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教室の隅のヒペリカム  作者: 滋賀ヒロアキ
3/13

プロローグ③

 何か嫌なことがあった時、僕は高いところへ行くようにしている。

 バカと煙は高いところが好き、だなんてよく言うけれど、僕に言わせれば、高いところへ行けば自然と誰でもバカになる。

 空との距離を縮めて雲を眺めたり、下を向いて人の形をした豆粒なんかを見つめていたら、特にわけもなく気分が高揚してくるものだ。

 だから僕は高いところが好きだし、落ち込んだときは頻繁に行くようにしている。


 では、この暗寧高校における『高い場所』はどこになるのか?決まっている。屋上だ。

 持ち物検査のある日に朝からタバコ(爆弾)を押しつけられ、ヤケクソ気味にトイレのゴミ箱へ捨てて(後で回収するつもりだ)なんとか乗り切ったのだが、その後すぐ戸塚に


『なに誤魔化しきってんだよテメェ本当つまんねぇな。しかもあのタバコ隠しやがるとか、とんだワル野郎だな』


 と数発殴られ、タバコを弁償することを命令されれば、そりゃ気分も沈むものである。

 まだ腹の虫が収まらなかったのか、二時限目は戸塚たちに体操服をどこかへ隠され見学せざるを得なくなり、教師に説教された。そのあたりで一旦のキャパを超えたため、見学から帰ってきた足で僕はそのまま階段を上っていった。

 出す必要が無いから表情を無にし、人の目を気にしながら足を動かしていく。

 四階まで来ると、やがて明らかに手入れされていないのだと、普段誰も足を踏み入れないのだとわかるほど汚れた階段へと差し掛かった。埃を舞わせないようにゆっくりと上っていく。一階分上ると、屋上へ通じる扉が僕の前に立ち塞がった。

 他の高校と同じように、暗寧高校も屋上へ続く扉は施錠されている。隠れてタバコを吸ったりとか、そういう非行を防止するために。

 屋上で昼食だなんて小学生ぐらいの頃は憧れていただけに、この施錠状態がデフォだと知ったときは割と落ち込んだものだ。

 中々実現しないなぁ、幼少期からのこういう憧れは。いじめや犯罪なんかは簡単に実現するのに。


 閑話休題。

 だが安寧高校に入学してから約一年。ついに僕は、その憧れを現実にする手法を発見した。

 屋上へ続くドアノブを迷うことなく握り、雑に左右に回そうとしてみる。この扉はノブに鍵を差し込んで施錠するタイプなので、もちろん本来は回りきらず開かないハズである。

 しかし、六回ぐらいガチャガチャとノブを左右に回していると、やがてどこかのタイミングでガチャンという音が鳴った。それと同時にノブの回りが急速に軽くなる。

 確信と共にノブを捻ると……扉はあっさりと開いた。

 築ウン十年と経ってさほど手入れもされていないためか、この扉の鍵はすっかりバカになっているのだ。外側からガチャガチャと力をかけるだけで簡単に開いてしまい、鍵としての機能を果たしていない。タチの悪いことに、『鍵を差し込んで施錠する』という動作自体はできるため、恐らく学園側もこの不備に気づいていないのだろう。

 一年前のとある日、どうしても屋上に出たくてドアノブを回していたら偶然このことを発見したのだ。それ以来、度々この方法によって屋上にお邪魔させてもらっているが、特に僕が咎められたことは無いし、この扉に更なる防壁が追加されたこともない。

