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湯屋「あいあい」  作者: 黒辺あゆみ
二話 湯屋の清水

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27 千吉のこと

「じゃあ、頼んだぞ」


親父が釜の前に戻るのを見送る千吉に、頭を押さえつけられていたせいで黙っていた喜右が、やっとその手が緩んだことで首を捻りつつ言ってくる。


「おい、なにゆえに、お前はあの人間の男に頭を下げるのだ?」


喜右にはいまの親父とのやりとりが奇妙に思えたようで、ひげを揺らして不思議そうであった。


「お前の方が格上であるのだ、頭を下げるべきはあちらであろう。

 それにあれらの弱い『妖の者』にだって、なにを下手に出ることがある?」


親父にしても、ここいらに棲まう連中にしても、喜右はこれまでそこいらの小石も同然の存在であったのだろう。

 なんとも「強いことが全て」という連中の考えそうなことで、それは千吉の郷里である鬼の里とて同じことであった。

 しかしこの江戸で、それは通用しない。


「この町じゃあな、腕っぷしが強いかどうかで、なんでも片付かねぇ。

 俺らよりも先客は偉いもんなんだよ、覚えておけ」


千吉がぴしゃりと言ってやると、喜右は鼻先に皺を寄せる。


「先に棲まうものが偉いとは、妙な決まりであるな。

 それに従う鬼というのも、ますます妙なことだ……そうか、思い出した」


不機嫌そうにしていた喜右であったが、はっとした顔で目を見開く。


「いつぞや噂で聞いたぞ、なんでもどこぞの鬼の里から、頭領息子が追い出されたという。

 素直に追い出されるとは、とんだ腑抜けだと笑ったものだが、もしやお前、その頭領息子であろう?」


千吉はこれに驚いた。

 あまりものを考えていなさそうなこの狐に、己の素性を言い当てられるとは思わなかった。

 千吉もまた鼻先に皺を寄せると、「ふん!」と鼻を鳴らす。

 先だって江戸の町に紛れ込んだ烏天狗も、なにやら言っていたものだが、誰もかれも下世話な話が好きなものだ。

 しかし、一つだけ言い直しておかなければならない。


「追い出されたっていうのは聞き捨てならねぇ、自分から出てやったんだ。

 あんな窮屈な里、戻りたくもない」


千吉はそう言って、喜右に最後に桶の水をばしゃぁんと派手にかけてやった。

 すると耳に水が入りそうになったのか、ぶるぶると頭を振ると、そのまま全身を震わせて水気を飛ばした。


「狐め、向こうでやりやがれ!」


己までびっしょりと濡れてしまった千吉は、喜右に文句を言う。

 そんな千吉にかまわず、洗ってすっきりとした見た目になった喜右が、疑問をぶつけてくる。


「お前、次の頭領だったのだろう?

 何故里で大人しくしておらなんだか?」


この喜右の言い分に、千吉はくしゃりと顔を歪めた。


「はっ! 頭領っていうのがどんだけ良いものだっていうんだ?

 代われるもんなら、代わってやらぁ!」


千吉はむかっ腹を立てて、そう言い捨てた。

 里の頭領息子と言われれば、さぞやいい身の上なのだろうと、周りからは言われる。

 けれど里にいた頃の千吉は、あれをするな、これもするな、あれをしろ、これをしろと、四六時中誰かになにかしら言われ続けていた。

 なんとも窮屈でしかたがないというのに、これも頭領息子に生まれたのだから仕方がないと、半ば諦め我慢して勤めを続けていた。

 それに、千吉が特に妖力が強いというのも、周囲が千吉を縛り付けようという要因であろう。

 並外れて強い妖力というのは、周囲に威圧と魅了をかけてしてしまうものだ。

 ほとんどの「妖の者」たちは千吉を見れば恐怖に慄くか、もしくは媚を売るかのどちらかである。

 成り上がろうという輩に挑まれるか、女に寝所に忍び込まれるかというのは、まさしく日常茶飯事で、気の休まることなんてなかった。


「それをのん気な連中は、『さぞいい暮らしをしているんだろう』とか妬んできやがる。

 奴らの嫌がらせも最初は許せるけどな、それがいつもいつもになれば嫌にもなるだろうが。

 ならてめぇらがなってみろってぇんだ」


千吉は狐に言っても仕方がないとわかっていても、一度開いた口からはとめどなく胸の奥のどろりとしたものがあふれ出てくる。

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