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初日 大浴場と一日の終わり

 「いやー、食った食った」

 満腹になるまで食い尽くした俺は、今、浴室の洗い場で椅子に座ってシャワーを浴びていた。俺以外にも数人寛いでいるここは、シェルツさんが言ってた『少し大きめの浴室』なんてとんでもない。俺からしたら大浴場だ。

 魔光灯が控えめに灯された浴場は、何らかのハーブの香りの良い湯気に満たされて、鼻から吸い込むと心地好い。浴場は緑系の色のタイルで全面を彩られ、目にも楽しいデザインにしてある。

 洗い場も一度に十人以上が洗えるくらいあるし、その全てにシャワーと鏡、石鹸に『シャンプー』という髪を洗うらしい液体石鹸? が設置されされている。

 浴槽も三つあり、一番大きい浴槽には壁から迫り出した岩肌にお湯が湧き出て湯船に流れ込んでいる。他二種類の浴槽も『ハーブ湯』と『薬湯』の札が貼ってあるので、どんなものか興味をそそられた。

 食堂を出た俺は、世話係りさんに案内され大浴場にやって来た。下着の替えがないのを察した世話係りさんは、有料だが何枚でも下着を売れるし、今の下着と鎧下も有料で洗濯してくれると言ってくれた。

 鎧下は明日の昼にはギルドに着ていく必要があるので、それまでに乾くか心配なことを伝えると、なんと魔法で乾燥が出来るそうな。厚手で綿入りの鎧下を一時間もあれば乾燥させるというのには驚いた。なので、今着てる下着と部屋にある鎧下の洗濯と、新しい下着上下の二セットを注文する。一セットは脱衣室の籠に入れてくれて、今の下着を脱いで俺が風呂に入っている内に、部屋の鎧下と下着を洗濯してくれ、もう一セットの下着を部屋に置いてくれるそうだ。

 脱衣室にあるタオルはタダで使っていいというし、持ち歩いていた金の入ったポーチと部屋の鍵はフロントで預かってくれている。ホントに至れり尽くせりとはこのことだ。

 シャワーの湯を弾く全身の油を、石鹸を手で泡立てて何度も撫でて洗い落とし、一度ザッと流すと、これまた借りた身体を洗う為のタオルに、石鹸を擦り付けて揉むとモコモコと白い泡が膨れ上がる。

 「こんなに香りの良い泡の立つ石鹸見たことねーや」と呟きながら、タオルで全身を洗っていく。元の世界では風呂やシャワーは汚れを落とす為に必要な行為で、手間なばかりで快楽とは程遠かったが、全身をたっぷりの泡で洗うのがこんなに気持ちいいことだとは知らなかった。いや、ここに来てから知らないことしか無いのだが。

 いつまでも泡に包まれていたくなるが、そのまま『シャンプー』と言うのを使って頭も洗ってみる。一度目はこれまでに付いた汚れが酷かったのか、泡も立たず、お湯で流してもまあ洗えたかな?って感じで、ここまでなら元世界の臭い石鹸で洗った時と近い印象だったが、シャンプーの香りがとても良いのでもう一度洗ってみるとみるみる泡が立ち、しっかり濯いでも指通りの悪いギシギシした感触もなく、産まれて初めて頭が本当に綺麗になった気がした。

 ここのシャンプーと石鹸は絶対沢山買って帰ろうと思うが、プレイヤーはそれを許してくれるのだろうか? まあ買い込んでおいてダメなら諦めるしかない。帰り際にフロントで買えるか聞いてみよう。そう考え大きい浴槽に入り快楽に浸る。


 …微睡んでいると「マビァ様。そろそろ上がって戴いても宜しいでしょうか?」と、世話係りさんの声がしたので、目を醒ますと周りに誰もおらず、自分だけが湯船に揺蕩っていた。二時間くらいここで眠ってしまったらしい。

 「ああ、すみません」と慌てて起き、脱衣室に行ってタオルで全身を拭く。水気を除くと髪はサラサラでゴワついておらず、頭皮も痒くない。肌もベトつきが綺麗に落ちて、全身を仄かな良い香りが包んで心地好い。新しい下着を上下着て、借りた屋内着を来てフロントに鍵とポーチを返してもらいに行く。

 「お風呂はご堪能戴けましたでしょうか?」

 と、シェルツさんに聞かれたので「最高すぎて寝てしまいました」と照れながら言う。

 「明日は朝六時から十時までが朝食の時間になっております。モーニングコールがご希望でしたら致しますが」

 モーニングコール? なんだそれ?

