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教室の隅のヒペリカム  作者: 滋賀ヒロアキ
8/13

初NINE

目的の一つであった清崎さんとのNINEの交換を忘れていたことに気づいたのは、彼女と分かれて家に着き、「ただいま」も「おかえり」もなく自室のベッドに横になった時であった。


「……質問のインパクトで完全にとんでた」


誰に向けたものでもない言い訳をしながらスマホを点ける。トークの欄を開くと、家族全員と戸塚と、入って以来一言も発していないクラスグループのアイコンが映った。

いくら念じようが、いきなりそこに『清咲時瀬』の名前が追加されることはない。ため息を吐きながらスマホを脇に置いた。


「明日もまた探し回ることになるのかな……」


やれやれ、とラノベ主人公みたいに脱力しながら仰向けになる。

その時、まるでタイミングを見計らっていたように、僕のスマホがNINEメッセージの受信音を鳴らした。

さっきまでの行動を逆再生したみたいに、僕は再び横になって再びスマホを点ける。


「ぶふふっ」


瞬間、僕はスマホを投げ捨てそうになった。

通知欄にはとある文字が踊っていた。



『こんばんは』



いや、文字だけ切り取れば普通の挨拶である。だが、それを送ってきた人物が問題だった。



『時瀬』



確かに名前の部分にはそう書いてあったのだ。

本当に、いきなりトークの欄に彼女の名前が出現してしまった。

あまりのタイミングの良さに、思わず周りを見回す。


「えーと……」


当然だが、隠しカメラなんて設置されていなかった。

突っ込みたいことは色々あったが、とりあえずメッセージをもらってから時間は刻一刻と過ぎていっている。

話を進めたければ早く返信した方が良いだろう。

無意識の内に、僕はベッドの上に正座していた。



『こんばんは。本当に清咲さんなんですか?』



文面を打ち込むのに五分かけ、そこから投稿するのに三分を費やした。

投稿すると、メッセージにすぐ既読がついた。



『はい。本当は面と向かって交換しておきたかったのですが、私が忘れてしまっていたのでこういう形になってしまいました』



ただ、入力スピードはあまり早くないらしく、メッセージが来たのは既読になってからたっぷり一分後だった。

そのメッセージに、僕は二分かけてレスポンスする。



『びっくりしましたよ。一体、どこから僕のアカウントを紹介してもらったんですか?』


『少しツテがありましたので。そこからもらったんです』



(ツテ……?)


訝しげな顔になる。

仮にも個人情報であるNINEのアカウントが他人に勝手に紹介されているというのは結構怖い。

けどまぁ相手は清咲さんだし……恐らくクラスNINEに所属している誰かから貰ったのだろうと結論付けておく。関わりが無いと思っていた人物二人が実は知り合い同士だったとかよくある話だし。

