初日 『翡翠のギャロピス亭』
ギルマスの部屋から出てギルドのロビーに戻って来て、時計を見ると既に夜の八時近くになっていた。宿屋に着いても飯食わせてくれるかなぁ、と心配しながらコニスの後をついて歩く。ついでに今聞けそうなことを聞いておくか。
「コニスさん、聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」
「あ、はい。コニスでいいですよー。あでも、スリーサイズは答えませんよ?」
なんて、前屈みに指を口に当てながらウィンクしてくる。…あざといな~。それにこの子、ギルド出たとたんに言葉使い砕けたな。仕事とプライベートのオンとオフが結構はっきりしている。あ、それと、スリーサイズはいいです。あなたどちらかと言えばウチのレイセリア寄りなんで。せめてウチのメイフルー並になってもらわんと俺は迸らんですよ。と、いうことでさらっとスルーする。
「聞きたいことってのは、この街の娯楽についてなんだけど、例えば劇場があってお芝居や歌劇があるのかとか、闘技場があって人同士や人対魔獣、魔獣対魔獣の闘いを見たりとか、他には剣術大会とか、魔獣のレースとかさ…。そんなのある?」
「あ、はい劇場もあってお芝居も歌劇もよく観に行きますよ~。えっと闘技場ってウチの試験場みたいな感じなんですかね? この街の人達、多分そういう力と力のぶつかり合いっていうんですか? そうゆーの苦手みたいで、この街にはその手の施設や大会はないんです。
あと、人が傷ついたり血を見るのも嫌な人多いんで、たまに他所から来る大道芸人が剣を口に入れたりとか、壁に人を立たせてナイフを投げたりとか野蛮なことをするんですが、みんな嫌いなので直ぐに街から追い出されてますよ。
魔獣を使った獣使いのレースなら年に数回ありますよ。夏に河でやるコロットセイの水上障害レースとか~、秋の収穫祭にやるノウトスの荷牽きレースとかですね」
コニスはあれこれ俺が可愛いと思う仕草を入れながら上目遣いで話してくる。ほんっとにお前あざといな! と、少しイラッとするが宿屋も近いみたいなので抑える。この子は多分あれだな、ギルドの自称アイドルってヤツだ。男の冒険者や職員が自分の可愛さにデレるのを喜びにしてる小者で、こういった男女二人だけになったりすると『貴方だけにしか見せないわ・た・し』みたいなのを見せ付けて狂信者を増やそうって魂胆が見え見えだったりする。それでもあのギルド内は掌握してそうだなー。同じ男として情けねーよ。てことでまたさらっとスルーする。
『アイドル』ってのは俺の住むシーヴァの街にも何人もいた。ハンターや平民達、中には貴族までも夢中にさせる踊り子や歌姫のことだ。街の大きな劇場で、磨いた技を披露して多くの男を虜にしている。トップアイドルは大抵上流貴族の第三の嫁になるか愛妾になるかで、二十歳になる前から裕福ながらも退屈そうな、それでも本人達にとっては幸せな人生を送っているらしい。中には平民やハンターとの熱愛で結ばれ、アイドル引退後、慎ましく家庭を築いている者もいるそうだ。明日をもしれないハンターの男達にとっては、それは夢のような生活で、お目当てのアイドルの目を引くために、稼いだ金で舞台を見に通い愛情を注ぎ込む。まぁ大抵は夢で終わるしかなく、アイドルの女の子も年齢の限界ギリギリまで貴族の目に留まることを願い、それが叶わないと自覚した時点で、できるだけ幸せな結婚を望むので、大抵は裕福な平民に嫁ぐ。その日暮らしの貧乏な低ランクハンターには見向きもしないのだが、前例として熱い愛にほだされてハンターの嫁に落ちたアイドルもいるので、男達の夢は終わらないってわけだ。