 なので問題はないだろう。


「……この場所まで戸塚にバレたら、僕の安全基地はいよいよ自宅のベッドだけになるな」


 苦笑いしながら扉を開けた。

 途端、扉の隙間から秋の自然が入り込んで来た。


「っ……」


 ぴゅうっと吹いた風がコメカミあたりの髪を撫で、秋にしては強い陽射しが視界を照らす。

 思わず目を閉じてしまった。

 一歩外に出ただけで空間が広がったような、別世界に来たかのような錯覚を覚える。

 これまで起きていたことは全て夢で、今目の前に広がる光景こそが現実だと諭してもらえているような。

 爽やかな自然が纏わりつく淀んだ空気を吹き飛ばしてくれた気がして、鼓動が高鳴っていく。


「はーー……きもちー」


 腕を広げ、ラジオ体操みたいな動きで肺一杯に空気を吸い込む。肌の色まで変わってしまったんじゃないかと思えるほど、澄んだ空気が体に取り込まれた。

 ……秋と冬は好きだ。熱いよりは寒い方がマシというのもあるが、空気が冷たくて気持ち良い。

 あとは長袖を堂々と着れる。極力腕の肌を見せたくない僕にとって、それはありがたかった。

 後ろ手に扉を閉めて、コンクリートの地面を踏みしめる。

 一週間前に来たときは下を見たから、今日は上を見てみる。巨大な青の中には、一つのわたあめを千切って散らしたように点々と雲があった。

 手すりに腕を乗せ、適当な雲にピントを合わせる。この調子だと、明日の天気はどうなるのかな。

 そのままボーっと、これと決めた一つの雲を眺める。今日は前より流れが早いな。上空の方は風が強いのかな。

 そんなことを考えながら穏やかな風に吹かれるというのは、中々に乙なものであり風情を感じられる。なんの風情かは知らないけど。




 戸塚正とは、小学校からの付き合いだった。

 とはいっても、本格的にいじめられ始めたのは中学からで、それ以前はロクに付き合いなどなかった。この頃から身長も高くイケメンでアウトドア派な彼と、内気でインドア派な僕との間に関係などできるはずもないだろう。

 精々席替えで近くになったことがあるとか、昼休みのキックベースに数合わせで入れてもらえたことがあるとか、その程度だ。

 明確に力の差がついていじめられるようになったのは、さっきも言った通り中学から。 きっかけはもはや覚えていない。ただ、あまり劇的な物ではなかったと記憶している。

 廊下ですれ違う時に肩が当たったとか、戸塚が自撮りした写真の端っこに変な顔で写り混んでしまったとか、そんな些細なことだった。それらをネタに戸塚が突っかかってきても、僕の方は余計なトラブルを起こしたくないからヘラヘラ愛想笑いをし、特に反撃を行わなかった。……行わなかったというか、行う勇気も無かったのが実際のところだが。

 ともかくそうした出来事の積み重ねで、僕はだんだんと戸塚の脳内ヒエラルキーでの下層に位置してしまったのだろう。

 いつの間にか戸塚は、露骨に僕を見下すようになっていた。廊下でわざとぶつかるようになり、変な顔を狙って撮るようになり、指差して嗤うようになり、暴力を振るうようになっていった。

 ……今にして思えば、小学生の頃は普通にお利口だった戸塚の性格が変わり出したのはこのあたりからだった。

 特に家庭環境や交遊関係、能力にも不備があったようには思えないのだが。むしろ能力がある中で真っ当に育ったからこそ、『他者を見下す』という人間誰しも持ってる感情が育ったのだろうか。

 まぁ考えてもわからないし興味はない。どんな人生を送ってようが僕にとっては忌々しいいじめっ子でしかないし。

 ……話を戻そう。

 ともかく、僕をいじめてる時の戸塚は常に取り巻きを二人ほど従えていたから、ケンカになったら不利だった。この手のイジメはこちらが反応すると奴らの思うツボなので、親からの教育もありとにかく僕は頭を下げることにした。感情を殺し、奴らが離れるのをひたすら待つことにしていた。

 だがそれは結果として逆効果だった。戸塚は僕のことを『お口の固いサンドバッグ』だと認識し、更にいじめをエスカレートさせた。

 そうして三年間、多感な時期の僕の情緒は戸塚にやって破壊され尽くした。

 ……ちなみに、守りたくもないが一応戸塚の名誉として言っておくと、小学生の頃に僕をいじめた人物と戸塚は別人である。まぁその頃から、為す術なくいじめられていく僕を見下し始めてはいたかもしれないけど。

 そうして、不幸なことに高校も一緒になることになり、最低でも計六年の長い付き合いとなっている僕と戸塚。

 今はその五年目となる。 五年目になっても、戸塚のイジメは特に代わり映えしなかった。いつものように取り巻きを従えて、僕をなじったりいじったり殴ったりする。 変わったのは、力の強さと罵倒の語彙力だけだ。




「…………」


 雲が視界の外へ行ってしまったので、また違う雲を探す。その拍子に、ふと下へ意識が向かった。

 屋上からは広い運動場が一望できた。少し早めに着いて体育の準備をしている生徒が見える。指二つで摘まめそうなサイズだからよく見えないけど、たぶん皆めんどくさそうな顔をしているのだろう。

 眠いだとか、課題が多いとか、この後の部活がめんどいだとか、きっとそんなことを言い合っているのだ。



(羨ましい)



 淀んだ思考が漏れる。

 潮が引くように、取り込んだばかりの澄んだ空気が排出されていくのがわかった。


(僕もそんな、無邪気な生活を送りたかった)


 普通に登校して。普通に授業を受けて。普通に友達と話して。普通に笑って。

 なんで僕の人生はこうなってしまったのだろう?なぜこんな目に遭うのが僕なのだろう?

