死刑執行第一号② ~遠山蓮見~
「法務省特別チャンネルの生中継は4500万PV! 売り上げは~~……………どのくらいですかね?」
会場後方に設置されたカメラに問題はないそうで、ライブ配信による視聴者は想定を大きく上回っているらしい。そんな、現場で司会をする人間にとっては関係がない情報を、入省二か月目、本橋ちゃおら(二十二歳)は愛嬌のある笑顔を向けながら報告してきた。
控室に設置された、ところどころが剥げて黒くくすんだスポンジがむき出しになっている革張りソファに仰向けになる。家の外で横になることは普段なら憚るのだが、会場に集まった人が向けた視線の数々が緊張感を私にぶつけ、「家の外だから」という理由を跳ねのけて体を横たえさせたのだった。
まったく、今までの職務とは対極のことをやらせやがって……。
リハーサルは何度もやった。繰り返し繰り返し。カラオケボックスにこもって、この日の光景をイメージしながらの自主練習もした。個室で誰も邪魔されずにとなるとカラオケボックスが一番。そうやって備えたとしても、やっぱりというか当然というか本番の緊張は本番でしか絶対に味わえないものらしく、小刻みに足が震えるなんて体験は高校三年生の四月、自己紹介の場面以来だったと思う。久しぶりのリアルな緊張を味わうことになったももの、結果として失敗はしなかったので練習の成果は出ていると言えよう。
練習の成果が出るとは、成功ということだ。
二本つけられるはずの蛍光灯は一本しか設置されず、この控室の広さに対してわずかに足りない明るさを放っていた。これからは頻繁に使われることになるのだから、裏方だからと言ってケチケチせずに二本使ったらいいんだ。運営する人間が関わる内側は機能性が重視されればいいので質素な作りで十分だが、それは外面に過剰に資金を回して内側はお粗末でいいというわけではない。資金の投入比率が間違っているその現状が一本だけの蛍光灯と、弁当も用意されていないこの現場に表れている。だが繰り返すうちに是正されていくだろう。次の死刑執行がいつになるのかは分からないけれど、担当はまた私になると思う。そのときは今よりも快適な控室になっていることを祈る。
溜息をつき、右手の甲を額に乗せるようにして軽く伸びをする。二十五分後にはまた刑場脇に立って司会をしなければならない。慣れないことをしなければいけない。本格的にリラックスしてしまうとキリキリする胃が安心してしまい、そのとき起き上がるのが辛くなってしまいそうだ。これで終わりでないことを嘘だと誰かに行ってほしい疲労感があるが後輩の手前、そろそろ起き上がるとしよう。
ソファに腰かけて呟く。
「優先視聴枠が一口一万円だから4千5百億、興行としては大成功だな」
暗算した結果を告げると、ちゃおらちゃんは感心して口をぽかんと開けている。
上体を落とす直前に目に入った一本の蛍光灯が死刑囚の首にかかった縄と一瞬重なった。今日だけではない、さんざん見たあの忌々しいロープ。しかしあれは天井に張り付く蛍光灯のように固く脆くはない。しなやかで強靭なものだ。その硬くて柔らかいロープはもうしばらくすれば残酷な重さと衝撃に耐え、「四百年ぶりの死刑執行に使われたロープ」として競売に出される運命にいる。
腰かけた私の正面にはちゃおらちゃんがいて、後半の流れが書かれた原稿が収まっているだろうバインダーを、腕を交差させて胸に抱えている。楽しみにしていた映画を公開日初日に観に行くときのような笑顔を浮かべているが、なぜそんなに嬉しそうなんだろう? まあ、ちゃおらちゃんが落ち込んでいたり、無表情でいる様子は見たことがないのだが。素直かどうかは知らないがいつも明るいちゃおらちゃん。しかしそれにしたってこの場に楽しいものはないはず。そりゃいつもやってることに比べれば新鮮味はあるだろうが、このあと私たちには死刑囚の死亡確認にも立ち会うことになっている。憂鬱こそすれ、そんなにニコニコする理由はここにはないのだが……
そんな、場違いなほどの笑顔でいるちゃおらちゃんが口を開く。
