五日目 侯爵様の襲来
「マビァ様、お帰りなさいませ」
正午前に『翡翠のギャロピス亭』に戻ってきた俺を迎えてくれたのはフェネリさんだった。
入口の前に立ち、今か今かと俺を待っていたようで、珍しく少し焦っている様子だ。
「どうしたの? 何かあったんですか?」
何か不穏な空気を感じながらも、フェネリさんに促されフロントへ向かう。
「これはマビァ様。申し訳ございませんが、オーナーからお帰りになられましたら、急ぎお連れするように指示されております。剣と盾はこちらでお預りいたします。説明は道中フェネリが致しますので、どうぞお急ぎ下さいませ」
シェルツさんも焦っている。なんだ?
早歩きで前を進むフェネリさんを追う。食堂ではなく別の場所に向かっているようだ。
「一時間ほど前に、こちらのご領主様であらせられる、カイエン・ベルク・ルーリライアス侯爵様がお出でになられました。オーナーとのご会談後、昼食をマビァ様ともご一緒したいと仰せになられまして、マビァ様のお帰りをお待ちしていたのです。正午までにお帰り下さり御礼申し上げます」
なんと、いきなりお貴族様のご登場か?!
俺、育ちが悪いし貴族との付き合いなんて、男爵家の末っ子のトーツしかいない。彼は中級商人クラスの生活をしていたそうだし、外観も相まってお貴族感はゼロに近い。
こっちの世界も一緒なのか知らないけど、侯爵様となると、その上には王家と王族の血縁がある公爵家しかないんじゃなかったっけ? 食事マナーが悪くて無礼打ちになったりしないかなぁ?
冒険者ギルトで既に『公然猥褻罪』に王手をかけている身なのに、これ以上面倒事は御免なんだが、ウェルも待っているなら逃げるわけにもいかない。
しかし、カイエン侯爵と言えば、前にコニスが言ってた国内最強だと噂される中将閣下じゃないか。
自分の領内のカレイセムで大袈裟に騒がれている俺を、わざわざ見に来た? 普通なら呼び出されると思うし、いずれそうなるだろうとは思っていたけど、まさかこんなに早く御大が自らお出でになるとは……。
等々考えながら歩いていると、大きな扉の前に連れてこられる。
フェネリさんが扉の前で止まり、身形と呼吸を整えてノックをする。
「失礼致します。マビァ様をお連れ致しました」
「ああ、入ってくれ」と、ウェルの返事。やはり声に緊張感が宿ってる気がする。
フェネリさんに扉を開けてもらい部屋に入ると、そこはこの宿でも一番豪奢なのではないかと思えるほど作り込まれた広い部屋だった。
天井から下がる大小三つのシャンデリアに、壁は精緻な彫刻と美しくも落ち着いた柄で施され、細工の凝った魔光灯が等間隔に並び、左側は大きなガラス窓から宿の中庭が見えた。
窓には大きな緋色のカーテンが左右にあるが、今は纏めて留められている。
中庭はさほど広くはないが、計画的に配置されているのであろう木々や苔むした岩、小さな池に石灯籠などが、真昼の陽射しで木漏れ日を作り、まるで大きな風景画のように美しく、思わず見いってしまいそうになる。
部屋の真ん中に置かれた大きなテーブルは、左右に六人分ずつ、両端に一人分ずつ、合わせて十四脚の椅子が置かれており、一番奥の正面席に知らない男性が立っていた。
その左側の席にウェルと紅月が立ってこちらに向き、その向かいの席にも知らない男性が一人。右の壁側には四人の世話係さんが立っている。
テーブルに付く四人の前には食器とカトラリーが準備されており、今にも食事が始まる雰囲気が整っていた。
「やぁ、どうぞこちらへ。そなたがマビァと申す者か? ここ数日の新聞は、実に楽しく読ませていただいたよ。私がこのルーリライアス領を治めるカイエン・ベルク・ルーリライアスだ。これが私の側近、テイレルだ。一応軍人で大佐の位にある。今後ともよろしくお願い申し上げる」
気さくな微笑みをたたえるカイエン侯爵に軽く会釈をされ、彼が示す左隣のテイレル大佐にも敬礼をされて正直たじろぐ。
カイエン侯爵は、濃緑色の長い髪を後ろでゆったりと緩く纏め、綺麗に整えられた口髭を蓄えてる。瞳は金色で背はウェルと同じくらいだ。歳はコニス情報で三五歳だったか? 前を開いた革ジャケットと襟元を緩めたシャツのせいか、位の高いお貴族様というよりは上品なベテラン冒険者のように見える。一応お忍びスタイルなのだろうか?
