14話 赤薔薇の破滅 一輪目の前編(アンブローズ侯爵視点)
時は、ルルティーナとベルダール団長の会食から数日前に遡る。
その日、アンブローズ侯爵レリック・アンブローズは、己の執務室でニヤけた笑みを浮かべていた。
手元には、アンブローズ侯爵領にあるポーション工場から届いた報告書がある。
(全て上手く行った。あの婆のせいで時間がかかったが……。婆め。下民の分際で、この私にあんな『血の誓い』を結ばせおって)
レリックは六年前の出来事を思い出した。
老婆。裏庭の小屋に住ませていたポーション職人が『新しいポーション』を見せた時のことを。
◆◆◆◆◆
レリックは赤い瞳を見張った。
美しく輝く透き通ったポーションは、既存の上級ポーションよりもはるかに効力が高かったのだ。
『ぎあああああ!』
『おやめくださ……ぐぎゃっ!があああっ!』
『ひいいっ!たすけ……!』
レリックは嬉々として下男下女で試した。腹を裂こうが、腕を切り落とそうが、油をかけて火をつけようが、新しいポーションを飲ませれば治った。
レリックは目の色を変え、ポーション職人を褒めた。
『魔力無しの下民にしてはよくやった!貴様……ああ、名前はなんだ?覚えてやっても良いぞ』
『パンセだ。新しいポーションはアンタのお気に召したかい?』
『もちろんだ!』
そしてレリックは、儲けの算段をつけた。
パンセは、レリックの父である前アンブローズ侯爵に雇われたポーション職人だ。それ以前をレリックは知らない。
(どうせ根無草だろう。父上は穢らわしい下民がお好みだったからな)
前アンブローズ侯爵は、国家治癒魔法師でありポーションの研究者だった。嫡男であるレリックの兄も同じだ。
彼らは、官民を問わず優れた治癒魔法師とポーション職人と交流し、時に雇い入れて共同で研究に勤しんでいた。その一人がパンセだ。
彼らは主に、ポーションのレシピや効果的な活用法を研究していた。
そしてついに、パンセが新しい上級ポーションのレシピを開発した。既存の上級ポーションよりも効果が高い上に、光属性の魔石とアンブローズ侯爵領で取れる数種類の薬草で作成できる。画期的なポーションだった。
前アンブローズ侯爵は、パンセからレシピの権利を買取った。上級ポーションをアンブローズ侯爵領で量産し、レシピを高額で販売することでポーション事業を確立したのである。
(今回も同じようにすれば良い!)
レリックはパンセに詰め寄った。
『レシピを寄越せ!金なら上級の倍、いや、三倍まで出してやるぞ!』
(安い物だ!買い取った後は、これまで通り死ぬまでポーションを作らせてやる!)
『そうかい。なら、上級ポーションの時と同じだね。この契約書にサインを頼むよ。私が希望する報酬と引き換えにレシピを渡すことになっている。報酬内容は……』
『わかったわかった!書いてやろう!』
(ふん!どんな報酬か知らないが、思い上がった金額なら踏み倒すだけだ!)
レリックは短慮で思い込みの激しい男である。パンセの話を良く聞かず、また、契約書をほとんど読まずにサインしてしまった。
サインを書き切った瞬間、契約書の文字が赤く光りようやく己の失策を悟ったのだ。
『な!?こ、これは【血の誓い】か!なんのつもりだ婆あ!』
『ははは!短気で間抜けのレリック坊ちゃん!内容を確かめずにご契約頂き感謝するよ!』
『なんだと!……こ、これは!』
レリックは契約書を食い入るように読み、驚愕した。
【この契約は血の誓いを元に交わされた厳格な契約である。
新しいポーションのレシピは、レシピの発見者であるポーション職人ルルティーナがアンブローズ侯爵家に譲渡するものとする。
レシピは既に契約書の裏面に書かれている。ただしルルティーナが成人後、生きたままアンブローズ侯爵家から出て、三日以上経たなければ文字は浮かばない。
また、特に以下の行為を禁じる。
アンブローズ侯爵家の関係者が、ルルティーナがポーションを作るところを見ること。
ルルティーナが成人前に落命すること。
レリックがルルティーナを殺害しようとすること。
以上の三禁を犯した場合は、理由を問わず契約違反となり、アンブローズ侯爵家の関係者が新しいポーションのレシピを読むことは永遠に出来なくなる】
『このポーションのレシピを作ったのが魔力無しのルルティーナ?!しかもあのクズが成人してアンブローズ侯爵家を出るまでレシピは手に入らないだと!ふざけるな!これでは量産できないではないか!』
パンセはにやりと笑った。
『そうさ。もっと手っ取り早い契約内容にしたかったけれど、今のアタシの魔力量じゃこれが限度だった』
