第十一話:泥濘(でいねい)の罠
常陸の北天を覆う暗雲の下、佐竹の精鋭三千が小田城を包囲せんと迫っていた。
かつての小田城であれば、その威容を前に氏治は浮き足立ち、無謀な突撃を繰り返しては敗走するのが常であった。だが、今の小田城は、城門に至るまでの景色が一変していた。
「……何だ、あの奇妙な堀の形は」
佐竹軍の先鋒が足を止めた。
街道の両脇には、浪紫が土木工事で設けた「遊水地」が広がり、昨夜の雨を含んで広大な底なしの泥濘と化していた。
城壁の上に立つ浪紫は、眼鏡を指で押し上げた。その隣には、源鉄斎と菅谷勝貞が、浪紫の「合図」を待って控えている。
「……敵軍、予定の位置に進入しました。勝貞殿、手はず通り、第一段階を開始してください」
「承知!」
勝貞が浪紫から渡された、鮮やかな「赤い旗」を振る。
すると、街道沿いの茂みに潜んでいた足軽たちが、一斉に鳴子を鳴らし、火薬を詰めた竹筒を投げ込んだ。
ドォォン! という腹に響く爆音が、湿った空気を震わせる。
殺傷力こそ低いが、その「音」と「光」は、佐竹自慢の騎馬たちを恐慌に陥れるには十分であった。
「馬を鎮めよ! 構うな、突き進め!」
佐竹の指揮官が叫ぶが、混乱した馬たちが逃げ込んだ先は、浪紫が計算し尽くした「最も深い泥濘」であった。一度足を取られれば、重い鎧を纏った武者は、もがけばもがくほど沈み込んでいく。
「……源鉄斎殿、仕上げをお願いします。教えた通り、一箇所へ集中して放て」
浪紫の指示に、源鉄斎がニヤリと笑った。
「心得た。……狙いは一点! 放てっ!」
城壁から放たれた矢の雨が、一点に集中して佐竹の指揮官周辺に降り注ぐ。バラバラに放つのではなく、区画を絞って密度の高い弾幕を形成する――浪紫が持ち込んだ合理的な戦術であった。
佐竹軍は、一人の兵とも刃を交えることなく、泥と矢の雨の中で一方的に削り取られていった。本陣でその光景を見ていた佐竹義昭は、顔を屈辱に歪ませた。
「……これが小田の戦か。武士の情けも、美学もありはせぬ。まるで、巨大な罠に嵌まったかのようだ」
本丸の影からその惨状を見守る浪紫は、手元の帳面に小さく印をつけた。
(……シミュレーション通りだな。テストプレイとしては上出来だ。だが、これはまだ序章に過ぎない)
浪紫の「縛りプレイ」は、今、血と泥の臭いと共に、戦国の常識を塗り替え始めていた。