身のこなしや立ち居姿は噂通り隙がなく、腰の左右にエストックを二本佩いているところを見ると、エストック二刀流のスピードタイプのようだ。
一方、テイレル大佐は綺麗な銀髪碧眼の二十代前半に見える美青年だ。俺と同じ癖ッ毛なのに実に綺麗な流れをしていて羨ましい。
身長も俺と同じくらいか? カイエン侯爵とは色違いのジャケットを、こちらはきっちりと前を閉じて着ており、腰には細身の片手剣と短剣を一刀ずつ佩いている。こちらは二刀流か盾持ちかは判断しにくいな。
落ち着いた雰囲気からして、これまでこの街で見てきた兵士達とは格が違うように感じる。
「丁寧なご挨拶、痛み入ります。冒険者の新入りに過ぎない我が身でございます。マビァとお呼び下さいませ。あいにく育ちが悪く、お貴族様に対する礼儀をよく分かっておりません。無礼があるかと思いますが、どうかご容赦下さいますようお願い致します」
ウェルの左側まで進み、カイエン侯爵に向かい一歩下がってから跪き、頭を垂れて出来るだけ丁寧に挨拶をする。
テイネイ語だかケンジョウ語だか分からんが、適当な捏ち上げだ。子供の頃、商家の旦那とお貴族様の会話を聞いたのやら、芝居で見た言葉遣いを思い出しながら喋ったから、かなり変になってんだろうなぁ。
「フフッ、こちらこそ丁寧な挨拶痛み入る。どうか立ってくれ。折角対面することが出来たのだ。堅苦しい言葉も無理して使わずとも良い。ウェルと話す時と同じ感じでも良いぞ?」
「い、いえ、流石にそれは」
そんな恐れ多いと立ち上がりながらたじろぐ俺。
「ハッハッハッ。やはり俺の方から崩れんと話難いか。なぁウェルよ。さ、マビァ。紅月君の隣に座ってくれ」
急に砕けた感じになって椅子に座り、肘掛けに左肘を突いて拳に顎を乗せ姿勢を崩すカイエン侯爵。 他の三人も続いて座る。
ウェルが「ハハッ まぁそうでしょうね」と苦笑するのを聞きながら、俺は紅月の隣に座る。フェネリさんが椅子を引いてくれ、他の世話係さんが食器やカトラリーの準備をしてくれる。
「謁見の間や公の場では他の者に示しが付かんから、今のような挨拶が必要だろうが、今回は遊びに来たようなもんだ。跪くのも止めてくれ。仲良くしようじゃないか。元々俺は堅っ苦しいのが苦手なんだよ」
右肩をグリグリと回しておどけてみせる侯爵。
「それに、新聞でウェルと共に楽しそうにやってるのが羨ましくてな。明日の祭りにコッソリ参加しようとやって来たというわけだ。ウェルが俺にワニ肉を贈ってくれるとは思っていたが、我慢出来なくてな。それに昨日などギガントイールを振る舞ったというじゃないか。どうせなら噂のお前さんと話をしながらいただきたく、我が儘を通させてもらった」
「そうでしたか。しかし、申し訳ないのですが……」
「あぁ、分かってる。ウェルも一時から仕事があるそうだから、取り敢えずはそれまでで良い。今回は顔合わせだけ出来れば良かったんだ。悪いが、また暇な時にでも付き合ってくれ」
ニヤリと笑い、グラスに注がれたばかりの水を一息で飲み干して、プッハーッと満足げに息を吐く笑顔の侯爵。すぐに世話係さんがおかわりを注ぐ。
「中将、少々はしたないですよ」
と、テイレル大佐がやんわりと諌めるも、侯爵は、
「いいじゃないか、身内だけみたいなものだろう?」
と笑い飛ばす。思ったよりも豪気な人のようだ。
「身内だけ?」
その言葉が引っ掛かったので聞いてみる。
「あぁ、聞いてなかったのか。ウェル、説明を頼む」
複数の世話係さん達で給仕がどんどん進む中、ウェルを促す侯爵。
「はい。……マビァ、こちらのカイエン侯爵は、オレの兄上なんだ。彼が四人兄弟の長男で、オレが三男な」
「あ、あぁ。やっぱりそうなんだ」
「………なんだよ。驚かねぇのか? つまんねえなぁ」
驚かすつもり満々だったのか侯爵とウェルがニヤニヤして俺の反応を待っていたが、俺のリアクションが弱かったのを見て肩を竦める。