 「ご希望の時間に、スタッフがお目覚めのお手伝いに、お部屋まで参ります」

 優しく起こしに来てくれるサービスなのか。ちょっとこそばゆいな。孤児院にいた頃は院長に叩き起こされていたから、優しくされても起きれる自信がない。

 「でしたら、お部屋の時計に目覚ましを設定いたしましょうか。今からお部屋に帰られる際にご一緒させて戴きます」

 なんと、こっちの時計はそんなことも出来るのか。元世界の街の時計台も決まった時間になれば勝手に鐘がなるようになっているが、その小さいのってことか。懐中時計なんてのも俺らの世界にはあるが、恐ろしく高い上に壊れやすいので、ハンターが持つには向かない。貴族様や王族の持ち物だけど、それにもそんな機能は聞いたことがないぞ。

 「それで明日のチェックアウトは十一時になりますが、宜しいでしょうか」

 「出来ればもう一泊したいんだけど、出来ますか?」

 今日は遅かったし疲れてたから、もう少しこの宿を堪能したい。大浴場のあと二つの風呂にも入ってないしな。そう言ってポーチから大銀貨一枚をカウンターに置く。

 「これで、明日の分とさっきの下着代と洗濯代も足りますか?」

 「勿論でございます。ご連泊ありがとうございます」

 そう言って、お釣を銀貨一枚返してくれる。下着とはいえ上下二セットで銀貨一枚? 安過ぎる。洗濯も厚手の鎧下上下に下着上下。朝には乾くんだから銀貨一枚は安いだろう。


 また世話係りさんと一緒に部屋に行き、世話係りさんが時計の設定をしてくれる。時計はベッド横のサイドテーブルの天板に埋め込み式になっていた。盗難防止だろうか。起きる時間は八時にしてもらい世話係りさんがうしろを弄り設定を終える。

 「目覚ましを止めるには、こちらのスイッチを押して戴ければ止まりますので。どうぞごゆっくりお休み下さいませ」

 世話係りさんが丁寧なお辞儀をして出ていくと、俺は窓を開けて夜風に当たった。春の夜風は冷たいが、火照った身体には心地よい。

 時計を見ると十一時半を回っている。三階から見た景色は回りも背の高い建物が多いので見渡せる訳ではないが、目の前の通りに等間隔で並び光る街灯と、夜はまだまだと言わんばかりの居酒屋の活気。道を歩くまばらな人々。窓から零れる生活の光。

 それらを眺めて平和で良いところだとつくづく思った。

 「俺も元の世界が大ッ嫌いだったら、こっちに住みたくなるよな…」

 そう呟いて、窓を閉めベッドに潜り込む。

 ベッドの寝心地の良さと良い香りに一瞬驚くが、何かを考える前に眠りに落ちていった。


 ………ジリリリリリリリリリリ……と、意識の遠くから徐々に近付いてくる音にゆっくりと目を開けると、カーテンの隙間から射し込む朝陽に目を細める。ここは何処だとのそっと状態を起こし、花の様な良い香りに包まれて頭がゆっくりと覚醒していく。その香りは身体を起こした時に動いた布団と自分の衣服から香って、何でと頭を掻くと髪がサラサラした。

 ああ、異世界だっけ? と音の方を見ると時計が八時を回ったところだ。そうだった、と手を伸ばし目覚ましのスイッチを押して切る。なんかごちゃごちゃと色々混ざったような夢を見た気がするがよく覚えていない。少しぼーっとしていると扉がノックされた。「はい」と返事をすると昨日の世話係りさんが入ってくる。

 「おはようございますマビァ様、良くお眠りになられましたか?」

 「あぁ、おはようございます。気持ち良く眠れました。良いベッドですね」

 そう答えると世話係りさんは「それはようございました。お褒めに預かり光栄です」とお辞儀をし、部屋の真ん中のテーブルへ持っている物を置く。

 「こちらが昨日お預かりした洗濯済みの物でございます。そしてこちらがこの宿のオーナーからのささやかな贈り物でございます」

 と言って包みを開くと、服らしき物が重なっており、普段履きに良さそうな薄手のブーツもある。

 「オーナー…? なんで?」

 全く見当が付かないが、余りの厚遇は逆に警戒してしまう。

 「朝食の際にこちらからご挨拶に伺うと言付かっております。私共には理由までは解りかねますので、その際にご質問なさって下さいませ」

 そう言うと一礼して去っていった。

 ベッドを降りてサンダルを履き、テーブルに寄って贈り物を見ると、シャツにジャケット、厚めの生地のズボンと一揃えある。なんだ…? と不思議に思うが、放っといて洗面所に向かう。歯ブラシは元の世界でもいつも使ってるが、こちらの形状の方がより使いやすくなっており、さらに歯みがき粉という石鹸は、口の中で泡立って驚いたが、歯がツルツルになり口もスッキリする。

