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19話 赤薔薇の破滅 二輪目(アンブローズ侯爵視点)

 ルルティーナがアドリアンの名を呼んでいた頃。

 王都のある貴族の屋敷の、薄暗い地下の一室では。


「ぐべがばばば!おぶぶ!」


 アンブローズ侯爵レリック・アンブローズの無様な悲鳴が上がっていた。


(何故!何故!この私がこんな目に!くそ!治癒魔法が使えない!)


 レリックは、屈強な男によって何度も液体に顔を突っ込まれていた。

 屈辱的な姿だ。魔力封じの首輪をはめられ、両膝をついて頭を下げているのだから。しかも場所も酷い。

 液体が満たされた大きな盤の中なのだ。お陰で、レリックの全身はずぶ濡れだった。

 自慢の赤髪はぐしゃぐしゃに崩れ、傲慢と優越に満ちていた顔は涙と鼻水と唾液をたらし、侯爵に相応しい衣装と装飾は黒く濁った液体で台無しだった。


「げほげほっ!……かはっ!……はあはあ……!」


 溺死しない程度に顔を突っ込まれては引っ張り出されるを繰り返し、小一時間は経つ。これはレリックに対する懲罰だった。


「おえっ……ぎゃっ……~~~っ!~~っ!」


(こ、ここまでする意味はあるのか?苦しい!嫌だ!出来損ないで溺死しなんてしたくない!誰か助けてくれ!)


 盤の中の液体は、特級ポーションとして裏ルートで流通させてしまった劣悪品だ。先日のレリックの失敗そのものである。

 ポーションとは名ばかりで、なんの効力もない出来損ないだ。いわば劣悪ポーションである。

 おまけに。


(ううう!臭い!なんなんだこの鼻が曲がりそうな臭いは!しかも味が酷すぎる!苦くて生臭い!)


 レリックは、味と臭いの酷さ、溺死への恐怖などで顔をゆがめ、あらゆる穴からあらゆる液体を流していた。


「ひぐっ……!ひっ……おえぇっ!」


(殺される!殺される!『このお方』に!)


 レリックが恐れる高貴なお方は、部屋の中央に据えられた豪奢な椅子に座っていた。

 八十歳は越えているであろう金髪の老人だ。

 威厳がありつつも穏やかな顔立ちをしていて、着ている衣装も華美過ぎず品がある。

 ただし、血のように赤い瞳は異様な輝きを放っていた。

 その両脇には、二人の男が立っている。一人は老人の古くからの側近。もう一人は老人の年若い孫だ。老人と同じ髪色と瞳の色を持つ。

 どちらも、虫でも見るような眼差しをレリックに向けている。


(クソ!下民と家督を継いでいない若造が!私を誰だと思っ……!)


「レリック・アンブローズ」


 温度を感じない、穏やかだが威圧を感じる声。レリックの心臓が嫌な音を立てた。


「アンブローズ侯爵よ。余はお主を評価している」


「は、はひ……!あ、ありがたきしあわせ……!」


「お主は、アンブローズの愚かな三輪の薔薇と違い、不吉で穢れた者どもを庇護しなかった」


(そうだ!私は父上たちのように、穢らわしい下民だの、下らないポーション職人だの、生意気な治癒魔法師だのを取り立てなかった!追い出すか死ぬまでこき使ってやった!)


「また、余に余計な口出しをすることもない。お主は正しい。お主こそが真の貴族だ。真の王たる余に仕えるに値する臣下だ。

此度の失敗は実に残念なことだと思っている」


「うぅ……ま、誠に仰る通りです。申し開きもございませ……うぐぼべあああっ!~~~っ!」


 レリックは領地の代官たちに指示し、逃げ出した工場の職員たちとポーションの道具と材料を探させたが、見つけられなかった。

 もちろん、代わりの特級ポーションも用意できていない。

 全ては工場の職員たちのせいだと、レリックは憎しみを募らせた。


(何が『過酷な待遇に抗議するため退職します』だ!下民ごときが!この私が使ってやったというのに恩を忘れおって!)


