最終話・たとえ苗字が変わっても。
「……こ、こんなに豪華な料理……わざわざ持ってきてくださって、恐縮です……」
ハイカロリー且つハイプロテインな肉々しさ溢れる山盛り料理に、継美は複雑な笑み(無論愛想笑いのつもりだが)を浮かべながら礼を言う。
「いえいえ! 困った時はお互い様よ? 何かあったら遠慮無く言ってねェ~♪」
美唯は軽く手を振りながら受け流し、まるで作り過ぎた煮物をお裾分けするような気軽さで継美に託すと、何事もなかったように去っていった。
(……こ、こんなに有るけど……食べ切れるかしら)
因みに継美は、運動系な部活動では無かったから、余計な脂肪を身に付けない為、節制と節度を保って体型を維持していた。そのせいで人並みの胃袋しか持ち合わせていなかった。
「継美さんのお弁当、相当ワイルドね……」
翌日、食パンとレタス、そして件の茶色いタンパク質達をタッパーに詰め込んだランチボックスを開けた瞬間、同じゼミの春菜が珍しげに眺めながら感想を呟いた。
「そ、そう? まだ独り暮らしに慣れてないから、好きなモノばっかり入れちゃってね……」
……そう、一応それらは継美の好きな食べ物ではあったのだが、量とボリュームが掛け離れていたのである。そして、残す事はイカンと両親から厳しく躾られていたのだ。
明くる日。
「継美ちゃん! ちょっと作り過ぎたから持ってきちゃった!」
……焼きそばだった。因みにこれも好物の一つだった。だがしかし量が半端ではない。
「……パンより、焼きそばの方が多くない?」
翌日のお昼のお弁当(ジャンボ焼きそばパン)は、ドッグパンが割けんばかりのボリュームだった。春菜はそれを見て、ドッグパンの限界値を理解した。量的に二倍、いや三倍までは可能なんだと。
(……このままじゃ、確実に太るわ!!)
継美はかなりボリューミーな料理に、恐怖すら抱き始めていた。いや、絶対に一ヶ月後には今までの苦労が水の泡と化し、いずれ自分の写真を眺められなくなる日が来るとしか思えなかった。
美唯の企みがどうであれ、絶対に拒もう! と、そう決めて、強固な意思と断固とした口調を保ち、徹底的に辞退つもりになっていた。
【……継美ちゃ~ん、居るぅ~?】
そして三日目の夜。引っ越しの残り荷物を片付けていたせいで、自炊する余裕のなかった継美は、呼び鈴の音に続く美唯の声にチッと舌打ちしつつ立ち上がり、
「すいません……今夜は外で済ませてきたので……」
「おじゃましまぁ~す♪ あ、荷物も片付いたね!」
そう言いながら扉を開けると、美唯は返答に耳を貸さず履いてきたサンダルを脱ぎつつズカズカと上がるや否や、手にしたレジ袋をテーブルの上に置いて中身を取り出しながら、
「……今夜は、ベジタブルカレーにするから……そんなに怖い顔、しないで……ね?」
と、穏やかに告げた。
「……私も、東北地方から東京に出てきて、独り暮らしを始めたからさ……継美ちゃんの気持ちも判るの」
そう話しながら美唯はピーラーを使わず、輪切りにしたニンジンをペディナイフでクルクルと回しながら、皮を剥く。
「あ、皮は別に付いたままでも……」
継美がそう言うと、大丈夫! と軽く往なしながら美唯は続けてジャガイモ、タマネギ、セロリと皮や筋を剥いて手早く刻み、
「これは先に、バターと一緒にフライパンで炒めちゃう!」
そう告げると、残った皮や筋をフライパンの中に入れ、バターをひと粒放り込み、焦げる寸前まで炒めた。
「で、その間に沸かしておいたお鍋で、根菜とセロリを柔らかくなる直前まで煮て」