「ふふん。先輩、随分お疲れですか?」
「――疲れてもいる。それもそうだけど、今聞いたことに呆れてもいる」
ここで私のお気持ち表明といこう。職務とは無関係の事柄についても本音で喋っていい距離感を、この子とは築けている。それは友好を築くために若い世代の話題を振って会話を楽しんだり、コーヒーや食事を奢るなどの「親睦を深める努力」を私がしたからではなく、ちゃおらちゃんが積極的に私に関わるタイプだったからだ。この子、後輩から先輩への積極的な干渉があったからだ。ちゃおらちゃんは私の人間性を恐る恐る認識し、安全を確かめてから上司と仲良くなろうと努力するタイプではなかったらしく、常人が実施する都合のすり合わせや手間暇を一切無視して直球に、一直線に、草食獣を恐れない肉食獣のごとく私に近づいてきたのだ。
しかし、その手は誰にとっても有効ではない。むしろ、新米のペーペーが気安く――プライベートに至るまでの話題を――話しかけることを心地よく思い続けられる上司は多くない。後輩というのは、どこかおどおどしていて、自分の言動に自信を持たず、無知による無礼を働くが先輩の立場にいる者がそれを笑って許すものだろう。それをこの子は持たない。新人にあるまじき傍若無人さと、生来の頭の回転の早さ。ちゃおらちゃんの持つ性格や能力が、私のもとにとどまってしまった。
その原因は私の常に受け身である人間性によるもので、彼女が持つ任された仕事を一瞬で片づけてしまう要領の良さ、素早さは新人のそれでは到底ないことは先ほど述べたとおりだが、渡す仕事も尽きて――部下に仕事を渡す前の上司の仕事ペースが追いつかない――やることがなくなったちゃおらちゃんは、当然暇を持て余すことになった。それはクラスメイトが必死に問題を解いているのをしり目に、早々に片づけて残り時間をお絵かきに忙しくする小学生の女の子のようだった。
当然、社会人は余った時間をお絵かきでつぶしたりはしない。時間を有効活用するために彼女が行ったこと、それは「職場の全員とお友達になる」という、富士山もびっくりの挑戦だった。
仕事を速攻で片づけてしまうちゃおらちゃんは、同期の仲間たちのもとへ行く。当然彼ら彼女らは慣れない仕事に悪戦苦闘している最中だ。最初のうちはちゃおらちゃんが振る話題に脳のスペースを割きながら「へ~」とか「本橋さんもそうなんだ」とか「あはは~」とか返事をし、上の空ながらなんとか相手をしていた。しかしそれが一週間、二週間と続くと反応も変わってくる。今までは引きつった笑顔を浮かべていた顔も眉間にしわを寄せるようになり、明確な言葉で拒否してくる。とはいえ、それが正常だ。異常なのは仕事中にもかかわらず、職務とは一切関係ない話を振り続けるちゃおらちゃんだった。
そんな彼女を、その同期たちはどう見ていたか。自分は必死に食いついているのというのに同期で入省したその子は、熟練した寿司職人のように仕事をこなしている。自分はシャリを握る練習をしている最中に、親方というべき人物を捕まえてどうでもいい話をしているのだ。当然、その親方だって大いに迷惑している。
自分の能力に無自覚なちゃおらちゃんは悪意なく劣等感を、友達になりたい人々に叩きつけ続けた。仕事中だというのに雑談をしに来るちゃおらちゃんに職員ほぼ全員が明確な嫌気を感じたころには、“仕事終わり”の彼女の相手をするのは私だけになっていた――
仕方なかったのだ。
「呆れてる……一体何にです? お客さんたくさん入ってきてますし、先輩の司会も素晴らしかったですよ! 私が保証します! アルバイト経験もなく大学で勉強せずほとんど遊んでいた世間知らずで苦労知らずの入省三か月の新米ひよっこの私が保証します!」
「その割には歴史的ビッグイベントの運営に直接携わっていて、なかなかのやり手じゃない」
「えへへ~。で、呆れてるとは?」
――この子はなんで先輩にこれほどフレンドリーに接していられるんだろう。新卒っていう人種はもっと、次の瞬間には怒鳴られるんじゃないかとおどおどしてるものではないのか。こんな考えは私だけでしょうか?
