アーキルの苦悩
皇女の馬車が遠ざかって行くのを、岩陰から見ていたアーキルは、早鐘を打つ鼓動を鎮めるため、岩に背を預けた。
あの馬車に皇女が乗ってるだなんて、誰が予想できるんだ。探索者に礼を言うためだけに、馬車を降りてくる皇女がいるとは……。
「あの人、皇女様だったよね? キル様はなんで正体を隠したの?」
馬車が見えなくなった後、アーキルとウィサムは岩陰から馬賊の頭目を捕らえている川辺に向かう。
その道すがら、ウィサムがアーキルを見上げて訝しげに聞いてきた。
「未来の妻だぞ?! 婚約者がこんな場所で薄汚れた格好をして、野蛮なことをしてると知られてみろ。卒倒されるかもしれない」
皇女は世間知らずのお姫様だ。いや、だと思っていた……考え直した方がいいのかもしれないな。庶民に対して礼を言うためだけに、彼女は馬車を降りてきた。世間知らずかもしれないが、周囲に対する慈愛は持ち合わせている女性みたいだ。
「皇女様、そんなにか弱そうには見えなかったけど? そもそも、探索者を野蛮だと思ってる人なら、馬車から降りてこないでしょ」
川辺に着き、縄で縛り付けて転がしておいた馬賊の頭目を乱暴に起き上がらせて、ウィサムが痛いところを突いてくる。
「俺の矜恃の問題なんだ! 顔を合わせるなら、それ相応の格好をしていたい」
さっきの皇女はその身分に相応しい格好をしていた。それなのに、今の俺の姿はどうだ? 全く釣り合わないだろ……。彼女が許容してくれたとしても、俺が許容できない!
「……てっきり深い訳があるのかと思ったのに。キル様が日和っただけか……くだらないなぁ! 矜恃を気にするより、皇女様に同行して安全に宮殿まで連れて行ってあげた方が、余程好感持たれると思うけど?」
ウィサムに容赦なく毒舌を吐かれ、アーキルは不貞腐れながら川辺に座る。
いつも以上に口が回ってるな。ときどき思うが、ウィサムは俺のことを王太子だとちゃんと認識してるのか……? 気を許してくれてるのは分かるが、あまり言われると傷つくんだが。そもそも、皇女の安全に関してはウィサムに言われなくても対処している。
「……だから腕輪を渡しておいただろ。道中何かあってもあの腕輪が彼女を守ってくれる」
腕輪さえ見せれば、王太子の関係者だと分かるからな。それに
「まだ宮殿に戻れないんだ。婚姻の宴に俺がいなくても、腕輪さえあれば無下にされることはない」
子どもたちの居場所をこの頭目から聞き出して、孤児院に帰すまでは戻れない……あの宮殿には戻りたくない。息が詰まる……。
「戻れないじゃなくて、戻りたくないんでしょ。というか、宮殿の中でさえ髪色直さないで変装してる時点で、矜恃だなんだの前に、誠実じゃないことを自覚した方がいいと思うけど」
ウィサムが小瓶を懐から取り出し、蓋を開けて中身を頭目に無理やり飲ませる。
ウィサム特製の自白剤だ。えげつない。
頭目とウィサムから視線を逸らす。
黒髪に染めている髪をひと房手に取り、じっと見つめる。
なぜ俺の髪は銀色なんだろう。この色でさえなければ、染め続ける必要も無いというのに。
「……それは……仕方ないだろ。元の髪色だと母上が俺を俺として認識してくれなくなるんだから」
砂で汚れるのも構わず、アーキルは勢いよく仰向けに寝転んだ。
皇女にまで偽の姿で接さないといけないのか? それは、ウィサムの言う通り誠実さに欠ける。せめて、伴侶になる彼女の前では本当の姿で居たい……。
頭目の苦悶の声が止み、辺りが静けさに包まれた。
それでも起き上がらずにいると、ウィサムの影で陽の光が遮られる。
「……言い過ぎちゃった? キル様ごめん」
屈み込んで上から覗いてきた顔には、珍しくばつが悪そうな表情が浮かんでいた。
「いや、いい。これもいい機会だ。彼女と婚姻を結ぶと同時に髪色も元に戻そうと思う。その方が誠実だろ? 母上には悪いが無理やりにでも正気に戻っていただかなくては」




