3話 思いがけない命令
「ここは……」
使用人たちに連れて行かれたのは、私の予想に反して屋敷の中でした。九年ぶりの煌びやかな空間に目眩がします。
「こら!きょろきょろするな!」
「お屋敷の中を汚い手で触るなよ!お前の命より高価なものばかりなんだからな!」
「か、かしこまりました」
頷きながら納得します。確かに、絵画や壺などの高価な調度品が、昔よりはるかに増えています。
また、窓枠や天井にも、赤と金を基調とした装飾が加えられているようです。
九年前の屋敷を追い出されたあの日、ララベーラ様に見下ろされた階段もそうです。手すりなどの装飾に、赤い宝石と金細工が加わってます。
私は使用人たちに促されるまま、どこにも触らないよう気をつけて階段を上がりました。そして、ある部屋までたどり着いたのです。
私はハッと気づきました。
この部屋はお父様……いえ、アンブローズ侯爵様の執務室です。使用人が扉を叩きます。
「ララベーラ様、クズを連れて来ました」
「入りなさい」
私は使用人たちに突き出されるようにして入室しました。
広くて華やかな執務室には、三人の高貴な方々がお揃いでした。皆さま執務室の中央にある、机を挟んだ豪華なソファに座っていらっしゃいます。
片方のソファに座っているのは、今日も大輪の薔薇のように着飾っているララベーラ様。
もう片方のソファに座っているのは、厳しい顔をしたアンブローズ侯爵様と、侯爵夫人である奥方様です。
アンブローズ侯爵様と奥方様が、私を見て顔を歪めます。次の瞬間、机を叩く音と怒声が響きました。
「ララベーラ!どういう事だ!」
「そうです!何故このクズが此処に居るのですか!屋敷が穢れます!」
「全くだ!そもそも今はお前の辺境行きの……!」
ララベーラ様も声を張り上げます。
「私は辺境行きなど承諾しておりません!魔獣だらけの荒野になど誰が行くものですか!」
「我儘を言うなララベーラ!これは……」
「ひどいわ!ああ、どうしてわかって下さらないの……!」
赤薔薇色の瞳が潤み、眉尻がさがってゆきます。爪先まで磨かれた白い指が涙を拭う仕草をします。
「お父様とお母様は、私が可哀想だとは思わないのですか?守っては下さらないのですか?ララベーラのことが可愛くないのかしら……」
子供のように弱々しい表情に甘い声。アンブローズ侯爵様と奥方様は、あわてた様子で声を上げます。
「まさか!お前だけが私の可愛い娘だ!」
「ええ!貴女だけが私の大切な娘です!」
ララベーラ様はパッと顔を上げました。無邪気な笑顔が花開きます。
「お父様!お母様!ララベーラは嬉しゅうございます!では、お守り頂けるのですね!」
「ああ、ララベーラ。私達も大切なお前を辺境などに送りたくはないのだ。だが、これは王命なのだ。あの成り上がりの辺境騎士団団長の要望に答えよとな……」
この場合の辺境とは、魔境との境界であるミゼール領のことでしょう。この屋敷がある王都から、はるか北の土地です。
魔境とは、この世界に幾つもある瘴気と魔獣に満ちた土地のことです。恐ろしいことに、放置していると瘴気も魔獣もあふれさらに広がってしまうそうです。
辺境騎士団とは、魔境からヴェールラント王国を守護されている騎士団のことです。とても尊く大切なお役目です。
辺境騎士団の団長様からお声がかかるのですから、やはりララベーラ様は素晴らしいお方なのです。
魔力無しの私と違って。
「要望書には、『アンブローズ侯爵家で最も治癒に秀でた娘を、辺境騎士団に派遣して頂きたい』とある。
辺境騎士団長、いや、惨殺伯爵はお前を指名しているのだ」
ララベーラ様の眦が釣り上がり、薔薇の瞳が燃え盛ります。
「惨殺伯爵!元はたかが男爵家の三男ではありませんか!しかも魔獣討伐に明け暮れる穢らわしい男!
