リリーアンジェの場合
主人公の一人称ではない番外編です。きっちり話の内容には噛んでますが、まぁ物語の裏側ということで番外としています。
構成上、三人称になっています。
本編の裏側、歴史の表舞台、「リリーアンジェの場合」。
お前はこのノールディリア家の為に嫁いでいくのだと、幼い頃から言い聞かせられていた。その為に外見を、内面を磨いてきた。少女に意思があるなど考えられることすらなく。
彼女の人生はずっと父親によって作られてきた。それが家の為であり、彼の為だったからだ。だから周りの者も当然のようにそうしていて、それが少女は酷く癇に障った。
何故、女が当主になってはいけないのだ。兄や弟よりもずっと優秀だと、自他共に認めているのに。何故当然のように嫁ぐことを前提とする。
何故、女が戦ってはいけないのだ。速く駆ける足、素早く動く機敏性、剣の筋も良いと褒められた。何故当然のように武器を取り上げ閉じ込める。
箔をつける為。そう言ってオスタリア学園に入学することになったときに、これはチャンスだと思った。
オスタリア学園で優秀な成績を残せば、家を継ぐことなく「オスト」の名を持って身を立てることも出来るかもしれない。皇国からの留学生もいる、あちらでは女でも当主になることが出来たはずだ。上手くいけば皇国で貴族として取り上げられるかもしれない。あちらは完全な実力主義、女だからと言って差別されることはないはずだ。
だから、リリーアンジェ・フォアン・ノールディリアは決意していた。誰にも負けず、誰にも頼らず、孤高に生きていく為に。
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そう、思っていたのに。
ティート・ディラーグ。全ては彼と出会ってから、おかしくなってしまった。入学して初めての顔合わせで、妙に弱気な平民が紛れ込んでいると思ったら、奨学生だというのだ。しかも試験をトップで通過して教員の覚えも良い。
私が、そうなるべきだった。
少なくとも、入学の際に申し訳程度に行われる試験では全力でやった。教養を問う試験も、実力を問う試験でも、決して悪くない評価だったはずだ。これならば初等部のうちから父親の目を覚まさせてやることも出来ると、希望が見えたのに。
なのに、何故。何故こんな少年が私よりも評価を得ているのか。ここで成果を上げなければ、リリーアンジェは家に連れ戻されてしまう。そうしたらもうチャンスはない。どこかの家に売られ、いまだ顔も知らぬ男に従わねばならない。そんなもの、許容できるわけがない。
「ティート・ディラーグ、覚悟しなさい。どれほどの実力か知らないけど、私をがっかりさせないでよね」
「え、えぇー……」
だから、ねじ伏せる。
女だから。それでねじ伏せられてきた今までのリリーアンジェとは決別するのだ。その為にも、彼女は彼に負けていることは許せなかった。なめきったような言動も、態度も、何もかもが気に食わない。
武術の演習であれば、多少の怪我も仕方ないとされるだろう。何より、相手はふざけた態度だが奨学生。それなりの実力はあるはずだ。それを打ち破れば、リリーアンジェの名はとどろくだろう。
「ではぁ、リリーアンジェさん対ティートくん……はじめっ」
気の抜けた女教員の声を皮切りに、リリーアンジェは飛び出した。自分の利点は小柄な体躯を生かした速さと敏捷性。ティート・ディラーグもあまり力押しをするタイプには見えないが、自分の土俵であれば負ける気はしない。
しない、はずだった。
数秒、数十秒――そして数分。いつも通りにすぐに片がつくと思っていた試合は、終わらない。
ティート・ディラーグはずっと、避け続けていた。紙一重に、余裕を持って、リリーアンジェの猛攻をかわし続ける。目を見れば分かる、彼はギリギリで避けているわけではない。ただ、リリーアンジェの出方を窺うように――実力を見計らうように、ただ避けている。
実力を測るのは、自分の方だと言うのに――!
