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湯屋「あいあい」  作者: 黒辺あゆみ
二話 湯屋の清水

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17 遅い戻り

その頃、加代は遠山様の夕餉の世話を終えて、福田が湯屋からの戻りが少々遅いことを気にかけていた。


「今日はえらくのんびりしていらっしゃるのねぇ」


加代はそう思いはしても、先だっての福田は濡れねずみで気を失って戻ったのだから、心配にもなる。


 ――ちょっとそこいらまで、様子を見に行こうかしら?


 加代がそう考え始めた時、裏木戸の方で物音がした。

 福田が戻ったのだろうかと、加代はそちらを見に行く。

 すると裏木戸には、なにやら両手に大荷物を抱えて、さらに背中になにやら背負っている千吉がいるではないか。

 しかもその抱えられた荷物の一つというのが、福田である。


「まあ! 一体なんなんです?」

「お加代さん、済まねぇが話をするのに軒先を貸してくだせぇ」


目を丸くする加代に、千吉が少々目を赤く光らせながら、そう言ってぺこりと頭を下げてくる。

 千吉のめがこのように赤くなっているのを見るのは、いつぞやの烏天狗の件以来だろうか。

 鬼の千吉への恐怖で、加代は数歩後ろに下がってから、「そのくらいはかまわないのだけれど」と答えて、とりあえず千吉を中へ通す。


「恩に着ます」


再びぺこりと頭を下げてくる千吉に、加代は離れてついてきてもらうことにして、とりあえず寸前までいた台所へと案内した。


「福田様はどうなさったの?

 それにそっちは、狐?」


加代はとうとう気になっていたことを尋ねた。

 縄でぐるぐる巻きにされている狐が、あの烏天狗を思い出させる。

 これに、千吉は「ああ」と軽い調子で答えた。


「この狐野郎は気にしねぇでくだせぇ。

 そこいらにでも転がしておきますんで」


気にするなと言われても、先程からずっとグルグルと唸っているので、気にせずにおられようはずもない。

 しかも時折口の中が明るくなるのは、一体なんなのだろうか?

 案内しながらもちらちらと振り返る加代に、千吉が続けて話す。


「それより、こちらの福田様が少々あてられちまいましてね、気付けになんぞ飲ませてやってもらえませんか?」


千吉の言う「あてられた」というのが、どういうことなのかわからないが、確かに福田は悪い酒に酔ったみたいな様子に見えた。

 台所まで来ると、竈には小さく火が入っているので、戸を閉めるとずいぶんと暖かい。

 ちなみに千吉は抱えていた狐を当然のように外に放り投げた。


「ギャン!」


狐は悲鳴を上げてから千吉を睨み上げるが、千吉が睨み返すと震えあがって丸まってしまう。


「しばらく大人しくしているでしょうし、あれのことは忘れてくだせぇ」

「……そう?」


加代としてはここは千吉の言う通り、あの狐のことをやたらに聞かないことにした。

 ろくなことにならないという勘のようなものが働いたのだ。

 それよりも、具合の悪そうな福田のことである。

 加代は竈の側にそこいらに置いてあった木箱を持ってきて、福田を座らせてから、ちょうどよく温めたお茶をやった。

 福田はそれを飲み、お茶の温かさで調子が良くなってきたのか、「ほう」と息を吐くと、まず言ってきたのは。


「お加代殿は、千吉殿が怖くはござらぬか?」


なんと、こんなことを聞かれたのは初めてだ。


「まあ、嬉しい!

 福田様もあたしと同じように感じなさっておいでで?

 そうねぇ、今の千吉さんは、ちょいと怖い方の千吉さんですねぇ。

 だから近寄ってほしくないわ」


己以外で千吉のことを「怖い」という人と出会えたことで、加代は嬉しくなって声を弾ませる。

 すると福田は自分から聞いておきながら、加代の反応が意外だったのか、目を丸くしていた。

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