第四話:澱(よど)みの計
麓の村は、上杉の斥候が放つ威圧感に静まり返っていた。村長の家の前に積まれた僅かな蓄えを、上杉の雑兵たちが無造作に検分している。
「これだけか。他に隠しているのではないか!」
兵のひとりが、怯える村長を突き飛ばした。その光景を、山影の茂みから浪紫と菅谷政貞が見つめていた。
「浪紫殿、本当にあのような細工で、あの猛者どもを追い払えるのか」
政貞が、腰の刀を握りしめながら低く問う。彼の背後には、浪紫の指示で下剤の効果がある野草「野老」を大量に摘んできた手下たちが控えている。
浪紫は、砦の片隅で自ら差配した「調合」の光景を思い出していた。
まず浪紫は、政貞に命じて野老の根を大量に集めさせた。それを細かく砕き、桶の中で水を加えて揉み出す。さらに、砦に僅かに残っていた貴重な塩を差し出させた。
「この塩を、野老の絞り汁とともに煮詰めます。水分を飛ばし、再び結晶させるのです」
浪紫は自ら火の番をし、灰が混じらぬよう細心の注意を払って釜を混ぜた。煮詰まるにつれ、塩はわずかに黄ばみ、特有のえぐみを帯びた。
「これで、食せば激しい腹下しを起こすが、一刻も経てば元に戻る『毒塩』の完成です」
浪紫は、村人に密かに手渡したその塩の効能を確信していた。
「じきに、村人が『せめてものお詫びに』と、あの塩で握った飯を差し出すはずです」
数刻後。村の広場では、上杉の兵たちが慢心とともに、握り飯を頬張っていた。
「ふん、小田の領民にしては気が利くではないか。味は少し苦いが、空腹には代えられん……」
それが、彼らが発した最後の威勢であった。
やがて、ひとりが腹を押さえてうずくまり、またひとりが厠へと駆け出そうとして転倒した。上杉の斥候隊は、瞬く間に阿鼻叫喚の図へと変わり果てた。
「な、何事だ! 毒か! 小田の呪いか!」
正体不明の激痛と便意に襲われた彼らにとって、それはもはや人智を超えた攻撃に感じられた。
その隙を見逃さず、浪紫は政貞に合図を送った。
「今です。斬る必要はありません。ただ、鬨の声を上げ、追い払うだけで十分です」
政貞ら小田の精鋭が、怒涛の勢いで坂を下る。上杉の兵たちは、武器を取る余裕すらなく、這いずるようにして村を逃げ出した。「小田には目に見えぬ呪術を操る者がいる」という恐怖の噂とともに。
夕刻。静まり返った砦に、村人たちから感謝の印として届けられた、本物の米と新鮮な川魚が並んだ。香ばしく焼けた川魚の匂いが砦を満たし、脂の爆ぜる音が空腹を刺激する。
「浪紫殿、お主の『のろい』とやらは、まことに凄まじいのう」
氏治が、魚の身をほぐしながら感心したように言った。
「呪いではありません。ただの合理的な対処です。小田殿、これで当面の食糧と、協力者を確保できました。ですが、これはまだ延命に過ぎません」
浪紫は、氏治に差し出された酒を一口啜った。安酒だが、この時代に来て初めて、自分の知恵が現実を動かしたという実感が、喉を熱く通り過ぎていった。
(次は、奪われた城をどう奪還するかだ……)




