六日目 遺跡の入口へ
ジリリリ……と鳴る目覚まし時計のスイッチをバンッと叩いて止め跳ね起きる。
カーテンを開くと朝日が昇る前で、西向きの窓から見える空は、濃紺から青へと変わりつつある。沈みかけのふたつの月が薄い朝霧の向こうで、ぼんやりと白く浮かんでいた。
元の世界でも、仕事の日は大抵朝が早い。
ハンターのランクがCランクを越えると、『シーヴァ』の街中や防壁外に開く『ゲート』から湧く弱い魔物では、もう稼ぎにならない。討伐対象としてはショボ過ぎるし低ランクハンター達の狩り場を荒らすことになる。そんなことをすればハンターギルドが俺達に対する評価を下げてしまう。
なので、一~三時間くらい歩いた先にある森や山中、海岸での狩りが主戦場になってくるのだ。だから毎日夜明け頃の出発になる。
でも、こっちに来て毎日八時過ぎまで寝てたから、ちょっとだけ早起きがキツくなってる気がする。やっぱ鈍ってきてるよなぁ。
チュンチュンと向かいの屋根の上で忙しなく囀ずる小鳥を眺めた後、
「よし!」
と気合いを入れて、トイレ、歯みがき、シャワーを済ませる。
一晩寝たらすっかり腹ペコになったので、シャワーの最中から腹がぐーぐーとうるさい。
下着を着て頭をタオルで拭きながら、楽しみにしていた朝飯の蓋を二つ同時に開ける。
「おお!!」
一つの蓋の中身はコーヒーポットとホットミルクで、もう一つの中身はホットサンドとサラダだった。
一昨日、ナン教授に戴いた物とは違い、焼きたてのように熱々で、立ち上る湯気と一緒に焼いたパンの香ばしい香りが鼻を擽り、思わずウットリしてしまう。
挟まれた半熟の目玉焼きの断面から、今にもトロリと垂れそうな黄身と薄切りのチーズがこれまたほどよく溶けてくっつき合い、部屋の明かりを艶やかに照り返す。
加熱してる筈なのに、瑞々しい断面を見せるレタスと、多分モウモの肉かな? ほろほろになるまで煮込まれ解された肉が隣り合い、玉子の白・黄色とチーズのオレンジ色、レタスの薄黄緑に肉の濃い赤色と、カラフルな断面が美しく、見てるだけで唾が溢れ出す。
一皿の右寄りにサラダを盛り、ドレッシングもかけられてある。
そのサラダの山に、中身がこぼれないようにホットサンドを二枚立て掛けてあるのに、一晩経ってもサラダにホットサンドの熱はあまり伝わっておらず、サラダの水分もパンが吸いとったりしていない。
「これがこの魔道具の力か」
皿に盛り付けられた直後に蓋をされたのだろう。本当に何時間も時間が止まっていたみたいだ。折角なので美味しく食べたい。先にサラダからホットサンドを離して皿に置く。一つは寝かして置く形になるので、多少皿に玉子の黄身が垂れるが、食べながらパンで拭えばいいや。
コーヒーをカップに注いで一口啜る。こっちも毎朝フェネリさんが注いでくれるのと変わらなく美味しい。
口を潤したところで、冷めないうちにホットサンドへかぶり付く。
外カリカリで中モッチリに焼かれたパンと、シャキシャキ感の残るレタス。とろけて舌に絡み付くチーズと玉子の黄身に、白身のプルンとした歯応えと香りが心地好い。モウモの解し肉は脂っぽさが無くジューシーで、色々なスパイスやハーブと一緒に煮込まれたのかややピリ辛で、このホットサンドのソース代わりというか、味の決め手になっていた。
なかなかボリューミーなので、朝飯には重たいかな? と食べる前は思ったものだが、いざ食い始めてみると、あっさりとした味付けで食欲が止まらない。
「うまっ! うんまっ!」
熱さにハフハフと息をしながら一気に一つを食べ終え、間にサラダを食べて、もう一つにも食らい付く。
ものの五分くらいで食べ終わり、コーヒーのおかわりにミルクを注いで一息吐く。
腹六分目くらいだが、あと数十分もすれば暴れなきゃいけない筈だ。
ホットサンド用の調理器、やっぱ欲しいなぁ。こっちのパンと、あっちで普段食べてるパンじゃ何もかも違い過ぎるから、全く同じには作れないんだろうけど、挟む具を工夫すれば色んな味を楽しめそうだ。……さすがに朝からこんなに凝った豪勢な料理は作れないけどさ。