この仕草もよく似てるし、部屋に入って二人が並んでるのを見た時から、なんとなくそんな感じがしていた。
「顔はあんまり似てないけど、雰囲気が似てるんだよ。それよりもウェルが侯爵家の人間だってのに驚いたよ。お貴族様って柄に見えないもんなぁ」
と、言い終わるか否かという瞬間に、カカッという音と軽い衝撃がテーブルに置いた左手を襲い、そちらに目を向けると、指と指のそれぞれの隙間にカトラリーのナイフやフォークがテーブルクロスを貫いて突き立っていた。
「うおっ?! あっぶねーな! 紅月またお前か!!」
「主を侮辱するな。この溢れ出る気品に気付かんとは愚かなヤツめ」
椅子の上に正座をしてピシリと背筋を伸ばした姿勢で、水の入った足の長いグラスの底に左手を添え両手で持つという変な飲み方で水を飲む紅月。コイツ、水は器用に覆面したまま飲んでやがる。
椅子の上にその座り方はマナーとしてどうなのかとは思うが、紅月はちっこいからそれでようやく食べやすい高さになっていた。
「食器を武器に使うな。見ろ、世話係さんが後ろで固まってんじゃねぇか」
突き立ったカトラリーを抜き取り、左手に傷がないか見ながら後ろの世話係さんに「すみません、続けて下さい」と促すと、世話係さんはコクコクと頷いて給仕を続けてくれた。
そこにウェルが紅月の頭にズビシッとチョップを入れるもんだから、また世話係さんがビクッと固まる。
「キャンッ!」と悲鳴を上げる紅月。チョップした手でそのまま紅月の頭をガシッと掴むウェル。
「紅月、毎度毎度お前が悪い。悪ぃなマビァ。コイツ今ちぃと機嫌が悪いんだわ」
紅月の頭をぐりんぐりんと回しながら謝るウェル。「あ、主……。首が……首が……」と言いながらもなんだか楽しげな紅月。
コイツ反省どころか喜んでないか……?
なんでもウェルのところに侯爵がやって来た時に、姿を消して隠れていた紅月は、侯爵に居場所を見破られ、エストック二本を首の左右の壁に突き立てられたそうだ。
侯爵は不審者かと思ってやったらしいが、あまりの早業に紅月はひとつも動けなかったんだと。すげぇなそれ。
「で、その腹いせにお前より鈍い俺で憂さ晴らししたってわけかよ」
「わ、私はそんな卑劣なマネはせぬ。マビァが主をうにゃぁぁぁあああぁぁぁ」
「いいから、あ・や・ま・れ!」
言い訳をしようとする紅月の頭を、ウェルがまたぐりんぐりん回し始めたので、おかしな呻き声を上げる紅月。
「ハッハッハッ。実に楽しそうだな。お前らいつもそんな感じか」
俺達の様子を見て朗らかに笑う侯爵。テイレル大佐も楽しそうに見ていた。
いや、実際には『笑わせてる』んじゃなくて『笑われてる』んだけど。
何故か紅月がいつも絡んでくるから、こんな感じになるんだよな。そうこうしている内に給仕が整う。
「オレは三男だし、早いうちに継承権は放棄してるからな。商人としての立場の方が長ぇから貴族らしくなくてもしょうがねぇわな。兄上達のように騎士ってぇガラじゃねぇし、商売人の方が向いてたから、こっちで領地を盛り立てようってわけさ。家名は捨てたわけじゃねぇから今でも一応貴族だけど、それをひけらかしてちゃあ対等な商売ができないだろ? だから普段は隠してんのさ」
ナプキンを膝に敷きながらニヤリと笑って言うウェル。なるほどなぁ、侯爵家といっても色々あるんだな。
「さて、お互いあまり時間の無い身だ。食事にしようじゃないか」
侯爵の合図で短い昼食会が始まった。
侯爵ご所望の昼食とはいえ、気取ったコース料理などではなく、特別メニューではあるがこの宿らしいいつもの給仕のされ方だった。
つまり、全ての料理が一度に出され、どんなものでもおかわりし放題ってヤツだ。
今回のメインは『うな重』と『ワニ肉のサーロインステーキ』だ。