ちなみに俺は、俺自身が今のところ恋愛にも結婚にも興味がなく、うちのレイセリアとメイフルーがそこらのトップアイドルよりも見た目だけは美少女なので他の女達に目移りするようなことはない。とはいえ、あの二人とどうにかなろうとは恐くて想像も出来ないわけなんだが。
まあ今ので欲しい情報は手に入った。
「なるほどね。せっかくこの街に来たんだから、観光の参考にさせてもらうよ。ありがとね」
「いえいえ、こちらこそお役に立てて何よりですよ。あ、ここですね。ギルド御用達の宿屋『翡翠のギャロピス亭』です」
入り口の看板を見上げると、馬のようなシルエットが緑のガラスで飾られている。
「ギャロピスって兵士が乗ってたヤツかな? 今日見たんだけど」
「そうですよ~。でも世界中どこででもギャロピスは使われてるはずですよ? 見たことなかったんですか?」
「あ、いや。俺の住んでたところじゃ確か名前が違った気がするな~と思って、なんて名前だったかな~ハハハ」
まずった。誰もが知ってて当たり前の魔獣だったか。苦しい言い訳をするがコニスはコテンと首を傾げただけで話を続ける。
「この街では獣使いが他人でも扱えるように訓練してますから、他所の街より乗りやすいって評判なんです」
へへん!と薄い胸を張り、自慢気にあざとい仕草で可愛い子ぶる。おめーの手柄じゃねーだろと思いつつ、こちらの出身地を聞かれると面倒なので、へー、と納得したふりをしながら宿に入る。どうせ宿に入ると…。
「冒険者ギルド、受付担当のコニスです。いつもお世話になっております。こちらのお客様はマビァ様と仰られるお方で、今日こちらにご宿泊して戴きたく思いお連れしたのですが、お部屋の方の空きはまだ有りますでしょうか?」
ほら見ろ。何この完璧な営業スマイル。まぁ仕事をちゃんとしてくれて、俺に実害がなけりゃ別にいいけどさ、ギルドからここまでの短い距離で、俺的なコニスの評価はダダ下がりだ。俺はコニスの横に立ち、宿の受付に付け加える。
「出来れば風呂かシャワーがあるとありがたいんだけど。あと遅くて申し訳ないんだけど夕食もお願い出来るかな」と言うと、宿の受付はコニスから俺へと視線を移し、答えを俺に言ってくる。
「はい、お一人様ですね。直ぐにご用意出来ますよ。お部屋はシャワー付きですが、一階に少し広めの浴室もございます。ご利用は十一時までとなっておりますので、それまででしたらご自由にご利用戴けます。代金は一泊七千カルダとなりますが、宜しいでしょうか」
外見からして高級宿っぽいから、高いかなと思ったけど格安価格だった。いや、多分こちらの価値からしてもお高めな宿になるのだろうが、俺の元世界の価値観ならその十倍取られると思っていた。俺はいつももっとずっと安いところを使ってるから、今回かなりの贅沢ではある。
この宿のフロントカウンターにいる受付の人も、この宿の高級感に相応しい紳士だった。名前はシェルツさんというらしい。
歳は三十代だろうか? 紫がかった黒髪を後ろに撫で付けた貫禄のあるハンサムさんだ。上下黒のスーツに白のシャツと黒の蝶ネクタイ。俺みたいな常に戦いに身を置くタイプの者ならば分かる、なんとなく只者でない感じ。物腰柔らかそうだけど、この人強いんだろうな。
そんなシェルツさんに「はい、それでお願いします」といい、金を用意しながらコニスにも「案内してくれてありがとうな。助かったよ」と笑顔で礼を言う。
「いえこちらこそ不手際の数々、大変失礼致しました。また明日のお越しをお待ちしております」