沸き立つ湯の中に刻んだ野菜を投入し、踊るように揺れ動く野菜から出てくるアクを取りながら、お玉で掬ったお湯をフライパンの中に入れつつ、チラリと継美の顔を見てから口を開いた。
「それでさ……慣れない東京でね、毎日毎日……職場と家を往復するだけの日々で……すごく、心細かったな……」
そう言うと、フライパンの中の湯を鍋へと戻し、残った皮を流しのネットに捨ててから、再びお玉を持ち、丁寧にアクを取り除く。
「……だから、こーやって……誰かとお話しながら料理屋出来たら……楽しかったと……今は、思うの」
無言で聞いていた継美は、その言葉に何か感じ取ったものの、口を閉ざしたままだった。
「……さて! そろそろ仕上げといきますか!」
景気付けとばかり、威勢良く告げながら美唯は次々とカレールーや調味料らしきモノを取り出していくのだが、
(……えっ!? ち、ちょっと待って……)
継美は、今まで母親が作ってくれたカレーの中に、一度も入れているのを見た事もない素材の数々に、不安な気持ちで一杯になった……。
既に炊いてあったらしき白飯をレンジで温めてから、美唯は最後の仕上げにカレールーを投入した。流石にここまで来れば、マトモな味のカレーになるに違いない。そう思い、継美は安堵した。
だが、そんな気分は美唯がインスタントコーヒーを瓶から匙で掬い、カルーの中に投入した瞬間、吹き飛んだ。
(……テロよ! これは間違いなく飯テロよ!!)
心の内で叫びながら、継美は更に投入されていく物体に恐怖した。
……しかし、そうして出来上がったカレーは、見た目だけは実に美味しそう。それがキチンと白いご飯に掛けられて、ホカホカと湯気を上らせているのだから、悩ましいったらありゃしない。
(あーあ、魔女の鍋の中身を全部見ちゃったからなぁ……)
そう思いながら、しかしそれなりの空腹も相まって素直にいただきます、と呟いてカレーとご飯の境界線を匙で掬った。
……あれ? そんな筈は……!?
一口含んだ瞬間、先ず舌先に感じたのは、良く良く炒めたタマネギの甘さ。続いて染み渡る野菜のコク。
……どうして!? あんな変なモノ入れてたのに!!
更にやって来たのは、ほんのり香ばしい【チョコレート】の風味、そして【インスタントコーヒー】の苦味だった。
……でも、やっぱり……これはっ!!
「……美味しいっ!!」
素直に言葉にした瞬間、美唯が嬉しそうに、にこりと笑った。
「よかったぁ~♪ これ、昔アルバイトしてた地元の喫茶店のマスターに教わったんだけど、美味しいでしょ?」
「うん! 最初、味噌と醤油、ついでにオイスターソースが出てきた時は、マジで~!? って思っちゃったんだよね~!!」
再び一口食べてから、美唯の言葉につい返答し、直ぐにばつの悪い思いが心の奥底から吹き出した後、継美は呟いた。
「……その、ごめんなさい……素直に……なれなくて」
「いいっていいって! 継美ちゃんが喜んでくれたなら、それが一番なんだからさ!」
そう答えながら、美唯は安心したように自分の皿に盛られたカレーを掬い、口へと運んだ。
「ご馳走さまでした!」
「うん、お粗末さまでした!!」
二人は汚れた食器を洗って片付けながら、互いに言い交わすと照れ臭そうに笑いつつ、
「……じゃあ、おねえさん、おやすみなさい!」
「……ん! ありがとね、継美ちゃん!!」
そう互いに呼びながら、別れて夜を締め括った。
こうして、美唯は時を経て本当の義姉となり、継美も義妹になる。
「へー、あの日の夜は、そんな話をしたんだ……」
「まー、私が本気を出せば、どーにでもなるのよ!!」
ハジメが感心したように美唯と語り合った翌日、二人は区役所に出向き、婚姻届を提出した。