「っ、ふざけるのもいい加減にしなさい!」
戦えば、その実力も知れて終わると思った。だが、実際はのらりくらりと遊ばれるだけ。打ち合うことすら出来ない、それほどまでに差がある。同じ土俵にすら立てていない。何より、腹立たしいのは、攻撃してこないのだ。まるで馬鹿にするためだけの千日手。
こちらの決意も。こちらの覚悟も。全部どうでもよいことだというかのように。
「貴方は、何のためにこの学園に来たのっ!」
リリーアンジェは人生を賭けている。今までの人生と、これからの人生を賭けてこの学園へと来た。
それを全部無視するかのような少年。かみ合わない、はるか高みにいる彼は、一体何のために。
彼は少し困ったように視線を逸らし、短剣をゆらゆらと揺らめかせて、
「……友達を作るため、かな?」
耳を窺うようなことを言った。
ともだち――友達。たかがそんなものの為だけにこの天下に名だたるオスタリア学園に来たというのか。それで奨学試験をトップで通過し、今はリリーアンジェを相手取って余裕の表情。
分からない。理解できない――底が、見えない。
彼の実力を疑う気持ちはもうない。ただ、その底知れなさに少し興味がわいた。一体どれほどに強いのか。その高みを目指すこと、不可能のような希望に胸がすっとする。
「……ティート・ディラーグ、これが終わったら、貴方に謝らせて。貴方は決して弱くなんかない。もっと自信を持って、それを誇るべきだわ」
「え、え?」
リリーアンジェの言葉に、彼は目を丸くして驚いた。急に態度が変わったからだろう。だが、今まで傲慢に振舞った自分が恥ずかしくてたまらないのだ。せめてこの試合が終わったら謝りたい。この高揚に任せて言い切り、改めて彼を見据える。
すきだらけ。しかし打ち込めば瞬時にすきは消える。せめて一合打ち合いたい。ぐっと力をこめ、リリーアンジェは駆け出した。
新しい、可能性へと。
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結果は散々だった。
何が起きたのかも分からぬうちに吹き飛ばされ、気絶。気付けば医務室のベッドの上だ。あれほど言い切ったのに、情けないにもほどがある。随所に包帯が巻かれ、じくじくと痛みも強い。どれだけの力でつぶされたのか。
そして、
「……何故、貴方がここにいるの」
「え、えっと、……あ、怪我大丈夫?」
ティートがいつも通りのとぼけた顔で傍にいた。時計を見ると、もうとっくに授業は終わっている。何が起きたのかは分からないが、相当な力だった。この学園の医務室は優秀なので、よほどのことがない限り後遺症などの心配はないが、彼は心配したのだろうか。
リリーアンジェを、心配してくれたのだろうか。
「……っ」
「え、あれ?」
ティートに背を向けて布団を被る。寝返りでずきりと身体が痛んだが、それよりも胸が痛い。思い至った考えに、自分でも信じられないくらいに心臓が飛び跳ねた。
確かに、彼は強い。だがそれだけでこんなに感情が高ぶるものだろうか。けれどあの時、彼は確かにリリーアンジェの何かを打ち砕いたのだ。誇りも決意も覚悟も、何もかもを無視して、ただリリーアンジェを見ていた。その澄んだ若草色の目で、彼女を見ていたのだ。
「し、心配なんて要らないわ」
つっけんどんな言い草に、自分で言っておいて腹が立つ。同時に彼に嫌われないだろうかと不安になった。妙な話、彼を嫌っていたのは自分の方だというのに。
「えっと……大丈夫なら、僕、戻るね」
「え……さ、さっさと帰りなさい!」
一瞬、不安げな声が漏れてしまい動転した。傍にいてほしいだなんて。自分で否定してから気付いて焦るが、もう遅い。彼が立ち去ろうとする音が聞こえる。
「……ま、待って!」
「ん、何?」
裏表のない、純粋な声。今まで聞きなれていた貴族たちの声とは違う。父親の声とは、違う。
「その……い、今まで、ごめんなさい」
思っていたよりもするりと、その言葉は抵抗なく口から出た。顔も見ずに背を向けて謝るなんて、貴族の淑女としては許せない。が、今は怪我人という身分に甘えよう。彼の顔を見て話すだなんて、できそうにない。
「……それじゃ、僕の友達になってくれる?」
間をおいて帰ってきた言葉に、リリーアンジェは今度こそ気絶するかと思った。物理的に吹き飛ばされたとき以上の衝撃。くらくらとゆだる頭を抱えて、つっかえながら言葉を返す。
「た、頼まれたら、仕方ないわね。と、とと友達に、なってあげるわよ」
「うん、じゃあよろしくね」
見なくても分かる。きっとふにゃりと気の抜けた笑顔を浮かべていることだろう。その笑顔を見たい気持ちと、見ればおかしくなってしまいそうで怖い気持ち。ぎゅっと胸が締め付けられる。
心臓の音ばかり大きく聞こえる合間に、ドアの閉じる音。彼が部屋を出て行ったのだ。ドアの向こうからは、彼と彼の友人が話す声。待っていたのだろう、楽しそうに話しながら声は遠のいていく。それがなんだか寂しくて、むず痒い。
ドキドキする。こんな気持ちは初めてだ。
リリーアンジェ・フォアン・ノールディリア、13歳。親に決められた結婚こそが人生という家庭で育った少女の、初恋であった。