元の世界での朝飯なんて、急ぐ時は前の日に買ったカチカチのライ麦パンを水でふやかして食いながら、干し肉を齧る程度の物しか食っていない。
仕事中の昼休憩で焚き火ができたら(人の接近を魔物に知られないように細心の注意を払い、火を使えない場合もある)多少荷物になっても仲間に振る舞ってやれるのになぁ。トマトとチーズとバジルだけでも絶対美味く作れると思うんだよ。でもその前に薪集めと火起こしがなぁ。
夜営ならともかく、昼から焚き火をする事って滅多にないんだよね。薪も場所や天気によっては全然集まらないし、火起こしはまぁ慣れてるんだけど、ウチには魔術師が居ないからめんどくさい。
大体狩りの途中で火を使った料理なんて悠長にしてられないのがハンターなんだ。だからいつも朝飯と同じような硬いパンと干し肉くらいで済ませるんだけど、朝昼とこれが毎回何日も続いたら流石に萎える。その反動で夜営のある日は俺が張り切って料理をするわけだけど……。
どうせなら昼も美味い物食った方が、気分も高まるし効率も良くなると思うんだよね。
コーヒーを啜りながら、まったりとホットサンドの事を考えてたら、時計が五時三十五分を過ぎていた。
「まだ下着のまんまだ。やっべぇ!」
と焦り、何日かぶりに鎧下と鎧を着ていく。腰にハチェットを忘れずに、剣と盾を装備して部屋を飛び出した。
……けどまだ早朝なので、俺が走るとガチャガチャドタドタとうるさい。なるべく静かに早歩きで一階へ向かう。
「おはようございます、マビァ様」
フロントに鍵を返しに行くと、シェルツさんとフェネリさんが爽やかな笑顔で挨拶してくれた。
「おはよー……って、二人ともこんなに早くから働いてんですか? まさか徹夜……」
……ではなさそうだ。二人ともくたびれた感じがしないし、今身形を整えたばかりのように、シェルツさんは無精髭も無いし、フェネリさんもお肌ツヤプルだ。
「徹夜ではありませんよ。皆ちゃんと休んでおります」
「でも、いつここに来ても二人ともいるよね? 今から俺が寝る夜十一時頃まで、ぶっ通しで働いてるようにしか見えないんだけど」
「忙しい時間帯は我々各部のリーダーが対応していますので、いつものマビァ様の活動時間に合いますが、それ以外の時間帯にちゃんと交代して食事もとってますし、仮眠もとります。今日はカイエン侯爵様をお送りしなければならなかったので、私達も特別にこの時間帯で対応しておりますが、普段はまだ休んでいる時間帯ですね」
それにしたって働き過ぎな気がするけど……。ウェルは部下を何よりも大切にしていた印象が強い。それなのに寝る時間以外、働きっぱなしってのはどうなんだ?
そんなウェルへの疑念を俺の表情から読み取ったのか、二人は困り笑いを浮かべた。
「我々リーダーは『熟睡』のスキルを持っていますので、一日一時間も眠れば、体力・魔力も回復しますし、疲労も残りません。お風呂も十分楽しめますし、趣味に時間をかける事もできます。休日も週に一度戴いておりますので、逆に時間を持て余しているくらいなのです。オーナーにその事を伝えましたところ、『働き過ぎだ』と叱られてしまいました」
ウェルはもっと休んで、自分の時間を大切にしろと叱っていたらしい。それなら彼らしいと納得できた。
しかし『熟睡』か。すっげぇ欲しいスキルだけど、俺にも修得できるだろうか?
こっちに来てから欲しいスキルが目白押しだ。修得可能なスキル枠の空きが、今の俺にどれだけあるのか分からないけど、出来るなら色々取って帰りたい。む~ん……、と悩んでいると、シェルツさんが声をかけてきた。
「あの……。マビァ様? そろそろご出立なさらないと、お約束の時間に間に合わなくなるのでは?」
はっ! と気付き、壁の時計に目を向ける。時刻は五時四十分を回っていた。
気になる事があると、どうしても好奇心が勝ってしまうのが俺の悪い癖だ。
「そうだった! じゃあ行ってきます!」
急いで玄関に走り、扉に手をかけて気が付く。
俺、どこに行くんだっけ?