 全員を見つけ出して、特級ポーションを作り直させた上で罰を与えたい。特に、職員をそそのかしたであろう工場長は、その命で償わせてやりたい。

 しかし、工場長が残した書き置き以外に手がかりはなく、一人も見つからないままだ。


「下民ごときに逃げられた上、手がかりも掴めぬとは情け無い。しかしお主は、失敗に対して充分な誠意を示した」


 その通り。レリックは、裏ルートの取引役全員に違約金を差し出した。


 もちろん、これは容易ではなかった。

 レリックは当時を振り返った。




◆◆◆◆◆




『どうしたらいい?何故こんなことに』


 特級ポーションは高価だ。硝子瓶一本で最低でも金貨百枚の価値がある。下級貴族が住む規模の屋敷ならば買える額だ。それが千本以上必要だったのだ。

 違約金は、アンブローズ領の直近一年間の収益に匹敵する莫大な額となってしまった。


 アンブローズ侯爵家の貯蓄だけでは足りなかった。レリックは踏み倒したくて仕方なかったが、そんな事をすれば殺されると知っていた。


 レリックは密かに金策に走った。だが、融資も借金も全て断られてしまう。

 金を自由に使えなかった若い頃から、借金だの給与だのを踏み倒し続けたせいだった。

 そこで、妻リリアーヌのコレクションである宝石とドレスを処分することにしたのだが、リリアーヌは抵抗した。


『旦那様!どうかやめて下さい!こんなに宝石とドレスを減らされては社交が出来ません!』


『うるさい!黙れ!』


『ぎゃあっ!』


 レリックの拳がリリアーヌの頬に炸裂した。リリアーヌは倒れ込む。


『何が社交だ!噂話と自慢話をするだけで情報収集も出来ない無能が!黙って私に従っていろ!』


 リリアーヌに対し、まるでルルティーナにしたように暴力をふるった初めてだった。

 が、後悔はない。もっと早くこうすればよかったとすら思った。


『誰のお陰で生活出来ていると思っているんだ!さっさと宝石とドレスを出せ!もとは私の金だろうが!』


 リリアーヌは頬を押さえながら立ち上がり、レリックを睨みつけた。


『貴方こそ誰がこの家の差配をしてやっていると思っているのよ!私は女主人よ!私の宝石とドレスはその報酬よ!大体失敗したのは貴方じゃない!売るなら貴方の下らないガラクタが先でしょう!』


 ガラクタとは、レリックが集めている美術品たちのことだ。レリックは怒りのままリリアーヌに襲い掛かった。自慢の赤髪を引っ張って顔を叩く。


『なんだとこの年増あああぁ!』


『ぎゃあ!髪はやめて!この人でなし!』


 レリックとリリアーヌは、使用人たちに止められるまで醜い争いを続けた。

 その後、違約金を払えなければリリアーヌとララベーラも破滅すると説明し、なんとか互いのコレクションの半分を処分することで手を打った。

 処分して出来た金と貯蓄を合わせ、ようやく違約金を用意できたのだった。


 ララベーラにも禁欲するよう命じた。当然、不満たらたらだったが。


『いつも通り、下級貴族と遊んでやって小遣い稼ぎするか、王太子殿下に新しい宝石とドレスを贈って頂けばいいだろう』


『まあ!お父様ったらお披露目もまだですのに気が早いですわ!でもそうねえ。殿下も私を飾り立てたいでしょうし、お願いしてあげようかしら』


 王太子殿下に贈って頂くというアイデアは気に入ったようだった。



◆◆◆◆◆




(ララベーラには、遊び稼ぐ手をもっと使わせよう。そして、王太子殿下から援助を引き出せればなんとかなる)


 レリックが算段をつけていると、老人が再び口を開いた。


「余は、一度の失敗を許さぬほど狭量な主君ではない。次の納期までに、予定していた数の特級ポーションを用意すれば良い。まだ三ヶ月もある。魔力無しどもをかき集めれば簡単だろう?」


「はいぃっ!か、必ずや!」


「余は寛容なのだ。大切な臣下であるお主に厳しい罰など与えたくない。だがな」


 老人が目をすがめると、レリックの首筋にナイフが当てられた。


「危うく、余の同盟国との関係にヒビが入るところであった。あまつさえ、逆賊を討つための資金が手に入らなかった」


(逆賊を討つ!?ま、まさか!本気で王位の簒奪を狙っているのか!?)


 レリックは戦慄した。レリックは自分を認めたこの老人を敬ってはいたが、熱烈な忠誠を持っているわけではない。老人がいつも宣っていた野望に関しては、話半分に聞いていたし、本気ではないと思っていた。

 自分と共にポーションの密売で私腹を肥やし、ララベーラを王太子妃にすることで外戚として宮廷を乗っ取る。

 それこそが、レリックを支援してきた目的だと思っていたのだ。


(ということは、すでに挙兵の準備もしているのか?王家に知られれば、いくらこのお方が直系血族とはいえ……)


「レリック・アンブローズよ。二度目はない。

かつてのアンブローズ侯爵夫妻と嫡男のように、剪定されたくなければしくじらぬ事だ」


「……は、はひ……!か、寛容に、かんひゃします!ルビィローズ公爵閣下!」


 レリックの悲鳴じみた声に、アンブローズ侯爵家の寄親たる大貴族であり、前国王の王弟たるルビィローズ公爵アンビシオン・ルビィローズは、歪んだ笑みを浮かべた。



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