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湯屋「あいあい」  作者: 黒辺あゆみ
一話 湯屋の釜焚き
3/63

3 好かない相手

 用事以外で千吉と会話をしたことがない加代は、眉をぴくりと動かす。


「なにか、燃やせないものでもあったの?」


そう問う加代に、千吉は「そんなことはねぇですが」と告げた。


「そうではなくて、最近ここらで盗人が流行っているという話なので、どうか気ぃつけてくだせぇって話でして」


どうやら忠告事だったようだが、これに加代は「ふぅん」と首を捻る。


「盗人なんて、いつでもどこでもいるものでしょう?」


加代がこんなことを言う通り、盗みの話なんてよく聞くし、掏りなんてそれこそ日常茶飯事だ。

 悪さを考える人間に事欠かないのが、江戸という場所である。

 悪人を怖がっていては、それこそなにも出来ないしどこにも行けやしない。

 加代の指摘に、千吉は困ったように手拭い越しに頭を掻く。


「いえ、そういう小せぇことではなく、大店やお屋敷に盗人が入っているんだそうで」


千吉がそう語るのに、加代はさすがに怖くなって「まあ」と声を漏らす。

 ただ、千吉がさらに続ける。


「けど不思議なことにそのうちのいくつかは、なにかが失せたということもないんだと」


失せ物がない盗人とはおかしな話である。


「なにそれ、盗んでないなら盗人と違うんじゃあないの?」


千吉から変に怖がらせられた加代は、怖がって損をしたと内心で思いつつ言い返す。


「まあ、そうなんですが。

 なにかしくじりをして、なにも盗れずに出て行ったんじゃないかっていう噂で」

「ふぅん? ずいぶんと間抜けな盗人なのね」


この千吉の説明にも、加代はそう零すのみだ。


「けど、ここはいいんじゃあない?

 『他人が盗みたいものなんてなにもない』って、遠山様が仰っているもの」


常時いるのが老人とひ弱な女であるので、危ないものはなにも置いていないのだ。

 盗人が入るとしたら上屋敷の方だろう。

 つまり自分には関係ないと思い始めていた加代に、千吉がまだ言ってくる。


「それでも、うっかり盗人に出くわすっていうこともありますから、お気を付けを」

「そうね、気を付けるに越したことはないもの」


加代は無関心そうに言い返してから、しかしすぐにはっとする。

 今の会話だと、千吉は加代の身をを心配してくれたのだろう。

 それなのに冷たい態度になってしまうのは、加代が千吉を嫌いだからだ。

 けれど嫌いな相手だからと、親切心に対してこんな態度を返していいものではない。


 ――いけない、死んだおっかさんに叱られる。


 思い出の中の母は、こうした意地悪に厳しい人だった。

 『嫌に嫌を返してばっかりだったら、周りはいずれみぃんなお前を嫌うよ』と言い聞かされたものだ。

 大名様のお屋敷に奉公できたくらいで何様になったつもりなのかと、母は今の加代をみたら呆れるに違いない。

 加代は神妙な気持ちになって、千吉を見上げた。


「心配してくれて、ありがとう。

 あたしも危険なことにあいたいわけじゃあないものね。

 出歩くのと戸締りには気を付けるわ」

「そうしなさるといい」


態度を改めた加代に、千吉がかすかにほっとした顔をする。


「盗人が早くつかまるといいですがね」


そう会話を締めくくる千吉に、加代も頷く。


「そうね、それが一番ね」


そうだ、江戸に悪人があふれているとはいえ、加代とてそれに遭遇したいわけではないのだから。

 

「では、自分はこれで」


千吉は焚き物が山と積まれた重たいであろう車を、軽々とした足取りで引きながら去っていく。

 加代はその後姿をなんとなく見送っていた。


 ――案外、いい人じゃないの。


 こうして話をすると、千吉が親切な男であるのが加代にもわかった。

 しかし何故だろう、それでも加代は千吉が好かない。

 もっと言えばそう、怖いのだ。

 そんな風に加代が頭を悩ませている一方で。


「やっぱり、いい匂いのするお人だ」


お屋敷から車をひきながら離れていく千吉がそう呟いているだなんて、加代が知る由もなかった。

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