そういえば、遺跡の入口前に五時五十分集合って聞いてたけど、遺跡の入口がどこか聞いてなかった気がする。
「あの……。集合場所ってどう行けばいいか分かります?」
ピタリと立ち止まり、ギギギと振り向いて二人に聞く。
二人はきょとんとしたあと微笑んで、シェルツさんが答えてくれた。
「『古代文明研究所』でしたら、中央北通りを右寄りに進み、三つ目の交差点に標識が出てますので、あとは案内通りに進めば辿り着けますよ」
「ありがと!」
二人にお礼を言い、北へ向かって駆け出した。
古代文明研究所の場所はすぐに分かった。中央北通りから東へ百メートルほど進んだところに人が集まっていたからだ。ガチャガチャとうるさく走る俺に全員気が付き、シャルが「あ、マビァさーん!」とピョンピョン跳ねて手を振ってくる。
「うぁー、俺が最後でしたか! 待たせてすみません」
「いや、まだ集合時間前だから問題ない。俺たちも今着いたばかりだからな」
カイエン侯爵が懐中時計を見てパチンと蓋を閉め、ポケットに戻しながら言う。テイレル大佐もニッコリ微笑んで頷いてくれた。
良かった。集合時間には間に合ったみたいだ。
二人の装備は昨日のまま、ちょっと高級な感じのジャケットと両腰の細身の剣だ。二年前に挑戦した時は剣がもちそうになかったって言ってたけど、その辺の対策はしてきてるのかな?
「では取り敢えず遺跡入口まで向かうか」
侯爵の号令で総勢九人でぞろぞろと研究所の門をくぐる。
古代文明研究所は高い秘匿性を必要とするためか、高い塀と有刺鉄線で守られている。警備も何人か居るらしく、正門に二人と、塀の内側を巡回しているらしい一人の姿が見えた。
紅月のヤツ、ここに忍び込んだのか。さすがだな。
辺りを見渡しながら感心する。一行は本館には入らずに、裏に回り込むように進む。その間にチーダスさんに同僚の研究員二人を紹介してもらう。
三人とも兵士の装備を纏い、左腕に盾をはめていた。
「基部に着くまでは僕らはただのお荷物だからね。自分の身はなるべく自分で守ってみせるよ」
チーダスさんはこういう事に慣れているのか、あまり緊張していないようだ。しかし他の二人はガチガチに緊張しながらも、なんとか頷いている。
「なんだよチーダス。お前はちったぁ戦えんだろ? ガキの頃あのナン教授に連れまわされてたじゃねーか」
「そーだよ、なかなかのもんだって教授が言ってたわよ?」
ザンタさんとアリアさんがチーダスさんに言い寄る。
二人の防具は鎖帷子とハードレザーの鎧の組み合わせで、体力に合わせて軽さと防御力を可能な限り両立させた物のようだ。
ザンタさんの得物は斧頭が四角錐状のスパイクになっている大振りの両刃の片手斧で、左腕にはスパイク付きのラウンドシールドをはめている。
アリアさんは、なんとフレイル型モーニングスターの二刀流らしい。戦闘が始まったら近寄らない方がよさそうだ。
お、もしやチーダスさんも戦力に数えていいのか? と期待を込めて視線を送ると、チーダスさんはブンブンと手と首を振った。
「むりむりむり! 勘弁してよ。僕もある程度の魔獣なら一頭ずつだったら狩れるけど、それは広い屋外だからで狭い通路でなんかやったこともないよ! それに他の人との連携もしたことないんだからさ」
そうなんだ。残念だけどそれなら守りに徹してくれた方が安全かも? 今日は即席パーティだから戦いながら連携を合わせていく事になると思う。研究員の三人にはシャルを囲ってがっちり守ってくれてた方がやりやすいんじゃないかな?
「でも、残りの二人は全く戦えねぇんだろ? これから行く遺跡は碌すっぽ攻略できてねぇって話じゃねぇか。予想外の事だって起こるかもしれねぇんだ。武器ぐらい持ってろ。アリア、貸してやれ」
「あいよ」
チーダスさんに有無を言わさず決めてしまうザンタさん。返事をしたアリアさんは頭のでっかいお団子に手を突っ込んでなにやら引っ張りだした。
握った柄をブンッと一振りすると、ジャキンッ! と長く伸びる。
全長四十センチほどのそれは、先端に男の拳よりも大きな鉄球にトゲトゲのある携帯型のモーニングスターだった。鎖が無いタイプの方だ。
……携帯型のモーニングスターって……。自分で言葉選んどいてなんだが、なんだよそれ。あんなもんを隠し持つ人も、アレを造った職人も頭おかしーんじゃねーか?
