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教室の隅のヒペリカム  作者: 滋賀ヒロアキ
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プロローグ②

 毎朝目が覚めた瞬間に、「『明日』なんて来なければ良かったのに」と思うような人間はロクな人生を過ごしていない。

 薄目を開けると、整頓されていない部屋に黄色い光が差し込んでいた。僕らの街、及び僕の人生に朝がやって来た合図だ。

 窓の外に浮かぶ太陽が暗いトンネルの入り口のように思えて、開きかけていた目を閉じる。

 まだ布団に入っていたい。おそらく常人よりは大きいであろう布団への渇望が鎌首をもたげる。見たくない夢まで見てしまったのもある。

 だが『明日』が来てしまった以上は、僕は大人しく体を横から縦にして朝の支度を始めなければならない。高校には行きたくないが、かといって中退してしまうとこの先いかに苦労するかというのはわかってるつもりだ。

 死ぬ気が無い内は、あくまでも未来を見据えて行動しなければならない。

 泥の臭いが染み込んだ学生靴を履いて、今日も僕は学校へ向かう。





「おーうおう、来たか」


 平日の午前八時前。朝練の声ぐらいしか聞こえない、人も疎らな暗寧高校。

 その校舎裏に、低い声が響いた。


「さっすがらくじょーくん。勉強も運動もできないけど、約束はしっかり守るんだな」


 腕時計を確認して声の主は顔を上げる。目が合った瞬間、本能的に腰が引けた。

 うなじあたりの毛が立ち、すぐに目をそらす。

 もうすっかり『反射』で出るようになってしまった行動だ。クラスメイトの男子である、戸塚(とつか) (ただし)を前にすると。


「しかも指定した時間、七時五十分ちょうどだな」


 戸塚は薄ら笑いを浮かべながら僕の前へと歩いて来る。そしてその瞬間、後頭部に衝撃が来た。

 受け身を取る間もなく倒れる。口の中に砂が入って、ようやく戸塚に殴られたのだということがわかった。


「なに指定した時間の通りに来てんだ?呼ばれたときは十分前に到着しとくのがマナーってもんだろうが。らくじょーくんはそんなことも知らねぇのかぁ?」


 砂を吐き出しながら理不尽だ、と心の中でだけ反論する。

 こないだ十分前に到着したときは『俺は時間を指定しただろうが。ちゃんと話聞いてなかったのか?』とか言いながら殴ったくせに。


「ほんと、らくじょーは何にも出来ねぇダメ人間だなぁ。生きてる価値あんの?」


 制服に包まれた二の腕に足が振り下ろされた。空き缶でも踏みつけるように、容赦なく。

 痛みが脳に伝わる。グリグリと腕が地面に擦れた。


「っ!」


 骨が軋む音が聞こえた気がして、反射的に彼の足を押し退ける。

 予想外の動きだったのか、戸塚は端正な顔立ちと体勢を崩すと、数歩下がった。

 だが、すぐに表情を変えて戻ってくる。


「なんだ今の?らくじょーごときが、人間みたいに抵抗すんのか?」


 怒気と侮蔑を混ぜたような顔だった。

 しまったと思う間もなく、脳天に鋭い一撃が入った。踵落としだった。

 呼吸が止まり、視界が点滅する。気絶しなかったのは奇跡……いや、いっそ気絶した方が良かっただろう。


「早く立て。まだ始まったばっかだぞ」


 耳から入る声さえ歪んで聞こえる。

 視点が定まらない。体も、急に鉛になったように感じられた。


「チッ。おら、早くしろって、おら」


 一瞬でも抵抗されたことがそんなにお気に召さなかったのか、戸塚は脇腹へ蹴りを入れる。これも当然ながら加減はされていない。

 痛みに喚きたかったが、そんなことしたら更に攻撃が来る。相変わらず体は重いまま。しかしこのまま寝ていても、暴力の内容が蹴りや踏みつけメインに変わるだけだ。

 足に力を入れ、フラつきながらも立ち上がる。

 その直後、また後頭部に衝撃が来て、僕は無様に倒れ込んだ。

 再び地面と接吻をする僕を見て戸塚はケタケタと嗤う。


「どうしたよ?ほら、早く」


「…………」


 顔に付着した砂を落としながら、なるほど今回はそういう感じね、とある程度覚悟を決める。

 言われた通りに立ち上がって、また戸塚に倒れ込まされた。

 それが何度も続いた。


 地面が遠ざかったり近づいたりで酔いそうになったし、手の平は次第に擦り減ってきていた。それでも戸塚はやめなかった。

 やめる道理なんてアイツには無かった。





 立ち上がっては倒され、立ち上がっては倒されで、ヨーヨーになった気分のまま数分が過ぎた頃。

 戸塚は不意に一連の行為をやめ、制服のポケットに手を突っ込んだ。彼が取り出したのは、紙タバコが入った箱である。12ミリのそこそこ重いヤツで、未成年とか知ったことかと、日常アイテムのような自然さで手に持っていた。


