さよなら、さよなら
カチャカチャカチャとナイフとフォークの音だけが鳴っては、また沈黙が部屋を訪れる。
会話はない。最後の晩餐というのはこういうものなのだろう。
妻との最後の夜。じきに迎えが来て、それで恐らく永遠のお別れ。
……いや、『恐らく』など楽観的な考えだ。もう二度と会えない。絶対に。
恐ろしい。死別の方がマシなどとは考えないようにしていたが
こうして会話がないと、そういったあれこれを考えてしまう。
妻との思い出。それも頭に浮かぶが、今一番思うのは「なぜこんなことに」
人口過多。人口減。頭を悩ませる問題はどの国にも、そしてどの星にもあるものだ。
そう、星。人口減。そしてそれは奴らを悩ませ、狂わせた。
奴らの星のメスが全員死んだのだ。
なんでも、奇病のせいだと奴らは言っているが俺は嘘だと思っている。
乱暴に扱い、死なせたのだと。男の俺だからわかるんだ。
ネットやテレビの映像で目にした奴らの笑みを見れば。
ある日、突如として現れた、奴ら宇宙人。
我ら人間と同じ、二足歩行で高度な知能を有し
象と人間を掛け合わせたような頭と体。しかしその五十倍は醜悪であった。
生理的嫌悪感。その正体はタプンタプンの腹と
顔や頭に不規則に生えている毛もそうだが、股間にぶら下げたモノ。
巨大であり、生殖器なのにもかかわらず、奴らはそれを隠そうとしない。
奴らにとって大きいモノは誉れ。隠す必要なしということらしい。
野蛮で低脳……ではない。言うまでもなく、奴らは地球に宇宙船でやって来た。
いや、宇宙戦艦と言った方が正しいか。それこそデカく、見た瞬間、敗北感を抱く程。
そして人類は抵抗もせず、そのまま降伏した。
翻訳機を介し、奴らが出した要求は一つ。『メスを差し出せ』
星に連れ帰り、種を植え付けるのだという。
奴らはすでにいくつかの星を回っていたようで手慣れていた。
各国の重役を集め、交渉。見返りに貴重な物資を出すという、飴と鞭の使い分け。
全てにおいて、奴らの方が上手だった。
ああ、人間というものをよく理解している。
政治家や大企業の経営者らを取り込み味方につけ
これは公然的ではないが、反逆的な態度を取る者は
優先的に奴らへ差し出されるのだ。だから誰も声をあげようとはしなかった。
むしろ、世の中の流れはむしろ誉れだと。
その流れと言うのもマスメディアが作り出したに過ぎないが
結果、自分たちが得をし、また損をする者が一部しかいないのなら流れ、流される。
溺れる虫など誰も目を向けない。
各国の政府の発表に色めき立つ妻たち。不満を垂れる夫共。
抽選により、選ばれた者は金や端的に言えば望み、我儘を聞いてもらえるという。
このホテルでの豪華な食事や家にある宝石などの様々な物品もそういう理由だ。
しかし、ただただ虚しい。
あんなデカいモノでどうされる?
本当に奴ら宇宙人と子など為せるのか?
奴らが行った検査では問題ないらしい。むしろ温度や菌、体内環境がいい、最適だと。
だが本当か? 間違いでは? 年齢は関係ないそうだが出産時は? あの巨体だぞ。
赤ん坊だって巨大に決まっている。
妻は……妻は本当にそれでいいのか?
確かに結婚当初と比べれば愛は冷めているかもしれない。
だが、二十年近く連れ添ってきて、愛以上の何かが俺たちの間には――
「あなた、あなた?」
「ん、ああ、なんだい?」
「もう時間よ。迎えの車が下に来てるって」
「ああ……」
頭が真っ白のまま、妻と俺は車に乗り込んだ。
こういう時、女という生き物はどこか冷静だ。顔色一つ変えていない。
肉体は男が強い分、女は精神的に強く作られたのかもしれない。
誰に? 神に? ははは。じゃあ、神はなんであんな奴らをお作りになったのか……。
……車、速いな。妻が言ったせいだ。「運転手さん、急いでね」と。
急かすな。まだこっちの心の準備が、ああ、ほら、もう見えてきた。奴らの宇宙船だ。
町はずれの平野。そこに停めた宇宙船の前で奴らが待っている。
もう、随分と他の人間も集まっているようだ。夫と妻、あるいは恋人だろうか。
最後の見送りに来ているのだろう。野次馬らしきものはいない。
警察に規制線が張られているのだ。
報道関係者は来ているようだが女ばかりだ。
男はいない。まあ、オマケに連れて行かれる可能性を考えたのだろう。
カメラやマイクを構えた女どもはどいつもこいつも笑みを浮かべていた。
車を降りると何となく、別れの言葉を言わなければいけない雰囲気になった。
俺はそれが嫌で押し黙ったが、妻が口を開くので応じるしかなかった。
「あなた、元気でやるのよ」
「……ああ」
「……そんな顔しないの。笑顔よ笑顔。
抽選で決まったことだから仕方がないじゃない。法律なのよ」
「……ああ」
本当はお前、俺に黙って志願したんじゃないか?
あのデカいモノでガンガン突かれるのを想像し、夜な夜な笑っていたのではないか?
この日まで、何度も思ったことだ。だが、結局最後も訊くことができなかった。
そう、最後だ。時間が来たようだ。最後に妻と抱き合い、離れる。
歩き、振り返り、俺は泣いた。周りの男たちの涙に誘われたからではない。
妻が泣いたからだ。悲しんでいる。良かった。
俺は妻が他の女どもと同様に、本当は喜んでいるのではないかと疑っていたのだ。
良かった……良かった……。
「さよなら、さよならー!」
声が夜空に上がった。やがて重なり、合唱のように何度も繰り返された。
船内ではすすり泣く声。さよなら、みなさん。さよなら地球。さよなら、さよなら……。
宇宙船のハッチが閉じられ、上昇し始めた。
動きがゆっくりな気がするのは、奴らが気を利かせたのかもしれない。
外の音を拾っているのか船内のスピーカーらしきものから地上の声が聴こえた。
さよなら。さよなら。あはははは、さよならー。
男たちのすすり泣く声はより大きくなった。
俺は奴らに肩を背を尻を撫でられ、そして地球人の男が
自分が、奴らの言う『メス』なのだと今、ハッキリと自覚させられ、嗚咽まじりに泣いた。