とは言え、それからは特に話す内容も無いので



『それでは、改めてよろしくお願いしますね』


『こちらこそ、よろしくお願いします』



合計五分ほどかけて交互に投稿し、キャラクターが『よろしく!』と言っているスタンプも送り合う。

このやり取りで、カップル(仮)の初NINEは終わった。

カップル(仮)らしいやり取りになっていたかは不明だが、まぁ最初の第一歩はこんなものでいいだろう。そう思いたい。


……て、いうか。


もう一度NINEを開き、改めて『友達』の一覧を見ていく。そこには僕にとって嬉しいというよりは、信じられない光景があった。


「身内以外での異性のトーク相手、初めてできた……」







「おいらくじょー。スマホ貸せよ」


本日の空は朝からうろこ雲が広がっていた。

窓の外にあるそれを眺めながらスマホをいじっていると、横から戸塚に取り上げられた。スリだと言われても信用できそうな一瞬の手際だった。


「ちょっ、返してよ」


無駄とわかりながらも手を伸ばす。予想通り、取り巻きの今宮と本山が壁になり、手は戸塚には届かない。

戸塚は開いていたソシャゲを躊躇いなく閉じ、NINEアプリを断りなくタップする。


「ははっすげぇ。やっぱもう清咲のNINE入ってんじゃねぇか」


映された画面を見るなり、書きかけのラブレターを発見したような声が上がった。

クラスメイトの何人かがこちらを向いたが、「またアイツらかよ……」と自分の作業に戻る。


「ったく、昨日は『会えなかった』とか言ってたくせによー。あの後ちゃっかり清咲と会ってたとか、案外ヤリ手じゃねぇからくじょーよー」


ゴンゴンとスマホの角で頭を小突かれる。……『小突く』とするには結構固くて痛いのでやめてほしい。

ていうか、この感じだと昨日清咲さんと一緒に帰ってたのが誰かに見られていたのだろうか。だとしたら不覚だ。次から気を付けなければ。


「しっかしNINEの内容はショボいな。なんだこれ、業務連絡かよ」


昨夜のNINEを見て言う。

今さらだが、プライバシーもへったくれも無い。


「カレシなんだからさぁ、もっとリードしてやれよ」


「そーだそーだ」


「童貞の落城じゃ無理だろ。つか、NINE越しでも敬語とか……」


ぷぷぷ、と笑う三人。


「……別に、NINEなんて個人のやり方があるんだからいいでしょ」


「こんなんじゃ、名前で呼び合うカップルになるまで五年かかんじゃねぇの?しかも最後のスタンプだって、初期からあるスタンプじゃねぇか。ダセェなぁ、もっとノリの良いスタンプ送れってのお互いに」


「一気に進展したかと思ってたのに、つまんねぇ」


机に尻を乗せながら言う今宮。

……つまるつまらないで勝手に告白させて、勝手に進展させようとして、思いどおりに行かなかったら文句をつける。

苛立って脳が沸騰しかけたが、下手に言い返すとその瞬間に僕の視界が画鋲の先端で一杯になりそうなので黙っておく。この歳で片目を義眼にして生きるのはゴメンだ。

そうしていると、代わりに戸塚の顔が僕の視界一杯に広がった。


「しゃあねぇなぁ。ここは俺らが一肌脱いでやるよ」


「え?」


素で声を上げてしまった。

いらない。コイツが脱いだところで何の価値もない。というか引っ込んどいてほしい。

……許されるならそう言いたかったが、その瞬間に以下同文。


「あ、それならよ」


今宮が自前のスマホを取り出すと、何かのページを表示させた。その画面に戸塚は首を向ける。

遊び終わったボールを捨てるみたいにスマホを放りながら。


「うわっ」


地面に落ちるギリギリで掴み取った。変な体制になったので腰が痛い。しかしそれを気にした様子はなく、戸塚たちは「おー」とか言いながらスマホを前にガヤガヤ話している。


「…………」


一昨日ごろから行われているカップルごっこ。

痛む良心を一切無視すれば、今のところバレる心配はないし、清咲さんとも順調に関係を築け始めてはいる。

今のところは、さほど僕にとって損な事態にはなっていない。

なにより、このカップルごっこが続いている内は、従来のいじめ行為は控えめになっているという側面もあるのだ。むしろマイナスをやや上回ってのプラスですらある。

だけれど、やはりやっていて気分の良いものではない。

これ以上戸塚の声を聞いていたくなくて、僕は教室を出ることにする。

しばし考えてから、廊下の一組の反対側の端っこにあるトイレへ行って時間を潰すことにした。

……先ほど少し会話に出たから、というわけではないが。道中、何の気なしに三組を覗いてみた。

お目当ての人物───清咲さんは教室に一人で佇んでいた。イヤフォンをつけて、窓の外に広がるうろこ雲を眺めている。入ってくる風に、彼女の髪とイヤフォンのコードがゆらゆらと揺れていた。

スカートのポケットにあるであろう音楽プレイヤーに目が行く。

あくまで僕個人の見方だが、音楽の趣味はその人の人格に関わっているものだ。


(……何の音楽を聞いてるんだろう?)