『うな重』はロージルさんがガラムさんに作った弁当の容器に似たのを少し小さくしたものに綺麗に詰めてある。香ばしいウナギの香りと甘いご飯の香りが相まって、例の効果のせいかすぐに貪り食いたい気分になる。
『ワニステーキ』も焼けた鉄板の小皿の上でジュゥジュゥと美味そうな音を立て、耳と鼻から悩殺される。実はちゃんと料理人が作ったワニ肉料理は初めて食べるので、こちらも楽しみだ。
スープは昨晩も出された『ウナギとトーフの熱々スープ』で、これはもう一度食べたかったので嬉しいな。
後はサラダとパンが山盛り置いてある。パンはうな重にご飯があるから要らない気もするけど、ウナギのタレの味とステーキのソースの相性はイマイチなので、ステーキ用に用意されたんだとか。
なんで昼からこんなに重たく、食べ合わせも悪そうなメインが二種類も? って思ったら、侯爵がこちらに来てすぐに「一番美味い食い方でどっちも出せ」とウェルに強要したので、こんな具合になったらしい。
因みに、ここにあるウナギ肉とワニ肉は、ウェルが今朝侯爵の城にギャロピスで運ばせていた物だ。
途中でこちらに向かっていた侯爵に捕まり、引き返されたんだと。
……お城の人達、ご相伴に預かれないんだ。可哀相に。
隣の紅月が、うな重を前に目を涙で潤ませプルプルと震えていたが、手を合わせ小さく「いただきます」というと、彼女だけに用意された箸を手に取る。
そしてまたこちらの視線に気が付くと、姿を消して食べ始めた。
またかよ、また素顔が拝めなかった。と、不貞腐れてフォークを手に持つと、その様子を見ていた侯爵とテイレル大佐に「ぷっ」と笑われた。
うな重もステーキもとてつもなく美味かった。
ウナギのカバヤキは昨日ナン教授のところで食べたのとほぼ同じ味だったが、やはり一緒に食べるのがパンとご飯とでは全く違う。
カバヤキの部位とタレの染みたご飯、白いご飯だけの三層を一度に口に入れると、それぞれの味や食感の複雑な風味を楽しめ、それは咀嚼する度に一体となり、口に入れた時とは全くの別物の美味さに変わって、飲み込むと次の一口が欲しくなる。
ナン教授のところではなかった『サンショウ』というスパイスが、うな重の美味さを引き上げながらも、鼻を抜ける仄かな香りと舌を痺れさせる不思議な感覚で、この料理をいっそう楽しませてくれた。
具材とご飯を一度に食べる緋の国の食文化。俺のところのパンに具材を載せるか挟むかで食べるのと似ているが、こちらの方がはるかに洗練されているように感じる。
この食文化を元の世界でも再現したいところだが、米がないんだよなぁ。なんとか持ち帰って栽培出来ないものだろうか。
次にステーキを切り分けて食らいつく。
ニンニクと胡椒とバターの香りに、ソースはワニの骨と筋肉を、何らかのスパイスやハーブと一緒にくつくつと長時間煮出した物に赤ワインを合わせとろみが出るまで煮詰めた物で、表面がカリカリ、中が半生に焼かれたミディアムレアのワニ肉に絡まって、口の中に入れただけで頬がギュッと痛くなるほどの旨味に溢れている。
更に咀嚼すると肉汁が溢れ出て、今まで食ったワニ肉とは違う次元の美味さが口一杯に広がった。
ウェルによると、俺が倒してすぐに焼いて食った肉と、二日間冷温熟成させたこの肉とでは、旨味が全くの別物なんだそうだ。
肉の硬直が時間をかけ柔らかくなると共に、タンパクシツがアミノサンという旨味に変わるんだとウェルが説明してくれるが、正直さっぱり分からない。
肉類は冷たい状態で腐らない程度に保存すると美味くなるってことだけ覚えておこう。
食事中は、侯爵が料理への感想や疑問をウェルに話し、ウェルがそれに対して答える以外には、殆ど会話がなかった。
紅月はおかわりを頼む時だけ姿を現すし、テイレル大佐は侯爵とウェルの会話を聞いて頷いたりしてただけ。俺も料理に夢中だったし、ウェルの話が難しくて会話に入るのは早々に諦めた。
