第2部 8話 アメティスト子爵家のお茶会 前編(モブ視点)
セシル・ブランカ男爵夫人は、馬車から降りながら案内の者に気づかれないよう微笑んだ。
(このお茶会に参加できるだなんて、ゼルマンがしっかり務めてくれたおかげね)
セシルは栗色の髪に琥珀色の瞳。22歳という若々しさと、侍女として働いた経験、既婚者としての落ち着きが備わった淑女だ。
クリーム色の百合を模した髪飾りで髪をまとめ、百合が描かれたドレスを着ている。
(それにしても、一番良いお茶会用ドレスを着てきてよかった)
アメティスト子爵邸の馬車留めに並ぶ馬車の家紋、馬車から降りる淑女たちを見ながら思う。
お茶会の参加者はそうそうたる顔触れだ。
(招かれているのは、アメティスト子爵家と同じサフィリス公爵家派閥が五割。私たち派閥外の近衛騎士関係者が五割といった所かしら。
男爵、子爵はもちろん伯爵や侯爵家の方々まで。流石の顔触れね)
アメティスト子爵家は、ヴェールラント王国の中でも長い歴史を持つ名家だ。
おまけに当主は元近衛騎士で、夫人は元王妃つき侍女。寄親の公爵家からも信任が厚い。
また、【夏星の大宴】で時の人となったルルティーナ・プランティエ伯爵は養子だ。
さらに、同じく時の人となったアドリアン・ベルダール辺境伯は、子爵の弟子であり親しいという。
(下手な伯爵家よりよほど権勢を誇っているわ。生まれながらの高貴な身分ね。
同じ武門の家でも、私たちとは大違いだわ)
セシルはつい嫉んだ。
セシルの夫ゼルマン・ブランカ男爵は、近衛騎士になったことでようやく男爵位を得た。
ゼルマンは伯爵令息だったが、五男なので継承する財産も地位もなかった。騎士として独り立ちした時、与えられたのは家名だけだ。
セシルも男爵家の三女で、成人する前から侍女として他家に働きに出ていた。当然、持参金も少なかった。
ゼルマンは騎士となり準男爵位が与えられていたが、準男爵と男爵以上では与えられる権限も財産も桁違いだ。
ゼルマンとセシルは二人で支え合い、近衛騎士の推薦を勝ち取り陞爵したのである。
アメティスト子爵家とは雲泥の差だ。
(おまけにアメティスト子爵家は、魔石用水晶事業の利益が上がる見込みだわ。
ただし、最近聞いた例の噂……。
「残酷で野心家のベルダール辺境伯が、プランティエ伯爵を利用するために囲い込んで婚約した。アメティスト子爵家も加担している」あれが事実なら、取り潰される可能性もある。
上が一つ潰れれば、私たち新興貴族家が台頭するチャンスも回ってくる。
それに)
セシルは打算した後で顔をしかめた。
(噂が事実なら捨ておけない。か弱い女性が虐げられ利用されるなんて、あってはならないのだから)
噂については、セシルもゼルマンも半信半疑だった。
セシルはアメティスト子爵夫妻と親しくない。良い噂も悪い噂も聞く。しかし悪い噂のほとんどが、明らかに嘘か誇張された物だった。
アメティスト子爵から度々指導を受けているゼルマンも、夫妻はそのような方々ではないと言う。
ただし。
(人には様々な面があるし、嘘もつくし演技もする。
何より、ルルティーナ・プランティエ伯爵とアドリアン・ベルダール辺境伯の為人はわからない)
ルルティーナは、【特級ポーション】を生み出した天才ポーション職人だ。
同時に、長年に渡り虐待を受けていた悲劇の令嬢でもある。
ではアドリアンはというと、ミゼール領の魔境浄化を大きく推し進めた騎士だ。男爵家の三男から辺境伯に成り上がった苦労人でもある。
実力に関しては非の打ち所がない人物だが、伯爵時代は惨殺伯爵と渾名されており、悪い噂が多い。
妬み嫉みが大半だろうが……。
(【夏星の大宴】でのお二人は、仲睦まじい様子だった。プランティエ伯爵もはっきりと自分の意見を口にされてはいた。
けれど、ベルダール辺境伯はプランティエ伯爵を離そうとせず、過剰なまでに周囲を威嚇していた。そして、辺境伯がいない時はアメティスト子爵家の関係者がいた。
惨殺伯爵とも呼ばれた男がアメティスト子爵家と共謀し、儚げな女性を脅迫して従わせていたとしたら?