いつか聞いてみたいかとも思ったが、そのあたりで視線を感じたのか清咲さんがこちらを向いたため、僕はさっさとトイレに行った。

先の質問は、また次会ったときに聞いてみよう。






そして、翌日。

教室に入るなり、いの一番に僕に話しかけてきたのはいつもの戸塚グループ……ではなかった。


「えっと……何の用?都宮さん」


「…………」


眼鏡のレンズ越しに細い視線が飛んできて、サラサラのはずなのに清咲さんのと違って欠片も魅力を感じないショートヘアーが揺れている。

お世辞にも、仲良く世間話をしようという雰囲気ではなかった。

そのまま十秒ほど、この世の終わりみたいなにらめっこを続けていると、


「あの……これ」


やがて都宮さんは二枚の紙を渡してきた。手に取って見てみる。

それは、とある水族館の割引チケットだった。

暗寧高校から更に歩いた先にある。それほど大きな場所では無いが、この辺りでは唯一の水族館というのもあり、相対的に知名度や人気はそれなりの物……らしい。

僕は行ったことないけど。


「……なに、急に」


僕が問いかけると、都宮さんは慌てたように身振り手振りする。


「いや、ほら……その、こないだ私の母さんが福引きで当てたみたいでさ。私にくれたんだよ」


「はぁ」


聞きたかったのは『どうやって入手したか』ではなく『何故僕に渡すのか』なのだが。

長方形の中で羽を広げるペンギンを見つめながら、チケットを綺麗に揃える。


「……で、なんでそれを僕にくれるの」


「それはー……その……」


「……えっなに。もしかして行く気なの?僕と?」


「いやそれは無いから!」


食い気味に言われた。

突然の大声に、周囲のクラスメイトから注目が集まる。顔を赤くして、「いやほんと、冗談じゃないから……」と小声で言いながら都宮さんは僕に向き直った。


「とにかくっ、貰ったはいいんだけど私には使い道が無いから。これの期限も迫ってるし、落城君に譲ろうかなって」


「だから、そこで何で僕に?友達に譲ればいいじゃん」


「……なんとなくよなんとなく。ほら、誰か連れていけばいいんじゃないの?」


「そんな投げ槍に譲られても困るんだけど……」


「いいからさほんと、余計なこと言わずに早く誰か誘って行ってよ。ほら……今の落城くんには、誘うのにうってつけな人がいるらしいんでしょ?」


ピク、と自分の肩に力が入ったのがわかった。

まず言葉の意味を吟味し眉をひそめる。次に都宮さんの顔を見る。コメカミに汗を浮かべている彼女は、どこか苛立っているような……額のあたりに「察せよ」と思い切り書いているような顔をしていた。

何となく予感があって、都宮の後ろへと視線を動かしてみる。そこで僕はようやく納得した。

彼女から離れた場所で、戸塚たちのグループがニヤニヤと僕らを見つめていたのだ。

その瞬間、僕は「ああ」と口を開いた。


「……わかってくれた?」


僕が察したのを察したらしく、都宮さんは声音を強くする。


「そう。そういうわけだからさ、いいかな?……なんかこれも『計画』らしいから。落城君が受け取ってくれないと、戸塚君すぐにイラつくと思う」


「……まぁ、そうだろうね」


昨日言ってた一肌脱ぐっことて、こんな下らないことなのかよ……。

僕が呆れていると、都宮さんま同じく呆れたようにため息を吐いた。


「まったく……落城くんが色々される分にはいいけどさぁ……私まで巻き込まないでよね」


……え、なんで僕が怒られてるんだろう。話を通したのは戸塚だし、僕は巻き込む気など毛頭なかったのだが。

しかもナチュラルに言っているが、僕が色々される分も全然良くはない。勝手な言い分に、握っていたチケットに僅かにシワが走る。


「…………」


そんな態度で伝令された命令に従うのはさすがに癪だった。

関係ないのにパシりにされた都宮さんには確かに同情しなくもない。だが、もっと言い方は考えるべきなんじゃないだろうか。日頃戸塚のヘイトを全て僕に押し付けようとしてるくせに。

