者って世界救うために生み出されたんじゃなかったのかよ。むしろもう崩壊の原因になってんじゃん。俺は、どんだけ危ないヤツの手綱を取らなければならないんだ。
っていうか死ぬ。死んで依頼達成できなくてリアルに死ぬコースだろ。
「そんなヤツに言うこと聞かせらんないって……」
「そこまで求めているわけじゃないよ。ただ、人間に対する悪感情を軽減させて欲しいんだ。人間が憎くて仕方が無いって子に育っちゃったのは、環境が悪かったせいもあるだろうしね」
ふう、とため息をつく様子は、なんていうか、手のかかる子供を見守るみたいな。いや、見た目は少女だからそんな例えはおかしいかもしれないけど。
世界を救うだけなら、別の選択肢をやり直すって手もあるはずなんだ。でも勇者を「その子」と呼んでいる神様を見ていると、なんだかんだ言って勇者を助けたいと思っているみたいな気がした。
神様が世界を見守っているっていうなら、たとえ世界を滅ぼした勇者でも、子供みたいなものなのかもしれない。
俺はしばらく考え込み、深くため息をついた。テレビ画面には相変わらず死人のような俺。待ってろ俺、必ず助ける。俺だけど。
神様に向き直って、口を開く。
「……つまり、そいつと仲良くなれば良いんだな?」
「うん。そうしてくれると、嬉しいな」
ふわ、と。
花が咲いたような、柔らかい笑み。
今までふざけた言動ばかりだったから気にしてなかったけど……めちゃくちゃ可愛い。いや、神様だけど! そういうヨコシマな感情を向けるのは何か違う気もするけど! うわ、なんか照れる!
「あと、気付いてるとは思うけど、ボクはキミの心が読めます」
「ですよねー!」
結構、俺が頭で考えてたことにも応対してたもんな! 俺の羞恥心!
神様はくす、と笑みを零してリモコンを操作した。画面が暗くなる――かと思ったらテレビごと消えた。すげえ。
ぽつりぽつりと、いつのまにか周りにあった物が消えていく。最初と同じ、真っ白な空間に。
ああ、これで、終わりなのか。
「勇者とは必ず会えるように、運命を調整しておくよ。すぐは無理でも……10歳を超えたくらいで、たぶん会えると思うよ」
「おう、そこから友情を築いていけば良いんだな」
「失敗したら世界滅んでキミも本体ごと死ぬから、がんばってね」
「二重に命がかかってる!」
今から生まれようと言うのに、幸先が不安だった。
ゆっくりと、さきほどまで感じていた地面の感覚も薄れていく。神様が立ち上がり、俺に向かってかがみこんだ。
「それじゃ、がんばってね」
「あ、ああ、……――っ!」
額に、暖かい感触。耳にかすかなリップ音が届き、存在が消えかけている頬が真っ赤に染まりあがるのが分かった。
消えていく意識の中で、ちくしょう、と毒づく。自分の命とか世界の命運とか関係なく、救ってやりたくなっちまうじゃねえか。
いつか会うはずの少年、待ってろよ。
――お前を勇者にしてみせる。