あとは……プランティエ伯爵のもう一つの噂の真偽も気になるわね)
もし、もう一つの噂が事実なら。
ルルティーナとアドリアンの婚約は悲劇だ。
セシルは密かに気合いを入れた。
(当家の隆盛のため社交するのが第一だけど、プランティエ伯爵が窮地に立たされているのならお助けしなければいけないわ。ゼルマンもそうしていいと言ってくれたし。
まあ、今日のお茶会でお会いすることはないでしょうけど)
今日の茶会の主題は、アメティスト子爵家の友人知人同士の交流だ。後は、シトリン子爵家の商品のお披露目も兼ねている。
多忙なプランティエ伯爵はミゼール領から長期間離れられず、今日のお茶会にも参加しないと聞いていた。
しかし、セシルは玄関に足を踏み入れて目を見開く。
「セシル・ブランカ男爵夫人、ようこそお越し下さいました」
セシルら招待客を出迎えたのは、主催のアメティスト子爵夫人、その実子のシトリン子爵夫人、そして。
「ブランカ男爵夫人、初めてご挨拶させていただきますね。ルルティーナ・プランティエ伯爵と申します」
居るはずのない人が、優美に微笑みカーテシーをした。
◆◆◆◆◆◆
アメティスト子爵家のサンルームは、秋の日差しと淑女たちの装いで明るく華やいでいた。
テーブルに並ぶ菓子と茶は、東方風の色とりどりの焼き菓子と緑色の茶だ。シトリン子爵家の運営するシトリン商会が用意したのだろう。
シトリン商会は、東方からの輸入品を主に扱っている。海の向こうから運ばれる品々は、人気の高い高級品だ。
セシルはサーブされた焼き菓子を食べた。小麦でできた生地は薄く、意外なほど柔らかい。
生地の中には、なめらかな舌触りの具が入っていた。
(美味しい。具は、東方で良く食べるという甘く煮た豆かしら?初めての味だけど癖になりそう。でも、こってりとしていて喉が渇くわね。お茶を飲みましょう。これは……緑茶ね。
緑茶は一度だけ飲んだことがあるけど、あの独特の味が苦手なのよね……)
出された限りは飲まないといけない。これもまた、イリスが嫁いだシトリン商会の商品だろう。
恐る恐る手を伸ばしたセシルだったが、一口飲んで目を見張った。
(あら?この緑茶、味が全く違うわ。爽やかで美味しい。特別な物なのかしら?
って、いけない。茶菓子を楽しんでいる場合ではないわ)
セシルは周囲に意識を戻した。
主催も含め、二十人ほどの淑女たちがいる。
(まさか、ルルティーナ・プランティエ伯爵も参加するなんて)
思ったより早く仕事が片付いたので、アドリアン・ベルダール辺境伯と共に王都に来たそうだ。
まだ社交に不慣れなため、まずは義母主催のお茶会に参加したのだという。
このような理由で、主催者の身内が飛び入り参加することは珍しくない。よほど格式の高いお茶会でない限りは許される。
お茶会のはじめ、アメティスト子爵夫人が説明した。
「家名と爵位を賜り勤めを果たしているとはいえ、義娘はデビュタントして間もない若輩者です。粗相がございましたら、遠慮なく申しつけて下さいませ」
「よろしくお願いします」
「とはいえ、私的なお茶会ですから大目に見ていただけると嬉しいですわ」
「イリス!義妹を甘やかすのはおやめなさい」
なんとも肩の力が抜けるやり取りだった。
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