聞くだけ聞いていたが、知らない単語が多すぎて分からなかったので、料理に専念させて貰った。
「いやぁ、実に美味かった。確かにこれは名物料理になりそうだ。観光客も押し寄せるんじゃないか?」
食後のお茶に入ってから侯爵は満足げにウェルに聞く。
「実際に明日の催しのせいで、カレイセムの全ての宿はウチも含めて満室状態ですよ。まぁ、物珍しさと無料配布ってのが一番の原因でしょうが、当初予定していた五万食分では、あっという間になくなりそうなので、この際全てのワニ肉を放出することにしました。只今、カレイセム中の飲食店に協力してもらい、下拵えさせているところです」
二日前の新聞に明日の事を載せてから、領内の他の街や、この街の南の港の対岸にあるヨーグニル側の宿場町にも噂が広がって、明日は大変な数の人々で街が嘗て無い大賑わいになりそうなんだとか。
協力してもらう飲食店には、その店だけのワニ肉のレシピを譲渡することで手伝ってもらっている。
今回は無料でお客に振る舞うイベントなので、ワニ肉料理が出た分を店の売上としてウェルが色を付けて補填するらしい。
店の数にもよるけど、この無料イベントにかけるウェルの出資って、数百万カルダ……いや、数千万カルダを超えるのでは?
俺が気安く勧めた先行投資の額が、あっさりと予想を越えてる気がしてきたので、一瞬背筋が凍る感じがしたが、長い目でみればそんなに遠くない未来に取り返せるからこそウェルは実行しているのだろうと、自分を納得させつつ平静を装う。
「全部って石化した四頭も?」
つい気になって口を挟んでしまう。だが侯爵には咎められなかった。楽しげに様子を見ているだけなので話を続ける。
「いや、あれはまだそのまま保存中だ。肉の熟成が間に合わねぇし、骨やガラが使い切れねぇのよ。出来るだけ配れる量を増やしたいんだが、どうしても上限ってものを越えられなくてなぁ」
料理に一番多く活用出来るワニの部位は、骨等の食べれないガラだ。これで大量にガラスープを作れば、今ある二四頭分のガラだけでも何十万人分もの量が用意出来るし、味付け次第で料理のアレンジは数え切れない。
だがそれは机上の空論で、明日までに用意することは不可能だ。
何故ならば、ガラを煮出す大きな鍋の数に上限があるからだ。
一般家庭にはない大きな寸胴鍋。今から鍛冶屋で造ってもらうにも、他の街から取り寄せるにしても、時間的に可能なラインを既に越えていた。
増やせても当初の予定と合わせて十万食分が限界らしい。
「流石に十万人もこの街には集まらんだろう? 大きなイベントの際にも三万かそこらが精々だし、小さな街だ。そんなに来られたらメイン通りが人で溢れかえるぞ」
「いえ、兄上。確かに集まるのは多くても五万人ほどでしょう。しかし誰もが一食では満足出来ない筈です。他のメニューも必ず食べたくなるでしょうから、最低でも三倍の量が無いと食いっぱぐれる者が出るかと思われます」
カイエン侯爵の疑問にウェルが答える。そうか、各メニューの量は料理の種類によってまちまちで、ひと口ふた口で食べ終わる物から結構しっかりした食事になる物まであるだろうから、食べるメニューによっては満腹加減が違ってくるんだ。
「ギガントイールはどうなんでしょう。これだけ美味しければこちらも名物として売り出せるんじゃないのですか?」
テイレル大佐が手を上げて質問をする。みんなそうだが、うな重をかなり気に入ったようだ。
確かにワニより狩りやすかったし、一匹で何百人分もの食材が手に入る。ジェムも利用価値が高いので定期的に狩ることが出来れば、街の発展に大いに役立てるだろう。しかし……。
「それに関しては、さっき冒険者ギルドでも話が出たんですが……」
俺はウナギが討伐対象外になっている理由を、まだナン教授に聞けていないことを話す。
