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湯屋「あいあい」  作者: 黒辺あゆみ
一話 湯屋の釜焚き
15/63

15 珍しいこともあるものだ

遠山様とそんな話をしてからしばらくすると、今度は加代が湯屋に行く番である。

 そうそう、お侍様といえば。

 そういえば加代は上屋敷のお殿様に献上するために、干物をいくつか融通したことを、父に話していない気がする。

 昨日は変な夢を見て気が塞いだせいで、浜へ行ってもあまり喋らずに帰ったのだ。

 売り物にならない魚だったとはいえ、自分が獲った魚がお殿様の口に入るかもしれないとなると、父は喜ぶだろうか?

 いや、もしかすると卒倒するかもしれない。

 加代がそんなことを考えつつ、湯屋の暖簾をくぐると。


「あら?」


意外な人物が番台に座っているのを見て、加代は目を丸くしてしまう。


「今日は千吉さんが番台なの?」


そう、番台に座っているのは千吉であった。


「へぇ、爺が腰をやっちまいまして、じっとしておけと医者に言われているんでさぁ」


千吉はそう言うと、手拭いを頭に被ったまま、狭い番台に身を縮こまらせて座っていた。

 大柄な彼には番台は狭すぎるようだ。


「今の時間だけ人がいねぇってんで、俺が座っているんでして。

 見苦しいのはご勘弁を」


千吉はそう言ってペコリと頭を下げる。


「まあ、千吉さんが座っていたらお代をごまかそうなんてお人がでないでしょうし、そこはいいかもね?」


加代はそう言うとお代を払うと、さっさと奥の脱衣場へと入っていく。

 それにしても、着物を脱ぐ際も体を洗う際も、聞こえてくるのは確かに盗人に入られた大店の噂だ。


 ――ああ、いやだいやだ。


 朝からこの話ばかりしていた加代なので、いいかげんに食傷気味である。

 もう聞きたくもないという気持ちになって、いつもよりも早めに上がってしまうくらいだ。


「おや、もうお帰りですかい?」


番台の千吉も、加代が出るのが早いと思ったのだろう、驚いて声をかけてきた。


「ええ、みぃんな大店の盗人の話ばかりで、なんだか気分が塞いでしまってね」


そう話す加代に、千吉も苦笑する。


「今日は盗人に入られた店がどうだったってぇ話ばっかりやってますからね、どこに行っても」

「本当にね。

 盗人連中も、いいかげんに飽きてくれないものかしらねぇ?」


思わずそう愚痴ってしまう加代に、千吉が「そうですねぇ」と顎を撫でてから言ったことは。


「案外盗人共も、惑わされているのかもしれねぇですね」


この千吉の言い方が不思議で、加代は首を傾げた。


「惑わされる……って、なにに?」

「いえ、なんとなくで、大した意味はありやせんって」


そう尋ねられた千吉は、言葉を濁すとばつが悪そうな顔をして天井を見上げる。


「それでも、いいかげん迷惑者にゃあ、どっかに言ってもらわにゃいけません」


それから千吉がボソリとそう呟いたのに、加代は「盗人に早く捕まってほしいということか」と考えて、聞き流し、「それじゃあ」と湯屋を出るのだった。



湯屋を出た加代は、浜に向かった。


「おとっつぁん」


浜で加代が声をかけると、大造がすぐに気付いてこちらを振り向く。


「なんだ加代、元気そうじゃあねぇか」


しかも加代がいつも通りな様子なのに、若干ホッとしている顔である。


 ――けど、夢見が悪くて気分が悪いとか、子どもみたいなことは言えないしね。


 心配をかけてしまった父親に申し訳なく思いつつも、加代は昨日のことはもう忘れてしまってほしいと願うばかりだ。


「そういやぁおめぇよ、一昨日はど偉いお方が来たってぇ話じゃあねぇか。

 粗相はしなかっただろうな?」


本当は昨日聞きたかったであろう話を早速切り出した大造に、加代は「ほぅ」と息を吐く。


「粗相もなにもお殿様の顔なんて、あたしみたいな女が見れるわけないじゃあないの」


加代が当たり前の理屈を述べると、大造は「そりゃあそうか」と頷いている。


「その代わり、遠山様がなにをお話しされたのか、そのお殿様はあたしが作っていた干物にご興味を持たれたとかで、いくつか持っていかれたの。

 おとっつぁんの獲った魚が、お殿様の口に入るかもよ?

 干物だけど」

「なんてこったい!」


これに、大造はびっくり仰天といった様子で空を見上げ、「お千代よぉ、よかったなぁ」と母の名を呼んでいるのを、加代が眺めていると。


「姉ちゃん、逢引きをしていたって本当かい?」


その傍らから、弟の大介が口を挟んできた。

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