「わぁ! すごいですー!」
「ぅええぇ……?」
目を輝かして喜ぶシャルと、対象的にドン引きする俺と研究員三人。前を行く侯爵と大佐も、振り返り目を見張る。
「ちょいと重いよ」
アリアさんが軽々と持つそれをチーダスさんに押し付けると、渋々右手で受け取ったチーダスさんの右肩がガクンと落ち、ドシャッと鉄球が地面を叩きめり込んだ。
「……お、重い」
なんとか片手で持ち上げたチーダスさん。ギリギリ戦えそうな重さのようだ。
「……何で、そんなもんがその中に?」
ただ髪を束ねて丸めただけのでっかいお団子かと思っていたが、あんな物が入っていたとは。
「何って護身用さね。乙女の嗜みだろ?」
腰に二本のフレイル型モーニングスターを下げているアリアさんが胸を張って言う。
俺の知る乙女にそんな物を隠し武器に持つヤツなんていない。あんな重い物を頭に仕込んで平然と振る舞える乙女なんていない。それ以前にあんたもう乙女じゃねーだろ。
俺と同感なのか、研究員三人がふるふると小さく首を振る。侯爵も大佐も振っていた。
「カッコいーです! わたしもそーゆーのに憧れますー!」
胸の前で錫杖を握り、ぴょんぴょん跳ねながら尊敬の眼差しをアリアさんに向けるシャル。
シャルよ、今のどこがお前の琴線に触れた!? このおばさん頭の上から鈍器抜き出したんだぞ? 普通なら恐怖しか感じねーよ。
しかし、褒められたアリアさんはご満悦だ。
「シャルちゃんならそうだね、おっぱいの間に短剣でも仕込んだらどうだい? あたしが革でベルトを作ってあげよっか?」
このおばさん、とんでもない事言い出した!?
みんながバッとアリアさんを凝視する。
男達の心は一つだ。『このババァ、なんて事言い出しやがる!?』
「わぁ! こうですか?」
喜んだシャルは、無邪気に巨乳に錫杖を挟み、左右からムニムニと押し潰す。これには大人の男達が一斉に目を逸らした。
「シャ、シャルには刃物はまだ危ないですよ! それにシャルは神官だろ? ほら……えーとあれだ! 戒律とかで刃物の携行はダメとかあるんじゃないか?」
なんかとてつもなくエロい剣帯が出来上がりそうだし、シャルが乗り気だったので慌てて止める。
「あ……、そうでした。神官は刃のある武器はダメなのですよ。残念ですぅ」
元の世界では『神に使える者は、人々を助け癒す事を使命とするため、殺傷目的の為だけに生まれ存在する剣を携行してはならない』といった戒律があることが多いらしい。調理に使うような小さなナイフなら鞄に入れておくことは許されるが、ベルトや衣服に装備するのはダメなんだそうだ。
『戦の女神センティスス』に仕えるメイフルーでさえ刀剣の携行は許されていない。それ以上に凶悪な戦杖を振り回してるんだけどね。
こっちでも似たような戒律があって良かった……。
「ゴホン、あー、それになアリア。シャルちゃんが誰に襲われるってんだ。この子はあの大神官ゴルディーの娘だぞ? 『カレイセムの聖女』って言われてて、下手に手を出しゃあ女神サスティリア様から神罰が下されるってぇ、この街じゃあ誰でも知っていることだ。そんな恐ろしいこたぁ誰もしやしねぇさ。余所モンにだって何もさせやしねぇよ」
ザンタさんもアリアさんの提案の危険性に感づいたのか、やんわりとアリアさんを諦めさせようとする。
ザンタさんにグリグリ頭を撫でられたシャルは、
「えへへ~、そんなことないですよ~」
と照れてふにゃふにゃ答える。
なるほど、さっき男達がアリアさんの提案に驚き、シャルのぱふぱふから目を逸らしたのは、天罰を恐れてだったのか。……がっつり見ちゃってた俺は大丈夫なんだろうか?
「そう言われればそうだねぇ。下手に武器なんて持たせてケガさせてもいけないしねぇ」
「はい、そんな理由で治癒魔法なんて使っていたら、神官失格ですぅ。女神様から神罰があるかもしれないですよぉ」
アリアさんは肩を竦め、シャルはションボリと肩を落とす。男達はやれやれと、そっと溜め息を吐いた。