「なるほどな。ギガントイールを狩り過ぎると、他の魔獣や魚類にも増減の影響があるかもしれんのか。確かにそれは専門家の意見を聞かんと判断し難いな」
腕を組んで頷くカイエン侯爵。
「それにテイレル、ウナギを捌くには相当な腕前が必要なんだ。それは普通サイズのウナギの話で、今回のはギガントイールだからなぁ。討伐はマビァしか出来ねぇだろうし、八メートルオーバーの巨大ウナギの解体なんて、普通の料理人の範疇じゃねーんだ。今この街でそれが可能なのは、ウチのメインシェフと何故かナン教授だけだろうよ。ウチで捌いてウチだけに使うにゃ一匹でも多すぎるし、他所に売るとしても、切り身でさえ上手く扱える料理人が何人いることか。ナン教授に至っては、あの人は学者が本業だ。昨日はいきなり手に入ったから張り切って調理したんだろうが、それを本業にするようなお人じゃねぇよ。多分捌き方も教えてくれねぇだろうさ」
あー、なんか分かる気がする。ナン教授は必要な技術は誰かに教わらずに己で磨いてきたタイプの人だと思う。他人にも「見て技術を盗め」とか「自力で掴んでこそ己の力になる」とか言いそうだもんなぁ。
チックとカーリーの二人に「おじーちゃんおしえて~」とせがまれると、爺バカ全開で教えそうな気もするけど……。
「そうですか、それは残念です」
テイレル大佐は肩を竦めて苦笑した。彼もおかわりをしていたし、ホント美味かったもんな。昨日今日と続けて食べたのに飽きもせず、紅月も俺もおかわりをしてしまった。
紅月はお茶を持ったまま消えているので確認出来ないが、あの薄ぺったい身体も今はさぞやお腹ぽっこりになっていることだろう。
「明日は俺も食べ歩きをしようと楽しみにしていたんだが、そんなに大賑わいになるのなら控えるしかないか。領主たるもの、領民の楽しみを奪うわけにはいかんからな」
侯爵は明日の楽しみがなくなったのに嬉しそうだ。
「兄上、この後の予定は? 今日はウチに泊まっていかれるんでしょう?」
「あぁ、視察も兼ねて来ているから、何泊か面倒みてくれ。駐屯軍にも顔を出さんといかんだろうし、東の火災跡も見に行ってみるか? なぁに、どうせヒマな身だ。戦力として必要なら私とテイレルを使ってくれて構わん。それなりに役に立つぞ?」
「領主の仕事が暇なわけないでしょう。何日も城を空けたら奥方様に叱られますよ?」
椅子にもたれかかり、侯爵様とは思えないダラけっぷりを諌めるテイレル大佐。
確かに広大な上に国境に面する領地。三つもの都市を統べる領主がヒマなわけがない。この人も苦労してそうだなぁ。
「マビァ、午後から少し付き合ってもらいたいんだが、時間を空けてもらうことは出来るか?」
「え、えぇ。このあと冒険者ギルドでの用事がありますが、多分一時間ほどで済むかと思いますので、それ以降でしたら多分大丈夫かと」
いきなりの侯爵の申し出に戸惑うも、なんとか答える。
「なら悪いが、手が空いたら駐屯基地まで来て欲しい。宜しく頼む」
そう言って立ち上がると、侯爵はテイレル大佐を連れて退室した。
「さて、オレたちも動こうかね」
俺もウェルと同時に立ち上がる。紅月は消えたままだ。ちぃっ、腹のぽっこり具合を見てやろうと思ったのに……。
部屋の時計を見ると一時前。ロージルさんを待たせるのも悪いので、急いでフロントへと向かった。
いつも読んで下さっている皆様、ありがとうございます。
なんとか隔週での更新を続けてまいりましたが、この度仕事の都合上でやたらとめんどくさい資格を取ってしまったために、しばらくそちらに掛かりきりになってしまう羽目になりました。
なので、更新は当面の間中止致します。
年内の復帰も怪しいところでして、悔しいかぎりです。
復帰の際には、活動報告にて事前にお知らせ致します。
もし、まだこの物語の続きを読んで下さるのでしたら、またお付き合い下さいませ。
よろしくお願い致しますm(_ _)m