それにそもそも論として、僕と清咲さんはまだ二人きりで出掛けられるほど関係を深めてはいない。まだそこのハードルは早いだろう。誘っても受けてくれる可能性は低い。

迂闊にがっついた様を見せれば、別れ話を切り出されるかもしれないし。

そんな理論を脳内で組み立て、僕はこのチケットの譲渡を慎んでお断りしようとした。……実際には先の言い草にイラついたからという気持ちが大半だったが。


「あのさ都宮さん、悪いけど───いたっ」


だが断ろうとした瞬間、額のあたりに衝撃が走った。

ポトリと何かが落ちる。消しゴムだった。

飛んできた方向を見ると、そこには戸塚のグループ。戸塚が口の動きだけで言った。


『わかってるよな?』


額にかかる青線が濃くなり、ついでに消しゴムが当たった箇所も意外と痛み出す。

弱った顔になる僕に、都宮さんはめんどくさそうというか、むしろ「さっさと受けないからそんなことになるんだぞ」と言いたげな表情をするだけだった。


「……んじゃあ、ソレはあげるから。好きに使ってね」


そして、最終的には押し付けるような形でさっさと去ってしまった。

……これほどまでに使い道が限定されている『好きに使ってね』がかつてあっただろうか。

めでたく僕の所有物となったチケットに目を落とす。長方形……もとい水槽の中で羽を伸ばすペンギン。

限られた水槽の中で泳ぎ、水槽の中で恋をし、第三者にコントロールされる。

その境遇を、不意に自分と重ねてしまった。




NINEで清咲さんにお誘いのメッセージを作成するのには、三十分を費やした。送信するときも、忙しい有名人にサインをねだるような心意気だった。

しかし……まぁ、なんと言えばいいのか。

なんと幸運にも───いや不幸にもだろうか───水族館へのお誘いの返事は、OKだった。


『えっ……いいんですか?』


一番びっくりしたのは僕である。


『はい。最近の私は特に用事もありませんし』


ちなみに今日は帰る時間が合わなかったようなので、やり取りはNINEによって行われている。


『いやあの、本当にいいんですか?僕なんかと一緒で』


『はい。水族館なんて久しぶりですし、せっかく割引券があるのでしたら、使わなきゃ損ですよ。最近は私も予定はありませんし』


文面を食い入るように見つめる。

当たり前の感性による意見で、逆に反論のしようがなかった。耳で聞けばまた違う感想が得られたのかもしれないが、目で文章から必死に感情を読み取ろうとしても、液晶に映る文字は何も伝えてくれない。

ため息が出る。

清咲さんが乗り気なのなら、もう僕に止める術はない。話を振ってしまった手前、ここで「やっぱ嫌です」と誘いをフルのはさすがに不自然だ。


『じゃあ、行きましょうか』


『はい』


二文字の返事。そこに込められた感情が読み取れない。現代の……NINEによる弊害だ。


『いつ行きましょうか?』


『そうですね……今週の土曜日なんかどうですか?』


投稿してからすぐに僕は思い直した。


『すいません。やっぱり日曜日でもいいですか?』


『私はどちらでも大丈夫ですよ』


『じゃあ、日曜日に行きましょう』


『わかりました』


ホッと息をつく。

曜日を変更したのは、別に他の用事とブッキングしたからだとか、少しでも先延ばしにしたかったからというわけではない。

忘れかけていたのだが、今の僕の財布は廃村状態。そして、今回もらったのはあくまで割引券。金は最低限持っていなくてはならない。

ATMから下ろしてくる選択肢もあるが……ちょうど今週の土曜日が二週間に一度の、母からおこづかいをもらえる日だったのを思い出したのだ。

土曜に忘れずこづかいをもらっておくということを脳内メモ帳に書き込み、当日の集合時間や場所を設定していく。ある程度まとまったあたりで『それじゃあまた!』とキャラクターが挨拶しているスタンプを送り合って、その日のNINEは終わった。


「はぁ……」


最後の投稿スタンプが既読になったのを確認してから、NINEを閉じてスマホを充電器に差す。

それからたっぷり一分ほど経った後、遅まきながら僕はようやく気づいた。



「やば。 女子と出掛けるときって、何着ていけばいいんだろ」



ていうか。



「これ、デートじゃん」





土曜日。

特殊な仕事に就いていない限り、大抵の人にとっては日曜日より精神的に楽しい休みの日。この日に朝の十時ぐらいまでたっぷり眠ることによって、僕は平日で最低値を突き抜けマイナス方面まで走っていた体力を最低値一歩手前まで回復させる。