 どこで選択肢を誤ったのだろう。

 ……これまでにも何度か考えたけど、やっぱりそんなのはわからなくて。そもそも外部からの強制イベントの結果だったので関係なかったなと思い直した。

 ……だったら、今のこの僕の人生はなんなんだろう。ただ運悪くバッドイベントを引いてしまっただけの、哀れな人生なんだろうか?


「…………」


 無意識の内に、僕は安全柵に手を這わせていた。目線を下げれば地面が見える。灰色の、無機質で固い地面が。


 二十メートルの高さから落ちれば、人は確実に死ぬ。


 いつぞやネットで見つけた情報が脳裏に浮かんだ。それに従えば……ビルやマンションの一階分がだいたい三メートルと言われているから、たぶん七、八階ぐらいから落ちれば死ねるという計算。

 この校舎は四階建て。今僕はその屋上にいて、実質五階のとこにいるわけだから……地面との距離は約十二メートル。確率的には五分五分ぐらい。落ちるときに上手く頭を下にすれば……という感じか。

 腕に力を込め、片足を柵に引っ掛ける。

 遠い地面。だけど腕と足を少し動かせば、すぐ距離を縮めることができる。

 固い地面。きっと真っ逆さまに落ちれば、人間の首の骨なんかかつての左腕のように簡単に折れてくれる。


 目撃者もいない。状況は充分。

 遺書は必要ない。送る相手がいない。

 迷う必要もない。

 飛ぶだけで良いんだ。

 バッドエンド確定ルートに入ったセーブデータをリセットするのと同じ。来世に期待。

 簡単なんだ。

 ほら、こんな風に一歩進んで。

 宙に足を踏み出せば───



「……やめた」



 そこでようやく、勝手に動きすぎた思考を引き戻した。

 一人遊び中に不意に冷静になったように、僕は腕と足を柵から離した。そのまま、全力疾走した後みたいに後ろに座り込む。

 いつの間にか、心臓はドクドクと早鐘を鳴らしていた。

 ……今回もダメだった。

 決心しようとする度に、脳の中の冷静な人格が語りかけてくる。


 なぜ僕がいじめられるのかもわからないが、なぜそれで僕が死ななければならないんだ。そっちの方がわからないだろう。最後まで「他人のせい」で行動してていいのか。やられっぱなしでいいのか。大逆転したくないのか。いじめてきたアイツらに、一泡吹かせたくないのか。


 これもまた確かな僕の本心。

 その声によって、どうせ晴らせやしないと仕舞い込んでいた戸塚たちへの恨みが思い出される。

 そうだ。一生やられっぱなしなんて嫌だ。何も良いことがないまま死ぬなんて嫌だ。

 生きてれば、いつか。誰かが助けてくれるかもしれない。それによって、この糞みたいな状況を打破できるようになるかもれない。

 いつか戸塚たちへと仕返しすることを願って、僕はなんとか生きる活力を生み出しているんだ。



「───仕返し、だって?」



 思わず口をついた。

 ……何を言っているんだろう、僕は。


 この期に及んでまだ体裁を保とうとした自分自身に、自嘲がもれた。

 そうじゃないだろうに。そんな、前向きなものじゃないだろうに。

 もちろん恨みはある。仕返しもしたい。

 だけど、一番は。



「ただ、まだ死にたくないってだけの癖に」



 結局、死ぬのはまだ怖かった。足が無意識に震えてしまうぐらいには。

 人生に希望は持てない。でもだからといって一切合切を終わらせるほど自暴自棄には、恐れ知らずにはなれなかった。


 きっと、実際に自殺した人というのは、恐怖なんて感じていなかったのだろう。もしくは、感じても無理やり振り切ったか。


 そう考えると、僕はまだ本当の意味で絶望できてはいないらしい。



(こんなどっちつかずの弱者なんて、結局日陰で虐げられながら生きていくしかないんだ)



 本当に、これからもこんな生活が続くのだろうか。

 それとも……誰かが、助けに来てくれるのだろうか。


 それとも……。





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