 鏡に映るシャワー室の扉を見て、そうだと思い立ち、シャワーを浴びることにした。朝から熱めのシャワーを浴び、シャンプーや石鹸で身体を洗っていくと、やっと頭も回りだし気持ちもスッキリする。

 折角なので贈り物の一式を着てみた。こんな上等な普段着なんて着たこともないが、まあまあ様になってるかな? 送り主には疑念もあるが、まぁ会ってみれば分かるだろ。朝食が終るまで一時間三十分と少し。少し早歩きで食堂へと向かった。


 食堂にはまだ何人か他の客がおり、遅めの朝食を楽しんでいる。入り口で世話係りさんが案内してくれ、昨晩と同じように給仕されると、飲み物を聞かれる。

 「お飲み物はコーヒー、モウ乳、オレンジジュースから選べますが如何なさいましょう?」

 「こうひい? モウ乳……はモウモの乳か。オレンジは果物だよな。じゃこうひいで」

 と、飲んだことのない物を頼む。失敗したら他のを頼みなおせばいい。夜と同じで食事のメニューは選べず、やはり食べ放題が出来るそうだ。

  殆ど待たずに届いた朝食は、目玉焼き三つにこんがりベーコン、昨晩も出た山盛り生野菜とポテトサラダ。バスケットに一杯のパンというなかなかのボリュームだった。初のコーヒーは白い陶器のカップの底が見えないくらい黒い飲み物だった。いや液体上面の縁が赤茶色っぽいから、濃い赤茶色が正解か?

 「お好みに合わせて、こちらの砂糖とミルクを入れても美味しく戴けますよ」

 と言われたが、甘いのはあまり好きじゃないんだよな。まずそのまま味わうことにする。

 熱いコーヒーに口を近付けると、良い香りが鼻を擽る。かなり熱そうなので少しふーふーと息を吹きかけ、口に含むと強烈な香りと苦味に驚いた。いや、苦味は慣れれば心地好いくらいだが、元々貧乏人で薄い茶すら碌に飲んだことのない俺には強すぎる。香りは煎った麦のように香ばしくて好みなのだが、口内に風味がいっぱいに広がり喉を通っても強い何かを残している。シャワーで目覚めた身体を更に叩き起こすかの様な頭に突き抜ける強さがそこにあった。

 スッキリとした後味に、口に残る仄かな甘さと苦さは嫌いではない。「おお…!これは…」と呟き、何度も口に含んで味を吟味していると、朝食にも手を付けずに一杯飲み干してしまう。次はミルクを入れてみようとおかわりを頼んで、朝食を食べ始めた。


 モリモリと飯を食べ、二杯目のコーヒーをミルク入りで飲む。これもまろやかになり美味しかった。

モウ乳自体の甘さも加わり、少し尖っていた苦味を抑えて飲みやすくなる。コーヒー通はストレートを好みそうで、ミルク入りは別のファンが付きそうな感じだな。これも持って帰れるかな? どんな茶葉なんだ? と考えながら食事を終える。

 皿を下げてもらい、水をチビチビと飲みながら色々考えていると、一人の男がテーブルの向かいに立つ。

 「当宿にご宿泊いただき誠にありがとうございます。私は当宿のオーナーをしておりますウェルゾニアと申します。我が宿自慢のサービスの数々はご堪能して戴けましたでしょうか?」

 そう言うと男は深々とお辞儀をして、顔だけを上げ、ニッと笑ってウィンクをした。



 お風呂のシーンは、プチ被災で断水が一週間続いた事を思い出しながら書きました。

 家屋を無くしたりした本当の被災者方に比べればゴミカスのような苦痛でしたが、飲料水、トイレ、風呂、洗濯と、水が十分に使えなかった事は辛かったですね。

 主人公のマビァは、水の不自由のない街に暮らしていましたが、お湯は買うか自分で沸かさなければ手に入らない生活をしてきた男です。

 これだけ豊富なお湯と高品質な石鹸で全身を綺麗に洗えたことは人生で初体験だったはずです。汚い臭いには免疫がありましたが、ここでのお風呂は価値観が覆るほどの衝撃を受けたでしょうねw


 次回は6月21日(日)正午の予定です。

 また読んで戴けると嬉しく思います。

 ここまで読んで下さった方にも感謝致します。

 やっと二日目に入ります。宜しければ今後もお付き合い下さい。 

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