コニスは申し訳なさそうな表情で詫びると、お辞儀をして帰っていった。不手際がどうこうと言うなら宿代くらい奢れよ、と思わなくもないが、あの手の女は扱い方を間違って恨みでも買うと後が怖いからな。狂信者に涙でも見せりゃ俺を消す方法は幾らでもある。いや俺の偏見も大分入ってるし、コニス自身がそこまで悪女って根拠もない。全てのこの手の女が皆そうだって訳じゃないんだが、少なくとも男の視線がない時は別の顔を出しているってのは想像しやすいだろ。始終カマトトぶってるヤツがそれが素だって言うのも信用ならないが、二面性が強すぎるタイプの言動は信用ならないってのも確かだ。
俺がカウンターに大銀貨を出すと、お釣りの銀貨三枚と部屋の鍵を出してくれる。
「お荷物があれば部屋までお運び致しますが?」
「あぁ、実は旅の途中で丸ごと谷に落としちゃってね。明日また色々買い揃えなきゃいけないんだ」
実際問題、部屋着も普段着も無いのは辛いよな。鎧下はごわごわして通気性も良くないし、このちょっと良い宿の食堂で飯食うのも剣や盾のフル装備ってのは如何かと思う。
「それは災難でございましたね。でしたら屋内着をお貸し致しましょうか。御食事の際も鎧姿では寛げませんので。そちらはサービスさせて戴きますよ」
シェルツさんはそう言うと、後ろの棚から簡単だが安っぽく無い長袖のチュニックと長パンツ、それにサンダルまで出してくれる。それを世話係りさんに持たせ、部屋までの案内を命じる。
「それはありがたい。お言葉に甘えて使わせてもらいます」
「ではご案内いたしますね。お部屋は三階の三号室になります」
案内されついて行くと、思った以上の宿の質の良さに驚く。各階の廊下には窓毎に鉢に花が咲いていて、板張りの廊下は、消音の為か厚めの絨毯が敷いてある。灯りは館内全て例の魔光灯が取り入れられ、着けるも消すもスイッチひとつだそうだ。全体の造りといいサービスの質といい、元の世界にもこれほどの宿は無いのではと思ってしまう。やっぱ文明的に進んでるんだよな。つくづく思い知りながら部屋に着いて扉が開けられると、更に驚く。落ち着いて品のある柄の壁に、出窓に飾られた花瓶の花。木製部分はベッドやクローゼットも飴色にツヤツヤに光っていて、とても豪華な部屋に見える。床のカーペットもふかふかでブーツでも足音もせず、モザイク柄で美しい。「こちらがシャワー室とトイレになります」と扉を開けて見せてくれた。そう広くないが洗面所の奥にシャワー室とトイレの扉が二つあり、どちらも清潔で良い香りがすると思ったら、ポプリがさりげなく置かれていた。
ほー…と溜め息を吐く。こっちの世界に来て一番素晴らしいと思うのは、やはり住居環境だなぁ。元の世界の貧民街は汚いし臭い。宿だって平民街のを常宿にしているが、ここに比べたらあばら家同然だ。トイレは共同で不衛生、風呂は街の大衆風呂か桶に湯を買ってタオルで拭くのが当たり前。今日ここに泊まってしまうと、元の世界で同じ金額払っても格下の環境しか得られないと知ったから、正直我慢できるか心配だ。そうなると自分の家を買って自分が少しでも満足できる環境を造っていくしかないな。
「申し訳ございません。御食事をご提供できる時間が後一時間半ほどになりますので、こちらにお召し替えになられましたら、一階の食堂まで御越しくださいませ」
世話係りさんがそう言うと丁寧にお辞儀をする。俺は「ありがとう。着替えたらすぐ行かせてもらうよ」と答え、扉が閉まると鎧から脱ぎ始めた。
綺麗な衣服に着替えると本来気持ちのいいものなのだが、朝方に冷たい川の水で洗い流した身体には、自分から出た油分と、色んな魔物を斬りまくって浴びた血液や体液の油分がまだベットリと残っている。時間も経って臭いも気になり出すので、先に風呂に入りたかったんだが、食事の時間が終わってしまうので、あと少しと我慢する。