だが、とうに朝の十時を過ぎたにもかかわらず、まだ僕は自室の布団にくるまって目を閉じていた。いや起きてはいる。

ただ単純に、安心感があり心地良い布団の中から外に出たくないのだ。出るのを強制される理由もないのに。

……これは僕の持論だが、心を休め素をさらけ出せる場所が布団の中以外に浮かんでこない人間は、あまり真っ当な育ち方はしていない。

真っ当に成長できていない僕は、手だけを毛布から生やし、文字通り手探りで外界にあるスマホを掴み取る。それから巣穴に獲物を引き込むみたいに布団の中に手を戻す。

電源をつけると、夜の間に届いていたNINEの通知が見えた。

相手は戸塚。


『清咲とのデートのセッティングはできただろうな?決まれば俺にも教えろよ』


回復していた体力が毒にかかったようにジワジワ減ったように思えた。しかも返信が遅いことに苛立っていたのか、二通ぐらい追いNINEされている。

今すぐ削除とブロックをしたかったが、そんなことした瞬間に……である。

僕は最初に『すいませんでした』と打ち込んでから、昨夜の清咲さんとのNINEで決まったことをそのまま報告していく。

なぜ戸塚がそんなことを知りたがるのかは、そもそもこのデート(仮)の根本を作った目的を考えれば簡単に想像がつく。


(……ごめん清咲さん)


利用し続けていること、騙し続けている罪悪感を感じながらも、自分の身のために相手に打ち明けることはできない。


(僕も中々にクズだな)


戸塚よりはマシと思いたいけど、と自嘲する。

とはいえ、『自分がクズであることを自覚している』のも立派なクズ人間の証なのだが。

人間、いつの間にここまで腐ってしまうのかなぁ、と悲しくなりながら僕は毛布という繭を更に厚くした。

ちなみに戸塚へのNINEは一時間ほど経ってから既読が付いたものの、それ以降返信はなかった。僕には返信を催促しまくるのに、勝手な奴である。




「母さん、おこづかいが欲しいんだけど」


晩ご飯を食べ終えて一息ついた後。

姉が二階に行ったのを確認してから、僕はソファに座る母に切り出した。

そろそろ四十ウン歳になり白髪が目立ち始めている母は、いじっていたスマホから顔を上げ、僕を見つめた。

まるで今初めて僕がこの部屋にいたと認識したようである。


「あぁ……もうそんな日だっけ?」


カレンダーをチラリと見てから財布を取り出す。

しばらくガサゴソと手を動かし、今回は細かいのしかなかったのか、千円札五枚を取り出した。

これが僕へのおこづかい。二週間で五千円。だいたい一ヶ月で一万円になる計算。中二のあたりから、ずっとこんな感じ。

……額が多いと思うか?

でも、金額の多さなんてすぐにどうでもよくなる。


「はい」


手渡された五枚のお札を財布に入れる。廃村だった村に、仄かな潤いが戻ってきた。


「…………」


僕が受け取ったのを確認すると、母はまるで決められた会話が終わったゲームキャラみたいに、無言で自分のスマホに目を戻した。僕が話しかけた事柄以上の反応はしない。

……自分で言うのもなんだが。

僕は今までこのおこづかいには、不満も言わず前借りもせず、真面目に(こんな言い方も変だが)受け取ってきた。今回の一日早くもらおうとしたのだって、こづかい四年目になって初だと思う。

にもかかわらず、母は何も言わない。

僕に対しては本当に『世話』をするだけで、コミュニケーションその他は一切取ろうとしない。

こづかいのやり取りをする時でも。


「…………」


なのになぜ金だけは大量にくれるのか。

それは、言ってしまえばこの金は、一種の手切れ金のような物だからだ。

『これだけやるから、自分の問題は自分で勝手に解決しなさい』という、母からのメッセージ代わり。

そこには何の感情も乗っていない。

さっき額の多さなんてすぐにどうでもよくなると言ったが。

実際、朝起きたらテーブルに無言で五千円札が置かれているだけの光景なんて、精神衛生に良いものじゃない。

増してやその金も、戸塚グループによるカツアゲやら友達料で消えていく。


「…………」


不意に自分のしていることが酷く空虚に感じられて、もらったお札が一瞬、本物の紙切れになったように思えた。



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