「あー。戸塚くんいけねんだー、まだ未成年なのに」


 いつの間にか、戸塚の後ろに取り巻き二人が合流していた。その内の一人、今井がわざとらしく声を上げている。


「うっせぇな、一日二本で我慢してんだからいいだろ」


「毎日吸ってんのかよ」


 もう片方の取り巻きの、本山が呆れたように言う。

 だが彼らの目は、皆タバコへと向かっていた。


「つかそれどこで買ったん?自販機?」


「いや、いつものコンビニ。俺みたいに背丈がそれなりにありゃ、意外と年齢確認されないんだぜ」


「……あとは曜日も肝心だよな。客足が多い金曜とかなら、店員も疲れて対応が適当になってるから狙い目」


 話しながら、持参したライターで火をつけてタバコを吹かす。手慣れた動きだった。

 ふー、と本来は二十歳以上にのみ許される白い煙が彼らの口から吐き出される。


「あー……やっぱタバコと言えば紙だよなぁ。この、体に悪いモン取り入れてる感が良いんだよ」


「オレらまだ十七のガキだけどな。あ、オレにも一本くれ」


「感っつーか、実際悪いモノ取り入れてんだけどな。あと俺も一本」


 今井と本山の順にタバコを取っていく。

 カチ、とライターの着火音が三回響いて、同じようなタイミングで灰色っぽい煙が大気に混ざった。


「…………」


 三人はタバコを吸うことにすっかり意識が向いているのか、僕の方を見向きもしない。

 ……これはもう、帰っていいのだろうか。

 吐き気が上ってきていた口許を押さえながら、衣服についた砂を払いう。

 そのまま忍び足で、僕は校舎裏を去ろうとした。


「あ、おいらくじょー」


 瞬間、戸塚が僕の方を向いた。逃げようとしたことに気づかれたかと肝が冷えたが、どうやら別件のようだった。


「ほら、コレ」


 その言葉と共に既に火が灯った紙タバコを向けられる。先端から立ち上る煙が鼻腔に侵入し咳き込みそうになった。


「……これを?」


「お前も吸ってみろよ」


 嫌悪が顔に出そうになった。

 冗談じゃない。両親がタバコを吸わないのもあって、これらの煙にはほとんど慣れておらず耐性が無いのだ。受動喫煙すらも勘弁してほしいぐらいなのに。

 あとは未成年なのにタバコを吸うような真似はしたくないという、人として当然の常識というか倫理観も働いていた。不良の娯楽は不良だけでやってほしい。

 そう言えるなら言いたかったのだが、


「ほら、早く」


 声を低くしながら催促されては従うしかない。逆らった先に待っているのは確実な暴力である。

 渋々ながら僕は差し出されたタバコへと手を伸ばした。

 その直後、指先から焼けるような痛みが脳へと伝わった。


 というか、文字通り焼けていた。


「あつッ!!」


 思考より先に本能が悲鳴を上げた。

 慌てて自分の指をおさえる。人差し指の腹に戸塚がタバコを押し付けたのだと理解したのは、間抜けなことにだいぶ後のことだった。

 三人を睨むと、奴らはゲラゲラと大笑いしていた。


「おいおい見たかさっきのコイツの顔と悲鳴!ケッサクだなぁおい!」


「あーあー、戸塚クン悪いんだーいけなんだー」


「……てか、痕つけて大丈夫なのか?たぶん軽く火傷してるぞ」


「別に指の火傷なんかどうとでも言えるだろ。な、らくじょー?」


『わかってるよな?』と片眼だけを向ける戸塚。

 タバコを押しつけられた指は赤くなっており、小さな水ぶくれができているようだった。


「うん……大丈夫だよ」


『大丈夫』と言わなければもっと大丈夫じゃなくなる。

 むしろこれぐらいで済んで良かったと僥倖に思わなければならない。全盛期の戸塚ならばあのタバコを躊躇いなく目に押し付けられていた。

 歳を重ねるにつれて、必要最低限の遠慮と証拠を残さない狡猾さが成長していったのは、果たして喜ぶべきか残念がるべきなのか。

 ……どちらかといえば後者かな。戸塚のいじめの確固たる証拠を残せるなら、顔などいくらでも火傷させてやるのに。


「そーだろうな。お前ならそう言ってくれるとわかってたぜ。あ、そうだ」


 指に風を送る僕を尻目に、良いサプライズを思い付いたというような顔で戸塚はタバコの箱を再び取り出した。


「これ、お前が持ってろよ」


「え?」


「え、じゃねぇよ。こんなの持ってることがセンコーにバレたら面倒だろ。お前が預かっといてくれや」


「なんで」


「口答えすんな。いいから、ちゃんとズボンの方のポケットに入れとけ。絶対にバレんじゃねぇぞ?」


 抵抗する間もなく(元からする気力もないが)ポケットに異物が入ってくる。やった人はわかると思うが、ズボンに物を入れた時の膨らみは中々に目立つ。

 誰かに確認でもされたらその時点で一巻の終わりだ。


「バレたら殺すからな?」


 ヘラヘラしながら言うと、戸塚は取り出した携帯灰皿に吸殻を詰める(マナーが良いわけではない。証拠を残したくないのだ)。


「そういや今日、持ち物検査があったよなぁ」


 目と口が固まった僕をまた一しきり嗤うと、彼らは昨日見たSNSの話題などを出しながらさっさと歩き去ってしまった。


 ……なんとなく、タバコを吸いたくなる人の気持ちがわかった気がした。

 中のタバコを全部吸った上で空箱だけ返してやろうかと一瞬だけ検討して、やめた。



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