食堂に入ると、裕福そうな商人らしき人やその同行人、貴族の様に見える老夫婦、子連れで賑やかな家族など、なん組もの人達がそれぞれ食事をしたり、酒を飲んで談笑したり、奥の方ではカードを楽しんだりしている。もっと堅苦しい食事風景を想像していたが、思っていたよりもフランクで驚く。
入り口で世話係りさんに「マビァ様、こちらへどうぞ」と案内され、席を引いてもらい腰掛ける。俺からしたら信じられないほど薄くて足の長いガラスのコップに水を注いでくれた。これひとつで元の世界だと金貨一枚は下らなさそうだ。少なくとも俺は、こんな壊れやすそうな物を、気軽に得体の知れない泊まり客に自由にさせるなんて神経が理解できない。恐る恐る絶対に割らないように両手で支えながら水を一口戴く。驚くほど美味い水だった。丘の上からこの街まで何度も用水路の水を飲んだが、どれも清んでて美味しかった。だけど今飲んだ水に比べれば随分と雑味を多く感じた。ゆっくりとコップの水を味わいながら飲み干す。世話係りさんは微笑んで水を継ぎ足してくれた。
「当店のお食事は気取らず存分に堪能して戴くために沢山ご用意いたしますので、おかわりがご希望でしたらいつでもお申し付け下さい。またテーブルマナーなどうるさいことは申しませんが、他のお客様のご迷惑になるようなことは、お控え戴きますようお願い申し上げます」
そこで一礼すると続いて、メニュー表を取り出す。
「また、このようなシステムの為、ディナーのメニューはこちらで決めさせて戴いておりますが、お飲み物はこちらの中からご自由に選ぶことが出来ます。どちらになさいますか」
ほー。料理の選択は出来ないけど腹一杯食えてお酒も飲み放題とは豪気だねぇ。酒は強い方じゃないし異世界のは初めてだ。お任せにするか。
「ここらの酒は詳しくないんだ。あまり強くないワインはあるかな? 出来れば甘くない赤がいいんだけど」
「それでしたらフォンドゥ産の赤が宜しいかと。お食事もすぐお持ち出来ますが、ご一緒で宜しいでしょうか?」
「じゃ、それでお願いします」といって三分と経たない内に「お待たせいたしました」と、纏めてやって来た。
「本日のディナーは『モウモのリブステーキガーリックソイヤソースとモウモ肩ロースのエール煮』でございます。こちらのサラダとパンもおかわりして戴けますので、何なりとお申し付け下さい」
と言い、フォークやナイフが入ったバスケットをテーブルに置き、ワインをコップに注いでボトルもテーブルに置いて世話係りさんは下がった。
……すげえのが来た。大きな焼けた鉄板皿からジュウジュウと音を立て、はみ出すような分厚いステーキ肉と、少し深さのある皿がテーブルに置かれた時にプルルンッと震えるだけで柔らかさの分かる、何人前かという大きさの肉の塊。サラダも生野菜がたっぷりにポテトサラダが山盛りで、ドレッシングも好きなだけ使えと言わんばかりに器ごと置いてある。パンもバスケットに硬いの柔らかいのと色々山盛りだ。
「誰がおかわりできるんだよ…」
と呆れる反面、匂いに誘われ腹が猛烈に空腹を訴える。取り敢えずワインで喉を潤しすが、程よい酸味と渋みで余計に胃を刺激された。
俺はこうなりゃ元取ってやるとばかりに、まずステーキから食らい付いていった。
マビァがやたらとコニスを警戒してますが、彼の育った孤児院の教育でハニートラップの怖さを叩き込まれているせいっていう裏設定があります。
貧民街は危険がいっぱいなんでしょうね。
次回の更新は6月14日(日)の正午に更新予定です。
よろしければまた読んでやってください。