『魔力無しのフリをして騙していたのか!』
『人聞きが悪いねえ。アンタの決めつけに合わせてやっただけだよ。確かに、ポーション職人は魔力無しが多いけど、そうとも限らないんだよ。アンタは本当に思い込みが激しくて迂闊だねえ」
『下民がほざくな!何が目的だ!』
『あの子をアンタの殺意から守ることさ。
アンタの嫁はあの子を嫌っているが殺意はない。長女はあの子を長く生かして嬲りたい。
アンタだけが、何度もあの子を、ルルティーナを本気で殺そうとしていた』
その通りだ。
レリックはルルティーナを小屋に追いやってから、何度も殺そうとしていた。致命傷を与えたり、食事に毒を盛っていた。
最初はここまで殺意を抱いてはいなかった。ルルティーナがポーション職人として成長していくと共に、殺意が高まっていったのだ。
だが、危害を加えられたルルティーナは、苦しみはするが回復してしまう。
回復する理由がわからず腹立たしかったが、最近ようやく気づいた。
パンセが毒味と称し、上級ポーションを一日一匙与えているからだ。一匙とはいえ、上級ポーションを飲んでいるからルルティーナは死なないのだ。
ならば、ルルティーナにポーション職人を辞めさせて嬲り殺しにしてやろう。
考えを決行する前に、パンセが『新しいポーション』を持って交渉しに来たのだった。
『余計なことを!やっとあのクズを殺せるはずだったというのに!』
『はあ……実の娘に対して異常だよ。ルルティーナが似てるからって』
『は?似てる?一体なんの……』
『ルルティーナの髪と瞳の色だよ。でもねえ、レリック坊ちゃん。アンタ、いつまでサジェレス坊ちゃんに嫉妬し続けてるんだい?』
『っ!』
サジェレス。兄の名を聞いた瞬間、怒りで頭の中が真っ白になった。ドス黒い怒りで身体が震え、赤髪が逆立つ。
サジェレスは、赤髪赤瞳のレリックと違い、白銀色の髪に赤瞳の青年だった。【白薔薇の若君】などと言われて讃えられていた。レリックを差し置いて。
パンセはレリックを嘲笑った。
『そんなに妬ましいかねえ。アンタより魔力がはるかに少なかったけど、父親から信頼と愛情を勝ち得て後継者に指名された兄貴が』
『だ、まれ……』
『魔力量に胡座をかいたせいで国家治癒魔法師になれなかったアンタと違って、豊富な知識と聡明さと魔力操作の巧みさで国家治癒魔法師になった兄貴が』
『貴様……貴様……!』
『おまけにポーション作成まで出来て人望も厚い、アンタより何もかも上を行っていた兄貴が』
思い出したくもない記憶が蘇る。
貴族。特に魔法使いの家系では、より魔力を持つ者が後継者になるのが当たり前だ。迷信と差別を禁じる法があっても暗黙の了解というものがある。
だというのに、父も周囲も兄を選んだ。
父は言った。
『レリックよ。お前は実力も人望も足りない。お前自身の肥大した自尊心に足る美点が、お前には一つもないのだ。
もっと他人と協調し、心情を慮り、勉学に励め。でなければ、いずれ何もかも失うぞ』
母は言った。
『レリック。貴族であり魔力が豊富だからと、それだけで優れている証明にはなりません。貴方の父と兄を見習いなさい』
親戚、追い出した古参の使用人たち、領民の大半もそうだ。宮廷もそうだ。レリックを認めず、国家治癒魔法師資格も官職も与えなかった。
皆、皆、豊富な魔力を持つレリックを差し置いて、魔力が少ないサジェレスを選んだ。
魔力以外の何もかもが劣ると言って。
父も兄も死んでレリックがアンブローズ侯爵になった今ですら、伯爵以上の貴族はレリックをやんわりと見下している。
(それがなんだ!『あのお方』は私をアンブローズ侯爵に選んだのだ!邪魔な三人を始末してまで取り立てて下さった!『あのお方』に私は認められて……)
『アンタがあの子、ルルティーナに辛く当たる理由がよくわかるよ。妬ましいんだよねえ?』
持ち直しかけた自尊心が砕ける音がした。
『アンタと同じく魔力しか取り柄のないララベーラよりも、魔力の無いルルティーナの方が聡明さも令嬢としての品位も上だからだろう?他家から養女の打診もあったそうじゃないか。魔力無しでもいいってさぁ。
短気で間抜けで出来損ないのアンタと、優秀で今だに人望がある兄貴と同じだねえ』
『うあああああっ!黙れ!黙れ黙れ!黙れ貴様ああああああ!』
自分の絶叫を聞いてから記憶が曖昧だ。気づけば、パンセを無茶苦茶に殴って首を絞めて殺していた。
パンセはボロボロの姿になっていたが、太々しい笑みを浮かべたままだった。
閲覧ありがとうございます。よろしければ、ブクマ、評価、いいね、感想、レビューなどお願いいたします。皆様の反応が励みになります。