「まあさ、SNSとか新聞であれほど死刑反対死刑反対と騒いでいた国民の3分の1が金を払ってまで死刑の様子を観に来ていることにさ………」
死刑を復活させるべきか否か、今世紀最大ともいえるこの二者択一を調べた世論調査によると、賛成はたったの十六パーセント。お決まりの「どちらともいえない」の割合がこの調査では極端に少なかった(三パーセント!)ことも大きな話題になったが、八割近くの国民が死刑などするべきではないと考えていながら、実際は興味津々……。一体どういうことなんだ。
「法務省経由じゃなければ金を払わずに視聴できるから、実際には多分もっと多くの国民が視聴してる。民間でも中継はしているしね。というか、観てないのはネット環境もないお年寄りか赤ちゃんくらいのものだろ」
「最高の条件でなければ今回の配信、タダで観れちゃいますからね~」
パンプスがコンクリートの床を打つ小気味よい音が遠ざかり、冷蔵庫を開ける音がした。首を入口の方に向けると、ちゃおらちゃんが冷蔵庫の扉を開けてかがんでいる。そういえばここに来た時に何か持ってきていたな。両手に持ったビニール袋。飲み物だろうが私は自前のペットボトルがある。もともと水分補給の回数が少ないうえに、司会を担当する立場上頻繁に水分を摂るわけにもいかない。こんな日には食欲すらわいてこず、朝飯も食べていなかったことも思い出した。
ガチャンと瓶同士がぶつかる音がして戻ってくる。対面に置かれたソファに身を沈めて、コカ・コーラの瓶を垂直にして飲んでいる姿が目に映った。長いまつ毛を宿した瞼を薄く開きながら、その瞳は天井を見つめ、ごくごくと喉を鳴らしている。
「っぷっはぁ~~~!!!」
「……………」
裏方とはいえ業務中にコーラを飲むのはいかがなものかと思ったが――このあとはちゃおらちゃんだって仕事がある――ただコーラが好きというだけでなく、仲良くしてくれる上司にツッコんで欲しくてそうしているらしいことは容易に想像できる。それは飲み物自体というよりむしろ飲み方に対してだろう。だから黙っておくことにした。
「で、さっきの続きゲフけど」
「ちゃおらちゃん、業務中にコーラを飲むことについて僕は何も言う気はないけれど、先輩に話しかけながらげっぷをすることに関しては、たとえ文に紛れさせてもだめだよ」
「……ケプ」
「かわいくてもだめだよ」
「有料で観ると私たちにお金が入るから死刑を肯定することになるって理屈は分かるんですけど、無料で観ればお金は配信会社に入るんですからさっきの、『死刑の肯定』にはならないんじゃないですか」
結局ツッコんでしまった上に華麗に無視されてしまった。それについては置いておくとして、ちゃおらちゃんの言い分はここ半年でSNS上で繰り広げられた意味のない議論、すなわち死刑の“倫理的問題”についての話とは大きく離れた疑問であった。
「無料で配信してるサイトはいくつかあるけど、視聴中はCMが入るから視聴者が多いほど広告料が入る。合法で配信してるサイトは今回の中継で得た広告収入の5%を法務省に納めることになってるんだから無料だからと言って死刑反対とはならないよ。お金が流れるんだから」
ソファの背もたれに左腕を乗せてちゃおらちゃんに向くと、その手には二本目のコカ・コーラが握られていた。彼女は関心した様子でこう言った。
「先輩、随分厳しいですね~。そりゃ絶対反対派の人はうちのチャンネルでは観てないでしょうけど、無料で観れるとこなら『この蛮行がいかにして実行されたのかをこの目で見届ける』って人はいるんじゃないですか?」
質問を終えると瓶の蓋をポンと外し――手元を見ていなかったが、瓶の蓋を栓抜きなしで外していた。素手で開けられるものなのか?――、再び床と垂直に傾けて飲み始めた。あれでは飲み込む暇もなく口内にコーラが流れ込んでいるはずなのに、どうやっているのだろう。ちゃおらちゃんの凄まじい嚥下力に舌を巻き、瓶が空になるのを待ってから、
「私に言わせりゃ覚悟が足りないね。仮にも……というかまさに私たち国家権力によって正々堂々と人が殺されるって超特殊なことが起きるんだから、間接的にでもお金の流れを生まないくらいのことはしてもいいよ。今回の死刑執行生配信にはそれだけの価値があるよ」
と答えた。さらに続ける。
「四百年も使われてなくて文化財化した旧刑場跡をわざわざ“改修”したのにもいくら掛かったのか覚えてるでしょ? あの時も工事現場前で大規模デモが何度も発生した。それなのにSNSでは『#死刑執行生中継を視聴しません』って類の投稿もほとんどないそうじゃないか。誰でも気軽に投稿できる場でなされた抗議なんて全然インパクトがないんだから。一生懸命デモに参加してたあの人達は今日何をしているんだろう?」
冷蔵庫に目を向けてもそこにちゃおらちゃんの姿はなかった。饒舌になっていたことへの気付きと、「まさか独り言になっていたのか」という焦りで一瞬不安になったが、彼女はテーブルを挟んだ向かいのソファに正座していた。なぜ正座?
「それで、改修費用も死刑反対派の“対処”にかかった費用もこのコカ・コーラ代も、今日の死刑執行で回収できるってことですね」
本橋ちゃおらは後半の原稿用紙を持つその腕を、私に向けた。紙が目の前で揺れている。
休憩時間は残り十分。