高位貴族であり、癒しの聖女と崇められているこの私が!そのような要望に応じる必要はございませんわ!」
「ララベーラ、しかしだな……」
「ええ、いくら我がアンブローズ侯爵家をもってしても、王命に逆らうのは……」
「お父様、お母様、落ち着いてくださいませ。要望には私の名はありません。いくらでもやりようはあります。例えば……お前、それをここまで持って来なさい」
ララベーラ様の真っ赤な唇が弧を描き、真紅の爪が足元を指しました。
「かしこまりました」
私は使用人に引きずられララベーラ様の足元に投げ出されました。
「……っ!」
衣擦れの音がして、頭に鋭い痛みが走ります。
見えませんがわかります。ララベーラ様に踏まれているのでしょう。
悲鳴をあげそうになって、唇を噛んで声を殺します。
「いっ……!うぅっ……っ!……っ!」
怖くて、痛くて、惨めで、涙がにじんで床を濡らしました。
「アンブローズ侯爵家の娘は私だけではありません。これがいるでしょう?
これはどうしようもない魔力無しのクズですが、一応はポーションが作れるのです。ポーションと共に辺境に差し出してやれば充分でしょう。
ああ、不毛な辺境にはポーションごときの材料も設備もないでしょうし、それもつけてやりましょう」
「おお!その為にこれを連れて来たのか!ああ、美しく賢いララベーラよ。私だってそうしてやりたい。だが……」
「王家とて、身の程知らずの惨殺伯爵の要望に呆れているはずですわ。
それに私はシャンティアン殿下と婚約する身。ご配慮頂けるに決まっています」
「なに!?とうとう王太子殿下のお目に止まったのか!!」
「まあ!流石は私の娘だわ!」
「ええ。間違いございません。……お父様、これを辺境に送っても構いませんね?」
「ああ!もちろんだ!でかしたぞララベーラ!」
「当然ですわ。……ほら、さっさと支度に取りかかりなさい!このクズ!」
ララベーラ様は立ち上がり私を蹴り飛ばしました。
強烈な痛みに耐えながら立ち上がると、ララベーラ様と目が合います。
愚かな私はその時、ララベーラ様の代わりに辺境に行くことを自覚したのです。
「ふふふ。私は慈悲深いから愚かなお前に教えてあげる。辺境は魔獣だらけの荒野で、常に死傷者が絶えないそうよ。正にこの世の地獄ね。
だからね、お前のくだらないポーションも無いよりはマシだと思うの。
よかったわねえ。魔力無しのクズが、初めて人の役に立てるわよ」
ララベーラ様は扇で私の頬を叩きながら、クスクスと笑います。
「ああ、あの惨殺伯爵のことも教えてあげるわ。魔獣を殺すことが何より好きな大男ですって。うふふ。
惨殺伯爵をはじめ、辺境騎士団は下位貴族の次男三男と平民出ばかり。騎士とは名ばかりの下民の集まりよ」
奥方様が「下民の集まり!ああおぞましい!」と叫びます。
ララベーラ様は声を落とし、私にだけ聞こえるよう囁きました。
「女日照りとも聞くわ。醜く貧相なお前でも、下民の慰み者にはなれるかもしれないわねえ。ええ、きっとそうよ。薄紅の瞳は淫売の色ですもの」
私は痛みでぼんやりとする頭で、ララベーラ様の仰ったことを噛み締めました。
私が愚かだからでしょうか?幾つか意味のわからない言葉もありましたが。
惨殺伯爵様。初めてお名前をお聞きしましたが、辺境騎士団の団長を勤められている上に、魔獣討伐の功績豊かな騎士様だということはわかります。
そして、辺境騎士団の皆様もそうです。
魔獣がどれほど恐ろしく、辺境を護ることがどれだけ大切か。
幼い頃、家庭教師から教えられて学びました。
私ごときが出来ることがあるとは思えませんが、辺境の皆様にお仕えしましょう。
……生まれてきた罪を償うためにも。
「王太子妃となる癒しの聖女ララベーラが命じる。
魔力無しのルルティーナ。我がヴェールラント王国のために死ぬまで辺境で奉仕しなさい」
私はなんとか声を絞り出します。
「はい……かしこまりました……」
こうして私は、生まれ育ったアンブローズ侯爵家を出ることになったのです。
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