②再び、ウワバミさんがやって来た。
「今晩はぁ~♪ 上場ミィだよ~! 宜しく~♪」
最初の出会いの夜から明けた次の日、馴れ馴れしいにも程が有る挨拶と共に、彼女はやって来た。仕事帰りでシャワーだけ済ませたのか、ラフな部屋着代わりのTシャツと洗い晒しのジーパン姿。そんな格好の彼女にハジメは、少しだけドキッとしたのだが……
「……あ、今晩は。まあ、取り敢えず上がってください」
……何とか顔に出さないように努めながら、ギリギリセーフな感じで彼女を部屋へと招き入れた。
「おじゃましま~す! あ、これね」
スッ、と差し出された千円札を受け取って、ホントは無くてもいいんだけどと思いながら、
「そう言えば、上場さんって好きなお酒とか有るんですか?」
向かいの椅子に腰掛けて、点けっ放しになっていたテレビ画面に視線を移した未唯に尋ねてみる。すると彼女はそうねぇ……と暫し迷ってから、
「最初は……ビールとか、かなぁ? 別にハイボールでもチューハイでもいいけど、何となく安定な安心感……ってのかも」
そう伝える彼女の目線がテレビからハジメへと移った時、彼の手で差し出されたのは……
「じゃあ、スッキリとしたコレなんて、どうでしょうかね」
氷がギッシリ詰め込まれ、霜を纏った銅製の小振りなゴブレットに、一枚のミントの葉が載せられた飲み物だった。
「うん? 何だっけ、これ……カクテル?」
「まぁ、カクテルの一種ですが……ミント・ジュレップって奴です。バーボンベースの炭酸入りです」
言われるままに手に取り、差し込まれたストローをマドラー代わりに軽く何回か回してから、スッ……と一口。
……と、未唯の口の奥で一番最初に弾けたのは、炭酸に乗って流れ込む、潰されたペパーミントの葉から染み出す爽やかな香りだった。
「……っ? おおぉ~!! すっごく爽やか!! でも、何となく甘い気がするけど……そんなにしつこくは無いねぇ」
「ええ、ブラウンシュガーを少し……それとミントリキュールとか入れてます」
未唯はハジメの説明を聞きながら、改めてゴブレットの縁に口を付ける。
よく見れば、一葉のミントの若葉には、細かい粉砂糖がほんのり振り掛けられ、霜が付いたような演出も為されていた。ぺろり、と葉の端を舌先で舐めてみて(あ、やっぱり砂糖か)と確認した未唯は、何となくハジメの心配りを感じ取り、前の日に考えていたタダ酒にありつけるみたいな気持ちに、ほんの少しだけ罪悪感を覚えた。
……のだが、元来の酒好きな性分がムクムクと姿を現し、あっという間に彼女を元の世界へと引き戻した!!
「……うん! ウマイっ!!」
ガラッ、と氷の粒を鳴らしながら、きゅ~っと一息に飲み干した未唯は、景気良く叫びながらタンッとゴブレットをテーブルに置いた後、
「おかわりっ!!」
っと、情緒の欠片も無いセリフで締めたのだった。
「……それにしてもさぁ~、バーでも始められそうな品揃えじゃな~い?」
三杯目のミント・ジュレップをストローで回しながら、傍らに置かれた食器棚改め酒貯蔵棚を眺め、未唯が何気無く呟く。
「うーん、それは別に考えた事はないですね……」
流石に何も飲まず、未唯の相手をするのもつまらないと思ったのか、自分も同じミント・ジュレップを一口啜ってから、ハジメが返答する。
彼にとって、お酒を扱う商売はどうかと聞かれたら……かなり難しい選択肢らしい。何せ、このご時世は付き合い酒の席を敬遠する若者も増え、実家の酒販売店の取引先の発注も、以前より減ってしまっているそうだ。
「まあ、家飲みと称して自宅でお酒を飲む流行りも有りますし、全体の消費量は決して減っている訳じゃないとは思いますが……バーを経営するみたいなのは、時代の流れから見るとハードルが高くなったと、思いますよ」
でも、未唯は彼が決してお酒自体が嫌いな訳ではなく、いや逆にこれだけのカクテルを振る舞えるだけの知識があるなら……とか、少しだけ考えたけれど、
「うん! 大丈夫!! ハジメちゃんのやりたいようにすればきっと、上手くいくと思うよ! アッハッハ~♪」
そう快活に笑って、何となく明るく振る舞ってから、未唯はお代わりの四杯目を頼んだ。
「……で、未唯さん……その袋、何が入ってるんですか?」
ふと気付き、ハジメが不思議に思いながら指差した、未唯の足元に落ちていた白いレジ袋。
「ん? ……あっ、これ? ……そうだ!! つまみにって駅前のデパ地下で買った焼き鳥だっ!!」
慌てて拾い上げ、中身の紙袋を開けながらハジメに見せたそれは、すっかり冷めて固くなった焼き鳥串の束だったが……
「うーん、まだお腹が空いてるなら……卵とタマネギで焼き鳥丼にします?」
そう提案するハジメに、イイネッ!! と色めき立ちながら未唯は激しく同意した。その後、炒めた後に焼き鳥串の袋の底から抽出されたタレで煮込み、飴色になったタマネギと串から外された焼き鳥の上に、さっくりとかき混ぜられた卵がふつふつと泡立ちながら掛けられた。
そんなハジメの機転の利いた手並みに、未唯は彼がお酒だけではなく料理も得意なのだと判り……先行きの楽しみがまた増えた事を、内心喜んだ。