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湯屋「あいあい」  作者: 黒辺あゆみ
二話 湯屋の清水

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26 戻った千吉

南部家下屋敷が遅い朝餉にありついている頃、こちら湯屋「あいあい」にて。

 千吉が暴れる狐を小脇に抱えて裏に回ると、釜焚き仲間の親父が火の入った釜の前に座っていた。


「すんません、今戻りまして」

「おう千吉、狐を散歩させてたんだってぇ?」


ぺこりと頭を下げる千吉に、親父がそう言って笑いかけてくる。


「へぇ、この狐めが朝も早くからうるいもんで」


親父に千吉はそう返すと、喜右を片手で首のあたりを持ってぶらんと下げた。

 結構な図体の狐がじたばたするのでかなりの力がいるのだが、涼しい顔の千吉に、「あいかわらず怪力だなぁ」と感心するやら、呆れるやらだ。


「ははぁ、そりゃあご主人様が心配なんだなぁ。

 追って故郷からはるばるやってくるたぁ、見上げた狐殿じゃあねぇか、ははは!」


喜右のことを親父はそう言って笑う。


「むぐむぐ!」


この親父の話には喜右が不満があるようで、元々つり上がっている目をさらにつり上げている。

 だが文句を言おうにも、千吉が口をぐいっと握って塞いでしまったので、言えないでいる。

 おおかた、「誰が我のご主人様だと!?」とでも言いたいに違いない。


 ――けど、だいたいのところでその通りじゃあねぇか。


 ともあれ、千吉は喜右を持ったまま釜の奥にある小屋へと入る。

 ここは道具置き場兼、千吉の寝床である。

 狭いながらも畳敷きのひと間があり、千吉は慎さんからここを好きに使ってよいと与えられたのだ。

 そこでささっと朝の飯を食べてしまうのだが、嬉しい事に、加代が握り飯を持たせてくれた。

 中に煮つけた菜っ葉が入っていて、とても美味い。

 きっと昨夜の千吉は鬼の気配をさせていて怖かっただろうに、それでもこうして朝飯を気に掛けてくれるのだから、加代は優しい娘である。

 その加代の傍にこんな妙な化け狐なんぞ置いておきたくはないが、成り行きでそう決まってしまっては仕方ない。

 あの狐交じりの侍のことなんぞは知ったことではないが、加代には妙なちょっかいを出さないように、せいぜい躾けておかなければならない。

 しかし、それよりも前に。


「お前汚ぇなぁ。

 まずは洗わないと道も歩けやしねぇ」


そうなのだ、昨夜は暗くてわからなかったが、この狐はなかなかに汚れていた。

 大名家のお屋敷にやっかいになろうというのならば、身綺麗にしておくのが礼儀というものだろう。


「仕方ねぇ、洗うか」


そんなわけで、朝飯を食べてしまった千吉は喜右を連れて外に出ると、桶に井戸から水を張り、喜右を放り込む。


「なにをする!」


喜右は洗われることをかなり嫌がったが、そこは千吉に力で敵うはずもない。

 やはりなかなかの汚れっぷりで、水がすぐに汚くなってしまったので、また新しく水を入れる。

 こうして千吉ががしがしと喜右を洗っていると、そこここから視線を感じる。

 恐らくは江戸に棲まう「妖の者」たちが、昨日から騒がしい狐を見に来たのだ。

 怯えた様子を感じて、千吉は連中にひらひらと手を振ってやった。


「騒がせてすまねぇな、大したことじゃあねぇんだ」


千吉が彼らにそう言ってやると、視線はやがて散り散りに消えていく。

 連中は千吉が現れた時にも怯えて騒いで大変で、慣れられるまで結構な時間がかかったものだ。

 それも仕方がない、なにせ江戸棲みの連中には、鬼なんぞと遭遇するなんてことは、ありはしないだろう。

 そんなこんなで、ようやっと桶の水が汚れなくなってきたところで、さっきの親父がひょいと顔を出した。


「千吉ぃ、それが終わったら、焚き物集めに行ってくれ」

「へぇ、わかりやした」


いつもの仕事をいいつけられるのに、千吉は喜右が妙な事を言わないようにその頭を押さえつつ、返事をして頭を下げる。

 すると、親父が笑う。


「お前さんがいてくれて助かる。

 俺ぁもう重い物をひくのがきつくてなぁ」

「あのくらい、自分にゃあ軽いものでさぁ」


千吉はそう言うと、己の腕をぱぁんと叩いてみせた。

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